原典講読『啓示された黙示録』 566(直訳[8])

[8] Tunc locuti sunt spiritus angelici inter se de falsificatione Verbi, et in eo convenerunt, quod falsificare Verbum, sit desumere ex illo vera, et applicare illa ad confirmandum falsa, quod est extrahere illa ex Verbo extra illud, et occidere. [8] その時、天使的な霊たちは自分たちの間でみことばの虚偽化について話した、またその中で一致した、みことばを虚偽化することは、その真理から集めることである、またそれらを虚偽の確認へ当てはめること、みことばからそれらを引き出すこと、その外部へ、また殺すこと

Ut pro exemplo: 例えば、例として――

qui desumit inde hoc verum, quod proximus amandus sit, et quod bonum illi ex amore faciendum sit propter Deum et vitam aeternam, si tunc quis confirmat illud quod faciendum sit, sed non salutis causa, quia omne bonum ab homine non est bonum, ille trahit id verum ex Verbo extra Verbum, et trucidat illud; その者はここからこの真理を引き出す、隣人を愛さなければならないこと、また彼に善を愛から行なわなければならないこと、神と永遠のいのちのために、もしその時、だれかがそのことを確信するなら、行なわなければならないこと、しかし救いの理由(原因)でない、人間によるすべての善は善でないので、彼はその真理をみことばから引き出す、みことばの外部に、またそれを皆殺しにする。

quoniam Dominus in Verbo Suo injungit cuivis homini qui salvari vult, facere bonum proximo sicut a se, et tamen credere quod sit a Domino. 主はご自分のみことばの中でそれぞれの人間に押し付けているので、その者は救われることを欲する、隣人に善を行なうこと自分自身からのように、またそれでも神からであることを信じることを。

@1 quisque pro “cuivis” (Vid. V.C.R. n. 162.)  注1 「cuivis」の代わりにquisque(『真のキリスト教』162番参照)

原典講読『啓示された黙示録』 566(訳文)

(3) 訳文

 566.これらに私はこのメモラビリアを付け加える――

 霊たちの間に、みことばの中に神学的な教えの事柄の何らかの真理を主からでないなら、だれか見ることができるかどうか、論争が起こった。その中ですべての者は、「人間は天界から彼に与えられないなら何も得ることができない」(ヨハネ3:27)ので、だれも神からでないならできないことで一致した。そのために、主に直接に近づかないなら、だれかができるかどうか、論争した。

 一方の側から、主はみことばであるので直接に近づかなければならない、と言った。もう一方の側から、直接に父なる神に近づくとき、教えの事柄の真理もまた見られると〔言われた〕。それゆえ、論争は、父なる神を直接に近づくこと、またこのように主の上方へのぼることが何らかのキリスト教徒に許されるかどうか、またこのことは横柄な振る舞い、また不適当な大胆さと無謀ではないか、このことに最初に傾いた。主が、「ご自分を通してでないなら、だれも父へやって来ない」(ヨハネ14:6)と言われたからである。

しかし、このことは〔後に〕残され、また、人間は自然的な光それ自体から、みことばからの教えの事柄の真理を見ることができる、と言った。しかし、これは捨てられた。

 それゆえ、父なる神へ祈る者により、見ることができることが始められた――それゆえ、彼らの前でみことばから何らのものが読まれ、またその時、ひざまずいて、父なる神が彼らを照らすように祈った。また、みことばから彼らの前で読まれたことばに向けて、これやそれらはそこの真理であることを言った、しかし、虚偽であった。このように数度、飽きるまで〔行なった〕。最後に、できないことを認めた。

 しかし、もう一方の側から〔の者である〕、直接に主に近づいた者は、真理を見、また彼らに教えた。

 [2] この論争がこのように収められた後、ある者が深淵から上って来た。その者は最初、イナゴのように、またその後、こびとのように見えた。

 彼らは世の中で父なる神へ祈り、信仰のみによる義認を自分自身のもとに確信した者であった。これらの者は、人間が信仰のみによって、律法のわざなしに義とされることを、明るい光の中で、そしてまたみことばから、見ている、と言った。

 何の信仰によってか質問された――「父なる神へ〔の信仰〕」と答えた。

 しかし、調べられた後に、彼らに天界から、みことばからの教えの一つの真理も決して知らない、と言われた。しかし、それでも、それを自分の真理を光の中で見ている、と言い返した。

 その時、彼らに、それらを愚かな光の中で見ている、と言われた。

「愚かな光とは何か?」と質問した。愚かな光は虚偽の確信の光であり、またその光は、その中にフクロウとコウモリがいる光に対応すること、それらには暗やみが光であり、また光が暗やみであることが教えられた。

このことが、天界へと上方を眺めたとき、そこの光そのものを、〔それに代わって〕暗やみを見た、また深淵へと下方を眺めた時、そこにあった〔暗闇を〕、〔それに代わって〕光を見たこと、それによって確証された。

