原典講読『結婚愛』79(直訳[11]と訳文)

[11] His auditis diximus ad illos, "Ratiocinamini ex oestro lasciviae, et non ex amore conjugiali; [11] これらで聞かれて、私たちは彼らに言った、「あなたがたはわいせつ(好色)な興奮から推論する、また結婚愛からでない。

prorsus non scitis quid amor conjugialis, quia friget ille apud vos; あなたがたはまったく結婚愛が何か知らない、あなたがたのもとでそれは凍っている(冷えている)ので

ex dictis vestris confirmati sumus, quod vos sitis ex saeculo, quod vocatur et consistit ex ferro et argilla, quae non cohaerent, secundum praedictionem a Daniele (cap. ii. 43); あなたがたに言われていることから、私たちは確信した、あなたがたが時代から〔の者〕であること、鉄と粘土から呼ばれ、構成されている、それらは密着しない、ダニエルによる予言にしたがって(243)

facitis enim amorem conjugialem et amorem scortatorium unum. というのは、あなたがたは結婚愛と淫行愛を一つのものにしているから。

Num hi duo plus cohaerent quam ferrum et argilla? これら二つのものは鉄と粘土よりもさらに密着するのか?

Vos credimini et vocamini sapientes, attamen nihil minus quam sapientes estis." あなたがたは賢明な者と信じており、呼ばれている、しかしながら、決して賢明な者ではない(ほど遠い)☆」。

nihil munus quamで「決して~でない」「とはほど遠い」の意味です。

His auditis, accensi ira clamabant, et convocabant turbam, ut nos ejicerent; これらで聞いて、怒りで火をつけられて、叫んだ、また群衆は呼び集めた、私たちを投げ出すために。

sed tunc ex potentia nobis a Domino data extensimus manus, et ecce presteres, echidnae et hydrae, et quoque dracones e deserto aderant, et invadebant, et implebant urbem, ex quo habitatores territi facti aufugerunt: しかし、その時、主から私たちに与えられた力から、私たちは手を伸ばした、また見よ、火ヘビ、マムシ、ヒュドラー、そしてまた荒野から竜が近づいた、また入り込んだ、また都に満ちた、そのことから住民は怖がされ、逃げた。

Et dixit mihi angelus, "In regionem hanc quotidie accedunt novi e tellure, ac priores per vices relegantur et dejiciuntur in voragines occidentis, quae e longinquo apparent sicut stagna ignis et sulphuris; また、天使は私に言った、「この領域の中に、毎日、地球から新しい者が近づく、そして前の者が時々(交替で)放される、また西の沼地の中に投げ込まれる、それは遠方から火と硫黄の池のように見える。

omnes ibi sunt et spirituales et naturales adulteri." そこにすべての者は、霊的なまた自然的な姦淫者である」。

 

(3)訳文

 79.第五のメモラビリア――

四つの時代、金、銀、銅、また鉄、生きた古代人への私の案内者と仲間であった前の天使が、再びいた、また私に言った、「あなたは見ることを欲する〔か?〕。それらの古代人の後の、どんなものであったか、また今でも〔どんなもの〕であるか。私に続け、あなたに見せよう。彼らについてダニエルはこれらを預言した。

 「それらの四つの〔王国〕の後に王国が起き上がる、その中で、鉄は泥の粘土と混ぜられる。『人間の種によって互いに混ぜられる、しかし、一つはもう一つと密着しない、鉄が粘土と混ぜられないように』」(ダニエル2:41-43)

 また、言った。「それによって鉄が粘土と混ぜられ、それでも密着しない『人間の種』によって、虚偽化されたみことばの真理が意味される」。

[2] これらが言われて、私は彼に続いた、また道の中で私にこれらを語った――「彼らは南と西の間の境界の中に、しかし、前の四つの時代に生きた者の後ろに大きな距離に、そしてまたさらに深いところに住んでいる」。

 私たちは南を通って西に隣接した地域へ前進した。また、私たちは恐ろしい森を通り過ぎた。というのは、そこに池々があり、それらからワニが頭を持ち上げていた、またその広くて歯のある開いた(大きな)を私たち(の中)に開けていたから。また池々の間に恐ろしい犬がいた、それらのある者(犬)にはケルベロス☆1のような三つの頭があった、あるには二つの頭、すべて犬が恐ろしいように口を開け、獰猛な目で通り過ぎる私たちを注視していた。

 私たちはこの西の領域の場所に入り、「黙示録」第123、第13章2で述べられているような竜とヒョウを見た。

 [3] また、天使は私に言った、「あなたがたは見たすべてのそれらの野獣は、野獣ではない、しかし、対応するもの、このように欲望の表象の形である、あなたがたは訪問する住民はそれらの〔欲望の〕中にいる欲望そのものが恐ろしいそれらの犬によって、彼らの欺きと策略ワニによって、彼らの虚偽とそれらへの邪悪な傾向が、それらは礼拝のものである、竜とヒョウによって表象される。けれども、表象された住民は森の後ろ最も近くに住んでいない、しかし先祖の世代の住民から十分に離され、分けられるために中間にある大きな荒野の後ろに〔住んでいる〕。というのは、さらにまた完全に、彼らから、すなわち、よそ者と違っているから。確かに、初期の人間のように、胸の上に頭を、そして腰の上に胸を、また足の上に腰を持っている。しかし、頭の中に何らかの金はなく、胸の中に何らかの銀はなく、腰の中にも何らかの銅(青銅)はない、それどころか、足の中にも何ならかの純粋な鉄はない。しかし、彼らの頭の中に粘土が混ぜられた鉄が、胸の中に両方のものが混ぜられた銅(青銅)が、腰の中にさらにまた両方の者が混ぜられた銀が、また足の中にそれらが混ぜられた金がある。またその反転によって人間から人間の彫刻に変えられた、それらの中で、内部は何も密着していない。なぜなら、最高位のものであったものが最低のものにされ、そのように頭であったものがかかとにされた、また逆も言えるからである。彼らは、私たちに天界から役者に似た者に見える、その者は身体を逆さにし、肘で横たわり、進む。または仰向けになって背中を横たえた、そして足を上方へ上げ、また地に埋めた頭から天を眺める獣のようである」。

 [4] 私たちは森を通り過ぎ、荒野を入った、それはさらに恐ろしかった。石の堆積から成り、それらの間に穴があり、それらからヒュドラー☆2やマムシが這い、火ヘビが飛び出た。

 この荒野全体は絶えず傾いていて、私たちは長い下り坂を通って降り、また最後に、その領域の住民からの谷間に、そして彼らの時代の住居やって来た。

 ここにまたそこにあばら屋があり、それらは最後に一緒になり、都の形へと結合されて見られた。

これへ私たちは入った、また見よ、家は、焦げた木の枝から、泥でくっつけられて、屋根は黒い薄板で建てられていた。街路はふぞろいであった、すべての街路は始まりの中で狭い、しかし、進行の中で広がった、また終わりの中で広々としていて、そこに広場〔があり〕。そこからこれほど多くの街路とそれだけ多くの広場があった。私たちが都に入った時、暗やみがひき起こされた、天界(空)が見られなかったからである。それゆえ、私たちは見上げ、私たちに光が与えられ、私たちは見た。またその時、私は出会う者に質問した、「あなたがたの上に、天界(空)が見られないので、あなたがたは見ることができるのか?」

 また答えた、「あなたがたが質問するこのことは何なのか?

 私たちは、はっきりと見ている。私たちは十分な光の中を歩いている」。

 これらを聞いて、天使は私に言った、「夜の鳥のように、暗やみが彼らに光であり、光が彼らに暗やみである、というのは、下方を眺め、上方を眺めないから」。

 [5] 私たちはここにまたそこに小屋の中に入った、また私たちは、どんなものでも中に、男が自分の女と〔いるのを〕見た、また私たちは,ここのすべての者は自分の家の中で一人の妻とだけ生活しているのか質問した。

 またこれらに、〔あざけりの〕口笛とともに答えた、「一人の妻とだけとは何か?

 なぜ、あなたがたは、一人の淫婦とだけ、と質問しないのか?

 淫婦でないなら妻ちは何か?

 私たちの法律から、姦通することは、一人の女とだけよりも多くの者とは許されない。しかしそれでも、多くの者と、私たちに不名誉なことまた不作法なことではない、しかし、家の外で。私たちはこのことについて、私たちの間で自慢している。このように、私たちは放縦を、またその快楽を、一夫多妻者よりもさらに楽しんでいる。

 なぜ、妻の複数性が私たちに否定されるのか、またそれでも許された、また今日、全地球の中で私たちのまわりで許されている。

 一人の妻だけとの生活は、捕らわれの状態や監禁でないなら何か?

