感想:原典講読『天界と地獄』から その7

 

614(no.597) reformatio, reformoの訳語について


 スヴェーデンボリによれば、人間はほんとうの人間になるために、霊により新しく生まれなければならない。具体的にはreformatioregeneratio「再生」である。


 さて、まずは他の人(といっても二人)の訳語はどうであろうか。柳瀬訳の「改良」、これでよいのであろう、しかし、品質改良のイメージがしてしまい、私はやや奇異に感じる。


 次に長島訳の「自己改革」(ただし、最初期の翻訳である、『天界と地獄』のこの個所は「改善」)、これはよい訳語かもしれない。


 どちらも「改~」としていて、私も「改~」は賛成であり、「改める」という意味を盛り込むべきであろう。動詞reformoは「新しい形を与える、造り直す」という意味であり、英語ではreform, reformationである。家ならリフォーム、法律なら改正、宗教なら改革・・・、それで問題は「心」です。心をリフォームすることに対する訳語は何であろうか?


 私は一時期、「改めて造り直す」ことから、「改造」としたことがある。しかし、これでは「内閣改造、肉体改造」のイメージが強すぎる。


 それで「心」を「改める」のだから、わかりやすく「改心」とした。しかし、これにも欠点がある。あまりに「悔い改め」のイメージに近いからである。スヴェーデンボリ神学では最初にpoenitentia(悔い改め)があって、それにreformatio, regeneratioと続く。


 日本語の「改心」(今までのことを反省し、心を改め正すこと)とは、意味合いが違うが、再生の過程としての「改心」であることをふまえ、この言葉を使うのが一番よいかと思っている。


 


617(no.603) 最終個所603番に思う 知ること(真理)は力である


 スヴェーデンボリの著作を「むずかしくて、なかなか読めない」という人がよくいる。その人たちはむずかしいので、たいてい、読み続けることなく、いずれ去ってしまう。


 このことについて考えてみる。死後の世界を信じないか、まったく関心のない人に本書『天界と地獄』はどのように受け止められるのか? 「暗黒の書」であろう。「読め」と言われたら、苦痛そのものかも知れない。


 興味のない話を長々と聞かされるとき苦痛を感じる。そして、その話を「よくわからない」、「むずかしい(理解できない)」と言い出し、最後は席をけって立ち去るかもしれない。


 しかし、人間とはこの世だけの存在であろうか? 死んだら、それで終わりなのか? 肉体の中に宿る「自分」とは何なのか? それは霊的存在ではなかろうか? このような疑問、すなわち、霊的な真理に関する疑問に真剣に答えを見出そうとする人(霊的な人であろう)にとって、本書はその解答を与えている。


 すなわち、それまで暗闇の中に置かれていた自分の心に「光が差してくる」思いがするのではなかろうか。心が晴れるだけではない、その真理を生かすとき、それは生きる力となる。


 たとえば「タバコはからだに悪い」という真理を知る。知ったままでは何ら健康とはならない、そこでタバコをやめれば(知ったことを生かすなら)、確実に健康になる。


 霊的な真理も同じであろう、そして、実生活の中で生かして霊的に成長するか、生かさないは、本人次第。


 霊的成長の具体的実践手段は? と質問する人がいるかもしれない。いくらでも答えはあるが、自分で答えを見つけるのがいちばんよい。それでも、このあと始める原典講読:『生活について』にその一つの解答がある、と言っておこう。

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