原典講読『結婚愛』137(直訳[6, 7]と訳文)

[6] At apud homines est perpetuus influxus caloris vernalis a Domino; [6] しかし、人間のもとに、主から春の熱の絶え間のない流入がある。

quare illi omni tempore, etiam in media hyeme, delitiari conjugio possunt; それゆえ、彼らは、すべての時に、冬の真ん中でもまた、結婚を楽しむことができる。

viri enim creati sunt receptiones lucis, hoc est, sapientiae a Domino, et feminae creatae sunt receptiones caloris, hoc est amoris sapientiae viri a Domino. というのは、男たちは光の受け入れるものに創造されているから、すなわち、主からの知恵の、また女たちは、熱の受け入れるものに創造されている、すなわち、主からの男の知恵の愛の。

Inde nunc est, quod sicut appropinquavimus, afflaverit te calor vernalis cum suaveolente odore, sicut ex primitivis in hortis et agris." 今や、ここからである、私たちが近づくほど、あなたを春の熱が吹き付けた、芳ばしい香りとともに、庭園や野(畑)の中の初期のものからのように。

[7] His dictis dedit mihi vir dextram, et deduxit me ad domos, ubi erant conjuges in simili flore aetatis, in quo illi; [7] これらで言われて、男は私に右手を与えた、また私を家へ導いた、そこに配偶者たち(夫婦)がいた同様の花の年齢の中に、その中に彼らが。

et dixit, quod uxores illae nunc visae sicut virgines, fuerint in mundo vetulae anus; また、言った、その妻は、今や、処女(娘)のように見られた、世の中で年取った老婆であった。

et mariti nunc visi sicut adolescentes, fuerint ibi senes decrepiti; また、夫は、今や、若者のように見られた、そこによぼよぼの(くたびれた)人であった。

et quod omnes illi a Domino in aetatem hanc florescentem reducti sint, quia amaverunt se mutuo, et ex religione fugerunt adulteria ut peccata enormia: またすべての者は、彼らは主によりこの永遠の花盛りの中に戻されたこと、自分自身を相互に愛したからである、また宗教から姦淫を避けた、憎むべき罪として。

et dixit, quod nemo sciat beata jucunda amoris conjugialis, nisi qui rejicit horrenda jucunda adulterii; また、言った、だれも結婚愛の祝福された快さを知らないこと、もしその者が姦淫の恐ろしい快さを退けないなら。

et quod nemo haec rejicere possit nisi qui sapit ex Domino, et quod nemo sapiat ex Domino, nisi ex amore usuum faciat usus. まただれもこれを退けることができないこと、もしその者が主から賢明でないなら、まただれも主から賢明でないこと、もし、役立ちの愛から役立ちを行なわないなら。

Vidi etiam tunc utensilia domuum illorum, quae omnia erant in formis caelestibus, et fulgebant ex auro sicut flammante ex rubinis intertextis.  その時、私は彼らの家の家庭用品(家具)もまた見た、それらのすべてのものは天界の形の中にあった、また編み込まれた(=はめ込まれた)ルビーから燃えるような(炎のような)金から輝いていた。

 

(3)訳文

 137.第二のメモラビリア――

 私が結婚愛についての瞑想の中にいたとき、見よ、遠方からふたりの裸の幼児が、手の中のかご、また、彼らのまわりに飛んでいるキジバトとともに現われた。また、さらに近くに見られた時、花環でつくられて、こぎれいに飾られて、裸のようであった。花からできた花冠が彼らの頭を飾った、またヒヤシンス色のユリとバラからできたひも(バンド)が、肩甲骨からもも(腰)まで斜めにつり下げられて、彼らの胸を飾った。彼らの二人のまわりに、間にオリーブの葉が織られた花からの共通のひもがあった。

 しかし、さらに近く近づいたとき、幼児のように見られなかった、裸でもなく、しかし、最初の花の年齢の中のふたりの人間のようであった、輝く絹からのトーガと下着の衣服であり、それらに美しい外観の花が織り込まれていた。また私の近くにいたとき、天界から彼らを通して、芳ばしい香りとともに、庭園と野の中の初期のものからのような春の熱が吹き付けた