 しかし、私たちは、ここにこの牢獄のかんぬきを壊して開け、奴隷状態から救い出し、解放する。だれが奴隷を怒るか、その者が自分自身を救出できるとき?」

 [6] これらに私たちは答えた、「あなたがたは、宗教なしのように話している。いくらかの理性でしつけられただれが、姦淫が神性を汚すものと地獄のもの、また結婚が聖なるものと天界のものであることを知らないか?

 姦淫は地獄の中の悪魔のもと、結婚は天界の中の天使のもとにないのか?

 あなたがたは十戒の第六の戒めを、また、パウロのもとに☆3、姦淫者は決して天界の中にやって来ることができないこと読まなかったのか?」

 これらに、もてなす者(主人)胸全体で(=腹を抱えて)笑い、私を単純な者のように、またほとんど狂気のように見た。

 しかし、直ちに、その時、都の首長から、使者が走り寄り、言った、「二人の到着者を広場の中に連れて来い、もし彼らが欲しないなら、彼らをそこへ引っ張れ。私たちは彼らを夜☆4の暗やみの中で見た、彼らはひそかに入った偵察者(スパイ)である」。

 また、天使は私に言った、「私たちが暗やみの中にいることを見つけたのは、天界の光である、その中に私たちがいたが、彼らには暗やみである、そして、地獄の暗やみは彼らに光であるからである。またこのことが生じたのは何も罪と見なさない、決して姦淫でないとするからである、またここから虚偽をまったく真理のように見る、そして虚偽は地獄の中でサタンの前で光を放つ、そして真理は、彼らの目に、夜の暗やみのように暗い」。

 [7] 私たちは使者に言った、「私たちは駆り立てられない、まして、広場の中へ引っ張られない、しかし、自発的にあなたとともに行く」。

 そして、私たちは行った――また、見よ、そこに多くの群衆、そこからある法律家ちが出てきて、私たちに耳の中に言った、「あなたがたは用心せよ、宗教に、統治(政治)の形をに、また習慣(作法)道徳的に善いことに反する何らかのことをあなたがたが話さないように。

 また私たちは答えた、「私たちは話さない、しかし、それらのために、またそれらから話そう」。

 私たちは質問した、「結婚について、あなたがたの宗教は何か?」

 これに群衆は不平をつぶやき、言った、「これは私たちにとって結婚と何の関係があるのか? 結婚は結婚である」。

 また再び私たちは質問した、「淫行について、あなたがたの宗教は何を教えているのか?」

 これにもまた群衆は不平をつぶやき、言った、「これは私たちにとって淫行と何の関係があるのか? 淫行は淫行である。罪のない者が最初に石を取れ」。

 また三度目に私たちは質問した、「あなたがたの宗教は、結婚について、聖なるものと天界のものであること、また姦淫について、神聖を汚すのまた地獄のものであることを教えていないか?」

 これらに群衆の中の多くの者は声高に笑い、あざけり、からかって、言った、「それらが宗教のものであることを、私たちでなく、私たちの聖職者たちに質問せよ。私たちは彼らの言うことにまったく満足する、宗教の何らかのものは理解力の判断の中に落ち込まないからである。あなたがたは、理解力は神秘(的なもの)の中で狂うこと、それら(神秘)から全宗教があることを聞かなかったのか?

 また、行為は宗教と何の関係があるのか? 信心深い心からの、償い、弁償(贖罪)、また転嫁についてのブツブツ声ではないのか? それらは霊魂を幸福にするが、働きではない」

 [8] しかし、その時、都の賢明な者からのある者が、〔その者は〕そのように呼ばれた、近づき、言った、「ここから、去れ、群衆は激しく怒った、じきに騒動が起こる。私たちはこの事柄について〔私たち〕」だけで話そう。集会所の後ろに散歩道がある、私たちはそこへ離れ、私たちとともに来い」。

 また、私たちは続いた――またその時、私たちを質問した、私たちがどこからか、またここに何の用事があるのか。

 また、私たちは言った、「結婚について私たちが教えられるためである。それがあなたがたのもとで、金、銀、銅の時代に生きた古代人のもとでのように、秘跡であるか、あるいは〔秘跡で〕ないである」。

 また、彼らは答えた、「何が秘跡か? 肉と夜の働き(営み)ではないのか?」

 また、私たちは答えた、「霊の働きでもないのか? また、肉は霊から行なう、それは霊的ではないのか? また霊は、行なうすべてのものを、善と真理の結婚から行なう。自然的な結婚の中に入るもの、夫と妻のものであるもの、これは霊的な結婚ではないか」。

 これに賢明な者は、〔その者は〕そのように呼ばれた、答えた、「あなた方この事柄を、理性的なものの上方を超える霊的なものへあまりに洗練させ、高尚にする。だれが、そこに始まり、ここから降ること、またこのように何らかのものを判断することができるのか?」

 これらに、あざけって、加えた、「おそらく、あなたがたは天界の最高の領域を飛ぶことができるワシの翼を、また、鋭く見ることができるそのような目を持っている。私たち持つことができない」。

 [9] また、その時、私たちは彼らに、高さまたは領域から、その中に彼らの心の観念が飛ぶ鳥〔のように〕、一人の妻との一人の夫の結婚愛が存在すること、その中に天界のすべての幸福の状態、至福、快さ、楽しさ、また快楽が運び集められていることを、また、この愛は主からであること、その方からの善と真理の受け入れにしたがって。そのように教会の状態にしたがっていることを知っているかどうか、あるいは知ることができるかどうか言うように願った。

 [10] これらを聞いて、身を背かせ、言った、「これらの男は狂っている。彼らは自分の判断とともにエーテルへ入り、空虚なものを憶測しながら、クルミを散らかしている☆5」。

 この後、身を私たちへ向け、言った、「私たちは、あなたがたの空虚な予言(占い)と夢にまっすぐに答えよう」。

言った、「結婚愛は宗教と、また神からの霊感と共通な何を持つのか?

 その愛は、それぞれの者のもとの力(性的能力)状態にしたがっていないか?

教会の外にいる者に、そのように内にいる者のもとに、彼らのもとに等しく存在しないか。キリスト教徒のもとにのように異教徒のもとに等しく? それどころか敬虔な者のもとにのように不信心な者のもとに等しく?

 それぞれのその愛の力強いことは、あるいは遺伝から、あるいは健康から、あるいは生活の節制から、あるいは気候の暖かさからではないのか? そしてまた、薬物によって強くされ、興奮(刺激)せられることができる。

 獣のもとに、特に、二つ一組になって互いに愛する鳥のもとに似たものがないのか?

 その愛は肉欲のものではないのか?

 肉欲のものが、教会の霊的な状態と共通な何を持つのか?

 その愛は最後の結果に関して妻と、その結果に関して淫と、愛からは少しも異ならないのではないのか?

 情欲に似たもの、歓喜と似たものではないのか?

 それゆえ、結婚愛の起源を教会の聖なるものから導き出すことは侮辱を加えることである」。

 [11] これらが聞かれて、私たちは彼らに言った、「あなたがたは好色な興奮から、また結婚愛からでなく推論する。あなたがたのもとで結婚愛は凍っている(冷えている)ので、あなたがたはそれが何かまったく知らない。あなたがたに言われていることから、私たちは確信した、あなたがたがダニエルによる予言にしたがって(243)、密着しない鉄と粘土から呼ばれ、構成されている時代から〔の者〕であること。というのは、あなたがたは結婚愛と淫行愛を一つのものにしているから。

 これら二つのものは鉄と粘土よりもさらに密着するのか?

 あなたがたは賢明な者と信じており、呼ばれている、しかしながら、決して賢明な者ではない」。

 これらを聞いて、怒りで火をつけられて、群衆は叫び、私たちを投げ出すために〔仲間を〕呼び集めた。しかし、その時、主から私たちに与えられた力から、私たちは手を伸ばした、また見よ、火ヘビ、マムシ、ヒュドラー、そしてまた荒野から竜が近づき、都に入り込み、満ちた、そのことから住民は怖がり、逃げた。

 また、天使は私に言った、「この領域の中に、毎日、地球から新しい者が近づく、そして前の者が交替で追放され、西の沼地の中に投げ込まれる、それは遠方から火と硫黄の池のように見える。そこのすべての者は、霊的なまた自然的な姦淫者である」。

 

1 ケルベロスは黄泉の国の番犬。

2 〖ギリシア神話〗ヒュドラーはへーラレースに殺された九頭のヘビ。一つの頭を切ると二つの頭が生じたという。転じて「手に負えない代物」。

3「コリントⅠ」6:9

4 原文は「光」ですが、文脈から判断して「夜」のミスでしょう。

5 「クルミを散らかす」のは子どもの遊びです。

原典講読『結婚愛』80

(1)原文

80. Sextum Memorabile:

 

Cum haec dicta sunt, spectavi ad finem occidentis, et ecce apparuerunt sicut stagna ignis et sulphuris, et quaesivi angelum, "Cur apparent inferna ibi talia?"

