[6] At apud homines est perpetuus influxus caloris vernalis a Domino; [6] しかし、人間のもとに、主から春の熱の絶え間のない流入がある。
quare illi omni tempore, etiam in media hyeme, delitiari conjugio possunt; それゆえ、彼らは、すべての時に、冬の真ん中でもまた、結婚を楽しむことができる。
viri enim creati sunt receptiones lucis, hoc est, sapientiae a Domino, et feminae creatae sunt receptiones caloris, hoc est amoris sapientiae viri a Domino. というのは、男たちは光の受け入れるものに創造されているから、すなわち、主からの知恵の、また女たちは、熱の受け入れるものに創造されている、すなわち、主からの男の知恵の愛の。
Inde nunc est, quod sicut appropinquavimus, afflaverit te calor vernalis cum suaveolente odore, sicut ex primitivis in hortis et agris." 今や、ここからである、私たちが近づくほど、あなたを春の熱が吹き付けた、芳ばしい香りとともに、庭園や野(畑)の中の初期のものからのように。
[7] His dictis dedit mihi vir dextram, et deduxit me ad domos, ubi erant conjuges in simili flore aetatis, in quo illi; [7] これらで言われて、男は私に右手を与えた、また私を家へ導いた、そこに配偶者たち(夫婦)がいた同様の花の年齢の中に、その中に彼らが。
et dixit, quod uxores illae nunc visae sicut virgines, fuerint in mundo vetulae anus; また、言った、その妻は、今や、処女(娘)のように見られた、世の中で年取った老婆であった。
et mariti nunc visi sicut adolescentes, fuerint ibi senes decrepiti; また、夫は、今や、若者のように見られた、そこによぼよぼの(くたびれた)老人であった。
et quod omnes illi a Domino in aetatem hanc florescentem reducti sint, quia amaverunt se mutuo, et ex religione fugerunt adulteria ut peccata enormia: またすべての者は、彼らは主によりこの永遠の花盛りの中に戻されたこと、自分自身を相互に愛したからである、また宗教から姦淫を避けた、憎むべき罪として。
et dixit, quod nemo sciat beata jucunda amoris conjugialis, nisi qui rejicit horrenda jucunda adulterii; また、言った、だれも結婚愛の祝福された快さを知らないこと、もしその者が姦淫の恐ろしい快さを退けないなら。
et quod nemo haec rejicere possit nisi qui sapit ex Domino, et quod nemo sapiat ex Domino, nisi ex amore usuum faciat usus. まただれもこれを退けることができないこと、もしその者が主から賢明でないなら、まただれも主から賢明でないこと、もし、役立ちの愛から役立ちを行なわないなら。
Vidi etiam tunc utensilia domuum illorum, quae omnia erant in formis caelestibus, et fulgebant ex auro sicut flammante ex rubinis intertextis. その時、私は彼らの家の家庭用品(家具)もまた見た、それらのすべてのものは天界の形の中にあった、また編み込まれた(=はめ込まれた)ルビーから燃えるような(炎のような)金から輝いていた。
(3)訳文
137.第二のメモラビリア――
私が結婚愛についての瞑想の中にいたとき、見よ、遠方からふたりの裸の幼児が、手の中のかご、また、彼らのまわりに飛んでいるキジバトとともに現われた。また、さらに近くに見られた時、花環でつくられて、こぎれいに飾られて、裸のようであった。花からできた花冠が彼らの頭を飾った、またヒヤシンス色のユリとバラからできたひも(バンド)が、肩甲骨からもも(腰)まで斜めにつり下げられて、彼らの胸を飾った。彼らの二人のまわりに、間にオリーブの葉が織られた花からの共通のひもがあった。
しかし、さらに近く近づいたとき、幼児のように見られなかった、裸でもなく、しかし、最初の花の年齢の中のふたりの人間のようであった、輝く絹からのトーガと下着の衣服であり、それらに美しい外観の花が織り込まれていた。また私の近くにいたとき、天界から彼らを通して、芳ばしい香りとともに、庭園と野の中の初期のものからのような春の熱が吹き付けた。