 天界からのふたりの夫婦であった。またその時、私に話しかけた――また、私が見た思考の中に新しく来たものがあったので質問した、「何を、あなたは見たか?」

 [2] また私が、彼らが私に最初、裸の幼児のように、その後、花環で飾られた幼児のように、また最後に、花で飾られた衣服を着た成人のように見えたことを、また、その時、直ちに私に春を吹き付けたこと、その歓喜とともに。語ったとき、それらに楽しそうにほほえみ、言った、自分たち自身が途中で、自分たち自身に幼児のように見られなかったこと、裸でもない、花環とともにでもない、しかし、常に今のような同様の外観の中に〔見られたこと〕。また、そのように遠方から、彼らの結婚愛が、その無垢の状態が裸のようにのように見られることによって、その歓喜が花冠によって、また同じものが今や、彼らのトーガと下着に織り込まれた花によって、表象されること〔を言った〕。

 「また、あなたが言ったので、私たちが近づくほど、春の熱があなたを、庭園からのようなその快いそよぎとともに吹き付けた、私たちはこのことがなぜかを言おう」。

 [3] 彼らは言った。

 「私たちは、今は数世紀の間、夫婦であった、また常に花の年齢の中にいる、あなたはその中にいる私たちを見る。また、私たちの最初の状態は、結婚で互いに交わりに加わるときの処女と若者の最初の状態のようである。また、その時、私たちは、その状態が私たちのいのちの幸運の状態(祝福)そのものであったことを信じた。しかし、私たちは私たちの天界の中の他の者から聞いた、また、その後、私たち自身が知覚した。その状態が光と調和していない熱の〔状態〕であったこと、また、夫が知恵を完成され、また妻が夫の中の知恵を愛するように、連続的に(しだいに)調整されることである、またこのことは役立ちによって、それを両者が相互の助けで社会の中で行なう(果たす)こと、それにしたがって生じることである。なおまた、歓喜は熱と光の調和にしたがって、すなわち、知恵とその愛の〔調和にしたがって〕続く。

 [4] 私たちが近づいたとき、春の熱のような〔ものが〕あなたに吹き付けたことは、結婚愛とその熱が私たちの天界の中で一つのものとして活動するからである、というのは、私たちのもとの熱は愛であり、また光は、それに熱が結合されている知恵であり、そして役立ちは、それはその内部に両方のものを含んでいる大気のようであるから。

 熱と光は、その容器(として役立つもの)ないなら、何か? そのように、愛と知恵は、その役立ちがないなら何か? それらの中に結婚への性向はない、その中に主体がないからである。

 天界の中に、そこに熱は春のものであり、そこに真の結婚愛がある。そこにあることの理由は、春のものは他のところにないからである、そこに熱が同程度に光に結合されている、すなわち、そこに熱がある程度に、そんな程度に光が〔ある〕、そしてその逆に。また、私たちは、熱が光を楽、また逆に、光が熱をむように、そのように愛は知恵を、また逆に知恵は愛を楽しむ、と思っている」。

 [5] さらに言った、「天界の中の私たちのもとに絶え間のない光があり、どこにも夕方の陰は、まして暗やみはない、私たちの太陽はあなたがたの太陽のように沈まず、昇らない、しかし、常に天頂と地平線の間の真ん中に位置し、それはあなたがたの談話にしたがえば、天の45度の中である。ここから、私たちの太陽から発出する熱と光が絶え間のない春をつくり、また絶え間のない春のものを彼らに吹き込んでいる、その者のもとに、愛が同程度に知恵と結合されている。また、私たちの主は熱と光の永遠に結合したものによって、役立ち以外の他のものを吹き込まれない。ここから、春の時に、あなたがたの地球にもまた発芽が、またあなたがたの鳥と動物の交尾がある。というのは、春の熱はそれらの内側のものを霊魂と呼ばれる最内部までも開くから、またこれらによって働きかけ、またそれらにその結婚への性向を着せ、また、それらの生殖力がその歓喜の中にやって来るように、持続するコナトュス(努力)ら結実の役立ちをつくることをするからである、それはその種類の繁殖である。

