(3) 訳文
529(第19節)「また神の神殿は天の中で開かれ、その方の神殿の中のその方の契約の箱が見られた」は、新しい天界を意味する、その中で主はご自分の神的人間性の中で礼拝される、またその方の十戒の戒めにしたがって生かされる、それらは新しい教会の二つの本質的なものであり、それらによって結合〔がある〕。
「神の神殿」によって主の神的人間性、なおまた天使たちの天界、そのようにまた地上の教会が意味される。これら三つのものが「神の神殿」によって意味されること、また分離されることができないことが190番に見られる。けれども、ここの「神の神殿」によって、天使たちの天界の中の、ご自分の神的人間性の中の主が意味される、「天の中の神の神殿」が言われるからである。「神殿の中の箱」によって「十戒」が意味される、なぜなら、箱の中に二枚の石板だけがあったからである、それらに十戒が書かれていた。「開かれた」によって、新しい教会の二つの本質的なものである神的人間性と十戒の二つものが、悪い者が地獄の中に投げ込まれたことが見られた後に、今や(その時)見られたことが意味される(5 28番)。「その方の神殿の中のその方の契約の箱」が言われるのは、契約は結合を意味するからである、そのことについては以下に。
[2] しかし、最初に、十戒について何らかのものが言われる。
全世界の中で、どの国民(民族)が、殺すこと、姦淫すること、盗むこと、虚偽の証言をすることが悪であることを知らないか、これらを知らないなら、またこのようなものが法律によって守られないなら、事は終わっている。なぜなら、社会、共和国、王国はそれらの法律ないなら、崩壊するからである。
イスラエルの国民(民族)が他のすべての国民(民族)よりも、それらが悪であったこと無知であったように、これほどに愚かであった、とだれが思うことができるのか。
そのために、なぜ、普遍的に地上の世界で知られたそれらの律法が、これほどの奇跡とともにシナイ山からエホバご自身により布告されたか、そのようにまたその方の指で書かれたか、だれもがいぶかることができる。
しかし、聞け――このような奇跡で、エホバにより布告され、またその方の指で書かれたとき、その律法が市民と道徳の律法であっただけでなく、霊的な律法でもあった、またそれらに反して行なうことは、同胞に反して、また社会に反して悪を行なうことであっただけなく、神に対して罪を犯すことであったことが知られるためであった。それゆえ、それらの律法は、エホバによりシナイ山からの布告によって宗教の律法とされた。
というのは、どんなものでも神エホバが命じたものは、これを宗教のものとして命じ、またその方、また人間のために、救われるために行なわれなければならないことが明らかであるからである。
[3] それらの律法は、イスラエル民族のもとで設立されるべき主による教会の初穂であり、また宗教のすべてのものを複合した短い要約であったので、それらによって人間との主の結合、また主との人間の結合が存在し、それゆえ、らに聖なるものが何もないようにも、それほどに聖なるものであった。
最も聖なるものであったことは、これから明らかである――
エホバご自身が、すなわち、主が、火の中で降った、またその時、山は煙を出し、揺れ動き、「雷鳴、稲光、密雲、角笛の音があった」(出エジプト記19:16, 18、申命記5:22-26)。
民はエホバの降下の前に用意し、三日間、清めた(出エジプト記19:10, 11, 15)。
山は、だれかがその最も低いところへ近づいて、死なないように、垣根で囲まれた(出エジプト記19:12, 13, 20-23、24:1, 2)。
その律法は二つの石の板に書かれ、神の指で書かれた(出エジプト記31:18、32:15、申命記9:10)。
モーセは、その石板を二度目に山から運び下ろしたとき、顔が輝いた(出エジプト記24:29-35)。
その石板は箱の中にしまわれた(出エジプト記25:16、40:20、申命記5:5、列王記Ⅰ8:9)。
幕屋の中の箱がある場所は至聖所と呼ばれた(出エジプト記26:33、また他の箇所に)。
箱はその中の律法から、「エホバはそこに」と言われた(民数記10:35, 36、サムエル記Ⅱ6:2、詩篇132:8)。
エホバはモーセと箱の上で話された(出エジプト記25:22、民数記7:89)。
その律法の神聖さのために、箱がある垂れ幕の内に入ることがアロンに許されなかった、死なないように、いけにえと香を焚くことともにでないなら(レビ記16:2-14以降)。
箱の中の律法の(中の)主の現在と力から、ヨルダン川の水は引き裂かれ、それが真ん中の中で休んでいるかぎり、民は乾いた中を渡った(ヨシュア記3:1-17、4:5-20)。
箱を運びまわることによってエリコの城壁は崩壊した(ヨシュア記6:1-20)。
ペリシテ人の神、ダゴンは箱の前に地に倒れた、またその後、神殿の敷居の上に、頭から分割されて、横たわった(サムエル記Ⅰ5:3, 4)。
エクロンとベテ・シュメシュの人々は箱のために数千人も打たれた(サムエル記Ⅰ第5と6章)。
箱はダビデによりシオンの中へ、いけにえと歓呼とともに導き入れられた(サムエル記Ⅱ6:1-19)。
その時、ウザはそれに触れたので、死んだ(サムエル記Ⅱ6:6, 7)。
エルサレムの神殿の中の箱は至聖所となった(列王記Ⅰ6:19以降、8:3-9)。
律法が書かれた石板は、契約の石板と呼ばれ、そのことから箱は契約の箱、また律法そのものが契約と言われた(民数記10:33、申命記4:13, 23、5:2, 3、9:9、ヨシュア記3:11、列王記Ⅰ8:19, 21、また他の箇所に)。
[4]「契約」と言われたその律法が結合を意味した理由は、愛の、友情の、交わりの、そのように結合のために、契約が行なわれるからである。ここから、主について「民の契約となる」と言われ(イザヤ42:6、49:8)、また、「契約の天使」(マラキ3:1)、その方の血が「契約の血」と呼ばれる(マタイ26:28、ゼカリヤ9:11、出エジプト記2:4-10)。
また、それゆえ、みことばは旧い契約また新しい契約と言われる。