昨年秋、ヨン・ジン師が日本訪問の際であるが(そのときの旅行記についてはこのブログで述べた)、私の翻訳の業績をSPI(Swedenborg Publishers International)に紹介したいから、適当にまとめたものがほしい、と言われていた。SPIとは全世界でのスヴェーデンボリ関連図書に関する出版情報の季刊紙である。私も会員である。ヨン・ジン師にこれまで私が出版したものや、未出版のもの、今取り組んでいること(レキシコンとこのブログである)を書き送ったら、さっそく同機関紙の2008年秋季号に掲載された。
さて、その記事を読んだロンドン・スヴェーデンボリ協会のRev. Norman Ryderから『新しいエルサレムとその天界の教義』がほしいとの連絡をヨン・ジン師経由で受けた。Norman Ryder師はSWEDENBORG BIBLIOGRAPHY PLOJECTのおそらく主任であろう。その組織は全世界でのスヴェーデンボリの著作の翻訳書を収集している。そのコレクションに私の訳書がほしかったのである。
その訳文についてはこのサイトに「原典対訳」として載っている。出版は2002年6月19日(この日が何の記念日かはスヴェーデンボリに親しんだ人ならすぐわかる)、500部、ぶどうの木出版から。
われながら装丁の美しい本として気に入っている。しかし、諸般の事情で入手不可である。私も会員であるスヴェーデンボリ協会の要望なので、なんとかしたいと思っていたが、肝心の本がない。
最近になって、ジェネラルチャーチ東京グループで現在、リーダーとして精力的に活躍されている松本士郎さんが声をかけてくださったおかげでほぼ新品状態の本が入手できた。
本日9日、ロンドンに向けて献本、送付した。ご存知と思うが、スヴェーデンボリ協会はスヴェーデンボリの著作を出版するために最初に組織された権威ある団体である。ラテン原典などはここが出しているし、現在私が取り組み中の『レキシコン』も出版している(版権を持っているので、いずれの件でも連絡を取らなくてはいけない、その前に訳書を贈呈しておけば印象もよいだろう)。
いつか、大英博物館のそばにあるスヴェーデンボリ協会を訪問するだろう、そのとき、そこに陳列されてある蔵書の中に、今回献本した私の訳書を見いだすのが楽しみである。
日: 2009年3月10日
原典講読『天界と地獄』no.440.
(1) 原文
440. Quod primum attinet, nempe abduci a corpore, hoc ita se habet: Homo perducitur in statum quendam, qui medius est inter somnum et vigiliam, in quo statu cum est, non aliter scire potest quam quod prorsus vigil sit, omnes sensus tam vigiles sunt sicut in summa corporis vigilia, tam visus quam auditus, et quod mirabile, tactus, qui tunc exquisitior est quam usquam dari potest in vigilia corporis: in quo statu etiam visi sunt spiritus et angeli prorsus ad vivum, etiam auditi, et quod mirum, tacti, et tunc fere nihil corporis intererat. Hic status est, de quo dicitur, abduci a corpore, et nescire num in corpore vel extra corpus sit. In hunc statum modo ter aut quater immissus sum, ut modo scirem qualis est, et simul quod spiritus et angeli omni sensu gaudeant; etiam homo quoad spiritum quando abductus est a corpore.
(2) 直訳
Quod primum attinet, nempe abduci a corpore, hoc ita se habet: 最初のものについては☆、すなわち、身体から導き出されること、このことはこのようである――
☆ quod attinetで「~について、~に関して」の意味です。長島訳「最初におこること」は誤訳です。柳瀬訳にこの部分は訳出してありません。
Homo perducitur in statum quendam, qui medius est inter somnum et vigiliam, in quo statu cum est, non aliter scire potest quam quod prorsus vigil sit, omnes sensus tam vigiles sunt sicut in summa corporis vigilia, tam visus quam auditus, et quod mirabile, tactus, qui tunc exquisitior est quam usquam dari potest in vigilia corporis: 人間はある状態に導かれる、それは夢と目覚めの間の中間である、その状態の中にいるとき、完全に目覚めていること以外に異なって知らない、すべての感覚はこのように目覚めている、身体の目覚めている最高点の中にあるような、視覚と同様に聴覚も、そして驚くべきことに、触覚も、それらはその時、さらに敏感である、身体の目覚めの中で存在することのできるどんな場合よりも以上に。
in quo statu etiam visi sunt spiritus et angeli prorsus ad vivum, etiam auditi, et quod mirum, tacti, et tunc fere nihil corporis intererat. その状態の中でもまた霊と天使たちが見られる、生きいきと、さらにまた聞かれ、そして奇妙なことに、触れられる、そしてその時、ほとんど、身体のものは何も間にない☆。
☆ intersumはinter(~の間)+sum(ある)=「(二つの)間にある」です。この部分を意訳すれば「身体は何ら介在しない」でしょう。柳瀬訳「~妨げられはしなかった」は間違いではありませんがズレている気がします。長島訳「介入は~ありません」は日本語としてニュアンスが異なると思います。「介在しません」がよいでしょう。
Hic status est, de quo dicitur, abduci a corpore, et nescire num in corpore vel extra corpus sit. この状態である、それについて言われている、「身体から導き出されること☆1」、それと「身体の中にあるいは身体の外にいるか知らないこと☆2」。
☆1 「エゼキエル書」3:12,13参照。
☆2 「コリントⅡ」12:3参照。
In hunc statum modo ter aut quater immissus sum, ut modo scirem qualis est, et simul quod spiritus et angeli omni sensu gaudeant; この状態の中に、私はただ3回か4回入れられた、ただどのようなものであるか私が知るために、そして同時に霊と天使たちがすべての感覚を享受していること。
etiam homo quoad spiritum quando abductus est a corpore. 人間もまた、霊に関して、身体から導き出されている時〔すべての感覚を享受している〕。
(3) 訳文〔これは『天界の秘義』1883番とほとんど同じである〕
最初のもの、すなわち、身体から導き出されることについて、このことはこのようである――
人間は、夢と目覚めの中間のある状態に導かれ、その状態の中にいるとき、完全に目覚めているとしか知らない。すべての感覚は、視覚と同様に聴覚も、そして驚くべきことに触覚も、最高に身体の目覚めているように目覚めている。それらはその時、身体の目覚めの中で存在することのできるどんな場合よりもさらに敏感である。その状態の中でもまた霊と天使たちが生きいきと見られ、また聞かれ、そして奇妙なことに、触れられ、そしてその時、ほとんど、身体に属するものは何ら介在しない。「身体から導き出される〔「エゼキエル書」3:12,13参照〕」、「身体の中にあるいは身体の外にいるか知らない〔「コリントⅡ」12:3参照〕」と言われているものは、この状態である。私はこの状態の中に、私がただどのようなものであるか、そして同時に霊と天使たちが、人間もまた、霊に関して、身体から導き出されている時、すべての感覚を享受していること知るために、たったの3回か4回入れられた。