原典講読『神の摂理』 83(直訳、訳文)

 

(2) 直訳


Causa quod nemo venire possit in regnum Dei, nisi denuo generatus sit, est quia homo ex hereditario a parentibus nascitur in omnis generis mala, cum facultate quod per remotionem malorum istorum possit fieri spiritualis, et nisi fiat spiritualis, non potest venire in caelum; 理由は、だれも神の王国にやって来ることができないこと、もし再び生まれないなら、人間は両親による遺伝からすべての種類の悪の中に生まれているからである、能力(可能性、機会)のとき、その悪の除去によって霊的になれることができる、またもし霊的にならないなら、天界の中にやって来ることができない。


a naturali fieri spiritualis est renasci seu regenerari. 自然的なものから霊的になることは、再び生まれされること、すなわち再生させられることである。


Ut autem sciatur, quomodo homo regeneratur, haec tria consideranda sunt: しかし、知られるために、どのように人間が再生さられるか、これら三つのものが考慮されなければならない。


qualis ejus status primus est, qui est status damnationis; 彼の第一の(最初の)状態がどんなものか、それは断罪の状態である。


qualis ejus status secundus est, qui est status reformationis; 彼の第二の状態がどんなものか、それは改心の状態である。


et qualis ejus status tertius est, qui est status regenerationis. また彼の第三の状態がどんなものか、それは再生の状態である。


[2.] Status hominis primus, qui est status damnationes, est cuivis homini ex hereditario a parentibus, homo enim nascitur inde in amorem sui et in amorem mundi, et ex his ut fontibus in mala omnis generis. [2.] 「人間の第一の(最初の)状態、それは断罪の状態である」〔このことは〕それぞれの人間に両親による遺伝からである、というのは人間はここから自己愛の中と世俗愛の中に生まれているから、またこれらから泉のようにすべての種類の愛の中に。


Jucunda illorum amorum sunt ex quibus ducitur; それらの愛の快さはそれらから導かれる。


et jucunda faciunt, ut nesciat quod in malis sit; 快さはする、悪の中にいることを知らないように。


omne enim jucundum amoris non sentitur aliter quam sicut bonum; というのは、すべての愛の快さは感じないから、善のように以外に異なって。


quare etiam homo nisi regeneratur non scit aliter quam quod se et mundum amare super omnia, sit ipsum bonum; それゆえ、さらにまたもし人間が再生されないなら知らない、すべてにまさって自分を世を愛することは善そのものであること以外に異なって。


et quod dominari super omnes, et possidere omnium aliorum opes, sit summum bonum. またすべての者の上に支配すること、また他の者の富のすべてを所有することは、最高の善であること。


Inde etiam est omne malum; さらにまたここからすべての悪がある。


nam nullum alium spectat ex amore, quam se solum; なぜなら、だれも他の者を眺めないから、愛から、自分だけ以外を。


et si spectat alium ex amore, est sicut diabolus diabolum, ac sicut fur furem, quando unum agunt. また他の者を愛から眺めるなら、悪魔が悪魔を〔眺める〕のようにである、そして泥棒が泥棒をのように、一つとして(協力して)働く時。


[3.] Illi qui istos amores, ac mala ex illis scaturientia, ex jucundo illorum apud se confirmant, manent naturales et fiunt sensuales corporei; [3.] それらの愛を、そしてそれらから湧き出る愛を、自分自身のもとでそれらの快さから確信した者は、自然的なものにとどまる、また身体的な感覚のものになる。


ac in propria cogitatione, quae est spiritus eorum, insaniunt; そして、自己固有の(プロプリウムの)考の中に、それは彼の思考のもの、狂う。


sed usque possunt, dum in mundo sunt, rationaliter et sapienter loqui et agere, sunt enim homines, et inde illis rationalitas et libertas, sed quoque id faciunt ex amore sui et mundi. しかしそれでも、世の中にいる時、理性的にまた賢明に話すことと行動することができる、人間であるので、また、ここから彼らに推理力と自由()がある、しかし、それもまた自己と世の愛から行なう。