 [6] しかし、人間のもとに、主から春の熱の絶え間のない流入がある。それゆえ、彼らは、すべての時に、冬の真ん中でもまた、結婚を楽しむことができる。というのは、男たちは光の受け入れるものに、すなわち、主からの知恵に創造されており、また女たちは、熱を受け入れるものに、すなわち、主からの男の知恵の愛を受け入れるものに創造されているから。今や、ここからである、私たちが近づくほど、芳ばしい香りとともに、庭園や野の中の初期のものからのように、春の熱があなたに吹き付けたこと」。

 [7] これらが言われて、男は私に右手を与え、私を家へ導いた、そこに同様の花の年齢の中の夫婦がいた。また、言った、今はのように見られるその妻は、世では年取った老婆であった。また、今は若者のように見られる夫は、そこではよぼよぼの人であった。また、主によりこの永遠の花盛りの中に戻されたすべての者は、互いに愛し、また憎むべき罪として宗教から姦淫を避けたからである。また、言った。もし、姦淫の恐ろしい快さを退けないなら、だれも結婚愛の祝福された快さを知らないこと、また、もしその者が主から賢明でないなら、だれも主から賢明でないこと、もし、役立ちの愛から役立ちを行なわないなら。だれもこれを退けることができないことである。

その時、私は彼らの家の家具)また見た、それらのすべてのものは、天界の形の中をしていて、、またはめ込まれたルビーから燃えるような金から輝いていた。

原典講読『結婚愛』138

(1)原文

[VII.]

DE CASTO ET NON CASTO.

 

138. Quoniam adhuc in ingressu ad transigendum de amore conjugiali in specie sum, et amor conjugialis in specie non potest nisi indistincte et sic obscure cognosci, nisi etiam quodammodo appareat ejus oppositum, quod est incastum, et hoc quodammodo seu in umbra apparet, cum castum describitur una cum non casto, nam castitas est modo remotio incasti a casto[, hic ideo aliquid dicetur de casto et de non casto]. De incasto autem, quod prorsus est oppositum casto, agitur in parte posteriore hujus operis, ubi hoc sub intitulatione, Voluptates insaniae de Amore Scortatorio, in sua amplitudine, et cum suis varietatibus, describetur. Quid autem est castum et non castum, et apud quos, illustrabitur in hoc ordine:

 

(i.) Quod castum et non castum solum praedicentur de conjugiis, et de talibus quae conjugii sunt.

(ii.) Quod castum solum praedicetur de conjugiis monogamicis, seu unius viri cum una uxore.

(iii.) Quod conjugiale Christianum solummodo detur castum.

(iv.) Quod amor vere conjugialis sit ipsa castitas.

(v.) Quod omnes delitiae amoris vere conjugialis, etiam ultimae, sint castae.

(vi.) Quod amor conjugialis apud illos, qui a Domino fiunt spirituales, plus et plus purificetur, et fiat castus.

(vii.) Quod castitas conjugii existat per totalem abdicationem scortationum ex religione.

(viii.) Quod castitas non praedicari possit de infantibus, nec de pueris et puellis, neque de adolescentibus et virginibus, antequam apud se sentiunt amorem sexus.

(ix.) Quod castitas non praedicari possit de eunuchis natis, nec de eunuchis factis.

(x.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui non credunt adulteria esse mala religionis, et adhuc minus de illis, qui non credunt adulteria esse damna societatis.

(xi.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui solum propter varias causas externas ab adulteriis abstinent.

(xii.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui credunt conjugia esse incasta.

(xiii.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui abdicaverunt conjugia vovendo perpetuum coelibatum, nisi in illis sit et permaneat amor vitae vere conjugialis.

