原典講読『主について』 14((4)まで)(直訳と訳文)

 

(2) 直訳


14.  Quod Dominus in mundum venerit,
ut omnia in caelis et inde in terris in ordinem redigeret, et quod hoc factum
sit per pugnas contra inferna, quae tunc infestabant omnem hominem venientem in
mundum et exeuntem e mundo, et quod per id Justitia factus sit, ac salvaverit
homines, qui absque eo non salvari potuerunt, multis in locis apud Prophetas praedicitur;
 主が世の中に来たこと、天界の中のすべてのものとここから地の中の〔すべてのものを〕秩序の中にする(整える)ために、またこのことを地獄に対する闘争によってなし遂げたこと、それはその時、すべての人間を攻撃した、世の中にやって来るまた世から去る、またそれによって義(公正)なし遂げたこと、そして人間を救った、その者はそのことなしに救うことができなかった、「預言書」に箇所の中に多く予言されている。


quorum modo aliqua afferentur. それらの単に何らかのものだけが提示(引用)される。


[2] Apud Esaiam, [2] 「イザヤ書」に、

“Quis Hic qui venit ex Edom, conspersus vestes ex Bozra;
 「この者はだれか? エドムからやって来る者、ボズラから〔血の〕振りかけられた衣服で。


Hic honorabilis in vestitu suo, incedens in multitudine roboris sui? この者は自分の衣服の中で誉めるべき〔ものがある〕、自分の大いなる力の中で進み行く。


Ego qui loquor in justitia, magnus ad salvandum. わたしは、その者は公正()の中で話す、救いに向けて力強い。


Quare rubicundus quoad vestem tuam, et vestis tua sicut calcantis in
torculari?
 なぜ、あなたの衣服に関して赤い、またあなたの衣服は酒ぶねの中で踏む者のよう〔なの〕か?


Torcular calcavi solus, et de populo non vir Mecum: わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ、また民からわたしとともに男は〔い〕ない。


propterea calcavi illos in ira mea, et conculcavi eos in excandescentia
mea;
 このためにわたしは彼らをわたしの怒りの中で踏んだ、また彼らをわたしの憤りの中で踏みにじった。


inde sparsa est victoria eorum super vestes meas…; ここから彼らの勝利がわたしの衣服の上に振りかけられた……。


nam dies vindictae in corde meo, et annus redemptorum meorum venit. なぜなら、わたしの心の中に復讐の日が、またわたしの贖いの年がやって来るからである。


…Salutem praestitit Mihi brachium me…; ……わたしの腕がわたしを救いを行なった(もたらした)……。


descendere feci in terram victoriam eorum. わたしは彼らの勝利を地の中に下がることをした。


…Dixit, Ecce populus meus illi, filii…; ……彼は言った、『見よ、彼らはわたしの民、息子たち』……。


ideo factus est illis in Salvatorem; それゆえ、彼らに救い主(の中)になった。


.. ob amorem suum et ob clementiam suam Ille redemit eos” (lxiii.
1-9);
 ……自分の愛のために、また自分の慈悲深さのために、彼は彼らをあながった」(63:1-9)

haec de pugnis Domini contra inferna:
 これらは地獄に対する主の闘争について〔預言されている〕。


per “vestem,” in qua honorabilis fuit et quae rubicunda,
intelligitur Verbum, cui violentia a populo Judaico illata est:
 「衣服」によって、その中に誉めるべき〔者〕がいた、またそれは赤い、みことばが意味される、それにユダヤの民から暴力が加えられた。


ipsa pugna contra inferna, et victoria super illa, describitur per quod
“calcaverit illos in ira sua, et conculcaverit in excandescentia
sua;”
 地獄に対する闘争そのものが、またその上の勝利が、「彼らを自分の怒りの中で踏んだ、また彼らを自分の憤りの中で踏みにじった」ことによって述べられている。


quod solus et ex propria potentia pugnaverit, describitur per haec,
“De populo non vir Mecum, salutem praestitit Mihi brachium meum,
descendere feci in terram victoriam eorum;”
 ひとりでまたプロプリウム(固有のもの)の力から闘争したことが、これらによって述べられている、「民からわたしとともに男は〔い〕ない、わたしの腕がわたしを救いを行なった(もたらした)わたしは彼らの勝利を地の中に下がることをした」。


