(3)訳文
75.最初のメモラビリア――
かつて、私が結婚愛について瞑想していたとき、その愛が「金の時代」の中に生きた彼らのもとでどんなもの、またその後、銀、銅、また鉄と呼ばれる続く時代の中の彼らのもとでどんなものであったか、知ろうとする願いが心を捕えた。また私は、それらの時代の中で善く生きたすべての者は、天界の中にいること知っていたので、私は、私に彼らの話すこと、また教えられることが許されるように、主へ祈った。
また、見よ、私に、天使がそばに立った、また言った、「私は、私が案内者であり、仲間であるように、主から遣わされた。そして、あなたを、最初に、金と呼ばれる最初の時期または時代に生きた者へ導き、同行する」。
また言った、「彼らへの道は険しい。暗い森を通っていて、主から与えられた案内者がないなら、それをだれも通り過ぎることができない」。
[2] 私は霊の中にいた。私は旅の身支度をし、顔を東へ向けた。また前進する中で、私は山を見た、雲の領域を超える高さに達していた。
私たちは広大な荒野を通り過ぎ、いろいろな種類の木の密集した森の中にやって来た、、それについて天使は、それらの密生から暗い、と予告していた。しかし、森は多くの狭い小道に分けられていた。また、天使は言った。主により目が開かれていないなら、それだけ多くの間違いの回り道がある、そしてぶどうのつるの巻き付いたオリーブの木が見られる、そしてオリーブの木からオリーブの木へ歩みを向ける、〔そうしないなら〕、旅人は、脇へ、周囲にあるタルタロス(奈落)の中へとそれる。この森は、接近(の手段や方法)が守られる目的のために、このようなものである。というのは、初期の者以外に他の人々は、その山の上に住まないから。
[3] 私たちが森の中に入った後、目が開かれ、そして、私たちは、ここにそこにぶどうのつるが巻き付いたオリーブの木を見た、それらから紺青色のブドウの房が垂れ下がっていた、またオリーブの木は永続する輪☆の中に配列されていた。それゆえ、それら(の視野)にしたがって、私たちは回って行く、また回って行く。
また最後に、私たちは高い杉(シーダ―)の木立ち(杜)を、またその枝の上に何匹かのワシを見た。それらを見て、天使は言った、「今や、山の中に〔いるが〕、私たちはそのてっぺんから遠くない」。
また私たちは進んだ、また見よ、木立ちの後ろに、円形の野原が〔あり〕、そこに雄羊と雌羊が(草を)食べていた、それらは山の住人の無垢と平和の状態の表象の形であった。
この野原を私たちは通り抜けた、また見よ、天幕また天幕が見えた、前方にまた脇に、多くの数千のもの、視覚のすべての拡大の中に。また、天使は言った、「今や、私たちは、主エホビの軍勢の、そのように、自分自身と自分の住居を呼んだ、その陣営の中にいる。
これらの最古代人は、世の中にいた時、天幕の中に住んだ、それゆえ、今もまたそれらの中に住んでいる。しかし、私たちは道を南へ向かう、そこに彼らのさらに賢明な者がいて、私たちが話しを共にする者に会うためにである」。
[4] 進む中で、私は遠方からある天幕の入り口に座っている三人の少年と三人の少女を見た。しかし、彼らと彼女らは、私たちが近づいたとき、中位の背丈の男と女のように見られた。
また、天使は言った、「この山の住民は遠方から幼児のように見える、無垢の状態にあるからである、そして、幼児期は無垢の外観である」。
これらの男は、私たちを見て、走り寄り、言った、「あなたがたはどこからか、またどのようにここにあなたがたはやって来たのか? あなたがたの顔は山の私たちの顔からではない」。
しかし、天使は森を通って接近の機会を〔得たことを〕話し、また到来の理由を語った。
これらで聞いて、三人の男からの一人が、私たちを自分の天幕の中へ招き、導き入れた。
男は青(ヒヤシンス)色の外衣、そして白光りの羊毛でできたシャツの衣服であった。また彼の妻は、紫色のトーガ、また下に刺しゅうされた亜麻布からできた胸衣のシャツの衣服であった。
[5] また、私の思考の中に最古代人の結婚を知ろうとする願望があったので、私は夫と妻を代わる代わる観察し、顔の中にいわば彼らの霊魂の同一性を認めた。
私は言った、「あなたがた二人は一つである」。