Respondit, "Apparent sicut stagna ex falsificationibus veri, quia aqua in sensu spirituali est verum; et apparet sicut ignis circum illa et in illis ex amore mali, et sicut sulphur ex amore falsi. Tria illa, stagnum, ignis et sulphur, sunt apparentiae, quia sunt correspondentiae malorum amorum, in quibus sunt; sunt omnes ibi inclusi aeternis ergastulis, et laborant pro victu, amictu et lecto; et dum malefaciunt, graviter et misere puniuntur."

[2] Iterum quaesivi angelum, "Cur dixisti, quod ibi sint spirituales et naturales adulteri? cur non, malefactores et impii?"

Respondit, "Quia omnes illi qui, pro nihilo reputant adulteria, hoc est, qui credunt et faciunt illa ex confirmato et sic ex proposito quod peccata non sint, sunt corde suo malefactores et impii; conjugiale enim humanum et religio una vadunt in omni passu; omne vestigium et omnis gressus ex religione et in religionem, est quoque vestigium et gressus a conjugiali et in conjugiale quod peculiare et proprium est homini Christiano."

Ad interrogationem, "Quid conjugiale illud?" dixit, "Est desiderium vivendi cum una sola uxore, et hoc desiderium est homini Christiano secundum ejus religionem."

[3] Postea indolui spiritu, quod conjugia, quae in antiquis aevis sanctissima fuerant, tam perdite conversa sint in adulteria.

Et dixit angelus, "Simile est cum religione hodie; nam dicit Dominus,

 

Quod in Consummatione saeculi futura sit abominatio desolationis praedicta a Daniele. Et quod futura sit afflictio magna, qualis non fuit ab initio mundi (Matth. xxiv. 15, 21):

 

‘abominatio desolationis’ significat falsificationem et deprivationem omnis veri; ‘afflictio’ significat statum ecclesiae infestatum a malis et falsis; et ‘consummatio saeculi,’ de quo illa dicta sunt, significat ultimum tempus seu finem ecclesiae. Est nunc finis, quia non superest verum, quod non falsificatum est, ac falsificatio veri est scortatio spiritualis, quae unum agit cum scortatione naturali, quia cohaerent."

 

(2)直訳

80. Sextum Memorabile:― 第六のメモラビリア――

Cum haec dicta sunt, spectavi ad finem occidentis, et ecce apparuerunt sicut stagna ignis et sulphuris, et quaesivi angelum, "Cur apparent inferna ibi talia?" これらが言われたとき、私は西の端(境界)向かって見た、また見よ、火と硫黄の池が見えた、また私は天使に質問した、「なぜ、そこにそのようなものが見えるのか?」

Respondit, "Apparent sicut stagna ex falsificationibus veri, quia aqua in sensu spirituali est verum; 答えた、「池のように見えた、真理の虚偽化から、水は霊的な意味で真理であるからである。

et apparet sicut ignis circum illa et in illis ex amore mali, et sicut sulphur ex amore falsi. また火のようなものがそれのまわりに、またその中に見えた、悪の愛から、またこのように硫黄が虚偽への愛から。

Tria illa, stagnum, ignis et sulphur, sunt apparentiae, quia sunt correspondentiae malorum amorum, in quibus sunt; 三つのそれらのもの、池、火と硫黄は、外観である、悪の愛の対応()であるからである、それらの中にある。

sunt omnes ibi inclusi aeternis ergastulis, et laborant pro victu, amictu et lecto; すべての者はそこに永遠の強制収容所に閉じ込められている、また食物、衣服や寝床のために働く。

et dum malefaciunt, graviter et misere puniuntur." また、悪をなすとき、重苦しくまた惨めに罰せられる」。

[2] Iterum quaesivi angelum, "Cur dixisti, quod ibi sint spirituales et naturales adulteri? [2] 再び、私は天使に質問した、「なぜ。あなたは言ったのか、そこに霊的なまた自然的な姦淫者がいること?

cur non, malefactores et impii?" なぜ、〔~と言わ〕ないのか、悪をなす者や不敬な者(不信心な者)と?」

Respondit, "Quia omnes illi qui, pro nihilo reputant adulteria, hoc est, qui credunt et faciunt illa ex confirmato et sic ex proposito quod peccata non sint, sunt corde suo malefactores et impii; 答えた、「それらすべての者は、その者は、姦淫を何でもないものとして見なす、すなわち、その者はそれを確信からまたこのように故意に(はっきりとして目的で)、信じ、行なう、罪でないこと、〔その者は〕その心で悪をなす者や不敬な者(不信心な者)であるからである。

conjugiale enim humanum et religio una vadunt in omni passu; というのは、人間の結婚と宗教は、一緒に行く(歩く)からである、すべての歩み(歩調)の中で。

omne vestigium et omnis gressus ex religione et in religionem, est quoque vestigium et gressus a conjugiali et in conjugiale quod peculiare et proprium est homini Christiano." 宗教から宗教へのすべての歩みとすべての足取りは、結婚から結婚の中への歩みと足取りもまた、~である、キリスト教の人間に特有の、また固有の(プロプリウムの)もの」。

Ad interrogationem, "Quid conjugiale illud?" 質問に(向けて)、「その結婚への性向(傾き)とは何か?」

dixit, "Est desiderium vivendi cum una sola uxore, et hoc desiderium est homini Christiano secundum ejus religionem." 言った、「ただ一人の妻と生活(しようと)る願望である、また、この願望がキリスト教徒の人間に彼の宗教にしたがってある」。

[3] Postea indolui spiritu, quod conjugia, quae in antiquis aevis sanctissima fuerant, tam perdite conversa sint in adulteria. [3] その後、私は霊で悲嘆した、結婚が、それは古代人の時代の中で最も聖なるものであった、これほどに放埒に姦淫へと向きを変えられたこと。

Et dixit angelus, "Simile est cum religione hodie; また、天使は言った、「今日の宗教に同様である。

nam dicit Dominus, なぜなら、主は言われたから、

Quod in Consummatione saeculi futura sit abominatio desolationis praedicta a Daniele. 世代の完了の中で、ダニエルにより述べられた荒涼の忌まわしいものがあること。

Et quod futura sit afflictio magna, qualis non fuit ab initio mundi (Matth. xxiv. 15, 21): また、大きな苦難があるであろうこと、世の始めからなかったような(マタイ24:21)

‘abominatio desolationis’ significat falsificationem et deprivationem omnis veri; 『荒涼の忌まわしいもの』はすべての真理の虚偽化と剥奪を意味する。

‘afflictio’ significat statum ecclesiae infestatum a malis et falsis; 『苦難』は悪と虚偽により攻撃される境界の状態を意味する。

et ‘consummatio saeculi,’ de quo illa dicta sunt, significat ultimum tempus seu finem ecclesiae. また『世代の完了(完成)』は、そのことについて、それらが言われている、教会の最後の時、すなわち、終わりを意味する。

Est nunc finis, quia non superest verum, quod non falsificatum est, ac falsificatio veri est scortatio spiritualis, quae unum agit cum scortatione naturali, quia cohaerent." 今や(今は)、終わりである、真理が残らないからである、虚偽化されないもの、そして真理の虚偽化は霊的な淫行である、それは自然的な淫行と一つのものとして活動する(一緒に働く)、密着する(密接に関連する)ので」。

 

(3)訳文

 80.第六のメモラビリア――

 これらが言われたとき、私は西の端見た、見よ、火と硫黄の池が見えた。私は天使に質問した、「なぜ、そこにそのようなものが見えるのか?」

 答えた、「真理の虚偽化から池のように見えた、水は霊的な意味で真理であるからである。悪の愛から、またこのように硫黄が虚偽への愛から、火のようなものがそれのまわりに、またその中に見えた。

 三つのそれらのもの、池・火・硫黄は、それらの中にある悪の愛に対応する外観であるからである。そこのすべての者は永遠の強制収容所に閉じ込められていて、食物・衣服・寝床のために働く。また、悪を行なうとき、重くまた惨めに罰せられる」。

 [2] 再び、私は天使に質問した、「なぜ。あなたは、そこに霊的なまた自然的な姦淫者がいることを言ったのか? なぜ、、悪をなす者や不信心な者と言わないのか?」

 答えた、「姦淫を何でもないものとして見なす、すなわち、その者はそれが罪でないこと確信からまたこのようにはっきりとして目的で、信じ、行なう、それらすべての者は、その心で悪をなす者や不信心な者であるからである。というのは、すべての歩みの中で、人間の結婚と宗教は、一緒に歩く〔歩調を共にする〕からである。宗教から宗教へのすべての歩みとすべての足取りは、結婚から結婚の中への歩みと足取りもまた、キリスト教の人間に特有の、また固有のものである」。