Hi post mortem, cum fiunt spiritus, non possunt aliud jucundum habere, quam illud quod in spiritu suo habuerunt in mundo; これらの者は、死後、霊になるとき、何らかの快さを持つことができない、それ以外に、自分の霊の中で世の中で持ったもの。


et id jucundum est jucundum amoris infernalis, quod vertitur in injucundum, dolorificum et dirum, quod in Verbo intelligitur per cruciatum et ignem infernalem. またその快さは地獄の愛の快さである、それは不快に変わる、苦痛を引き起こすものと恐ろしいもの、それはみことばの中で地獄の責め苦と火によって意味される。


Ex his patet, quod primus status hominis sit status damnationis; これらから明らかである、人間の第一の(最初の)状態は断罪の状態であること。


et quod in illo sint, qui non patiuntur se regenerari. また、その中であること、その者は自分自身が再生されないことを被らない(受けない、耐えない)


[4.] Status hominis secundus, qui est status reformationis, est cum homo incipit cogitare de caelo ex gaudio ibi, et sic de Deo, a quo illi caeli gaudium. [4.] 「人間の第二の状態は、それは改心の状態である」〔このことは〕、人間が天界についてそこに楽しさから考えることを始めるとき〔である〕、またこうして神について、そこから彼に天界の楽しさ。


Sed hoc cogitat primum ex jucundo amoris sui, gaudium caeli est illi id jucundum; しかし、このことを最初に自己愛の快さから考える、天界の楽しさは彼にその快さである〔からである〕。


sed quamdiu jucundum illius amoris, una cum jucundis malorum inde scaturientium regnat, non potest aliud intelligere, quam quod ad caelum venire sit fundere preces, auscultare praedicationes, obire Sanctam Cenam, dare pauperibus, opitulari egenis, impendere templis, conferre spartas xenodochiis, et similia alia. しかし、愛のその快さが悪の快さと一つ〔である〕、ここからわき出る、支配するかぎり、何らかのものを理解することはできない、天界へやって来ることは祈りを注ぎ出すこと以外の、説教を聞くこと、聖餐に出席すること、貧しい者に与えること、乏しい者に助けること、〔礼拝者の〕宿泊所の寄付を貢献すること、また他の同様のこと。


Homo in hoc statu nec scit aliter, quam quod solum cogitare illa quae religio docet, salvet, sive sit id quod vocatur fides, sive id quod vocatur fides et charitas. 人間はこの状態の中で異なって知ることもない、単にそれを考えること以外に、それは宗教が教えること、救う、あるいはそのことである、信仰のものと呼ばれること、あるいはそのこと、信仰と仁愛のものと呼ばれること。


Quod non aliter intelligat, quam quod illa cogitare, salvet, est quia nihil cogitat de malis, in quorum jucundis est; 異なって理解しない、それを考えること以外に、救うことである、悪について何も考えないので、それらの中に快さがある。


et quamdiu jucunda illorum remanent, etiam mala remanent; また、彼らの快さが残るかぎり、悪もまた残る。


jucunda illorum sunt ex concupiscentia illorum, quae continue spirat illa, et quoque producit illa, dum non aliquis timor detinet. 彼らの快さはそれらの欲望からである、それ〔欲望〕はそれ〔悪〕をしたい気にさせる、またそれもまた生み出す、何らかの恐怖が抑えない時。


[5.] Quamdiu mala in illorum amoris concupiscentiis et inde jucundis manent, non est aliqua fides, charitas, pietas, cultus, nisi solum in externis, quae apparent coram mundo sicut sint, sed usque non sunt. [5.] 悪がその愛の欲望の中に、またそこから快さ〔の中に〕とどまるかぎり、なんらかの信仰、仁愛、敬虔さ、礼拝がない、もし単なる外なるものの中でないなら、それは世の前に存在するように見える、しかしそれでも、存在しない。


