原典講読『結婚愛』461(直訳[8]最後の部分と訳文[5]まで)

Dicebant, quod non potuerint aliter; 言った、異なってできないこと

est sicut furor invadat, cum vident aliquem angelum, et sentiunt sphaeram Divinam circum illum;  「激怒むようであるある天使るときまたらのまわりの神的なスフェアをじる」。

Tunc dixerunt, "Sic estis etiam sicut ferae." その時、彼らは言った、「このようにあなたがたはさらにまた野獣のようである」。

Et mox cum viderunt novitium spiritum cum angelis, supervenit diabolos furor, qui apparuit sicut ignis odii; またじきに、彼らが天使とともに新参るとき、悪魔激怒てきたそれはしみののようにえた

quare ne damnum inferrent, in infernum rejecti sunt. それゆえ、害えないように、地獄された

Post haec apparebant angeli, qui ex finibus vident causas, et per causas effectus, qui in caelo supra tres illos coetus erant, et hi visi sunt in candida luce, quae per spirales flexus se devolvens: この後、天使たちがられた(われた)その目的から原因また原因して結果そのはそれらのつの集団上方天界にいたまたこれらのられたそれ〔光〕がったらせんってがりちた

secum tulit rotundum sertum ex floribus, et posuit super caput novitii spiritus, et tunc ad illum facta est vox inde, "Haec tibi laurea datur propter causam, quia a pueritia meditatus es de caelo et inferno." 〔天使は〕円形の花冠を持ってきた、また花で、また新参の霊の頭の上に置いた、またその時、彼にここから声があった、「この月桂冠があなたに与えられる、理由のために、あなたは子供時代から天界と地獄について熟考したので」。

@1. "sentiturus:" sic, nisi praetuleris sensurus. 注1――「sentiturus」このようにあなたが優先させないなら sunsurusを。(sentiturusは著者により極めてしばしば使用されています)

 

(3)訳文

 461.これらに次のメモラビリアが加えられる――

 

 かつて、世にいた時、天界地獄についてくのものを熟考した新参した

 新参によってたにんだ人間意味されるそのはその時、霊ばれる霊的人間であるからである。彼、霊界入るとすぐに、天界地獄について同様熟考めた。天界について〔熟考するとき、自分自身、楽しさまた地獄について〔熟考するとき、悲しみのに〔いるように〕られた。

 彼自分自身霊界にいることをめたとき、直ちに、天界がどこに、地獄がどこになおまたそれらがでどんなものかめた

 また〔彼らは〕答えた、「天界はあなたの上方にあり、地獄はあなたの下方にあるというのは、今あなたは天界地獄中央にあるたちの世界にいるからしかし、天界と地獄でどんなものか、私たちは簡単べることができない」。

 またその時、知ることの願望ったのでひざまずき、教えられるようにと信心深った

 すると、見、天使われ、彼こし、言った、「あなたは天界地獄についてえられるように懇願したさか探求せよまたするとあなたは」。

 また、天使これらを言って、上げられた

 [2] その時、新参の霊は自分自身に言った、「『何が快さか探求せよ、また学べ、するとあなたは天界と地獄が何でどんなものか知る』とは何か?」 しかし、その場所からって、歩きまわったまた出会った者に話しかけて、言った、「お願いがある、もしよろしかったら、何が快さか言ってくれ」。

 あるった、「これは何たる質問なのか? 何さか、だれがらないか? 楽しさとびではないのか? それゆえあるものがもうつのように、快さはさである。私たちはいをらない」。

 他たちは、快さはのほほえみであることをった、「というのは、心がほほえむ時、顔機嫌がよく、話冗談まじりで、身ぶりはふざけているまた人間全体さのにいるから」。

 けれどもあるたちはった、「快さは、宴会で、ごちそうをそして銘酒を飲んで酔うことまたその時、いろいろな事柄について、特にウェヌスとクピドー1(愛欲欲望)びについておしゃべりすること以外のものではしてない

[3] これらをいて、憤慨した新参自分自身った、「これらのえは田舎者のものであるまた公共のものでない。これらのさは天界でも地獄でもない。私賢明出会えればよいのに」。

 彼らから、求めた、「賢明はどこにいるのか?」

またその時、天使的なあるによりられそのった、「私あなたが天界全般的なものまた地獄全般的なものを願望にかきてられていることを知覚したまたこのこと〔天界地獄〕さであるので、私はあなたをそこに毎日、結果調、原因、目的つけまる――三つの集団があり、結果調べる知識霊、また抽象的「知識」ばれる。原因める、知的霊、また抽象的「知性」ばれる。目的つけ、知恵霊、また抽象的「知恵」ばれる。彼らのまっ上方、天界天使がいる、彼らは目的から原因、原因から結果これらの天使からそれらのつの集団らしがある」。

 [4] 彼は、その時、新参の霊を、手をつかまえて、丘の上へ、また集団へ導いた、彼らは目的を調べる(見つけ出す)「知恵」と呼ばれる者たちであった。

 彼らに言った、「私があなたがたへ上ること許せ。その理由、私子供時代から天界地獄について熟考したからであるまたこの世界ごろはやって、私仲間となったあるその時、ここに天界上方にあるそして地獄下方にあるとったしかし、それらが何でどんなものかわなかったそれゆえそれらについて不断思考からまされて、私ったまたその時、天使がそばに、言った、『何「快探求せよまたするとあなたは』。私探求したしかし、依然としてむなしい――それで、私懇願するよろしかったらあなたがたは、何さかえることを〕」。

 [5] これに「知恵(たち)えた、「快さは、天界のすべてののいのちのすべてであるまた地獄のすべてののいのちのすべてである――天界にいるたちに、善真理さがあるけれども、地獄にいる、悪虚偽さがあるというのはすべてのさはであり、愛人間のいのちのエッセ(存在)であるからそれゆえ、人間自分のどんなものか(性質)したがって人間であるようにそのように人間自分さのどんなものか(性質)したがって人間である。愛活動さの感覚をつくる。天界でその活動知恵をともにあり、地獄でその活動狂気をともにある。両方のものはその対象の中で快さをひき起こす。けれども、天界のものと地獄のものは、対立する
あるので対立するさのにある。天界のものは〔善〕愛またここからなうさのある〕、けれども、地獄のものは〔悪〕愛またここからなうさのある〕――それでもしあなたがさかるならあなたは天界地獄でどんなものであるか

しかし、何さか、原因める「知性」ばれるから探求せよまた〔彼らはこの場所から右側にいる」。

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