[4] Porro dixit angelus, quod Scriptura Sacra, quae immediate a Domino processit, sit in communi et in parte conjugium boni et veri: [4] さらに天使は言った、聖書は、それは主から直接に発出した、全般的に、また部分的に善と真理の結婚であること。
et quia ecclesia, quae formatur per verum doctrinae, et religio, quae formatur per bonum vitae secundum verum doctrinae, apud Christianos est unice ex Scriptura Sacra, constare potest, quod ecclesia in communi et in parte sit conjugium boni et veri. また教会は、それは教えの真理によって形作られているので、また宗教は、それは教えの真理にしたがった生活の善によって形作られている、キリスト教徒のもとで、もっぱら聖書から、明らかにすることができる、教会は全般的に、また部分的に善と真理の結婚であること。
(Quod ita sit, videatur in Apocalypsi Revelata, n. 373. 483.) (そのようであることは、『啓示された黙示録』373, 483番に見られる)。
Idem hoc quod supra dictum est de conjugio boni et veri, dictum etiam est de conjugio charitatis et fidei, quoniam bonum est charitatis, et verum est fidei. このことと同じことが、それは上に言われた善と真路結婚についてである、「仁愛と信仰の結婚」についても言われる、善は仁愛のものであるから、また真理は信仰のもの。
Quidam ex prioribus, qui non viderunt angelum et scripturam, adhuc adstantes, et audientes illa, dicebant ore semipleno, "Immo etiam, capimus illa;" 前の者からのある者が、その者は天使と書かれたものを見なかった、依然としてそばに立っていて、またそれらを聞いて、不十分な(半開きの)口で言った、「それどころか(実に)、そのとおり、それらを私たちは把握する」。
Sed tunc angelus dixit illis, "Avertite vos paulum a me, et dicite similiter." しかし、その時、天使は彼らに言った、「あなたがたは、私から少し、離れよ、また同様に言え」。
Et averterunt se, et dixerunt ore pleno, "Non ita." また、自分自身を離した、また十分な口で言った、「そのようではない」。
[5] Post haec angelus loquutus est de conjugio boni et veri apud conjuges; [5] この後、天使は配偶者(夫婦)のもとの「善と真理の結婚」について話した。
dicens, quod si mentes illorum in illo conjugio forent, maritus verum et uxor hujus bonum, forent ambo in delitiis beatitudinis innocentiae, et inde in felicitate, in qua sunt angeli caeli; 言って、もし、彼らの心がその結婚の中にあったなら、夫は真理また妻はこの善、両者は無垢の幸福の状態(祝福)の歓喜の中にあったであろう、またここから幸福の中に、その中に天界の天使たちはいる。
in quo statu prolificum mariti foret in continuo vere, et inde in nisu et virtute propagandi suum verum, et uxor in continua receptione ejus ex amore; その状態の中で夫の生殖力は絶え間のない(永続する)春の中にあっただろう、またここから、自分の真理を増殖させる努力と力の中に、また妻は、愛からその絶え間のない(永続する)受け入れの中に。
"sapientia, quae apud viros a Domino est, nihil jucundius sentit, quam propagare sua vera; 「知恵は、それは主から男のもとにある、何もさらに快活に感じない、自分の真理を繁殖させることよりも。
et amor sapientiae qui apud uxores ibi est, nihil amaenius sentit, quam illa recipere quasi utero, et sic concipere, gestare et parere; また知恵への愛は、それはここから妻のもとにある、何もさらに楽しく感じない、それを子宮にのように受け入れることよりも、またこのようにみごもること、(子宮に)運ぶこと(妊娠すること)、また産むこと。
prolificationes spirituales apud angelos caeli tales sunt; 天界の天使のもとの霊的な生殖はこのようなものである。
et si credere velitis, ex illa origine sunt etiam prolificationes naturales." また、もし、あなたがたが信じることを欲するなら、自然的な生殖もまたその起源からである」。