quod per id salvaverit et redemerit, describitur per haec, “Ideo
factus est illis in Salvatorem; ob amorem et clementiam suam Ille redemit
eos;”
 そのことによって救った、また贖ったことがこれらによって述べられている、「それゆえ、彼らに救い主(の中)になった。自分の愛のために、また自分の慈悲深さのために、彼は彼らを贖った」。


quod hoc fuerit causa adventus Ipsius, describitur per haec, “Dies vindictae
in corde meo et annus redemptorum meorum venit.”
 このことがその方の来臨の理由であったことは、これらによって述べられている、「わたしの心の中に復讐の日が、またわたしの贖いの年がやって来る」。


[3] Apud Esaiam, [3] 同書に、

“Vidit quod non quisquam, et obstupuit quod non esset intercedens;
 「彼は見た、だれも〔い〕ないこと、また驚いた、とりなす者がいないこと。


ideo salutem praestitit Ipsi brachium suum, et justitia Ipsius suscitavit
Ipsum:
 それゆえ、その方に自分の腕が救いを行なった(もたらした)、またその方の公正()その方を立たせた(起こした)


inde induit justitiam sicut loricam, et galeam salutis super caput suum,
et induit vestes vindictae, et texit Se sicut pallio zelo:
 ここから〔彼は〕公正()をよろいのように着た、また救いのかぶとを自分の頭の上に〔かぶった〕、また復讐の衣服を着た、自分を編んだ、外套をねたみのように。


… tunc venit Zioni Redemptor” (lix. 16, 17, 20): ……その時、シオンに贖い主がやって来る」(59:16, 17, 20)。5


haec quoque de pugnis Domini, cum fuit in mundo, contra inferna: これらもまた主の闘争について〔預言されている〕世の中にいたとき、地獄に対する。


quod solus ex propria potentia pugnaverit contra illa, intelligitur per
haec, “Vidit quod non quisquam, ideo salutem praestitit Ipsi brachium
suum;”
 単にプロプリウム〔固有のもの〕の力だけからそれ〔地獄〕に対して闘争したことがこれらによって意味される、「彼は見た、だれも〔い〕ないこと、それゆえ、その方に自分の腕が救いを行なった(もたらした)」。


quod inde Justitia factus sit, per haec, “Justitia Ipsius suscitavit
Ipsum, unde induit justitiam sicut loricam;”
 ここから公正()をなし遂げたことが、これらによって〔意味される〕、「その方の公正()その方を立たせた(起こした)、そこから公正()をよろいのように着た」。


quod ita redemerit, per haec, “Tunc venit Zioni Redemptor.” このように贖うことが、これらによって〔意味される〕、「その時、シオンに贖い主がやって来る」。


[4] Apud Jeremiam, [4] 「エレミヤ書」に、


“Illi consternati sunt,… fortes eorum contusi sunt,… fugam
fugerunt, nec respexerunt.
 「彼らは狼狽させられた……彼らの強い者は打たれた……逃亡を逃げた☆、振り返ってもみなかった。



「夢を夢見る」という英語の言い方と同じであり、これはへブル語の語法でもあります。


…Dies ille Domino Jehovih Zebaoth, dies ultimis, ut vindictam sumat de
hostibus suis, comedatque gladius, et saturetur” (xlvi. 5, 10):
 ……その日は万軍の主エホビ〔の日〕、最後の日、自分の敵について復讐をするための、そして剣は食い尽くす、また飽かされる(満足させられる)(46:5, 10)


pugna Domini cum infernis, et victoria super illa, describitur per quod
“consternati sint,” quod “fortes eorum contusi fugam fugerint,
et non respexerint;”
 地獄との主の闘争、またその上の勝利は、「狼狽させられた」こと、「彼らの強い者は打たれ、逃亡を逃げた、振り返ってもみなかった」ことによって述べられている。


“fortes eorum” et “hostes” sunt inferna, quia omnes
ibi odio habent Dominum;
 「彼らの強い者」と「敵」は地獄である、そこにすべての者は主を憎しみを持っているので。


adventus Ipsius in mundum propterea, intelligitur per haec, “Dies
ille Domino Jehovih Zebaoth, dies ultionis, ut vindictam sumat de hostibus
suis.”
 さらに世の中へ()その方の来臨が、これらによって意味される、「その日は万軍の主エホビ〔の日〕、最後の日、自分の敵について復讐をするための」。