(xiv.) Quod status conjugii praeferendus sit statui coelibatus.

 

Sequitur nunc horum explicatio.

 

(2)直訳

[VII.] DE CASTO ET NON CASTO (7)貞潔な者と貞潔でない(不貞な)者について

138. Quoniam adhuc in ingressu ad transigendum de amore conjugiali in specie sum, et amor conjugialis in specie non potest nisi indistincte et sic obscure cognosci, nisi etiam quodammodo appareat ejus oppositum, quod est incastum, et hoc quodammodo seu in umbra apparet, cum castum describitur una cum non casto, nam castitas est modo remotio incasti a casto[, hic ideo aliquid dicetur de casto et de non casto]. 依然として、私は、結婚愛について取り扱うことへ詳細に(特定的に)り込みの中にいないので、また結婚愛は詳細に(特定的に)、不明瞭に、またこのようにあいまいにでないなら考えられることができない、さらにまたその正反対のものがある程度見られないなら、それは不貞なものである、またこれがある程度、すなわち陰の中に見られる、貞潔とともに不貞なものとともに一緒に述べられて、なぜなら☆、貞潔は単に貞潔から不貞の移動(除去)であるからである、(ここに、それゆえ、貞潔について、また不貞について言われる)。

ここのnamは初版ではnonです、またここの[, hic…cast]は初版にありません、後からの追加です。

De incasto autem, quod prorsus est oppositum casto, agitur in parte posteriore hujus operis, ubi hoc sub intitulatione, Voluptates insaniae de Amore Scortatorio, in sua amplitudine, et cum suis varietatibus, describetur. けれども、不貞について、それは完全に貞潔と正反対である、この著作の後ろに位置する部分の中に扱われている、そこにこの表題(見出し)の下に、「淫行の愛についての狂気の快楽」、その十分な広さの中で、またその多様性とともに、述べられる。

Quid autem est castum et non castum, et apud quos, illustrabitur in hoc ordine: けれども、何が貞潔と不貞であるか、またそれらの者のもとで、この順序で説明される――

(i.) Quod castum et non castum solum praedicentur de conjugiis, et de talibus quae conjugii sunt. (1) 貞潔と不貞は結婚について言われ(述べられ)ること、またこのようなものについて、それらは結婚のものである。

(ii.) Quod castum solum praedicetur de conjugiis monogamicis, seu unius viri cum una uxore. (2) 締結は一夫一婦の結婚についてだけ言われ(述べられ)ること、すなわち、一人の夫()と一人の妻の。

(iii.) Quod conjugiale Christianum solummodo detur castum. (3) キリスト教徒の結婚だけに貞淑が存在すること。

(iv.) Quod amor vere conjugialis sit ipsa castitas. (4) 真の結婚愛は貞淑そのものであること。

(v.) Quod omnes delitiae amoris vere conjugialis, etiam ultimae, sint castae. (5) 真の結婚愛のすべての歓喜は、最終的なものもまた、貞潔であること。

(vi.) Quod amor conjugialis apud illos, qui a Domino fiunt spirituales, plus et plus purificetur, et fiat castus. (6) 彼らのもとの結婚愛は、その者は主により霊的になっている、さらにまたさらに清められる、また貞潔になること。

(vii.) Quod castitas conjugii existat per totalem abdicationem scortationum ex religione. (7) 結婚の貞潔は、宗教から(により)淫行の全面的な離脱(除去)によって生じること。

(viii.) Quod castitas non praedicari possit de infantibus, nec de pueris et puellis, neque de adolescentibus et virginibus, antequam apud se sentiunt amorem sexus. (8) 貞潔は幼児について言われ(述べられ)ることができないこと、少年や少女についてもない、そして青年と処女(娘)ついてもない、自分たちのもとに性愛を感じる前に。

(ix.) Quod castitas non praedicari possit de eunuchis natis, nec de eunuchis factis. (9) 貞潔は去勢された男に生まれた者について言われ(述べられ)ることができないこと、去勢された男にされた〔者〕についても。