また、男は答えた、「私たちは一人である。彼女のいのちは私の中に、私のいのちは彼女の中にある。私たちは二つの身体である、しかし、一つの霊魂である。私たちの間に、胸の中に心臓と肺と呼ばれる二つの天幕があるような結合がある。彼女は私の心臓であり、私は彼女の肺である。しかし、心臓によってここに私たちは愛を、また肺によって知恵を意味するので、彼女の愛は私の知恵のものであり、私は彼女の愛の知恵である。それゆえ、彼女の愛は外部から私の知恵をおおっている、また私の知恵は内部から彼女の愛に内在する。ここから、あなたがたが言ったように、私たちの顔の中に霊魂の同一性がある」。
[6] またその時、私は質問した、「もしそのような結合があるなら、あなたは、あなたの妻以外に他の者の妻に向って眺めることができるのか?」
また答えた、「私はできる、しかし、妻は私の霊魂と結合しているので、私たち二人は同時に眺める、またその時、情欲のものは何も入ることができない。なぜなら、私は他の者の妻たちを眺める時、私は彼女らを、私がひとえに愛する私の妻を通して眺めるからである。また私のもの〔である〕彼女は私のすべての性向(好み)を知覚できるものであるので、私の思考を導く媒介として働くものとして、すべての不一致なものを引き離し、また一緒に、すべてのみだらなものに対する冷たさと恐怖感を持ち込む。それゆえ、情欲から仲間の他の者の妻を眺めることは、私たちの天界の光を奈落の底(タルタロス)の陰から眺めることのように、このように不可能である。それゆえ、私たちのもとに好色の愛の誘惑のための思考の何らかの観念が、まして何らかの話しの声が存在しない」。
彼らの天界の貞潔が抵抗するので、淫行〔の言葉〕は発声することができない。
また、私に案内者の天使は言った、「今や、あなたはこの天界の天使の話しを聞いている、それは、原因から話しているので知恵の話しである」。
[7] この後、私は(あたりを)見回し、金でおおわれているような彼らの天幕を見た、私は質問した、「どこからこのことが?」
「炎の光から」であることを答えた、「それは私たちが結婚愛についての話しの中にいる時、光を投げかけ、金のようにきらきら光り、私たちの天幕の幕を照らす。というのは、私たちの太陽からの熱は、その本質では愛であり、それ自体を、その時、現わし、そしてその本質では知恵である、自分の色で光の色を付ける、それは金であるから。また、結婚愛はその起源の中で知恵と愛の遊びであるのでこのことが生じる、というのは、男は知恵であるように、そして、女は男の知恵の愛であるように生まれているから。ここから、結婚愛の中に、またそれから私たちと私たちの妻の間にその遊びの歓喜がある。
私たちは、これを数千年の間、知覚した、その歓喜は、豊富さ、段階、また強さにしたがって、私たちのもとの主エホビの礼拝にしたがってすぐれたまた卓越したものである、そこから愛と知恵のものであるその天界の結合が、すなわち、その天界の結婚が流入する」。
[8] これらが言われて、私は丘の上の天幕の間の真ん中に大きな光を見た。私は質問した、「その光はどこからか?」
言った、「私たちの礼拝の天幕の聖所からである」。
また、私は、近づくことが許されているか質問した。すると、許される、と言った――私は近づき、天幕の内部と外部を見た。それは記述にしたがって(出エジプト記25:40、第26章30)、荒野の中のイスラエル民族のために建てられ、その形はモーセにシナイ山の上で示されたものに完全に似た天幕であった。
また、私は質問した、「その聖所の中に、内部に何があるのか、それほどの光がどこからなのか?」
また、答えた、「板がある、それに、〝エホバと天界の間の契約〟と刻まれている」。多くのものを言わなかった。
[9] また、その時、私たちは去ろうとする用意の中にいたので、私は質問した、「あなたがたが自然界の中にいた時、あなたがたに、一人以上の多くの妻と生活した者はいないのか?」
答えた、〔そのような者を〕一人を(も)知らないこと。「なぜなら、私たちは多くの妻について考えることができないからである」。
彼らは私たちに話した。「考えた者は、直ちに、彼らの霊魂の天界の幸福が最内部から彼らの身体の最外部へ爪にまでも、また同時にそれらとともに男らしさの賛辞が引っ込んだこと。これらの者は、このことが知覚された時、私たちの地から追い払われた」。
これらが言われて、男は自分の天幕へ走り、金からの種がたくさんあったザクロ(の実)とともに戻った。また与えた、私は持ち去った、それは私に、私たちが金の時代に生きた者といたことのしるしであった。
またその時、平安の挨拶の後、私たちは家を戻った。
☆ 「輪」とありますが、「らせん」でしょう。