原典講読『啓示された黙示録』 10(訳文)

(3) 訳文

 10(第4節) 「ヨハネ〔から〕七つの教会〔へ〕」は、キリスト教界の中にいて、そこにみことばがあり、それによって主が知られ、教会へ近づくすべての者へ、を意味する――

 「七つの教会」によって七つの教会でなく、キリスト教界の中の教会からのすべての者が意味される。なぜなら、みことばの中の数は事柄を、そして、「七」は、すべてのものとすべての者を、またここから十分なものと完全なものを意味し、また聖なる事柄についてが扱われているみことばの中で、正反対の意味で冒涜的なものが言われているからである。それゆえ、その数は「聖なるもの」を、また正反対の意味で冒涜的なものを含んでいる。

 数が事柄を、あるいはむしろ、事柄で何らかの性質(どんなものか)を加えるような、実詞(名詞)への何らかの形容詞のようなものを意味することは、数は本質的に自然的なものであるからである、というのは、自然的なものは数によって限定され、けれども、霊的なものは事柄とその状態によって限定されるからである。それゆえ、みことばの中の、また特に「黙示録」の中の数の意味を知らない者は、その内部に含まれている多くの秘義を知ることができない。

 さて、「七」によってすべてのものとすべての者が意味されるので、「七つの教会」によって、キリスト教界の中にいる者、そこにみことばがあり、またそれによって主が知られているすべての者が意味されることが明らかである。これらの者は、もしみことばの中の主の戒めにしたがって生きるなら、教会そのものをつくる。

[2] ここから、安息日が第七の日に制定されたこと、また第七の年が安息(休息)の年、また第七の七倍の年がヨベル(五十年祭)と言われ、それらによって、教会の中のすべての聖なるものが意味された〔のである〕。さらにまたここから、「ダニエル書」また他の箇所で、一週間は、始まりから最後までの、全期間を意味すること、また教会について述べられている。

 同様のものが続くものの中で。七によって意味されている、例えば、

 

 「七つの金の燭台、それらの真ん中に人の子〔がいた〕」によって(黙示録1:13)。

 「その方の右手の中の七つの星」によって(黙示録1:16, 20)。

 「神の七つの霊」によって(黙示録1:4, 第4章5)。

 「火の七つの明かり」によって(黙示録4:5)。

 「七人の天使たち」と、それらの者に与えられた「七つのらっぱ」によって(黙示録8:2)。

 「七つの最後の災害を持っている七つの天使たち」によって(黙示録15:1, 6)。

 「七つの最後の災害に満ちた七つの鉢」によって(黙示録16:1、21:9)。

 「七つの封印」によって、それらで書物は封印されていた(黙示録5:1)。

 

 同様に、これらの続くものの中で――

 

 七日間、手が満たされること(出エジプト記29:35)。

 七日間、聖別される(奉献される)こと(出エジプト記29:37)。

 就任したとき、七日間、神聖な衣服で着て行進すること(出エジプト記29:30)。

 七日間、祭司に就任させられるとき、天幕から去ってはならないこと、(レビ記8:33, 35)。

 祭壇は、七度、角の上で〔血で〕あがなわれること(レビ記16:18, 19)。

 祭壇は油によって七度、聖別されること(レビ記8:11)。

 血は七度、垂れ幕に向かって振りかけられる(レビ記4:16, 17)。

 そしてまた、七度、東に向かって(レビ記16:12-15)。

 分離の水☆は七度、天幕へ向かって振りかけられる(レビ記19:4)。

 過ぎ越しの祝いは、七日間、祝われた。また七日間、パン種を入れられないパンが食べられた(出エジプト記12:15、申命記16:4-7)。

 

 同じく、

 

 ユダヤ人は彼らの罪のために七倍、罰せられなければならないこと(レビ記26:18, 21, 24,28)。

 

 それゆえ、ダビデは言う、

 

 「近隣の者に七倍、彼らのふところに報いよ」(詩篇79:12)。

 

 [3] 「七倍」は、十分に、である。

 なおまたこれらの箇所の中で――

 

「エホバの話しは純粋な話し〔であり〕、炉の中で七度、清められた銀〔である〕」(詩篇12:6)。

 「不妊の女が七人産むほどにまで、飢えた者が終わりになる、けれども、多くの子を持つ女は衰えた」(サムエル記Ⅰ2:5)。

 

 「不妊の女」は異教徒からの教会であり、それらに、みことばはなかった。「多くの子を持つ女」はユダヤ人からの教会であり、それらに、みことばがあった。

 

 「七人産んだ女は衰え、自分の〔最期の〕息を吐き出した」(エレミヤ15:9)。

 同様に。

 「イスラエルの都の住民は、武器に火をつけ、燃やし、それらに七年、火をつける――ゴクを埋葬し、地を七カ月、清める」(エゼキエル書39:9, 11, 12)。

 「汚れた霊が自分自身よりも悪い他の七つの霊を受け入れる」(マタイ12:45)。

 

 そこに冒涜が描かれており、とともに戻る「七つの霊」によって、悪のすべての虚偽が、そのように善と真理の完全な消滅が意味される。

 「竜の七つの頭」と「頭の上の七つの王冠」によって(黙示録12:3)、善と真理のすべてのものの冒涜が意味されている。

 これらから、「七」が聖なるものまたは冒涜的なものを含み、そしてすべてのものと十分なものを意味することが明らかである。

 

☆ ここに「分離の水」とあるのは同章9節以降の「(汚れからの)清めの水」です。そして第4節は「清めの水」でなく「血」(ヘブル原文でも)が正しいです。ここでスヴェーデンボリは何らかの混同をしています、すなわち、清めの水なら「七度」でなく、同章あるように「三日目と七日目(また天幕でなく衣服)」です。また「血」を七度なら節番号は第4節となります。

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