 [3] この確証から怒って、彼らは言った。このように光と暗やみは単に目の状態でしかない、そのことから、光は光である、また暗やみは暗やみである、と言われる――しかし、彼らに愚かな光あったことが示された、それは虚偽の確信の光である。また彼らの光は欲望の火から起こる彼らの心の単なる活動であり、猫の光に似てなくもなかった。それらの目は物置の中のヤマネを燃えるようにほしがることから、夜の時、ロウソク〔の炎〕のように見える。

 これらを聞いて、怒って言った。「猫ではないこと、猫のようでもない、もし欲するなら、見ることができるからである」と。しかし、なぜ欲しないのか、との質問を恐れたので、退いた。また自分の深淵の中へ、また自分の光の中へ降りた。

さらにまた彼らは、そこにいる者、また彼らに似た者は、フクロウやコウモリと呼ばれている。

 [4] 彼らが深淵の中の自分のもの〔仲間〕にやって来た時、天使が言ったことを、「私たちに、私たちが知っている教えの事柄の真理が何もない、決して一つもないこと」、また私たちが「フクロウやコウモリ」と呼ばれたこと語った、そこに騒動が起こった。

 また言った、「私たちは、上ることが許されるように神へ祈ろう、またはっきりと示そう、私たちに教えの事柄の多くの真理があること、それらを大天使自身が認める」。

 また、神へ祈ったので、許可が与えられ、また三百〔名〕も上った。

 また地上に見られて言った、「私たちは世の中で有名な者と名高い者であった、私たちは信仰のみによる義認の奥義を知った、教えたからである、また〔その〕確証から、私たち単に光を見るだけでなく、しかしさらにまた光線(輝き)のようにきらめいているそれらを〔見ている〕、また同様に、今は私たちの小室の中で〔見ている〕。しかし、それでも私たちはあなたがたのもとにいた私たちの仲間から聞いた、その光は光ではなく、暗やみであった、その理由は、あなたがたが言うように、みことばからの教えの事柄の真理を何も私たちが持っていないからである。私たちは、みことばのすべての真理は光ることを知っている、またここから信じた、私たちの閃光は私たちが私たちの奥義を深く瞑想している時、光ったことである。それゆえ、私たちは、みことばからの真理が私たちに数多く豊富にあることを示そう」。

また彼らは言った、「この真理が私たちにあるのではないか? 父なる神・子・聖霊の三一性があることまた三一性を信じなければならないこと。この真理が私たちにあるのではないか? キリストが私たちの贖い主と救い主であること。この真理が私たちにあるのではないか? キリストだけが義であること、またその方だけに功績があること、また自分自身にその方の功績と義の何らかのものを帰そうと欲する者が不正で不信心な者であること。この真理が私たちにあるのではないか? 死すべきだれも何らかの霊的な善を自分自身そのものから行なうことができないこと、またすべての善は、それは本質的に善である神からであること。この真理が私たちにあるのではないか? 功績的な、また偽善的な善が存在すること、またそれらの善は悪であること。この真理が私たちにあるのではないか? 自己の力から、少しも救いを自分へ持ってくることができないこと。この真理が私たちにあるのではないか? それでも仁愛の働きを行なわなければならないこと、この真理が私たちにあるのではないか? 信仰があること、また神を信じなくてはならないこと、まただれもが信じるように、いのちを持つこと。ほかに、みことばからの他の多くのもの。

あなたがたのだれがそれらからの何らかのものを否定することができるのか? またそれでも、あなたがたは言った、私たちに、私たちの討論に何らかの真理がないこと、決して一つもない。私たちに不快なのか? このようものをあなたがたが逆らう〔のは〕」。

 [5] しかし、その時、答えが与えられた、「あなたがたは例証したそれらのすべてのものは、本質的に真理である、しかし、あなたがたのもとで虚偽化された。誤った原理から得たものは、虚偽である。またここから、あなたがたのもとで、またあなたがたの中で虚偽化された真理は、それは虚偽の原理から引き出した虚偽である。

そのようであることを、さらにまた私たちは目に示そう。この場所から遠くない、その中に天界から光が直接に流入している〔場所があり〕、そこの中央に、机がある。その上に、みことばから真理が書かれている何らかの紙が置かれる時、その紙は書かれた真理から星のように光る。

 それゆえ、書け、あなたがたの真理を紙へ、またその机の上に置かれ、またあなたがたは見るであろう」。

彼らはそのように行なった、またそれらを見張りに与え、その者はそれを机の上に置いた。その時、その者は彼らに言った、「あなたがたは遠ざかれ、また机を眺めよ」。また、彼らは自分自身を遠ざけ、眺めた、また見よ、その神は星のように光った。

 またその時、見張りが言った、「あなたがたは、あなたがたは紙に書いたものが真理であることを見ている。しかし、近づけ、さらに近く、またあなたがたの凝視を紙の中に定めよ」。

また、彼らはそのようにした、また突然とその時、光は見えなくなくなった、また紙は、炉のすすを着せられたように黒くなった。

 またさらに、見張りが言った、「あなたがたの手で紙に触れよ、しかし、書かれたもの(文言)に触れないように用心せよ」。

 またそのようにした。炎が噴きだし、消滅した。これを見て、彼らは逃げ去った。また彼ら言われた、「もし、あなたがたが、書いたものに触れたなら、やかましい音を聞いたであろう、またあなたがたの指は焼かれたであろう」。