 「その結婚への性向とは何か?」の質問に、「ただ一人の妻と生活しようとする願望である、また、この願望がキリスト教徒の人間に、その宗教にしたがってある」と言った。

 [3] その後、私は、古代人の時代の中で最も聖なるものであった結婚が、これほどに放埒に姦淫へと向きを変えられたことに霊で悲嘆した。

 また、天使は言った、「今日の宗教も同様である。なぜなら、主は言われたから、

 

 世代の完了の中で、ダニエルにより述べられた荒涼の忌まわしいものがあること。

 また、世の始めからなかったような大きな苦難があるであろうこと (マタイ24:21)

 

 『荒涼の忌まわしいもの』はすべての真理の虚偽化と剥奪を意味する。『苦難』は悪と虚偽により攻撃される境界の状態を意味する。また『世代の完了』は、そのことについて、それらが言われているが、教会の最後の時、すなわち、終わりを意味する。

 今は終わりである、虚偽化されない真理が残らないからである(=虚偽化された真理しか残っていない)、そして真理の虚偽化は霊的な淫行であり、それは自然的な淫行と一つのものとして活動する、密着しているからである」。

原典講読『結婚愛』81

(1)原文

81. Cum de his nobis sermo et dolor fuit, subito apparuit jubar lucis fortiter stringens oculos meos, quare suspexi: et ecce totum caelum super nobis apparuit luminosum, et ab oriente in occidentem ibi in longa serie audita est Glorificatio;

Et dixit mihi angelus, "Glorificatio illa est glorificatio Domini propter adventum Ipsius, quae fit ab angelis caeli orientalis et occidentalis;"

E caelo meridionali et septentrionali non audiebatur nisi quam facetum murmur:

Et quia angelus intellexit omnia, dixit mihi primum, quod glorificationes et celebrationes Domini fiant ex Verbo, quia tunc fiunt ex Domino, Dominus enim est Verbum, hoc est, ipsum Divinum Verum ibi; Et dixit, "Nunc in specie glorificant et celebrant Dominum per haec, quae per Danielem prophetam dicta sunt:

 

‘Vidisti ferrum mixtum cum argilla luti; commiscebunt se per semen hominis, sed non cohaerebunt…. Verum in diebus illis… surgere faciet Deus caelorum regnum, quod in saecula non peribit;… conteret et consumet omnia illa regna, ipsum autem stabit in saecula’" (Dan. ii. 43, 44).

 

[2] Post haec audivi sicut vocem cantus, et penitius in oriente vidi coruscum lucis priori splendentius, et quaesivi angelum quid ibi glorificant.

Dixit quod "Per haec apud Danielem,

 

‘Videns fui in visionibus noctis, et ecce cum nubibus caeli sicut Filius hominis fuit;… et Huic datum est dominium… et regnum, et omnes populi et gentes… Ipsum colent; dominium Ipsius dominium saeculi, quod non transibit, et regnum Ipsius quod non peribit’ (Dan. vii. 13, 14).

 

Praeter illa, celebrant Dominum ex his in Apocalypsi,

 

Jesu Christo ‘sit gloria et robur…; ecce venit cum nubibus:’ Ipse est ‘Alpha et Omega, Principium et Finis, Primus et Ultimus,… qui est, qui fuit, et qui venturus est, omnipotens. Ego Johannes…. audivi hoc ex Filio hominis e medio septem candelabrorum" (Apoc. i. 5-7, [8, 9], 10-13; cap. xxii. 13; tum ex Matth. xxiv. 30, 31).

 

[3] Spectavi iterum in caelum orientale, et illuxit a latere dextro, ac luminosum intravit expansum meridionale, et audivi sonum suavem; et quaesivi angelum, "quid Domini ibi glorificant?"

Dixit quod haec in Apocalypsi,

 

"Vidi caelum novum et terram novam,… et vidi urbem sanctam Hierosolymam novam descendentem a Deo e caelo, paratam sicut Sponsam Marito suo;… et loquutus est mecum angelus, et dixit, Veni, ostendam tibi Sponsam Agni Uxorem: et abstulit me in spiritu super montem magnum et altum, et ostendit mihi urbem… sanctam Hierosolymam" (Apoc. xxi. 1, 2, 9, 10).

 

Etiam haec verba,

 

"Ego Jesus… sum Stella splendida et matutina: ac Spiritus et Sponsa dicent, Veni;… et dixit, Etiam venio cito; amen, etiam veni Domine Jesu" (Apoc. xxii. 16, 17, 20).

 

[4] Post haec et plura, audita est communis glorificatio ab oriente in occidentem caeli, et quoque a meridie in septentrionem, et quaesivi angelum, "Quid nunc?"

Dixit, "Sunt ex Prophetis haec,

 

‘Sciat omnis caro quod Ego Jehovah Salvator tuus et Redemptor tuus’ (Esai. xlix. 26):

‘Sic dixit Jehovah Rex Israelis, et Redemptor ejus Jehovah Zebaoth, Ego Primus et… Ultimus, et praeter Me non Deus’ (Esai. xliv. 6):

‘Dicetur in die illo, ecce Deus noster Hic, quem exspectavimus ut liberet nos; Hic Jehovah quem exspectavimus’ (Esai. xxv. 9):

‘Vox clamantis in deserto, Parate viam Jehovae;… ecce Dominus Jehovih in forti venit,… sicut pastor gregem suum pascet’ (Esai. xl. 3, 5, 10, 11):

‘Puer natus est nobis, Filius datus est nobis,… cujus nomen, Mirabilis, Consiliarius, Deus, Heros, Pater aeternitatis, Princeps pacis’ (Esai. ix. 5 [B. A. 6]):

‘Ecce dies venient,… et suscitabo Davidi Germen justum, qui regnabit Rex;… et hoc nomen Ipsius,… Jehovah Justitia nostra’ (Jer. xxiii. 5, 6; cap. xxxiii. 15, 16):

‘Jehovah Zebaoth nomen Ipsius, et Redemptor tuus, Sanctus Israelis, Deus totius terrae vocabitur’ (Esai. liv. 5):

‘In die illo… erit Jehovah in Regem super totam terram; in die illo erit Jehovah unus, et nomen Ipsius unum’" (Sach. xiv. 9).

 

[5] Ex his auditis ac intellectis exultavit cor meum, et in gaudio ivi domum, et ibi e statu spiritus redii in statum corporis, in quo haec, quae visa et audita sunt, conscripsi. Quibus nunc adjungo hoc, quod a Domino post adventum Ipsius resuscitetur amor conjugialis, qualis fuerat apud antiquos, quia amor ille a solo Domino est, et apud illos, qui ab Ipso per Verbum spirituales fiunt.

 

(2)直訳

81. Cum de his nobis sermo et dolor fuit, subito apparuit jubar lucis fortiter stringens oculos meos, quare suspexi: これらについて私たちに談話と悲嘆があったとき、突然と光の光線が見られた、私の目を強く(激しく)打って、それゆえ、私は見上げた。

et ecce totum caelum super nobis apparuit luminosum, et ab oriente in occidentem ibi in longa serie audita est Glorificatio; また、見よ、私の上の全天界が照明が見えた(現われた)、また東から西の中へ長い連続(一続き)の中で「賛美」が聞かれた。

Et dixit mihi angelus, "Glorificatio illa est glorificatio Domini propter adventum Ipsius, quae fit ab angelis caeli orientalis et occidentalis;" また、天使が私に言った、その賛美賛美であるその来臨のためにそれは西天界天使によりなわれた」。

E caelo meridionali et septentrionali non audiebatur nisi quam facetum murmur: また西天界からは、聞かれなかった、上品なつぶやきでないなら

Et quia angelus intellexit omnia, dixit mihi primum, quod glorificationes et celebrationes Domini fiant ex Verbo, quia tunc fiunt ex Domino, Dominus enim est Verbum, hoc est, ipsum Divinum Verum ibi; また、天使はすべてのものを理解したので、初めてったそれらの賛美称賛はみことばから行なわれる、その時、主から行なわれるからである、というのは、主はみことばである、すなわち、そこに神的な真理そのもの〔である〕から。

Et dixit, "Nunc in specie glorificant et celebrant Dominum per haec, quae per Danielem prophetam dicta sunt: また、った、「今、特、主をこれらによって賛美するまた称賛するそれらは預言者「ダニエル(書)のもとにわれた――