Comparari possunt aquis ex impuro fonte emanantibus, quae bibi non possunt. 不潔な泉から流れ出る水に例えられることができる、それは飲まれることができない。


Quamdiu homo talis est, ut cogitet de caelo et de Deo ex religione, et nihil de malis ut peccatis, est adhuc in statu primo: 人間がこのようなものであるかぎり、天界についてまた神について宗教から考えるような、また悪について罪のように何も〔考え〕ない、今で(依然として)一の状態の中にいる。


at in statum secundum seu reformationis venit, dum incipit cogitare quod peccatum sit, et magis quod hoc et illud peccatum sit, et cum aliquantisper explorat id apud se, et non vult illud. しかし、第二、すなわち改心の状態の中にやって来る、罪であることを考えることを始める時、またさらにこれやそれが罪であること、また少しの間、それを自分自身のもとに調べるとき、またそれらを欲しない。


[6.] Status hominis tertius, qui est status regenerationis, excipit, et continuatur statui priori. [6.] 「人間の第三の状態は、それは再生の状態である」〔このことは〕続く、また前の状態に含まれる。


Inchoat cum homo desistit a malis ut peccatis, et progreditur sicut fugit illa, ac perficitur sicut pugnat contra illa; それは始まる、人間が罪として悪から離れる(断念する)とき、またそれを避けるかのように進行する、そしてそれらに対して戦うようにしてなし遂げられる(完成される)


et tunc sicut vincit ex Domino, regeneratus est. またその時、主からのように勝利する、再生する。


Apud illum, qui regeneratur, vertitur ordo vitae; 彼らのもとで、再生される者、いのちの秩序で逆転される。


fit a naturali spiritualis, nam naturale separatum a spirituali est contra ordinem, et spirituale est secundum ordinem; 自然的なものから霊的なものになる、なぜなら、霊的なものから分離した自然的なものは、秩序に反するから、また霊的なものは秩序にしたがっている。


quare homo regeneratus agit ex charitate, et illud fidei suae facit quod ejus charitatis est. それゆえ、再生した人間は仁愛から行動する、またそれを自分の信仰のものにする、仁愛のものであるもの。


Sed usque non fit plus spiritualis, quam quantum in veris est; しかしそれでも、もっと霊的にならない、どれほど真理の中にいるか以外に。


nam omnis homo per vera, et per vitam secundum illa, regenerator; なぜなら、すべての人間は真理によって、またそれにしたがった生活によっ(通して)、再生されるから。


per vera enim scit vitam, et per vitam facit illa; というのは、真理によって(通して)生活を知る、また生活によって(通して)それ〔真理〕を行なうから。


ita conjungit bonum et verum, quod est conjugium spirituale, in quo est caelum. このように(したがって)と真理が結合する、それは霊的な結合である、その中に天界がある。


 


(3) 訳文


83. もし再び生まれないなら、だれも神の王国にやって来ることができないことの理由は、人間は両親による遺伝からすべての種類の悪の中に生まれていて、能力によって、その悪の除去によって霊的になることができるとき、またもし霊的にならないなら、天界の中にやって来ることができないからである。自然的なものから霊的になることは、再び生まれされること、すなわち再生させられることである。しかし、どのように人間が再生さられるか知られるために、次の三つのものが考慮されなければならない。断罪の状態である彼の第一の状態がどんなものか。改心の状態である彼の第二の状態がどんなものか。また再生の状態である彼の第三の状態がどんなものか。


[2.] 「人間の断罪の状態である第一の状態」は、それぞれの人間に両親による遺伝からである、というのは人間はここから自己愛の中と世俗愛の中に、またこれらから泉のようにすべての種類の愛の中に生まれているから。それらの愛の快さはそれらから導かれる。快さは、悪の中にいることを知らないようにする。というのは、すべての愛の快さは善のようにしか感じないから。それゆえまた、もし人間が再生されないなら、すべてにまさって自分を世を愛することは善そのものである、またすべての者の上に支配すること、他の者の富のすべてを所有することは、最高の善であるとしか知らない。さらにまたここからすべての悪がある。なぜなら、だれも、愛から、自分だけしか眺めず、他の者を眺めないから。また他の者を愛から眺めるなら、悪魔が悪魔をのように、そして協力して働く時の泥棒と泥棒のように眺める。