またその時、背後からそばに立っている者から彼らに言われた、「今や、あなたがたは見た、真理が、それらをあなたがたは義認であなたがたの奥義を確信するために悪用した、本質的に真理である、しかし、あなたがたの中で虚偽化された真理である」。

その時、彼らは見上げた、彼らに天界が血のように、またその後、暗黒のように見えた。また彼らは天使的な霊の目の前に、ある者はコウモリのように、ある者はフクロウのように、またある者はモグラのように、またある者はミミズクのように見られた。

 そして、自分の暗やみの中へ逃げ去った、それは彼らの目の前に惑わすように光っていた。

 [6] 居合わせた天使的な霊は、その場所についてまたそこに机について何らかを前に知らなかったので驚いた。またその時、彼らに南の方位から、「ここに近づけ、するとあなたがたはさらに驚くべきものを見であろう」と言う声がやって来た。

また近づき、その壁は金から輝いた部屋の中へ入った、またそこにさらにまた机を見た、その上にみことばが蓄えられて、まわりを天界の形の宝石で囲まれて横たわっていた。

 見張りの天使が言った、「みことばが開かれる時、ここから言語に絶する輝きの光が輝き出る、またその時、同時に、みことばの上方とまわりの宝石から、虹のように〔輝きが〕見られる。

第三の天界からある天使がそこにやって来る時、開かれたみことばが見られ、みことばの上方とまわりに、赤い面☆の中にいろいろな色の虹が見られる。第二の天界から天使がそこにやって来て、眺める時、、青色の面の中に虹が見られる。最外部の天界から天使がそこにやって来る時、白光りの面の中に虹が見られる。ある善霊がそこにやって来て、眺める時、大理石のような多彩な光が見られる」。

 そのようであることが、彼らの目にもまた示された。

さらに見張りの天使が言った、「もしだれか、みことばを虚偽化した者が近づくなら、その時、最初に輝きが消える。またもし近づき、みことばに目を定めるなら、まわりが血のようになり、またその時、危険であるので、遠ざかるように警告される」。

 [7] しかし、信仰のみについての教えの指導者、著者であったある者が、大胆に近づき、また、言った、「私は世の中にいた時、みことばを虚偽化しなかった。私は信仰と一緒に仁愛もまた高めた。また私は、人間は信仰の状態の中で、その中で仁愛とその働きを行なう、聖霊から新しくされ、再生され、清められる、と教えた。なおまた、信仰は、その時、孤立して存在しないこと〔を教えた〕、すなわち、善の働きなしに、実なしに善い木が、光なしに太陽が、また熱なしに火がないようにである。そしてまた、私は、善い働きは必要不可欠なものではないと言った者を非難した。そして、そのうえ、十戒の戒めを、そしてまた悔い改めを私は称賛した、またこのように驚くべき方法でみことばのすべてのものを信仰についての〔著述の〕章の中に私は利用した、それをやはりそれだけが救うものであることを私は示し、また証明した」。

 彼は、みことばを虚偽化しなかったという自分の主張を信頼していて、天使たちの警告に逆らって、机へ近づき、みことばに触れた。

しかし、その時、突然に、みことばから煙とともに火が噴きだし、すさまじい音とともに爆発が起こった。そのことから彼は部屋の隅へ投げられ、そこに、死者のように少しの時間にわたって横たわった。これに天使的な霊は驚いた。しかし、彼らに言われた。この指導者は他の者よりも、仁愛の善を信仰から発出されるもののように称賛した。しかし、それでも政治上のもの以外の他の働きを意味しなかった、それらは道徳的なものまた市民的なものともまた呼ばれ、それらは世また繁栄ののためにそこに行なわれなければならない、また神と救いのためではない。さらにまた、彼は聖霊による目に見えない働きを想像していた、それらについて人間は決して知らない、それはその状態の中で信仰の出生によって伝えられるものである。

 [8] その時、天使的な霊たちは自分たちの間でみことばの虚偽化について話した。またその中で、みことばを虚偽化することは、その真理から集め、またそれらを虚偽の確認へ当てはめること、みことばからそれらをその外部へ引き出すこと、また殺すことで一致した。

例として――神と永遠のいのちのために、隣人を愛さなければならないこと、また彼に善を愛から行なわなければならないこと、この真理を引き出す者は、もしその時、だれかが、行なわなければならない、しかし救いの原因ではない、人間によるすべての善は善でないからであることを確信するなら、彼はその真理をみことばから、みことばの外部に引き出し、それを皆殺しにする。主はご自分のみことばの中で、救われることを欲するそれぞれの人間に、隣人を善を行なうことを自分自身からのように、またそれでも神からであることを信じること強いられているからである。

 

☆ ここの「面」は「平面が舞台」の意味です。虹は」青空(または雲)にかかるので虹の背景の色はふつう「青色または白」です。それはこの場合は周囲が「赤い色」に見えるのでしょう、そしてその中の虹です。