‘Vidisti ferrum mixtum cum argilla luti; 「あなたは泥と粘土で混ぜられた鉄を見た。

commiscebunt se per semen hominis, sed non cohaerebunt…. それ自体に混ぜた、人間の種によって、しかし、それらは密着しなかった……

Verum in diebus illis… surgere faciet Deus caelorum regnum, quod in saecula non peribit; けれどもその日に……神は天の王国を起こすことをする、それは永遠に滅びない。

… conteret et consumet omnia illa regna, ipsum autem stabit in saecula’" (Dan. ii. 43, 44). ……それらのすべての王国を粉砕する、また終わりにする、けれども、それ自体は永遠に立つ」(ダニエル 2:43, 44)

[2] Post haec audivi sicut vocem cantus, et penitius in oriente vidi coruscum lucis priori splendentius, et quaesivi angelum quid ibi glorificant. [2] この後、私は歌の声のような〔ものを〕聞いた、また東の中のさらに深く私は光の閃光を見た、前のものよりさらに輝く、また、私は天使に質問した、何をそこに賛美しているか。

Dixit quod "Per haec apud Danielem, 彼は言った、「これらによって「ダニエル(書)」のもとの、

‘Videns fui in visionibus noctis, et ecce cum nubibus caeli sicut Filius hominis fuit; 「私は夜の幻の中で見ていた、また見よ、天の雲とともに、人の子がやって来た。

… et Huic datum est dominium… et regnum, et omnes populi et gentes… Ipsum colent; ……またこの者に主権(支配)……と王国が与えられた、またすべての人民と国民が……その方を礼拝した。

dominium Ipsius dominium saeculi, quod non transibit, et regnum Ipsius quod non peribit’ (Dan. vii. 13, 14). その方の主権(支配)は永遠の主権(支配)、それは移らない(変わらない)、またその方の王国は、それは滅びない」(ダニエル 7:13, 14)

Praeter illa, celebrant Dominum ex his in Apocalypsi, それらのほかに、主を称賛している、「黙示録」の中のこれらから、

Jesu Christo ‘sit gloria et robur…;  イエス・キリストに「栄光と力がある〔ように〕……。

ecce venit cum nubibus:’ 見よ、雲とともにやって来る。

Ipse est ‘Alpha et Omega, Principium et Finis, Primus et Ultimus,… qui est, qui fuit, et qui venturus est, omnipotens. その方はアルファとオメガである、最初と最後、初めと終わり……その方はいる、いた、やって来る、全能〔である〕。

Ego Johannes…. audivi hoc ex Filio hominis e medio septem candelabrorum" (Apoc. i. 5-7, [8, 9], 10-13; cap. xxii. 13; tum ex Matth. xxiv. 30, 31). 私、ヨハネは……七つの燭台の真ん中から、人の子からこれを聞いた」(1:5-7, 8, 9, 10-1322:8, 13、なおまた「マタイ」から24:30, 31)

[3] Spectavi iterum in caelum orientale, et illuxit a latere dextro, ac luminosum intravit expansum meridionale, et audivi sonum suavem; [3] [私は再び東の天界の中で見た、また右側から輝いた(明るくなった)、また照明が南の広がり(大空)の中に入った、

et quaesivi angelum, "quid Domini ibi glorificant?" また、私は天使に質問した、「何を主にそこに賛美しているか?」

Dixit quod haec in Apocalypsi, 彼は言った、これらによって「黙示録」の中の、

"Vidi caelum novum et terram novam,… et vidi urbem sanctam Hierosolymam novam descendentem a Deo e caelo, paratam sicut Sponsam Marito suo; 「私は新しい天と新しい地を見た……また……私は、聖なる都、新しいエルサレムが神から天界を通って降るのを見た、花嫁のように準備された……自分の夫のために。

… et loquutus est mecum angelus, et dixit, Veni, ostendam tibi Sponsam Agni Uxorem: ……また、天使は私に語った、また言った、やって来い、私はあなたに花嫁、小羊の妻を見せる。

et abstulit me in spiritu super montem magnum et altum, et ostendit mihi urbem… sanctam Hierosolymam" (Apoc. xxi. 1, 2, 9, 10). また私を大きな高い山の上に連れて行った、また私に都を見せた……聖なるエルサレムを」(21:1, 2, 3, 9, 10)

Etiam haec verba, さらにまた、これらのことば〔によって〕、

"Ego Jesus… sum Stella splendida et matutina: 「わたしイエスは……輝く明けの星である。

ac Spiritus et Sponsa dicent, Veni; そして霊と花嫁は言う、やって来い。

… et dixit, Etiam venio cito; ……また言った、わたしはすぐに来る。

amen, etiam veni Domine Jesu" (Apoc. xxii. 16, 17, 20). アーメン、さらにまたやって来い、主よ、イエスよ」(黙示録22:16, 17, 20)

[4] Post haec et plura, audita est communis glorificatio ab oriente in occidentem caeli, et quoque a meridie in septentrionem, et quaesivi angelum, "Quid nunc?" [4] これまた多くのことの後、共通の賛美が聞かれた、天界の東から西の中へ、そしてまた南から北の中へ、また、私は天使に質問した、「何を、今は?」

Dixit, "Sunt ex Prophetis haec, 彼は言った、「預言書からである、これらは――

‘Sciat omnis caro quod Ego Jehovah Salvator tuus et Redemptor tuus’ (Esai. xlix. 26): 「すべての肉が知る、わたし、エホバがあなたの救い主、またあなたのあがない主であること」(イザヤ49:26)

‘Sic dixit Jehovah Rex Israelis, et Redemptor ejus Jehovah Zebaoth, Ego Primus et… Ultimus, et praeter Me non Deus’ (Esai. xliv. 6): 「このようにイスラエルの王、エホバは、またそのあがない主、万軍のエホバは言った、わたしは始めであり……終わりである、わたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)

‘Dicetur in die illo, ecce Deus noster Hic, quem exspectavimus ut liberet nos; 「その日に言われる、見よ、この方が私たちの神、この方を私たちは待ち望んだ、私たちを解放するために。

Hic Jehovah quem exspectavimus’ (Esai. xxv. 9): この方、エホバ、その方を私たちは待ち望んだ」(イザヤ25:9)

‘Vox clamantis in deserto, Parate viam Jehovae; 「荒野の中の叫ぶ声、エホバの道を準備せよ。

… ecce Dominus Jehovih in forti venit,… sicut pastor gregem suum pascet’ (Esai. xl. 3, 5, 10, 11): ……見よ、主エホビが強さの中でやって来る……羊飼いのように自分の群れを飼う」(イザヤ40:3, 5, 10, 11)

‘Puer natus est nobis, Filius datus est nobis,… cujus nomen, Mirabilis, Consiliarius, Deus, Heros, Pater aeternitatis, Princeps pacis’ (Esai. ix. 5 [B. A. 6]): 「私たちに少年が生まれる、私たちに子が与えられる……その名前は、不思議な助言者、神、英雄、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:6)

‘Ecce dies venient,… et suscitabo Davidi Germen justum, qui regnabit Rex; 「見よ、日がやって来る……またわたしはダビデに正しい若枝を起こす、その者は王〔となって〕支配する。

… et hoc nomen Ipsius,… Jehovah Justitia nostra’ (Jer. xxiii. 5, 6; cap. xxxiii. 15, 16): ……またこれがその方の名前……エホバ、私たちの正義」(エレミヤ23:5, 633:15,16)

‘Jehovah Zebaoth nomen Ipsius, et Redemptor tuus, Sanctus Israelis, Deus totius terrae vocabitur’ (Esai. liv. 5): 「その方の名前は万軍のエホバ、またあなたのあがない主、イスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる」(イザヤ14:5)

‘In die illo… erit Jehovah in Regem super totam terram; その日に、エホバは全地の上に王になる。

in die illo erit Jehovah unus, et nomen Ipsius unum’" (Sach. xiv. 9). その日に、エホバは一つ、またその方の名前は一つとなる」(ゼカリヤ14:9)

[5] Ex his auditis ac intellectis exultavit cor meum, et in gaudio ivi domum, et ibi e statu spiritus redii in statum corporis, in quo haec, quae visa et audita sunt, conscripsi. [5] これらを聞いて、そして理解してから(動かされて)私の心は小躍りして喜んだ、また楽しさの中で家を行った、またそこで霊の状態から私は身体の状態の中へ戻った、その中で、これらを、それらは見た、また聞いたものである、私は書いた。

