原典講読『霊界体験記』 4488

(1) 原文
De quodam interiore prophano (Lejel A.) seu hypocrita interiore

4488. Erat quidem, de quo non aliud scivi in vita corporis, quam quod honestum haberet intus, quia extus erat moratus, potuit loqui distincte, refellere, et plura, sed qui se confirmaverat in principiis falsi, cogitatione, imprimis contra Dominum, Verbum et vera fidei; quales ejus cogitationes fuerunt de bono, nondum scire datum: in vita corporis potuit se immittere in speciem status exstatici, quod etiam ostensum est per experientias, in quem missus, et loquutus quomodo se habuit, quod nempe tunc videret quasi coelum, et quia tunc tenebat cogitationem in aliqua persona, tunc omnia quae cogitavit de persona illa obvenerunt{1}, quae ipse nesciit, in qua sphaera cum tales spiritus erant, concludebant aliquid de eo et ejus fatis, ita cognovit aliqua, quod putabat revelationem prae aliis, sed ostensum est, quomodo hoc se haberet, quod homo similiter possit concludere, sed obscurius, quia in memoriam revocare non potest omnia, sicut illa sunt, apud spiritus etiam interiores, cum tenetur cogitatio in idea personae.
@1 sic J.F.I. Tafel; ms. obvenit

(2) 直訳
De quodam interiore prophano (Lejel A.) seu hypocrita interiore ある者について、内的に冒涜的な(アダム・レーイェル☆)、すなわち、内的な偽善者
☆後述。『索引』の「レーイェル」には「n. 4488 ad 4495」とだけある。
4488. Erat quidem, de quo non aliud scivi in vita corporis, ある者がいた、その者について私は何らかのことを知らなかった、身体のいのちの中で、
quam quod honestum haberet intus, quia extus erat moratus, 内部に尊敬すべきもの(体面)を持っていたこと以外に、外見上(外面に)道義をわきまえていたからである、
potuit loqui distincte, refellere, et plura, 彼は話すことができた、明瞭(明確)に、論駁すること、また多くのこと、
sed qui se confirmaverat in principiis falsi, cogitatione, imprimis contra Dominum, Verbum et vera fidei; しかし、その者は、虚偽の原理、思考の中で、自分自身を確信した、特に、主、みことばと信仰の真理に反対して、
quales ejus cogitationes fuerunt de bono, nondum scire datum: 善についての彼の思考がどんなものであったか、〔私に〕まだ知ることが与えられていない――
in vita corporis potuit se immittere in speciem status exstatici, 身体のいのちの中で彼は自分自身をある種のエクスタシー(恍惚)の状態の中へ自分自身を入れることができた、
quod etiam ostensum est per experientias, そのこともまた経験によって示された、
in quem missus, et loquutus quomodo se habuit, 〔彼は〕その中へ入れられた、またどのように振る舞うか話した、
quod nempe tunc videret quasi coelum, et quia tunc tenebat cogitationem in aliqua persona, すなわち、その時、いわば天界を見たこと、またその時、〔自分の〕思考をある人物の中に保ったので、
tunc omnia quae cogitavit de persona illa obvenerunt{1}, quae ipse nesciit, その時、すべてのものを、それらを考えた、その人物について、思い浮かばせた、それらを彼自身は知らなかった、
in qua sphaera cum tales spiritus erant, そのスフェアの中にこのような霊たちとともにいた、
concludebant aliquid de eo et ejus fatis, 彼と彼の運命について何らかのものを〔彼らは〕結論した、
ita cognovit aliqua, quod putabat revelationem prae aliis, そのように何らかのものを考えた、そのことを他のものよりも啓示〔である〕と思った、
sed ostensum est, quomodo hoc se haberet, quod homo similiter possit concludere, しかし、示された、どのようにこのことが振る舞うか、人間が同様に結論することができること、
sed obscurius, quia in memoriam revocare non potest omnia, しかし、さらに不明瞭に(あいまいに)、記憶の中にすべてのものを思い出すことができないからである、
sicut illa sunt, apud spiritus etiam interiores, cum tenetur cogitatio in idea personae. 例えばそれらである、内的な霊たちのもとでもまた、〔その者の〕思考が人物の観念の中に保たれているとき。

(3) 訳文
内的に冒涜的なある者(アダム・レーイェル☆)、すなわち、内的な偽善者について

4488. ある者がいた、いのちが身体の中にあったときのその者について、内部に尊敬すべきものを持っていたこと以外に、私は何らかのことを知らなかった、外見上、道義をわきまえていたからである。彼は、明瞭に話すこと、論駁すること、また多くのこと話すことができた。しかし、その者は、虚偽の原理の中で、思考の中で、特に、主、みことばと信仰の真理に反対して確信した。善についての彼の思考がどんなものであったか、〔私には〕まだ知ることが与えられていない――いのちが身体の中にあったとき彼はある種のエクスタシー(恍惚)の状態へ入ることができた、そのこともまた経験によって示された。〔彼は〕その中へ入れられた、またどのようなものか話した、すなわち、その時、いわば天界を見たこと、またその時、〔自分の〕思考をある人物の中に保ったので、その時、その人物について考えたすべてのものを思い浮かべた――それらを彼自身は知らなかった。
そのスフェアの中にいたこのような霊たちとともに、〔彼らは〕彼と彼の運命について何らかのものを結論した、そのように何らかのものを考え、そのことを他のものよりも啓示〔である〕と思った。しかし、人間が同様に結論することができることが、どのようなものであるか、しかし、さらに不明瞭に示された、すべてのものを記憶の中に思い出すことができないからである。例えば、〔その者の〕思考が人物の観念の中に保たれているときであり、内的な霊たちのもとでもまた〔そのようである〕。

☆アダム・レーイェルについては後の4718a番参照。

◎アダム・レーイェル(Adam Lejel)について
『スヴェーデンボリ叙事詩』(スヴェーデンボリ出版←購入されることを強く勧めます、スヴェーデンボリの伝記の決定版と思えるからです)に以下の記事がある(三つ)。
第13章「鉱山局」 …スヴェーデンボリが日常的に付き合っていた人々について、彼がどれほど親しく知っていたかが示されていることである。レーイェル、スヴァーブ、セーデルステット、リビングといった名前の多くの役人が、後になって、びっくりするような方法で、彼の著作の中に再登場する。…(p168)
(ここのレーイェルについての「注」は「鉱山局の先輩の監査官。4718a参照」)
第16章「父と祖国」 1734年7月3日、スヴェーデンボリは…彼と監査官レーイェルに…(p205)
第29章「最後の審判」 …彼が会った者たちの多くは、1744年に死んだアダム・レーイェルといった鉱山局の同僚たちであった。スヴェーデンボリは、レーイェルは外面的には才能と賢明さに恵まれた健全な道徳家であった、と言っている。…(この後ここの4488番以降が述べられている)(p417)
(「最後の審判」の章では『霊界体験記』から非常に多く引証されている)
(レーイェルについて『霊界体験記』のどこに述べられているかはこの後の4718a番で述べる)

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