[5] Ex his excitatus sum desiderio sciscitandi plura, ut de varietate delitiarum. [5] これらから私は多くのことを質問する願いをかきたてられた、例えば、歓喜の多様性(変化)について。
Et dixerunt, "Est illa infinita; また、言った、「それらは無限である。
sed plura dicere non volumus, et ideo nec possumus, quia columba fenestrae nostrae cum ramo olivae sub pedibus avolavit;" しかし、多くのことを言うことを私たち欲しない、またそれゆえ、できもしない、私たちの窓のハトが、足の下のオリーブの枝とともに飛び去ったからである」。
Et exspectavi reditum, sed incassum. また、私は帰還を期待した、しかし、むなしい(むだ)。
Interea quaesivi maritos, "Estne vobis similis amoris conjugialis sensus?" その間、私は夫たちを質問した、「あなたがたに、同様の結婚愛の感覚があるのか?」
Et responderunt, "Est ille nobis in communi, et non in particulari; また、彼らは答えた、「それは私たちに全般的にある、また特定的に(個別的に)ない。
est nobis commune beatum, commune jucundum, et commune amaenum, ex particularibus uxorum nostrarum; 私たちに全般的な幸福(祝福)がある、全般的な快さ、また全般的な楽しさ、私たちの妻の個別的なものから。
et hoc commune, quod nobis est ex illis, est sicut serenum pacis." またこの全般的なものは、それは私たちに彼女たちからある、平和の穏やかさのようである」。
His dictis, ecce trans fenestram apparebat olor stans super ramo ficus, et expansit alas, et evolavit. これらで言われて、見よ、窓を通してイチジクの木の枝の上に立っている白鳥☆が見られた、また、翼を広げた、また飛び去った。
☆ 雑談をします。現在、故熊澤二郎牧師の説教集『白鳥の歌』に取り組んでいます。ここでほとんどできあがりつつあります。私がその校正をしており、校正中にこれらの説教を「これはまさに〝白鳥の歌〟だな」と感じたので、この題名となりました。なぜ、白鳥の歌かといえば、牧師となられた後。亡くなる直前まで一年三カ月の間の説教だからです(総数22)。命日の10月16日(享年74歳)発刊の予定です。新教会の格調高い説教です、よろしかったら、SPSCからお求めください(無料頒布の予定)。
Hoc viso, dicebant mariti, "Hoc nobis est signum silentii de amore conjugiali; これが見られて、夫たちは言った、「これは私たちにしるしである、結婚愛について沈黙の。
redi per vices, et forte plura detegentur." 戻れ、時々、またおそらく多くのことが明かされる」。
Ac recesserunt: et abivimus. そして彼らは退いた――また私たちは立ち去った。
(3)訳文
155b.第二のメモラビリア――
ある朝、私の上方のある高さから、最も心地よい歌が聞かれて、私を目覚めさせた。またここから内なるものであった目覚めの最初の中で、日の続くものの前に平和なまた心地よいものであった、私はある時間、まるで身体の外かのように、霊の中に保たれることができた、また敏感に歌われている情愛に気づくことができた。
天界の歌は心の情愛以外の他のものではなく、それは(音の)変化のように口を通して発せられる。というのは、愛の情愛から話される会話から分離して、話にいのちを与える音であるからである。
その状態の中で、私は、天界の妻たちにより歌となった結婚愛の歓喜の情愛であったことを知覚した。そのようであったことを、私は歌の音声から、その中で、その歓喜が驚くべき方法で変えられたことに気づいた。
この後、私は起き上がり、霊界を眺めた。見よ、東の中に太陽の下に、そこに「金の雨」のようなものが見られた。
そのような多量に降っている朝の露であった、それは太陽からの光線により打たれた〔ものであり〕、私の視覚の前に金の雨の外見が示された。ここからさらに十分に目覚めて、私は霊の中に出た、またその時、偶然に、天使が私に出会った、私は、太陽から降っている金の雨を見たか質問した。
[2] 彼は、結婚愛について瞑想の中にいるたびごとにそれを見ると答えた、またその時、そこへ目を向けた。
また、言った、「その雨は、東の楽園の中央の中に住んでいる三人の夫たちが自分の妻とともにいる大広間の上に落ちる。
太陽から降って来るこのような雨がその大広間の上に見られるのは、彼らのもとに結婚愛とその歓喜について、夫のもとに結婚愛について、また妻のもとにその歓喜についての知恵が住んでいるからである。しかし、私は、あなたが結婚愛の歓喜について熟考(瞑想)の中にいることを知覚する、それゆえ、私はあなたをその大広間へ案内し、導き入れよう」。
また、私を、楽園を通って家へ導いた、それはオリーブの木から建てられ、入り口(門)の前に杉からの二つの柱があった、また、私を夫たちへ導き入れ、また私に、彼らの居合わす中で、妻たちと話すことを許すように懇願した。
彼らは同意し、彼女たちを呼んだ。
