(3) 訳文
1 「また、私は海から上がってくる獣を見た」は、神と救いについて、竜の教えと信仰の中にいる改革派教会の中の平信徒を意味する(567番)。「七つの頭を持っている」は、虚偽そのものからの狂気を意味する(568番)。「また十の角」は、多くの力を意味する(569番)。「またその角の上に十の王冠」は、みことばの多くの真理を虚偽化する力を意味する(570番)。「また、その頭の上に冒涜の名前」は、主の人間性の否定を、またみことばからでない、しかし、自己の知性から考え出された教会の教えを意味する(571番)。
2 「また、私ガ見た獣はヒョウに似ていた」は、虚偽化されたみことばの真理から〔のものである〕ので、教会を破壊する異端を意味する(572番)。「またその足は雌グマのようであった」は、読まれた、しかし理解されなかった、みことばの文字どおりの意味からの欺きに満ちたものを意味する(572番)。「またその口はライオンのようであった」は、真理からのような虚偽からの(誤まった)推論を意味する(574番)。「またそれに竜は自分の力と自分の王座と大きな権限を与えた」は、平信徒により受け入れられたその異端が力があるまた支配することを意味する(575番)。
3 「また、私は、死で傷つけられたような一つの頭を見た」は、信仰のみについての教えが、みことばと一致しないことを意味する、そこにはしばしば働きが命じられている(576番)。「またその死の打撃はいやされた」は、それについてその治療が意味される(577番)。「また全地は驚き、獣の後ろに〔従った〕」は、その時、それらの教えと信仰が楽しさとともに受け入れられたことを意味する(578番)。
4 「また、彼らは獣に権限を与えた竜を崇拝した」は、指導者と教える者により与えられたようなものである認知を意味する、、それらの者は、一般の集団により受け入れられたことによって、それらを力があるものにした(579番)。「また、彼らは獣を崇拝した」は、一般の集団からの、聖なる〝真理〝であることの認知を意味する(580番)。「だれが獣に似ているのか、だれが彼と戦うことができるのか、と言って」は、その教えの卓越を意味する、だれからも論駁されることができないからである(581番)。
5 「また、彼に大きなことと冒涜を話す口が与えられた」は、悪と虚偽を教えることを意味する(582番)。「また、彼に四十二か月、行なう権限が与えられた」は、その教会の終わりまでも、その教えの悪と虚偽を教え、行なう能力を意味する、新しい教会の始まりの時に(583番)。
6 「また、彼は、神に向かって冒涜的な発言へと、その方の名前を冒涜することへと自分の口を開いた」は、彼らの言説を意味し、それらは、神性そのものと主の人間性に対する、また同時に、みことばからの教会のすべてのもの、それによって主を礼拝する、そのすべてのものに対する反感である(584番)。「またその方の幕屋を、また天の中に住む者を」は、主の天的な教会に対する、また天界に対する反感を意味する(585番)。
7 「また、彼に聖徒たちと戦いを行なうこと、また彼らに勝つことが与えられた」は、彼らがみことばの神的真理を攻撃し、それらを投げ倒したことを意味する(586番)。「また、彼にすべての部族と言語と国民の権限が与えられた」は、このように、教会のすべてのものの支配を意味する、その教えも、その生活に属すものも(587番)。
8 「また、小羊のいのちの書の中にそれらの者の名前が書かれていない地上に住むすべての者は彼を崇拝するようになる」は、主を信じた者を除いて、すべての者がその異端を教会の聖なるものとして認めたことを意味する(588番)。「世の創造から(=以来)殺された」は、主の神的人間性が教会の設立〔の時〕から(=以来)認められなかった、を意味する(589番)。
9 「もし、だれかが耳を持つなら、〔その者は〕聞け」は、賢明であることを欲する者がこれらへ留意することを意味する(590番)。