Quibus nunc adjungo hoc, quod a Domino post adventum Ipsius resuscitetur amor conjugialis, qualis fuerat apud antiquos, quia amor ille a solo Domino est, et apud illos, qui ab Ipso per Verbum spirituales fiunt. それらに、今や、私はこのことを結び付ける、主により、その方の降臨(到来)の後、結婚愛が回復させられる(生き返させられる)、古代人のもとにあったような、その愛は主おひとりからであるので、また彼らのもとに、その者はその方から、みことばによって霊的になっている。

 

(3)訳文

 81.これらについて私たちが話し、悲しんでいるとき、突然、私の目を強く打つ光の光線が見られ、それゆえ、私は見上げた――見よ、私の上の全天界が照らされ現われ、東から西の中へ長い一続きの「賛美」が聞かれた。

 天使が私に言った、その賛美賛美であるその来臨のためにそれは西天界天使によりなわれた」。

 西天界からは、上品なつぶやきでないならかれなかった

 また、天使はすべてのものを理解したので、初めてそれらの賛美称賛はみことばから行なわれる、その時、主から行なわれるからである、というのは、主はみことばである、すなわち、そこに神的な真理そのもの〔である〕から、とった。

 また、った、「今、特、預言者ダニエルにわれたこれらによって賛美、称賛する――

 

 「あなたは泥と粘土で混ぜられた鉄を見た。それに人間の種を混ぜた、しかし、それらは密着しなかった……けれどもその日に……神は天の王国を起こす、それは永遠に滅びない。……それらのすべての王国を粉砕し、終わりにする、けれども、それ自体は永遠に立つ」(ダニエル 2:43, 44)

 

 [2] この後、私は歌の声のような〔ものを〕聞いた、また東の中のさらに深く私は、前のものよりさらに輝く光の閃光を見た。私は天使に、何をそこに賛美しているか質問した。

 彼は言った、「「ダニエル(書)」のこれらによって、

 

 「私は夜の幻の中で見ていた。すると見よ、天の雲とともに、人の子がやって来た。……またこの方に主権(支配)……と王国が与えられ、すべての人民と国民が……その方を礼拝した。その方の主権は永遠の主権で、移らない(変わらない)、その方の王国は滅びない」(ダニエル 7:13, 14)

 

 それらのほかに、「黙示録」の中の主を称賛しているこれらから、

 

イエス・キリストに「栄光と力がある〔ように〕……見よ、雲とともにやって来る。その方はアルファとオメガ、最初と最後、初めと終わりである……その方はいる、いた、やって来る、全能〔である〕。私、ヨハネは……七つの燭台の真ん中から、人の子からこれを聞いた」(1:5-7, 8, 9, 10-1322:8, 13、なおまた「マタイ」から24:30, 31)

 

 [3] [私は再び東の天界の中で見た、右側から明るくなり、照明が南の大空の中に入った。また、私は天使に、「主の何をそこで賛美しているか?」と質問した。

 言った、「黙示録」の中のこれらによって、

 

 「私は新しい天と新しい地を見た……私は、聖なる都、新しいエルサレムが自分の夫のために花嫁のように整えられて、神から天界を通って降るのを見た……。また、天使は私に語った、また言った、「やって来い、私はあなたに花嫁、小羊の妻を見せる」。私を大きな高い山の上に連れて行き、私に都を……聖なるエルサレムを見せた」(21:1, 2, 3, 9, 10)

 

 さらにまた、これらのことば〔によって〕、

 

 「わたしイエスは……輝く明けの星である。霊と花嫁は言う、「来てください」。……言われた、「わたしはすぐに来る」。アーメン、主よ、イエスよ、来てください」(黙示録22:16, 17, 20)

 

 [4] このことや多くのことの後、天界の東から西の中へ、そしてまた南から北の中へ、普遍的な賛美が聞かれた、私は天使に質問した、「今〔の賛美〕は何を?」

 彼は言った、「預言書から、これらである――

 

 「すべての肉が、わたし、エホバがあなたの救い主、あなたのあがない主であることを知る」(イザヤ49:26)

 「イスラエルの王、エホバは、またそのあがない主、万軍のエホバはこのように言われた、わたしは始めであり……終わりである、わたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)

 「その日に言われる、見よ、この方が私たちの神、この方を、私たちを解放するために待ち望んだ。この方、エホバ、その方を私たちは待ち望んだ」(イザヤ25:9)

 「荒野の中の叫ぶ声、エホバの道を準備せよ。……見よ、主エホビが強さの中でやって来る……羊飼いのように自分の群れを飼う」(イザヤ40:3, 5, 10, 11)

 「私たちに少年が生まれる、私たちに子が与えられる……その名前は、不思議な助言者、神、英雄、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:6)

 「見よ、日がやって来る……またわたしはダビデに正しい若枝を起こす、その者は王〔となって〕支配する。……またこれがその方の名前……エホバ、私たちの正義」(エレミヤ23:5, 633:15,16)

 「その方の名前は万軍のエホバ、またあなたのあがない主、イスラエルの聖なる者、全地の神と呼ばれる」(イザヤ14:5)

 「その日に、エホバは全地の上に王になる。その日に、エホバは一つ、またその方の名前は一つとなる」(ゼカリヤ14:9)

 

 [5] これらを聞き、理解したことから私の心は小躍りして喜び、楽しさの中で家へ行き、そこで霊の状態から私は身体の状態の中へ戻った、その中で、私は見で、聞いたものであるこれらを書いた。

 それらに、今や、私はこのことを付ける。主により、その方の降臨の後、古代人のもとにあったような結婚愛が、みことばによって霊的になっている者のもとに回復させられる、その愛は主おひとりからであるからである。

原典講読『結婚愛』82(原文と直訳[3]まで)

(1)原文

82. Post haec vir e plaga septentrionali in vehementia accurrit, et me vultu minaci aspexit, ac tono inflammato alloquutus, dixit, "Es tu qui vis seducere orbem, instaurando novam ecclesiam, quam intelligis per ‘Novam Hierosolymam’ descensuram e caelo a Deo; ac docendo, quod Dominus illos, qui doctrinalia ejus ecclesiae amplectuntur, donaturus sit amore vere conjugiali, cujus delitias et felicitatem exaltas usque ad caelum? Estne hoc inventum, et affersne hoc ut aucupium et allectamentum ad accedendum ad tua nova? Sed dic mihi in summario, quae sunt illa doctrinalia novae ecclesiae, et videbo num concordent aut discordent;"

Et respondi, "Doctrinalia Ecclesiae, quae intelligitur per ‘Novam Hierosolymam,’ sunt haec. (i.) Quod sit unus Deus, in quo est Divina Trinitas, et quod Ille sit Dominus Jesus Christus: (ii.) Quod fides salvifica sit credere in Ipsum: (iii.) Quod fugienda sint mala, quia sunt diaboli et a diabolo: (iv.) Quod facienda sint bona, quia sunt Dei et a Deo: (v.) Quod haec facienda sint ab homine ut ab ipso, sed quod credendum sit, quod sint a Domino apud illum et per illum."

[2] His auditis per aliquot momenta recessit ejus furor; at post aliquam deliberationem iterum me torvo vultu aspexit, dicens, "Sunt haec quinque praecepta, doctrinalia fidei et charitatis Novae Ecclesiae?"

Et respondi, "Sunt;"

Et tunc aspere interrogavit, "Quomodo potes demonstrare primum, ‘Quod sit unus Deus, in quo est Divina Trinitas, et quod Ille sit Dominus Jesus Christus?"

Dixi, "Demonstro ita; Estne unus et individuus Deus? estne Trinitas? Si unus et individuus Deus, estne una Persona? Si una Persona, estne Trinitas in illa? Quod sit Dominus Jesus Christus, ex his,

 

quod conceptus sit a Deo Patre (Luc. i. 34, 35).

 

et sic quod quoad animam sit Deus; et inde, sicut Ipse dicit,

 

Quod Pater et Ipse unum sint (Joh. x. 30);

Quod Ipse in Patre et Pater in Ipso (Joh. xiv. 10, 11);

Quod qui videt Ipsum et cognoscit Ipsum videat et cognoscat Patrem (Joh. xiv. 7, 9);

Quod nemo videat et cognoscat Patrem, nisi Ipse qui in sinu Patris est (Joh. i. 18);

Quod omnia Patris sint Ipsius (Joh. iii. 35; cap. xvi. 15);

Quod sit Via, Veritas et Vita, et quod nemo veniat ad Patrem nisi per Ipsum (Joh. xiv. 6);

 

ita ab Ipso, quia est in Ipso; et secundum Paulum,

 

Quod omnis plenitudo Divinitatis in Ipso corporaliter habitet (Coloss. ii. 9):

 

ac praeterea,

 

Quod Ipsi sit potestas omnis carnis (Joh. xvii. 2);

Et quod Ipsi sit omnis potestas in caelo et in terra (Matth. xxviii. 18);

 

ex quibus sequitur, quod sit Deus caeli et terrae."