彼女たちは鋭く私の目を調べた。私は質問した、「なぜ、そのように?」
彼女たちは言った、「私たちは敏感に見ることができます、それらはあなたに性向とここから情愛〔であるもの〕、またこれから性愛についての思考です、また私たちは見ます、それについて熱心に、しかしそれでも貞潔にあなたが熟考していることです」。彼所たちは言った、「それについて、あなたに私たちが言う何をあなたは欲しますか?」
私は答えた、「言え、私は結婚愛の歓喜について何らかのものを求める」。
夫たちは同意して、言った、「、もしよいなら、それらについて何らかのものを明かせ。彼らの耳は貞潔である」。
[3] 彼女たちは質問した、「だれが、あなたに教えたのか? その愛の歓喜について、私たちに質問することを、なぜ、夫をでなく?」
私は答えた、「私とともにいるこの天使が、私に耳の中に言った、妻たちはその〔歓喜の〕、また感覚の容器であり、生まれついた愛であり、すべての歓喜は愛のものであるからである」。
これらにほほ笑んだ口で答えた、「賢明であってください、またこのような何かを、あいまいな意味でないなら言わないでください、私たちの性の心の中に、深くたくわえられた知恵であるからです、夫のだれにも真の結婚愛の中にいないならその明かされないものです。多くの理由があり、それらを、私たちは深く隠しています」。
その時、夫たちは言った、「妻たちは私たちの心のすべての状態を知っている、彼女らに〔とって〕何も隠れていない。私たちの意志から発出する何でも見る、知覚する、感じる。また、私たちは、逆に妻たちのもとに何も〔見ない、知覚しないまた感じ〕ない。これは妻たちに与えられている、もっとも繊細な愛であるからである、また結婚の友情と信頼の維持のためのあたかも燃えるようま熱意で、またこのように両方のいのちの幸福で、それを夫と自分自身で準備する、それらの愛に植え付けられた知恵から、それらは、愛している、と言わない、愛されていること欲していると〔言わない〕ように、またここから言うことができない〔ほどに〕、これほどの思慮分別に満ちている」。
また、私は質問した、「なぜ、〔言うことを〕欲しないのか、またここからできないのか?」
答えた、もし、このようなものが少し(でも)彼女たちの口からもれるなら、冷たさが夫に入り込み、またふしど、寝床、また視野からの分離が起こりる。「しかし、このことは、聖なるものを結婚に持たない、またそれゆえ、霊的な愛から自分の妻を愛さない者に生じます。愛している者には異なって生じます。これらの夫の中でその愛は霊的であり、ここから身体の中で自然的です。この大広間の中にいる私たちは、それ〔前者の愛〕からこの〔後者の〕愛の中にいなす、それゆえ、私たちは、私たちの結婚の愛の歓喜についての秘密を夫に委ねて(まかせて)います」。
[4] その時、私は、私にもまた彼らの秘密について何らかのものを明かするように熱心に願った。
直ちに南の方角の窓を眺めた、見よ、白く輝くハトが見られた、その翼は銀からのように輝き、頭は金からのような冠が飾られていた、枝の上に立っていて、それからオリーブの実が出ていた。
それ〔ハト〕が翼を広げようとしていたとき、妻たちは言った、「私たちは何らかのものを明かします。そのハトが見られる時、私たちに〔とって〕許されることのしるしです」。
また、言った、「それぞれの男に五つの感覚、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚があります。しかし、私たちに、第六のものもまたあり、それは夫の結婚愛のすべてのものの歓喜の感覚です。またこの感覚は、私たちが私たちの夫の胸を、前腕、手またはほほを触れる時、特に胸を、そしてまた彼らから触れられる時。私たちの手のひらの中にあります。彼らの心の思考のすべての喜びと楽しさは、また彼らのアニムスのすべてのうれしさと快さは、そして彼らの胸のお祭り気分と機嫌のよさは、彼らから私たちの中に移り、また(それ自体を)形作り、知覚できるもの、感知できるもの、触れることができるものになります。また、私たちはそれらを、耳が歌の旋律を見分け、また舌がごちそうの味を見分けるように、これほどに鋭敏にまた明確に見分けます。一言でいえば(要するに)、夫たちの霊的な快感が、私たちのもとで具体化するかのように自然的なものを着るのです。それゆえ、私たちの夫たちから、私たちは、貞潔な結婚愛の感覚器官の器官、またここからその歓喜の器官と呼ばれています。
しかし、この私たちの性の感覚は、私たちの夫たちの中に、知恵を判断から〔夫たちが〕愛し、また逆に私たちが彼らを、彼らの中の同じものから、私たちが愛すれば愛するほどますますその程度までの段階の中に高められ、存在し、残り、続きます。私たちの性のその感覚は天界の中で知恵とその愛との戯れ、また愛とその知恵との戯れと呼ばれています」。
[5] これらから私は多くのことを、例えば、歓喜の変化について質問する願いをかきたてられた。
言った、「それらは無限である。しかし、多くのことを言うことを私たち欲しない、またそれゆえ、できもしない、私たちの窓のハトが、足の下のオリーブの枝とともに飛び去ったからである」。
私は帰還を期待した、しかし、むだだった。
その間、私は夫たちに質問した、「あなたがたに、同様の結婚愛の感覚があるのか?」
彼らは答えた、「それは私たちに全般的にある、個別的にない。私たちの妻の個別的なものから、私たちに全般的な祝福、全般的な快さ、また全般的な楽しさがある。彼女たちから私たちにあるこの全般的なものは、平和の穏やかさのようなものである」。
これらが言われて、見よ、窓を通してイチジクの木の枝の上に立っている白鳥が見られた、また、翼を広げ、飛び去った。
これが見られて、夫たちは言った、「これは私たちに、結婚愛について沈黙のしるしである。時々、戻りなさい、おそらく多くのことが明かされるであろう」。
そして彼らは退いた――私たちは立ち去った。