原典講読『啓示された黙示録』 567(訳文)

(3) 訳文

567(第1節)「また、私は海から上がってくる獣を見た」は、神と救いについて、竜の教えと信仰の中にいる改革派教会の中の平信徒を意味する。

 竜の信仰が何か、またどんなものか、見られる(537番)。同じ信仰についてこの章で続けられる。また「海から上がってくることが見られた」、「この獣」によって、平信徒のもとのそれらの信仰が意味される、しかし「地からの獣」によって(それについて第11節)、聖職者のもとのそれらの信仰が意味される。

 ここに竜について続けられるのは、この章の中のこれらから明らかである――

 「竜は、海から上がってきた獣に、自分の力と、自分の王座と大きな権限を与えた」こと(第2節)。

 また「彼らは竜を崇拝した、その者は獣に力(権限)を与えた」こと(第4節)。

 また「地からの獣」について、それは「竜のように話した」こと(第11節)。

 また「前の獣のすべての権限を竜の前で行なう」こと(第11節)。

 「海からの獣」によって意味される者が平信徒であり、また「地からの獣」によって意味される者が聖職者であること、「海」によって教会の外なるものが、そして「地」によってその内なるものが意味されるからである(398番、また他の箇所に)。そして、教会の教えの外なるものの中に平信徒がいる、またその内なるものの中に聖職者がいる。それゆえ、さらにまた「地からの獣」は続く箇所の中で「偽預言者」と呼ばれている。

 改革派の教会の中の者であることは、第16章まで、包括的に、改革者について、またローマカトリックについて、第17と18章に、またその後、最後の審判について、また最後に、新た教会について扱われているからである。。

 [2] 「獣」として見られたのは、竜は獣であるからである、また、みことばの中で人間を、その情愛に関して意味するからである、その無害なまた有用な獣は善の情愛に関して、そして有害なまた役に立たない獣は悪の情愛に関して。それゆえ、教会の人間は、一般的に、「羊」と言われ、そしてそれらからの集団は「(羊の)群れ」、教える者は「羊飼い」と呼ばれている。

 さらにまたここから、みことばがその力、情愛また知恵に関して、前に、「ライオン、子牛、ワシと人間」であった(第4章)「四つの動物」によって、またみことばの理解力が「馬」によって(第6章)、述べられている。

 その理由は、前にしばしば言われたように、人間の情愛が、霊界の中で、遠方から獣のように見えるからである。そして、本質的に眺められた獣は、自然的な情愛の形でしかない、けれども人間は自然的な情愛の形であるだけでなく、さらにまた同時に霊的な情愛の形である。

 [3] 情愛に関する人間が「獣」によって意味されることは、次の箇所から明らかにすることができる――

 

 「あなたは、慈悲心の雨を滴らせ、苦労するあなたの相続する者を強くされる。獣(あなたの集まり)はその中に住むでしょう」(詩篇68:9, 10)。

 「森のすべての野獣は、千の山々の獣は、わたしのものである。わたしは山のすべての鳥を知っている、わたしの野の獣はわたしのもの」(詩篇50:10, 11)。

 「アッシリヤはレバノンの杉、その高さは高くされ、その枝の中に天のすべての鳥は巣をつくる、またその枝の下で野のすべての獣は産む、またその陰の下に大いなるすべての国民が住む」(エゼキエル31:3-6, 10, 13、ダニエル4:7-13)。

 「その日に、わたしは、野の獣と、また天と鳥と、それらの契約を結ぶ、またあなたを永遠にわたしに婚約させる」(ホセア2:18, 19)。

 「楽しめ、喜べ、恐れるな、わたしの野の獣よ、荒野の住むところが草におおわれたからである」(ヨエル1:21, 22)。

 「その日に、大きな騒動が起こる、ユダはエルサレムに対して戦う、また馬、ラバ、ラクダの、すべての獣の災害がある。その後、残りのすべての者がエルサレムに上る」(ゼカリヤ4:13-16)。

 「彼らはそれを〔悪い兆しの〕鳥〔として〕忌み嫌う、また地のすべての獣はそれを軽蔑する」(イザヤ18:6)。

 「人の子よ、あなたは、すべての翼の鳥に、また野のすべての獣に言え、イスラエルの山の上のわたしのいけにえへ集まれ。このように、わたしは、わたしの栄光を国民の間に与える」(エゼキエル39:17-21)。

 「エホバはイスラエルの追放された者を集められた。わたしの野のすべての獣よ、やって来い」(イザヤ56:8, 9)。

 「エホバはアッシリヤを滅ぼす.国民のすべての野獣はその真ん中に、ヘラサギもフクロウもそのザクロの木の中に休む」(ゼパニヤ2:13, 14)。

 「羊は羊飼いなしに、野のすべての野獣の食いものの中へと追い散らされた」(エゼキエル34:5, 8)。

 「わたしはあなた野の面の上に投げ捨て、天のすべての鳥があなたの上に住むことをする、またあなたから、地のすべての獣を飽食させる」(エゼキエル32:4)。

(なおまた、5:17、29:5、33:27、29:4、エレミヤ15:3、16:4、19:7、27:5,6)。

 「敵はエホバを侮辱で働きかける。あなたは、獣にキジバトの霊魂を与えないでください」(詩篇74:18, 19)。

 「私は幻の中で海から上がってくる四つの獣を見た。最初のものはライオンのようであった、それにワシの翼が〔あった〕、第二のものは雌熊に、第三のものはヒョウに似て〔いた〕、また第四のものは恐ろしかった」(ダニエル7:2-7)。

 霊はイエスを駆り立てて、荒野の中に出て行くことをした、「獣とともにいた、また天使がその方に仕えた」(マルコ1:12, 13)。

 

 [4] 獣とともにいたのでゃなく、悪魔とともにいた、その者がここに「獣」よって意味されている。

 ほかに他の箇所の中に、そこに「獣」と「野獣」が名前を挙げられている、例えば、イザヤ35:9、43:20、エレミヤ12:4, 8-10、エゼキエル8:10、34:23, 25, 28、38:18-20、ホセア4:2, 3、13:8、ヨエル1:16, 18, 20、ハバクク2: 17、ダニエル:37, 38、詩篇8:6-8、詩篇80:13、詩篇104:10, 11, 14, 20, 25、詩篇148:7, 10、出エジプト記23:28-30、レビ記26:6、申命記7:22{9}、32:{10} 24。

 それらの箇所の中で「獣」によって、情愛に関する人間が意味される。

 [5] 次の箇所の中に、「人間と獣」によって、一緒に、霊的な情愛に関する人間が、また自然的な情愛に関する人間が意味される――エレミヤ7:20、21:6、27:5、31:27、32:43、33:10-12、36:29{11}、50:3、エゼキエル14:13, 17, 19;、25:13、32:13、36:11、ゼパニヤ1: 2, 3、ゼカリヤ2:4{12}、8:9, 10、ヨハネ3: 7, 8;、詩篇36: 6、民数記18: 15。

 いけにえとしてささげられるすべての獣によって、善の情愛が意味された。同様に、食べられる獣によって。またこれに反するものが、食べられない獣によって。

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