[3] Postea interrogavit, quomodo demonstro alterum, "Quod fides salvifica sit credere in Ipsum."

Dixi, "Demonstro per haec Ipsius Domini verba.

 

‘Haec est voluntas Patris, ut omnis,… qui credit in Filium, habeat vitam aeternam’ (Joh. vi. 40):

‘Adeo dilexit Deus mundum, ut Filium suum Unigenitum dederit, ut omnis, qui credit in Ipsum, non pereat sed habeat vitam aeternam’ (Joh. iii. 15, 16):

‘Qui credit in Filium, habet vitam aeternam; qui vero non credit Filio, non videbit vitam, sed ira Dei manet super illo’ (Joh. iii. 36).

 

[4] Postea dixit, "Demonstra etiam tertium et sequentia;"

Et respondi, "Quid opus est demonstrare, quod fugienda sint mala, quia sunt diaboli et a diabolo? quodque facienda sint bona, quia sunt Dei et a Deo? tum quod haec facienda sint ab homine ut ab ipso, sed quod credendum sit, quod sint a Domino apud illum et per illum? Quod haec Tria vera sint, confirmat universa Scriptura Sacra a principio ad finem; quid ibi aliud in summa, nisi quam fugere mala et facere bona, ac credere in Dominum Deum? et praeterea, absque his tribus non est aliqua religio: estne religio vitae? et quid vita nisi quam fugere mala et facere bona? Quomodo potest homo haec facere et illa credere nisi ut ab ipso? Quare si removes haec ab Ecclesia, removes ab illa Scripturam Sacram, et quoque removes religionem; quibus remotis ecclesia non est ecclesia."

Vir ille his auditis recessit, et pensitavit; at usque abivit in indignatione.

 

(2)直訳

82. Post haec vir e plaga septentrionali in vehementia accurrit, et me vultu minaci aspexit, ac tono inflammato alloquutus, dixit, "Es tu qui vis seducere orbem, instaurando novam ecclesiam, quam intelligis per ‘Novam Hierosolymam’ descensuram e caelo a Deo; この後、男が北の方位から猛烈さの中で走り寄った、また、私を脅迫的な顔つきで観察した(=にらんだ)、そして興奮した口調で話しかけて、言った、「あなたである〔のか?〕、その者は世界を惑わすことを欲する、新しい教会を教えることで、それによって神から、天界から☆降る「新しいエルサレム」によって意味される。

二つの「から」がありますが、aは当事者として、exは手段として「~から」です。

ac docendo, quod Dominus illos, qui doctrinalia ejus ecclesiae amplectuntur, donaturus sit amore vere conjugiali, cujus delitias et felicitatem exaltas usque ad caelum? そして言って、主は彼らを、その者はその教会の教えの事柄を抱く、真の結婚愛が与えられるであろう〔こと〕、あなたはその歓喜と幸福を天界へまで高める〔?〕

Estne hoc inventum, et affersne hoc ut aucupium et allectamentum ad accedendum ad tua nova? これは作り事ではないのか、またこれをあなたは利用して(持ち出して)いないか、わなや誘惑物として、あなたの新しいものへ近づけるための?

Sed dic mihi in summario, quae sunt illa doctrinalia novae ecclesiae, et videbo num concordent aut discordent;" しかし、私に言え、要約した形で(手短に)、何であるか、それら新しい教会の教えの事柄が、また、私は見る(未来)、一致しているかどうか、または一致していないか」。

Et respondi, "Doctrinalia Ecclesiae, quae intelligitur per ‘Novam Hierosolymam,’ sunt haec. 私は答えた、「教会の教えのことがらは、それ〔教会〕は「新しいエルサレム」によって意味される、これらである、

(i.) Quod sit unus Deus, in quo est Divina Trinitas, et quod Ille sit Dominus Jesus Christus: (1) 神は唯一であること、その中に神的三一性がある、またその方は主イエス・キリストであること。

(ii.) Quod fides salvifica sit credere in Ipsum: (2) 救う信仰はその方を信じることであること。

(iii.) Quod fugienda sint mala, quia sunt diaboli et a diabolo: (3) 悪は避けられるべきであること、悪魔のもの、また悪魔からであるので。

(iv.) Quod facienda sint bona, quia sunt Dei et a Deo: (4) 善は行なわれるべきであること、神のもの、また神からであるので。

(v.) Quod haec facienda sint ab homine ut ab ipso, sed quod credendum sit, quod sint a Domino apud illum et per illum." (5) これらは人間により、自分自身からのように行なわれるべきであること、しかし、信じるべきであること、彼のもとの主から、また彼によって〔行なわれる〕ことを。

[2] His auditis per aliquot momenta recessit ejus furor; [2] これらで聞かれて、いくらかの瞬間の間、彼の激怒は引っ込んだ。

at post aliquam deliberationem iterum me torvo vultu aspexit, dicens, "Sunt haec quinque praecepta, doctrinalia fidei et charitatis Novae Ecclesiae?" しかし、いくらかの熟慮の後、再び、私をいかめしい顔つきで観察した(=にらんだ)、言って、「これら五つの戒め(教え)である〔のか〕、新しい教会の信仰と仁愛の教えの事柄は?」

Et respondi, "Sunt;" また、私は答えた、「〔そう〕である」。

Et tunc aspere interrogavit, "Quomodo potes demonstrare primum, ‘Quod sit unus Deus, in quo est Divina Trinitas, et quod Ille sit Dominus Jesus Christus?" また、その時、乱暴に(荒々しく)質問した、「どのように、あなたは「最初のもの」を証明することができるのか、『神は唯一であること、その中に神的三一性がある、またその方は主イエス・キリストであること』?」

Dixi, "Demonstro ita; 私は言った、「私はこのように証明する。

Estne unus et individuus Deus? 神は一つ、また分割できないのではないのか?

estne Trinitas? 三一性がないのか?

Si unus et individuus Deus, estne una Persona? もし、神が一つ、また分割できないなら、一つの位格(ペルソナ)はないのか?

Si una Persona, estne Trinitas in illa? もし一つの位格(ペルソナ)なら、その中に三一性がないのか?

Quod sit Dominus Jesus Christus, ex his, 〔その方が〕主イエス・キリストであることは、これらから、

quod conceptus sit a Deo Patre (Luc. i. 34, 35). 父なる神からみごもられたこと(ルカ 1:34, 35)

et sic quod quoad animam sit Deus; また、このように霊魂に関して神であること。

et inde, sicut Ipse dicit, またここから、その方が言われるように、

Quod Pater et Ipse unum sint (Joh. x. 30); 父とその方は一つであること(ヨハネ 10:30)

Quod Ipse in Patre et Pater in Ipso (Joh. xiv. 10, 11); その方は父の中に、父はその方の中に〔おられる〕こと(ヨハネ 14:10, 11)

Quod qui videt Ipsum et cognoscit Ipsum videat et cognoscat Patrem (Joh. xiv. 7, 9); その方を見る、またその方を知る者は、父を見る、また知ること(ヨハネ 14:7, 9)

Quod nemo videat et cognoscat Patrem, nisi Ipse qui in sinu Patris est (Joh. i. 18); だれも父を見ない、知らない、その方でないなら、その者は父のふところにいる(ヨハネ 1:18)

Quod omnia Patris sint Ipsius (Joh. iii. 35; cap. xvi. 15); 父のすべてのものはその方のものであること(ヨハネ 3:3516:15)

Quod sit Via, Veritas et Vita, et quod nemo veniat ad Patrem nisi per Ipsum (Joh. xiv. 6); 道、真理、いのちであること、まただれも父へやって来ないこと、その方を通してでないなら(ヨハネ 14:6)

ita ab Ipso, quia est in Ipso; そのように、その方から、その方の中におられるので。

et secundum Paulum, また、パウロにしたがって(によれば)

Quod omnis plenitudo Divinitatis in Ipso corporaliter habitet (Coloss. ii. 9): その方の中にすべての神性の充満が形をとって(身体的に)住んでいること(コロサイ 2:9)

ac praeterea, そして、さらに、

Quod Ipsi sit potestas omnis carnis (Joh. xvii. 2); その方に、すべての肉の力があること(ヨハネ 17:2)

Et quod Ipsi sit omnis potestas in caelo et in terra (Matth. xxviii. 18); また、その方に、天の中と地の中にすべての力があること(マタイ 28:18)

ex quibus sequitur, quod sit Deus caeli et terrae." それらからいえる、天地の神であること」。

[3] Postea interrogavit, quomodo demonstro alterum, "Quod fides salvifica sit credere in Ipsum." [3] その後、質問した、どのように私が「第二のもの」を証明するか、「救う信仰はその方を信じることであること」。

