Dicebant, quod non potuerint aliter; 言った、異なってできないこと。
est sicut furor invadat, cum vident aliquem angelum, et sentiunt sphaeram Divinam circum illum; 「激怒が入り込むようである、ある天使を見るとき、また彼らのまわりの神的なスフェアを感じる」。
Tunc dixerunt, "Sic estis etiam sicut ferae." その時、彼らは言った、「このようにあなたがたはさらにまた野獣のようである」。
Et mox cum viderunt novitium spiritum cum angelis, supervenit diabolos furor, qui apparuit sicut ignis odii; またじきに、彼らが天使とともに新参の霊を見るとき、悪魔を激怒が出てきた、それは憎しみの火のように見えた。
quare ne damnum inferrent, in infernum rejecti sunt. それゆえ、害を加えないように、地獄の中へ投げ返された。
Post haec apparebant angeli, qui ex finibus vident causas, et per causas effectus, qui in caelo supra tres illos coetus erant, et hi visi sunt in candida luce, quae per spirales flexus se devolvens: この後、天使たちが見られた(現われた)、その者は目的から原因を見た、また原因を通して結果を、その者はそれらの三つの集団の上方の天界の中にいた、またこれらの者は白く輝く光の中で見られた、それ〔光〕は曲がったらせん形を通って転がり落ちた。
secum tulit rotundum sertum ex floribus, et posuit super caput novitii spiritus, et tunc ad illum facta est vox inde, "Haec tibi laurea datur propter causam, quia a pueritia meditatus es de caelo et inferno." 〔天使は〕円形の花冠を持ってきた、また花で、また新参の霊の頭の上に置いた、またその時、彼にここから声があった、「この月桂冠があなたに与えられる、理由のために、あなたは子供時代から天界と地獄について熟考したので」。
@1. "sentiturus:"― sic, nisi praetuleris sensurus. 注1――「sentiturus」このようにあなたが優先させないなら sunsurusを。(sentiturusは著者により極めてしばしば使用されています)
(3)訳文
461.これらに次のメモラビリアが加えられる――
かつて私は、世の中にいた時、天界と地獄について多くのものを熟考した新参の霊と話した。
新参の霊によって新たに死んだ人間が意味される、その者はその時、霊と呼ばれる霊的な人間であるからである。彼は、霊界の中に入るとすぐに、天界と地獄について同様に熟考し始めた。天界について〔熟考する〕とき、自分自身が、楽しさの中に、また地獄について〔熟考する〕とき、悲しみの中に〔いるように〕見られた。
彼は自分自身が霊界の中にいることを認めたとき、直ちに、天界がどこに、地獄がどこに、なおまたそれらが何でどんなものか求めた。
また〔彼らは〕答えた、「天界はあなたの頭の上方にあり、地獄はあなたの足の下方にある、というのは、今や、あなたは天界と地獄の中央にある霊たちの世界の中にいるから。しかし、天界と地獄が何でどんなものか、私たちは簡単に述べることができない」。
またその時、知ることの願望が燃え立ったので、ひざまずき、教えられるようにと神に信心深く祈った。
すると、見よ、天使が右に現われ、彼を起こし、言った、「あなたは天界と地獄について教えられるように懇願した。何が快さか探求せよ、また学べ、するとあなたは知る」。
また、天使は、これらを言って、上げられた。
[2] その時、新参の霊は自分自身に言った、「『何が快さか探求せよ、また学べ、するとあなたは天界と地獄が何でどんなものか知る』とは何か?」 しかし、その場所から立ち去って、歩きまわった。また出会った者に話しかけて、言った、「お願いがある、もしよろしかったら、何が快さか言ってくれ」。
ある者は言った、「これは何たる質問なのか? 何が快さか、だれが知らないか? 楽しさと喜びではないのか? それゆえ、あるものがもう一つのように、快さは快さである。私たちは違いを知らない」。
他の者たちは、快さは心のほほえみであることを言った、「というのは、心がほほえむ時、顔は機嫌がよく、話し方は冗談まじりで、身ぶりはふざけている、また人間全体は快さの中にいるから」。
けれども、ある者たちは言った、「快さは、宴会で、ごちそうを食べ、そして銘酒を飲んで酔うこと、またその時、いろいろな事柄について、特にウェヌスとクピドー☆1(愛欲と欲望)の遊びについておしゃべりすること以外の他のものでは決してない」。
[3] これらを聞いて、憤慨した新参の霊は自分自身に言った、「これらの答えは田舎者のものである、また公共のものでない。これらの快さは天界でも地獄でもない。私は賢明な者に出会えればよいのに」。
彼らから去り、求めた、「賢明な者はどこにいるのか?」
また、その時、天使的なある霊により見られ、その者は言った、「私は、あなたが天界の全般的なもの、また地獄の全般的なものを知る願望にかき立てられていることを知覚した、またこのこと〔天界と地獄〕は快さであるので、私はあなたを丘の上に導く、そこに毎日、結果を調べ、原因を探し求め、目的を見つけ出す者が集まる――三つの集団があり、結果を調べる者は、知識の霊、また抽象的に「知識」と呼ばれる。原因を探し求める者は、知的な霊、また抽象的に「知性」と呼ばれる。目的を見つけ出す者は、知恵の霊、また抽象的に「知恵」と呼ばれる。彼らのまっ直ぐ上方に、天界の中に天使がいる、彼らは目的から原因を、原因から結果を見る。これらの天使から、それらの三つの集団に照らしがある」。
[4] 彼は、その時、新参の霊を、手をつかまえて、丘の上へ、また集団へ導いた、彼らは目的を調べる(見つけ出す)「知恵」と呼ばれる者たちであった。
彼らに言った、「私があなたがたへ上ること許せ。その理由は、私は子供時代から天界と地獄について熟考したからである、またこの世界の中に近ごろ私はやって来て、私と仲間となったある者が、その時、ここに天界は私の頭の上方にある、そして地獄は私の足の下方にあると言った。しかし、それらが何でどんなものか言わなかった。それゆえ、それらについて不断の思考から悩まされて、私は神に祈った。またその時、天使がそばに立ち、言った、『何が「快さ」か探求せよ、また学べ、するとあなたは知る』。私は探求した、しかし、依然としてむなしい――それで、私は懇願する、よろしかったら、あなたがたは、何が快さか私を教える〔ことを〕」。
[5] これに「知恵(の霊たち)」が答えた、「快さは、天界の中のすべての者のいのちのすべてである、また地獄の中のすべての者のいのちのすべてである――天界の中にいる者たちに、善と真理の快さがある。けれども、地獄の中にいる者に、悪と虚偽の快さがある。というのは、すべての快さは愛の者であり、愛は人間のいのちのエッセ(存在)であるから。それゆえ、人間が自分の愛のどんなものか(性質)にしたがって人間であるように、そのように人間は自分の快さのどんなものか(性質)にしたがって人間である。愛の活動が快さの感覚をつくる。天界の中でその活動は知恵をともにあり、地獄の中でその活動は狂気をともにある。両方のものはその対象の中で快さをひき起こす。けれども、天界のものと地獄のものは、対立する
愛の中に〔ある〕ので、対立する快さの中にある。天界のものは〔善の〕愛の中に、またここから善を行なう快さの中に〔ある〕、けれども、地獄のものは〔悪の〕愛の中に、またここから悪を行なう快さの中に〔ある〕――それで、もしあなたが何が快さか知るなら、あなたは天界と地獄が何でどんなものであるか知る。
しかし、何が快さか、原因を探し求める「知性」と呼ばれる者から探求せよ、また学べ。〔彼らは〕この場所から右側にいる」。