10 「もし、だれかが捕らわれた者へと導くなら、〔その者は〕捕らわれた者へと立ち去る」は、その異端で他の者を善く信じるまた善く生きることから連れ去る者は、自分自身の虚偽と悪により地獄の中へ連れ去られることを意味する(591番)。「もし、だれかが剣で殺すなら、彼を剣で殺されるべきである」は、虚偽によって他の者の霊魂を破壊する者は、虚偽によって破壊され、滅びることを意味する(592番)。「ここに聖徒たちの忍耐と信仰がある」は、主の新しい教会の人間が、それら〔虚偽と悪〕からの試練によって、生活と信仰に属すものがどんなものであるか調べられることを意味する(593番)。
11 「また、私は地から上がってくるもう一つの獣を見た」は、神と救いについて竜の教えと信仰の中にいる聖職者を意味する(594番)。「小羊に似た二つの角を持ち、竜のように話した」は、彼らが、みことばから話し、教え、また書くものが、主の神的真理であるようであった、それでも虚偽化された真理であることを意味する(595番)。
12 「また、前の獣のすべての権限を彼らの前で行なう」は、彼らが教義を確信すること、またそれによって力があることを意味する(596番)。「また地とその中に住む者は、死の打撃がいやされた前の獣を崇拝する」は、教会の聖なるものとして認められること、一般の集団により受け入れられたことが確信から確立されたことを意味する(597番)。
13 「また、大きなしるしを行なう」は、彼らが教えるものが真理であることの証明を意味する、それでも虚偽である(598番)。「地上の人間の前に、火を天から降らせるような」は、彼らの虚偽が真理であることも証言を意味する(599番)。
14 「また、獣の前に行なうことが与えられたしるしゆえに、地上に住む者を惑わす」は、証明と証言によって、教会の人間を間違いの中へ導き入れることを意味する(600番)。「地上に住む者が、剣の打撃を受け、〔それでも〕生きている獣の像をつくることを言って」は、信仰が救いの唯一の手段であることを、そのことについて〔すでに述べたそ〕の理由のために教えを受け入れるために、教会の人間を引き寄せることを意味する(601番)。
15 「また、獣の像に息を与え、そのようにまた、獣の像が話すことが彼に与えられた」は、彼らにその教えを、みことばから確信することが許されたことを意味する、そのことから生命を与えるもののように教えられる(602番)。「また獣の像を崇拝しない者がだれでも殺されるようにする」は、彼らの信仰の教えを教会の聖なる教えとして認めない者に断罪を宣言することを意味する(603番)。
16 「また、すべての者に、小さい者や大きい者、また富んだ者や貧しい者、自由な者や奴隷に行なう」は、その〔教会の〕中に、どんな境遇、学識、知性からでも、すべての者がいる(604番)。「彼らに、彼らの右手の上に、また彼らの額の上に特別なしるしを与えるように〔する〕」は、信仰と愛でそれらの教えを受け入れる者でないなら、だれも改革派のキリスト教として認められないことを意味する(605番)。
17 「また、もし獣の特別なしるし、すなわち、名前を、すなわち、その名前の数を持たないなら、だれも買うことまたは売ることができないようにする」は、みことばから教えることがだれにも許されないことを意味する、その者が、彼の信仰と愛の中で、またはそれらものの中で、みことばに一致をもたらすものを認ず、そして誓わないなら(606番)。
18 「ここに知恵がある」は、この章の中で言われ、説明された、聖職者のもとの神と救いについての教えと信仰のようなものを見ることまた理解することが、知恵に属すものであることを意味する(607番)。「知性を持っている者は獣の数を数えよ」は、主からの照らしの中にいる者が、彼らのもとの、みことばからのその教えと信仰がどんなものか知ることができることを意味する(608番)。「というのは、人間の数であるから」は、みことばの、またここから教会の性質を意味する(609番)。「その数は六百六十六である」は、みことばのすべての真理が彼らにより虚偽化されたこの性質を意味する(610番)。