(x.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui non credunt adulteria esse mala religionis, et adhuc minus de illis, qui non credunt adulteria esse damna societatis. (10) 貞潔は彼らについて言われ(述べられ)ることができないこと、その者は姦淫を宗教の悪であることを信じない、またさらにまして彼らについて、その者は姦淫を社会の害であることを信じない。

(xi.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui solum propter varias causas externas ab adulteriis abstinent. (11) 貞潔は彼らについて言われ(述べられ)ることができないこと、その者は単に外なるいろいろな理由のために姦淫を(から)断つ(慎む、やめる)。

(xii.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui credunt conjugia esse incasta. (12) 貞潔は彼らについて言われ(述べられ)ることができないこと、その者は結婚が不貞であることを信じている。

(xiii.) Quod castitas non praedicari possit de illis, qui abdicaverunt conjugia vovendo perpetuum coelibatum, nisi in illis sit et permaneat amor vitae vere conjugialis. (13) 貞潔は彼らについて言われ(述べられ)ることができないこと、その者は永続する(=終生)身を誓って結婚を放棄した、彼の中に真の結婚生活への愛がない、また残存しないなら。

(xiv.) Quod status conjugii praeferendus sit statui coelibatus. (14) 結婚の状態は独身の状態に優先される(称賛される)べきであること。

Sequitur nunc horum explicatio. 今や、これらの解説が続けられる。

 

(3)訳文

(7)貞潔な者と貞潔でない(不貞な)者について

138.依然として、私は、結婚愛について取り扱うことへ詳細にり込んでいないので、また特定的な結婚愛は、不明瞭に、またこのようにあいまいにしか、さらにまたその正反対のものである不貞なものがある程度見られないなら、またこれがある程度、すなわち陰の中に、貞潔とともに不貞なものとともに一緒に述べられて見られないなら、考えられることができない、なぜなら、貞潔は単に貞潔から不貞の除去であるからである、(ここに、それゆえ、貞潔と不貞について言われる☆)。

 けれども、完全に貞潔と正反対である不貞について、この著作の後ろの部分の中で「淫行の愛についての狂気の快楽」の表題の下に、十分に、またその多様なものとともに扱われ、述べられる。

 けれども、何が貞潔と不貞であるか、またそれらの者のもとで〔そのようであるか〕、この順序で説明される――

 

 (1) 貞潔と不貞は結婚について、また結婚のものであるようなものについて述べられる。

 (2) 締結は一夫一婦の、すなわち、一人の夫と一人の妻の結婚についてだけ述べられる。

 (3) キリスト教徒の結婚だけに貞淑が存在する。

 (4) 真の結婚愛は貞淑そのものである。

 (5) 真の結婚愛のすべての歓喜は、最終的なものもまた、貞潔である。

 (6) 主により霊的になっている者のもとの結婚愛は、さらにまたさらにと清められ、貞潔になる。

 (7) 結婚の貞潔は、宗教による、淫行〔から〕の全面的な離脱によって生じる。

 (8) 貞潔は、幼児について、少年や少女についても、そして、自分たちのもとに性愛を感じる前の青年と処女(娘)ついても述べられることができない。

 (9) 貞潔は、去勢された男に生まれた者について、去勢された男についても述べられることができない。

 (10) 貞潔は、姦淫を宗教の悪であるち信じない者について、またさらにまして姦淫を社会の害であると信じない者について述べられることができない。

 (11) 貞潔は、単に外なるいろいろな理由のために姦淫を慎む者について述べられることができない。

 (12) 貞潔は、結婚が不貞であることを信じている者について述べられることができない。

 (13) 貞潔は、終生独身を誓って結婚を放棄した者について、彼の中に真の結婚生活への愛がない、また残存しないなら、彼らについて述べられることができない。

 (14) 結婚の状態は、独身の状態よりも優先されるべきである。

 

 今や、これらの解説が続けられる。

 

ここの[, hic…cast]は初版にありません、後からの追加です。