Angelus post salutationem pacis extulit se e terra, et vectus trans nimbum ascendit in caelum, et tunc charta secundum gradus ascensus fulgebat sicut prius; 天使は、平和(平安あれ)の挨拶の後、地から自分自身を上げた、また乗った、雲を超えて、天(界)の中に上った、またその時、紙は上昇の段階にしたがって、前のように輝いた。
et ecce tunc circulus, qui prius apparuit sicut aurora, se demisit, et dispulit nimbum, qui tenebras induxit terrae, et factum est apricum. また見よ、その時、円(輪)が、それは前にあけぼののように見えた(現われた)、それ自体を降ろした、また雲を追い散らした、それは地に暗やみをひき起こした,また日照が生じた。
(3)訳文
115.第二のメモラビリア――
真夜中に、眠りから目覚めて、私は東に向かうある高さの中に、右手に紙を持っている天使を見た、その紙は太陽から流れ入る光から照らされた輝きの中に見られ、その真ん中に金の文字で書かれていた。は「善と真理の結婚」と書かれたものを見た。書かれたものから輝きが、紙のまわりに。広い輪の中に輝き出た。その輪、すなわち、周囲(縁)は、ここから春の時のあけぼのが現われるように見られた。
この後、私は天使が手の中に紙とともに降るのを見た。また、紙は輝きで少なくまた少なく見えるかのように降った、またその「善と真理の結婚」と書かれたものは、金色から銀色へ、その後、銅色へ、(続いて、鉄色へ、また最後に、鉄さび色と銅さび色へ変った。
そして最後に、天使が暗い雲の中に入り、また雲を通って地の上に見られた。またそこに、その紙は天使の手の中にあったけれども、見えなかった。
このことが、すべての人間が、死後、最初に集まる霊たちの世界の中で起こった。
[2] また、その時、天使は私に話して。「ここにやって来る彼らに、彼らが私を、あるいは、私の手の中の何かを見るかどうか質問せよ」と言った。。
群衆が、東からの集団、南からの集団が、西からの集団が、北から集団がやって来た、私は東と南から来る者たちに質問した、その者は世の中で学問に専念した者であった、ここに、私のもとにある者を、またその手の中にある物を見るかどうか。
すべての者は、まったく何も〔見〕ない、と言った。
私は、その後、西と北から近づいた者に質問した、彼らは学者の言葉を、世の中で信じた者であった。これらの者は、何も〔見〕ない、と言った。しかしながら、最後に世の中で仁愛からの仁愛からの単純な信仰の中にいた、すなわち、善からの何らかの真理の中にいたこれらの者が、前の者が去った後に、言った、紙とともに男を、美しい服の男を、その上に文字が書かれた紙を見ることを。
また、目を近づけたとき、「善と真理の結婚」を読む、と言った。これらの者は天使に、これが何か言うように懇願して、話しかけた。
[3] すると〔天使は〕言った、天界全体の中にあるすべてのものは、また、世界全体の中にすべてのものは、善と真理の結婚によらないなら存在しない、すべてと個々のものは、それは生き、呼吸するものも、それは生きない、呼吸しないものの、善と真理の結婚から、その中に創造されているからである。「被造物は、真理だけの中に何も存在しない、善だけの中にも何も存在しない。孤立した真理と善は何らかのものではない、しかし、結婚によってこのような何らかのものが存在し、結婚のようなものが生じる。
創造主である主の中に、神的な善と神的な真理がその実体そのものの中に存在する。実体のエッセ(存在)そのものは神的な善であり、実体のエキシステレ(実在)そのものは神的な真理である。それら二つは創造主ご自身の中で一つであり、それゆえ、その方により創造されたすべての個々のものの中でもまた一つであるからである。そのことによってもまた、創造主はご自分により創造されたすべてのものと、永遠の契約で、結婚のように、結合されている」。
[4] さらに天使は言った、主から直接に発出した聖書は、全般的にまた部分的に善と真理の結婚であること。また教会は教えの真理によって形作られている、また宗教は教えの真理にしたがった生活の善によって形作られているので、キリスト教徒のもとで、、教会は全般的にまた部分的に善と真理の結婚であることを、もっぱら聖書から明らかにすることができる。
(そのようであることは、『啓示された黙示録』373, 483番に見られる)。
このことと同じことが、それは前に言われた善と真路結婚についてであり、「仁愛と信仰の結婚」についても言われる、善は仁愛のもの、真理は信仰のものであるからである。
天使と書かれたものを見なかった前の者からのある者が、依然としてそばに立っていて、それらを聞いて、半開きの口で言った、「実に、そのとおり、それらを私たちは把握する」。
しかし、その時、天使は彼らに言った、「あなたがたは私から少し離れ、また同様に言え」。
離れて、十分に開けた口で言った、「そのようではない」。
[5] この後、天使は夫婦のもとの「善と真理の結婚」について話した。言って、もし、彼らの心がその結婚の中にあったなら、夫は真理であり、また妻はこの善でる両者は無垢の幸福の状態(祝福)の歓喜の中に、またここから幸福の中にあったであろう、その中に天界の天使たちはいる。その状態の中で、夫の生殖力は絶えず春の中に、またここから、自分の真理を増殖させる努力と力の中に、また妻は、愛からその永続する受け入れの中にあったであろう。「主から男のもとにある知恵は、自分の真理を繁殖させる以上に何も快活に感じない。また、ここから妻のもとにある知恵への愛は、、それを子宮に受け入れ、このようにみごもり、(子宮へ)運ぶこと、また産むこと以上に何も楽しさを感じない。天界の天使のもとの霊的な生殖はこのようなものである。また、もし、あなたがたが信じることを欲するなら、自然的な生殖もまたその起源からである」。
天使は、平和(平安あれ)の挨拶の後、地から上げり、雲を超えて乗り、天(界)の中へ上った、またその時、紙は上昇する段階にしたがって、前のように輝いた。見よ、その時、前にあけぼののように現われた輪が降りてきて、地に暗やみをひき起こした雲を追い散らし,日照が生じた。