本書の最終文段番号は603番なので、302番のこのあたりで半分終了。6月19日開始なので、5ヶ月とちょっとかかった。この調子だと(後半のほうがやや分量多く、掲載量も減ってきたので)、全終了までの1年近くかかるかもしれない。
約1年かけて読む本があってよいと思う。1時間かけて5行しか読まなくても、50ページ読んだにしても「1時間読書した」ことは同じ。多くの知識を得るための読書なら、分量が多いことがまさるかもしれない。しかし、何のための読書だろうか?
私は知識を得ることにあまり興味がなくなってきた、思考を深めることに関心が移っている。そのための読書なら、ページ数は関係ない、どれだけ集中し、あれこれ思い巡らすことができるか、そのとき進度は問題とならない。
この原典翻訳も、このくらいのスローペースのほうが思索が深まるのではなかろうか。どうか読者には、些細なこと、どうでもよさそうなことに拘泥してもらいたい。
インターネットの危険性はクリック一つで、次から次へと知識が目の前に(容易に)展開されることである。そして、それを「眺めただけ」で、物知りになった気分になることである。これでは「思索は深まらない」。知識過剰の薄っぺらな人間ができてしまう気がする。
その危険から逃れるためにも、「一冊ぐらいは1年かけて読む本があってよいと思う」、スヴェーデンボリの著作ならこれに値するだろう。
話し変わって、私は「多い」、「少ない」についていつも考えている。いろいろな宗教団体に比べ、新教会の人間が圧倒的に「少ない」からである。私は「少ない」ことが欠点とは思わない。あくまでも「内容・質」であろう。そして「量」と「質」はともすれば、相反する存在ではなかろうか。すなわち「量」を追及するとき、「質」の低下を招かないかを危惧する。量の拡大の結果、質が低下するなら、そんな拡大はしないほうがよい。
しかし、努力の積み重ねである「量」は別物であり、これは重要でもある。たとえば、この連載を続けることによる自然と増大する「量」である、これは別の言葉で「継続は力なり」ともいえる。「量」に二種類あることがわかった(何と名づけるのか?)。
日: 2008年11月24日
原典講読『天界と地獄』no.303.
[XXXIV.]
DE CONJUNCTIONE CAELI CUM HOMINE PER VERBUM.
みことばによる人間との天界の結合
(1) 原文
303. Illi qui ex ratione interiore cogitant, videre possunt quod omnium nexus sit per intermedia cum Primo, et quod quicquid non in nexu est, diffluat; sciunt enim, cum cogitant, quod nihil subsistere possit a se, sed a priori se, ita omnia a Primo; et quod nexus cum priori se sit sicut est effectus cum sua causa efficiente; cum enim aufertur causa efficiens a suo effectu, tunc effectus solvitur et dilabitur. Quia ita cogitaverunt docti, ideo viderunt et dixerunt, quod subsistentia sit perpetua existentia; ita quod omnia a Primo, a quo quia exstiterunt, etiam perpetuo existant, hoc est, subsistant. Sed qualis est nexus cujusvis rei cum priori se, ita cum Primo a quo omnia, non paucis dici potest, quia est varius et diversus; in genere solum quod nexus sit mundi naturalis cum mundo spirituali, et quod inde sit quod correspondentia sit omnium quae in naturali mundo sunt cum omnibus quae in spirituali (de qua Correspondentia videatur, n. 103-115); tum quod nexus sit et inde correspondentia omnium hominis cum omnibus caeli (de qua etiam supra, n. 87-102).
(2) 直訳
Illi qui ex ratione interiore cogitant, videre possunt quod omnium nexus sit per intermedia cum Primo, et quod quicquid non in nexu est, diffluat; 内的な理性から考える者たち、彼らは、すべてのものは「最初の者」と媒介するものによって結びついていることを見る(認める)ことができる、そして結びついていないどんなものでも、消滅すること。
sciunt enim, cum cogitant, quod nihil subsistere possit a se, sed a priori se, ita omnia a Primo; なぜなら、〔彼らは〕知っているから、考えるとき、それ自体からは何も存続することができないこと、このようにすべてのものは「最初の者」から。
et quod nexus cum priori se sit sicut est effectus cum sua causa efficient; そしてそれ自体の前のものとの結びつきは、それ自体の動因(有効な原因)と結果のようであること。
cum enim aufertur causa efficiens a suo effectu, tunc effectus solvitur et dilabitur. なぜなら、動因がその結果から取り除かれるとき、その時、結果は分解され、崩壊するから。
Quia ita cogitaverunt docti, ideo viderunt et dixerunt, quod subsistentia sit perpetua existentia; このように学者たちは考えたので、それゆえ、見て(認めて)、言った、存続は絶え間ない存在であること。
ita quod omnia a Primo, a quo quia exstiterunt, etiam perpetuo existant, hoc est, subsistant. このように、すべてのものは「最初の者」から、そのものから存在したので、さらにまた絶え間なく存在する、すなわち、存続する。
Sed qualis est nexus cujusvis rei cum priori se, ita cum Primo a quo omnia, non paucis dici potest, quia est varius et diversus; しかし、それ自体の前のものとのそれぞれのものの結びつきがどんなものか、このように「最初の者」と、それからすべてのもの、簡潔に言われることはできない、いろいろと異なっているので。
in genere solum quod nexus sit mundi naturalis cum mundo spirituali, et quod inde sit quod correspondentia sit omnium quae in naturali mundo sunt cum omnibus quae in spirituali (de qua Correspondentia videatur, n. 103-115); 一般的にだけ〔言うことができる〕、霊界と自然界に結びつきがあること、またここからであること、霊界の中のすべてのものと自然界の中のずべてのものに対応があること(その対応について103-115番に見られる)。
tum quod nexus sit et inde correspondentia omnium hominis cum omnibus caeli (de qua etiam supra, n. 87-102). さらに天界のすべてのものと人間のすべてのものに結びつきがあり、ここから対応〔があること〕(そのことについてもまた上の87-102番に)。
(3) 訳文
内的な理性から考える者たちは、すべてのものが媒介するものによって「最初の者」と結びついていて、どんなものでも結びついていないなら消滅することを認めることができる。なぜなら、彼らは考えるとき、何であれそれ自体からは存続することができず、すべてのものは「最初の者」から存続し、そしてそれ自体の前のものとの結びつきは、それ自体の動因と結果のようであることがわかるから。なぜなら、動因がその結果から取り除かれるとき、結果は分解され、崩壊するから。このように学者たちは考えたので、それゆえ、認めて、存続は絶え間ない存在である、と言った。このように、すべてのものは「最初の者」から存在し、それで、さらにまた絶え間なく存在する、すなわち、存続する。しかし、それ自体の前のものと、このようにすべてのもののもとである「最初の者」と、それぞれのものの結びつきがどんなものか、簡潔に言うことはできない、いろいろと異なっているからである。霊界と自然界に結びつきがあり、またここから、霊界の中のすべてのものと自然界の中のずべてのものに対応があることだけを一般的に言うことができる(その対応については103-115番に見られる)。さらに天界のすべてのものと人間のすべてのものに結びつきがあり、ここから対応があること(またそのことについては前の87-102番)。