天界からのふたりの夫婦であった。またその時、私に話しかけた――また、私が見た思考の中に新しく来たものがあったので質問した、「何を、あなたは見たか?」
[2] また私が、彼らが私に最初、裸の幼児のように、その後、花環で飾られた幼児のように、また最後に、花で飾られた衣服を着た成人のように見えたことを、また、その時、直ちに私に春を吹き付けたこと、その歓喜とともに。語ったとき、それらに楽しそうにほほえみ、言った、自分たち自身が途中で、自分たち自身に幼児のように見られなかったこと、裸でもない、花環とともにでもない、しかし、常に今のような同様の外観の中に〔見られたこと〕。また、そのように遠方から、彼らの結婚愛が、その無垢の状態が裸のようにのように見られることによって、その歓喜が花冠によって、また同じものが今や、彼らのトーガと下着に織り込まれた花によって、表象されること〔を言った〕。
「また、あなたが言ったので、私たちが近づくほど、春の熱があなたを、庭園からのようなその快いそよぎとともに吹き付けた、私たちはこのことがなぜかを言おう」。
[3] 彼らは言った。
「私たちは、今は数世紀の間、夫婦であった、また常に花の年齢の中にいる、あなたはその中にいる私たちを見る。また、私たちの最初の状態は、結婚で互いに交わりに加わるときの処女と若者の最初の状態のようである。また、その時、私たちは、その状態が私たちのいのちの幸運の状態(祝福)そのものであったことを信じた。しかし、私たちは私たちの天界の中の他の者から聞いた、また、その後、私たち自身が知覚した。その状態が光と調和していない熱の〔状態〕であったこと、また、夫が知恵を完成され、また妻が夫の中の知恵を愛するように、連続的に(しだいに)調整されることである、またこのことは役立ちによって、それを両者が相互の助けで社会の中で行なう(果たす)こと、それにしたがって生じることである。なおまた、歓喜は熱と光の調和にしたがって、すなわち、知恵とその愛の〔調和にしたがって〕続く。
[4] 私たちが近づいたとき、春の熱のような〔ものが〕あなたに吹き付けたことは、結婚愛とその熱が私たちの天界の中で一つのものとして活動するからである、というのは、私たちのもとの熱は愛であり、また光は、それに熱が結合されている知恵であり、そして役立ちは、それはその内部に両方のものを含んでいる大気のようであるから。
熱と光は、その容器(として役立つもの)がないなら、何か? そのように、愛と知恵は、その役立ちがないなら何か? それらの中に結婚への性向はない、その中に主体がないからである。
天界の中に、そこに熱は春のものであり、そこに真の結婚愛がある。そこにあることの理由は、春のものは他のところにないからである、そこに熱が同程度に光に結合されている、すなわち、そこに熱がある程度に、そんな程度に光が〔ある〕、そしてその逆に。また、私たちは、熱が光を楽、また逆に、光が熱をむように、そのように愛は知恵を、また逆に知恵は愛を楽しむ、と思っている」。
[5] さらに言った、「天界の中の私たちのもとに絶え間のない光があり、どこにも夕方の陰は、まして暗やみはない、私たちの太陽はあなたがたの太陽のように沈まず、昇らない、しかし、常に天頂と地平線の間の真ん中に位置し、それはあなたがたの談話にしたがえば、天の45度の中である。ここから、私たちの太陽から発出する熱と光が絶え間のない春をつくり、また絶え間のない春のものを彼らに吹き込んでいる、その者のもとに、愛が同程度に知恵と結合されている。また、私たちの主は熱と光の永遠に結合したものによって、役立ち以外の他のものを吹き込まれない。ここから、春の時に、あなたがたの地球にもまた発芽が、またあなたがたの鳥と動物の交尾がある。というのは、春の熱はそれらの内側のものを霊魂と呼ばれる最内部までも開くから、またこれらによって働きかけ、またそれらにその結婚への性向を着せ、また、それらの生殖力がその歓喜の中にやって来るように、持続するコナトュス(努力)から結実の役立ちをつくることをするからである、それはその種類の繁殖である。
[6] しかし、人間のもとに、主から春の熱の絶え間のない流入がある。それゆえ、彼らは、すべての時に、冬の真ん中でもまた、結婚を楽しむことができる。というのは、男たちは光の受け入れるものに、すなわち、主からの知恵に創造されており、また女たちは、熱を受け入れるものに、すなわち、主からの男の知恵の愛を受け入れるものに創造されているから。今や、ここからである、私たちが近づくほど、芳ばしい香りとともに、庭園や野の中の初期のものからのように、春の熱があなたに吹き付けたこと」。
[7] これらが言われて、男は私に右手を与え、私を家へ導いた、そこに同様の花の年齢の中の夫婦がいた。また、言った、今は娘のように見られるその妻は、世では年取った老婆であった。また、今は若者のように見られる夫は、そこではよぼよぼの老人であった。また、主によりこの永遠の花盛りの中に戻されたすべての者は、互いに愛し、また憎むべき罪として宗教から姦淫を避けたからである。また、言った。もし、姦淫の恐ろしい快さを退けないなら、だれも結婚愛の祝福された快さを知らないこと、また、もしその者が主から賢明でないなら、だれも主から賢明でないこと、もし、役立ちの愛から役立ちを行なわないなら。だれもこれを退けることができないことである。
その時、私は彼らの家の家具)また見た、それらのすべてのものは、天界の形の中をしていて、、またはめ込まれたルビーから燃えるような金から輝いていた。