Dixi, "Demonstro per haec Ipsius Domini verba. 私は言った、「私は、これらの主ご自身のことがによって、証明する。

‘Haec est voluntas Patris, ut omnis,… qui credit in Filium, habeat vitam aeternam’ (Joh. vi. 40): 「これが父の意志(みこころ)である、すべての者が……子を信じる者、永遠のいのちを持つこと」(ヨハネ 6:49)

‘Adeo dilexit Deus mundum, ut Filium suum Unigenitum dederit, ut omnis, qui credit in Ipsum, non pereat sed habeat vitam aeternam’ (Joh. iii. 15, 16): 「これほど神は世を愛した、ご自分のひとり子を与えたように、すべての者が、その者はその方を信じる、滅びないで、永遠のいのちを持つために」(ヨハネ 3:15, 16)

‘Qui credit in Filium, habet vitam aeternam; 「子を信じる者は、永遠のいのちを持つ。

qui vero non credit Filio, non videbit vitam, sed ira Dei manet super illo’ (Joh. iii. 36). けれども、子を信じない者は、いのちを見ない、しかし、神の怒りが彼の上にとどまる」(ヨハネ 3:36)

原典講読『結婚愛』82(直訳[4]と訳文)

[4] Postea dixit, "Demonstra etiam tertium et sequentia;" [4] その後、彼は言った、「第三のもの、また続くものもまた証明せよ」。

Et respondi, "Quid opus est demonstrare, quod fugienda sint mala, quia sunt diaboli et a diabolo? また、私は答えた、「何が必要とされるか☆? 証明すること、悪は避けられるべきであること、悪魔のもの、また悪魔からであるので。

opus estは「必要とされる」意味の非人称構文です。

quodque facienda sint bona, quia sunt Dei et a Deo? そして善は行なわれるべきであること、神のもの、また神からであるので?

tum quod haec facienda sint ab homine ut ab ipso, sed quod credendum sit, quod sint a Domino apud illum et per illum? なおまたこれらは人間により、自分自身からのように行なわれるべきであること、しかし、信じるべきであること、彼のもとの主から、また彼によって〔行なわれる〕ことを?

Quod haec tria vera sint, confirmat universa Scriptura Sacra a principio ad finem; これら三つのものが真理であることは、聖書全体が始めから終りまで確証している。

quid ibi aliud in summa, nisi quam fugere mala et facere bona, ac credere in Dominum Deum? 

et praeterea, absque his tribus non est aliqua religio: 何がそこに他のものが〔あるのか〕要約した形で、悪を避けることと善を行なうこと、そして主なる神を信じること以外でないなら?

estne religio vitae? 宗教は生活のものではないのか?

et quid vita nisi quam fugere mala et facere bona? また、何が生活か、悪を避けることと善を行なうこと以外でないなら?

Quomodo potest homo haec facere et illa credere nisi ut ab ipso? どのように人間はこれら〔善〕を行なうこと、またそれら〔悪〕を避けることができるのか、自分自身からのようにでないなら?

Quare si removes haec ab Ecclesia, removes ab illa Scripturam Sacram, et quoque removes religionem;  それゆえ、もし、あなたがこれらを教会から取り去るなら、あなたはそれ〔教会〕から聖書を取り去る、そしてまた、宗教を取り去る。

quibus remotis ecclesia non est ecclesia." それらで取り去られて、教会は教会でない」。

Vir ille his auditis recessit, et pensitavit; その男は、これらで聞いて引っ込んだ(たじろいだ)また熟考した。

at usque abivit in indignatione. しかし、それでも憤慨の中で去った。

 

(3)訳文

 82.この後、男が北の方位から猛烈に走り寄り、私を脅迫するような顔つきでにらみ、そして興奮した口調で話しかけて、言った、「あなたのか? 神から、天界を通して降る「新しいエルサレム」によって意味される新しい教会を教え、そして、主はその教会の教えの事柄を抱く者に、真の結婚愛が与えられ、あなたはその歓喜と幸福を天界へまで高めるであろうことを言って、世を惑わすことを欲する者は?

 これは作り事ではないのか、またこれをあなたは、あなたの新しいものへ近づけるための、わなや誘惑物として利用していないか?

 しかし、私に、要約して、それら新しい教会の教えの事柄が何であるか言え、私は一致しているかどうか、または一致していないか見よう」。

 私は答えた、「新しいエルサレム」によって意味される「教会の教えの事柄は、これらである、

 (1) 神は唯一であり、その中に神的三一性がある。その方は主イエス・キリストである。

 (2) 救う信仰はその方を信じることである。

 (3) 悪は避けられるべきである、悪魔のもの、悪魔からのものであるから。

 (4) 善は行なわれるべきである、神のもの、また神からものであるから。

(5) これらは人間により、自分自身からのように行なわれるべきである、しかし、、彼のもとの主から、また彼によって〔行なわれるべきである〕ことを信じるべきである。

 [2] これらを聞いて、いくらかの瞬間の間、彼の激怒は引っ込んだ。しかし、いくらかの熟慮の後、再び、私をいかめしい顔つきでにらみ、「新しい教会の信仰と仁愛の教えの事柄はこれら五つの戒め(教え)である〔のか〕?」と言った。

 私は答えた、「〔そう〕である」。

 また、その時、荒々しく質問した、「どのように、あなたは「最初のもの」である『神は唯一であり、その中に神的三一性がある。その方は主イエス・キリストである』ことを証明することができるのか?」

 私は言った、「私はこのように証明する。

 神は一つであり、分割できないのではないのか? 三一性がないか? もし、神が一つであり、分割できないなら、一つの位格(ペルソナ)はないのか? もし一つの位格(ペルソナ)なら、その中に三一性がないか?

 〔その方が〕主イエス・キリストであることは、これらから、

 父なる神からみごもられた(ルカ 1:34, 35)。このように霊魂に関して神である。

 またここから、その方が言われるように、

 父とその方は一つである(ヨハネ 10:30)

 その方は父の中に、父はその方の中に〔おられる〕(ヨハネ 14:10, 11)

 その方を見、その方を知る者は、父を見、知る(ヨハネ 14:7, 9)

父のふところにいる方でないなら、だれも父を見ないし、知らない(ヨハネ 1:18)

 父のすべてのものはその方のものである(ヨハネ 3:3516:15)

道、真理、いのちである。また、その方を通してでないならだれも父へやって来ない(ヨハネ 14:6)

 そのように、その方の中におられるので、その方からである。

 また、パウロにによれば

 その方の中にすべての神性の形をとって充満して住んでいる(コロサイ 2:9)

 そして、さらに、

 その方に、すべての肉の力がある(ヨハネ 17:2)

 その方に、天の中と地の中にすべての力があること(マタイ 28:18)

 それらから、天地の神であることがいえる」。

 [3] その後、「救う信仰はその方を信じることである」という「第二のもの」を私がどのように証明するか、質問した。

 私は言った、「私は、これらの主ご自身のことばによって証明する。

 「これが父の意志(みこころ)である、すべての者が……子を信じる者、永遠のいのちを持つこと」(ヨハネ 6:49)

 「ご自分のひとり子を与えたように、これほど神は世を愛した、その方を信じるすべての者が、滅びないで、永遠のいのちを持つために」(ヨハネ 3:15, 16)

 「子を信じる者は、永遠のいのちを持つ。けれども、子を信じない者は、いのちを見ない、しかし、神の怒りが彼の上にとどまる」(ヨハネ 3:36)

 [4] その後、彼は言った、「第三のもの、また続くものもまた証明せよ」。

 また、私は答えた、「悪は、悪魔のもの、悪魔からのものであるので、避けられるべきであること、そして善は、神のもの、また神からのものであるので行なわれるべきであることを証明するのに、何が必要とされるのか? なおまたこれらは人間により、自分自身からのように行なわれるべきであること、しかし、彼のもとの主から、また彼によって〔行なわれる〕ことを信じるべきであることを?

 これら三つのものが真理であることは、聖書全体が始めから終りまで確証している。何がそこに要約した形で他のものが〔あるのか〕、悪を避けることと善を行なうこと、そして主なる神を信じること以外でないなら? 宗教は生活のものではないのか? 悪を避けることと善を行なうこと以外でないなら何が生活か?

自分自身からのようにでないなら、人間はどのようにこれら〔善〕を行なうこと、またそれら〔悪〕を避けることができるのか?

それゆえ、もし、あなたがこれらを教会から取り去るなら、あなたはそれ〔教会〕から聖書を取り去る、そしてまた、宗教を取り去る。それらが取り去られた教会は教会でない」。

 その男は、これらを聞いてたじろぎ、熟考した。しかし、それでも憤慨の中で去った。