 


(3) 訳文


14. 主が、天界の中のすべてのものとここから地上の〔すべてのものを〕整えるために世に来たこと、またこのことをその時、世にやって来て、世から去るすべての人間を攻撃した地獄に対する闘争によってなし遂げたこと、またそれによって義なし遂げ、そして人間を救ったこと、主はそのことなしに救うことができなかったことが、「預言書」の多くに箇所に予言されている。それらの何らかのものだけが〔次に〕提示される。


[2] 「イザヤ書」に、




 「エドムから来る者、ボズラから〔血の〕振りかけられた衣服で来る者、この者は自分の衣に誉めるべき〔ものがあり〕、自分の大いなる力の中で進み行く、この者はだれか? の中で話し、救いに向けて力強いその者は、わたしだ。


 なぜ、あなたの衣は赤く、あなたの衣は酒ぶねの中で踏む者のようなのか?


 わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ、また民にわたしと一緒の男はいない。このために、わたしは彼らをわたしの怒りの中で踏んだ、また彼らをわたしの憤りの中で踏みにじった。ここから、彼らの勝利がわたしの衣の上に振りかけられた……。なぜなら、わたしの心の中に復讐の日が、わたしの贖いの年がやって来るからである。……わたしの腕がわたしを救いをもたらした……。わたしは彼らの勝利を地に下げた。……その方は言った、『見よ、彼らはわたしの民、息子たち』……。それゆえ、彼らに救い主となった。……自分の愛のために、また自分の慈悲深さのために、その方は彼らを贖った」(63:1-9)




 これらは地獄に対する主の闘争についてである。その中に誉めるべきものがあり、また赤い「衣」によって、ユダヤの民から暴力が加えられた、みことばが意味される。地獄に対する闘争そのものが、またその勝利が、「彼らを自分の怒りの中で踏んだ、また彼らを自分の憤りの中で踏みにじった」ことによって述べられている。ひとりでまた固有のものの力から闘争したことが、「民にわたしと一緒の男はいない、わたしの腕がわたしを救いをもたらした、わたしは彼らの勝利を地の中に下がることをした」によって述べられている。そのことによって救った、また贖ったことが「それゆえ、彼らに救い主となった。自分の愛のために、また自分の慈悲深さのために、主は彼らを贖った」によって述べられている。


 このことがその方の来臨の理由であったことは、「わたしの心の中に復讐の日が、わたしの贖いの年がやって来る」によって述べられている。


[3] 同書に、




 「彼は、だれもいないことを見た、また、とりなす者がいないことに驚いた。それゆえ、自分の腕が救いをもたらし、その方の義が立たせた。ここから〔主は〕義をよろいのように着た、また救いのかぶとを自分の頭に〔かぶった〕、また復讐の衣を着た、外套をねたみのように自分に編み込んだ。……その時、シオンに贖い主がやって来る」(59:16, 17, 20)


 


 これらもまた、世にいたとき、地獄に対する主の闘争についてである。固有の力だけから地獄に対して闘争したことが「彼はだれもいないこと見た、それゆえ、自分の腕が救いをもたらした」によって意味されるここから義をなし遂げたことが、その方の義がその方を立たせ、そこから義をよろいのように着た」によって〔意味される〕このように贖うことが、「その時、シオンに贖い主がやって来る」よって〔意味される〕。


[4] 「エレミヤ書」に、


 


「彼らは狼狽させられた……彼らの強い者は打たれた……逃げに逃げた、振り返ってもみなかった。……その日は万軍の主エホビの日、最後の日、自分の敵について復讐をするための日。剣は食い尽し、満足させられる(46:5, 10)


 


 地獄との主の闘争、またその勝利は、「狼狽させられた」こと、「彼らの強い者は打たれ、逃げに逃げ、振り返ってもみなかった」ことによって述べられている。「彼らの強い者」と「敵」は地獄である、そこのすべての者は主を憎しみを持っているからである。さらに世へその方の来臨が、「その日は万軍の主エホビの日、最後の日、自分の敵について復讐をするための日」によって意味される。


コメントを残す