原典講読『霊界体験記』 1560,1561

(1) 原文

1560. Exinde evidenter fluit, quod nihil dari bonum in homine possit, sed omne bonum sit Domini, et quod homo nihil boni, minus fidei sibi arrogare possit; et quod hoc fidei sit, et quia hoc fidei, etiam hoc donetur, cum enim ex me quoque id cogitem, quod id donum sit Domini, quodque sic relinquendum Domino in me bonum operari, etiam hoc peccatum est quia a memet, quare quocunque se vertit homo ex se, peccatum est, quare omne bonum est Domini; sed hoc quia absque idea spirituali, separata a corpore, percipi nequit, scire possum, quod ut incredibile hominibus sit, sed quod usque ita se res habeat, contestari possum. 1748, 20 Martius.

 

1561. Quare quoties homo reflectit super se, quod bonum cogitet, et bonum agat, id ex ejus proprio venit, ita ex quodam ejus amore, cupiditate, appetitu; [quoties] sibique sic tribuit, peccatum est in singulis, quare bonum, quod a Domino donatur, fit dum non homo reflectit ex se, hoc est, quum homo nescit; secundum Domini Verbum, quod regeneretur homo, eo nesciente [Joh. III: 8].

 

(2) 直訳

1560. Exinde evidenter fluit, quod nihil dari bonum in homine possit, このゆえに、はっきりと流れ出る(ある結果になる)、人間の中に何も善は存在することができないこと、

sed omne bonum sit Domini, et quod homo nihil boni, minus fidei sibi arrogare possit; しかし、すべての善は主のものである、また人間は、善の、まして信仰の何も自分自身に主張することができないこと。

et quod hoc fidei sit, et quia hoc fidei, etiam hoc donetur, またこれが信仰のものであること、またこれが信仰のもの〔である〕ので、これもまた与えられる、

cum enim ex me quoque id cogitem, quod id donum sit Domini, というのは、私からもまた、そのことを私が考えるとき、そのことは主の贈り物である、

quodque sic relinquendum Domino in me bonum operari, そして、そのように主に残さなければならない、私の中で善を働くことを、

etiam hoc peccatum est quia a memet, このこともまた罪である、私から〔のものである〕からである。

quare quocunque se vertit homo ex se, peccatum est, quare omne bonum est Domini; それゆえ、どこへでも人間が自分自身から自分自身〔の〕向きを変えても、罪である、それゆえ、すべての善は主のものである。

sed hoc quia absque idea spirituali, separata a corpore, percipi nequit, しかし、このことは、身体から分離した、霊的な観念なしに、知覚されることができないので、

scire possum, quod ut incredibile hominibus sit, 私は知ることができる、人間に信じられないようであること、

sed quod usque ita se res habeat, contestari possum. しかし、それでも、物事はそのように振る舞うことを、私は主張することができる。

1748, 20 Martius. 1748年3月20日。

 

1561. Quare quoties homo reflectit super se, quod bonum cogitet, et bonum agat, id ex ejus proprio venit, それゆえ、人間が自分自身の上に(について)熟考するたびごとに、善を考えている、また善を行なっていること、そのことは彼のプロプリウム(固有のもの)からやって来ている、

ita ex quodam ejus amore, cupiditate, appetitu; そのように、彼のある種の愛、欲求(欲望)、切望(欲望)から。

[quoties] sibique sic tribuit, peccatum est in singulis, そして自分自身にこのように帰する〔たびごとに〕、個々のものの中に罪がある、

quare bonum, quod a Domino donatur, fit dum non homo reflectit ex se, hoc est, quum homo nescit; それゆえ善は、それは主により与えられる、人間が自分自身から熟考しない時、生じる、すなわち、人間が知らないとき。

secundum Domini Verbum, quod regeneretur homo, eo nesciente [Joh. III: 8]. 主のみことばにしたがって、人間が再生されること、そのことを知らないで〔ヨハネ3:8〕。

 

(3) 訳文

1560. このゆえに、人間の中に何も善は存在することができないこと、しかし、すべての善は主のものであり、人間は、善の何も、まして信仰の何も自分自身に主張することができないことがはっきりと流れ出る。またこれが信仰に属すものであり、またこれが信仰に属すものであるので、これもまた与えられる。というのは、そのことを私が考えるとき、私からもまた与えられ、そのことは主の贈り物である、そして、そのように私の中で善を働くことを主に残さなければならない、〔しかし〕このこともまた罪である、私から〔のものである〕からである。

 それゆえ、人間が自分自身から自分の向きをどこへ変えても、罪である、それゆえ、すべての善は主のものである。しかし、このことは、身体から分離した霊的な観念なしに、知覚されることができないので、私は、人間にとって信じられないようであることを知ることができる。しかし、それでも、物事はそのようであることを、私は主張することができる。1748年3月20日。

 

1561. それゆえ、人間が自分自身について、善を考えている、善を行なっている、と熟考するたびごとに、そのことは彼のプロプリウムから、そのように、彼のある種の愛、欲求、欲望からやって来ている。そして自分自身にこのように帰する〔たびごとに〕、個々のものの中に罪がある。それゆえ、主により与えられる善は、人間が自分自身から熟考しない時、すなわち、人間が知らないとき生じる。主のみことばにしたがって、人間が再生されることは、そのことを知らないで〔生じる〕〔ヨハネ3:8〕。

 

◎去年の9月24日に開始したこの「霊界体験記」も1年となりました。4~5年かかるつもりでやっていのるで長いとは感じませんが、ずっと以前からやってきたような気がします。

ペースとしては朝(午前)と夜の2回アップロードを目指しています。もっとペースアップも考えられますが、出版もしているので、こんなものです。

 今度の出版については、20年以上も前に出した『見失っていた聖書が見つかった』の再刊に向け、初回の見直しを終えました。1か月ほどで出版できそうです。そのときはお知らせいたします。

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