[3.] それらの愛を、そしてそれらから湧き出る愛を、自分自身のもとでそれらの快さから確信した者は、自然的なものにとどまり、また身体的な感覚のものになる。そして、彼の思考の固有もの(プロプリウム)考の中で狂う。しかしそれでも、世の中にいる時、人間であるので、理性的にまた賢明に話すことと行動することができ、また、ここから彼らに推理力と自由があるが、しかし、それもまた自己と世の愛から行なう。これらの者は、死後、霊になるとき、自分の霊の中で世の中で持ったもの以外に、何らかの快さを持つことができない。またその快さは地獄の愛の快さであり、それは不快、苦痛と恐ろしいものに変わり、それはみことばの中で地獄の責め苦と火によって意味される。


これらから、人間の第一の状態は断罪の状態であることが明らかである。また、再生されない者はその中にいること。


[4.] 「人間の改心の状態である第二の状態」は、人間が天界についてそこに楽しさから、またこうして神について、そこから彼に天界の楽しさを考え始めるときである。しかし、このことを最初に自己愛の快さから考える、彼にとって天界の楽しさはその快さである〔からである〕。しかし、愛のその快さがここからわき出る悪の快さと一つであり、支配するかぎり、天界へやって来ることは祈りを注ぎ出すこと、説教を聞くこと、聖餐に出席すること、貧しい者に与えること、乏しい者に助けること、〔礼拝者の〕宿泊所の寄付を貢献すること、また他の同様のことしか理解することができない。人間はこの状態の中で、宗教が教えることが救う、それは信仰のものと呼ばれるもの、あるいは信仰と仁愛のものと呼ばれるものを、単に考えることでしかないと、知るしかない。それを考えることが救うことであり、悪について、それらの中に快さがあることを何も考えないのでそれ以外に理解しない、また、それらの快さが残るかぎり、悪もまた残る。それらの快さは、それらの欲望からであり、その欲望はそれの悪をしたい気にさせ、また何らかの恐怖が抑えない時、その悪もまた生み出す。


[5.] 悪がその愛の欲望の中に、またそこから快さの中にとどまるかぎり、もし単なる外なるものの中でないなら、なんらかの信仰、仁愛、敬虔さ、礼拝はなく、それは世の前に存在するように見えるが、しかしそれでも、存在しない。飲むことができない不潔な泉から流れ出る水に例えることができる。人間が、天界についてまた神について宗教から考え、また悪について罪のように何も考えないようなものであるかぎり、〔彼は〕依然として第一の状態の中にいる。しかし、罪が存在することを、またさらにこれやそれが罪であること、また少しでもそれを自分自身のもとに調べ、またそれらを欲しないこと考え始める時、第二、すなわち改心の状態の中にやって来る。


[6.] 「人間の再生の状態である第三の状態」は前の状態に続き、また含まれる。それは、人間が罪として悪から離れるとき始まり、またそれを避けるかのように進行し、そしてそれらに対して戦うようにして完成する。またその時、主からのように勝利し、再生する。再生する者のもとで、いのちの秩序が逆転され、自然的なものから霊的なものになる、なぜなら、霊的なものから分離した自然的なものは、秩序に反し、また霊的なものは秩序にしたがっているから。それゆえ、再生した人間は仁愛から行動し、また仁愛のものであるものを自分の信仰のものにする。しかしそれでも、真理の中にいないならさらに霊的になることはない。 なぜなら、すべての人間は真理によって、またそれにしたがった生活によっ、再生されるから、というのは、真理によって生活を知る、また生活によってそれの真理を行なうから。このようにと真理が結合し、それはその中に天界がある霊的な結合である。

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