原典講読『霊界体験記』 576~577

(1) 原文

576. Praeterea circumeunt, et quaerunt apud omnes, quibus obviant, si quid iis dare velint, quibus calefiant; dum accipiunt aliquid et quidem ab aliis aliquid caloris, usque id nihil apud eos efficit, nam volunt habere internum calorem, non autem externum, quem ab aliis accipiunt, tandem ita timent et nauseant calores eorum, ut redeant ad suas serrationes, ut sibimet acquirant eum, frigus eorum quoque sensi, quod satis multum est, nec pati potuerunt in me, quod calidum me facerem, sive ad ignem, sive <per> pedes per calceos et per similia.

☆この段落は交差線で抹消されています。

 

576a. Praeterea sperant semper, quod in coelum auferendi, quia bona in vita sua fecerunt, imo consultant, quomodo semet in coelum possint infringere, seu elevare; sed frustra, usque frigescunt.

☆この段落は交差線で抹消されています。

 

577. Sunt usque spiritus admodum sensibiles, quod concludere potui ab eo, qui in superiorum{1} spirituum sphaeram elevatus est, quod spiritus ibi non cum eo concordare possent, quia crassiores erant, nam non penetrare potuerunt ea, quae cogitabat, priusquam inter eos venit, qui similes olim fuerant, sed usque in consortio eorum non diu persistere potuit, quia adhuc inhaerebat simile. 1748, 27 Jan.

@1 imperfectum in ms.; J.F.l. Tafel superiorem

 

(2) 直訳

576. Praeterea circumeunt, et quaerunt apud omnes, quibus obviant, si quid iis dare velint, quibus calefiant; さらに彼らはあちこち歩き回る、またすべての者に求める、それらの者に出会う、~かどうか、何かを彼ら(自分たち)に与えることを欲する、彼らに暖かくなる。

dum accipiunt aliquid et quidem ab aliis aliquid caloris, usque id nihil apud eos efficit, だれかをまた何かを得る時、他の者から何かの熱を、それでもそれは何も彼らのもとでひき起こさない(効力がない)、

nam volunt habere internum calorem, non autem externum, quem ab aliis accipiunt, なぜなら、内なる熱を持つことを欲するからである、けれども、外なるものを〔欲し〕ない、それを他の者から得る、

tandem ita timent et nauseant calores eorum, ut redeant ad suas serrationes, ut sibimet acquirant eum, 最後にそのように彼らの熱を恐れる、また吐き気を催す、同じように自分ののこぎりをひくことへ戻る、自分自身にそれを得るために、

frigus eorum quoque sensi, quod satis multum est, 彼らの冷たさもまた私は感じた、それは十分に多量である、

nec pati potuerunt in me, quod calidum me facerem, sive ad ignem, sive <per> pedes per calceos et per similia. 彼らも耐えることができなかった、私の中で、私が私を暖かさをつくること、あるいは火に向けて、あるいは足(によって)履き物によってまた同様のものによって。

 

576a. Praeterea sperant semper, quod in coelum auferendi, quia bona in vita sua fecerunt, さらに常に望んでいる、天界の中へ連れ去られること、自分の生活の中で善を行なったからである、

imo consultant, quomodo semet in coelum possint infringere, seu elevare; それどころか、相談している、どのように自分自身を天界の中へ押し入ること(入れること)ができるか、または持ち上げる(高める)こと。

sed frustra, usque frigescunt. しかし、むなしく(むだに)、やはり、彼らは冷たい。

 

577. Sunt usque spiritus admodum sensibiles, それでも、非常に感覚力のある霊たちがいる、

quod concludere potui ab eo, qui in superiorum{1} spirituum sphaeram elevatus est, そのことを私は彼らから結論することができた、その者は霊たちの高い領域(スフェア)の中に上げられた、

quod spiritus ibi non cum eo concordare possent, quia crassiores erant, そこに霊たちは彼と一致することができない、彼らがさらに粗雑(鈍い)であったからである、

nam non penetrare potuerunt ea, quae cogitabat, なぜなら、彼らはそれらを洞察する(見抜く)ことができなかったからである、それらは彼が考えた、

priusquam inter eos venit, qui similes olim fuerant, 彼らの間にやって来ないうちに、その者は以前に(古くは)似た者であった、

sed usque in consortio eorum non diu persistere potuit, quia adhuc inhaerebat simile. しかし、それでも彼らの交わりの中に長い間、存在し続けることができなかった。依然として同様のものがこびりついていたからである。

1748, 27 Jan. 1748年1月27日。

 

(3) 訳文

576. さらに、彼らはあちこち歩き回り、出会うすべての者に、自分たちが暖かくなることを欲する何かを自分たちに与えるかどうか、と求める。だれかをまた何かを、他の者から何かの熱を得る時、それでもそれは彼らのもとで何も効力がない。なぜなら、内なる熱を持つことを欲す、けれども、他の者から得る外なるものを欲しないからである。最後に、そのように彼らの熱を恐れ、また吐き気を催し、同じように自分ののこぎりをひくことへ戻る、自分自身にそれを得るために。

 彼らの冷たさもまた私は感じた、それは十分に多量である。彼らも、私の中で、私が、あるいは火に向けて、あるいは足の履き物によってまた同様のものによって私を暖かさをとることに耐えることができなかった。

 

576a. さらに、自分の生活の中で善を行なったので、天界の中へ連れ去られることを常に望んでいる。それどころか、どのように自分自身が天界の中へ押し入ること、または持ち上げることができるか相談している。しかし、むなしい、やはり、彼らは冷たい。

 

577. それでも、非常に感覚力のある霊たちがいる。そのことを私は霊たちの高い領域(スフェア)の中に上げられた者から結論することができた。そこの霊たちは彼と一致することができない、彼らがさらに粗雑であったからである、なぜなら、彼らは彼が考えたことを、古くから似た者であった彼らの間にやって来ないうちに、洞察することができなかったからである。しかし、それでも彼らの交わりの中に長い間、存在し続けることができなかった。依然として同様のものがこびりついていたからである。1748年1月27日。

原典講読『霊界体験記』 578

(1) 原文

De Characteribus spirituum bonorum

 

578.  Spiritus boni se distinguunt per plura, ut per calorem, dum ad me appulerunt, per lenitudinem actionis in me, tum per lenitatem eorum loquelae, similiter per lenem fluiditatem dum in consortio plurium agunt, et{1} cumprimis, cum in consortio plurium agunt, quod id percipiatur manifeste, nempe quod plures sint, qui simul agunt, ita non prorsus ut unus, sicut angeli: imprimis per id quod nihil mali de quopiam dicere velint, sicut unus, qui in societate cum iis loquebatur, cum malos spiritus vocaret nomine malo, quia impii, quod eum, qui ita dixit, seque ab iis distinxit, ex eorum choro abalienaverint, dixerintque quod prius doctus sit, ne aliquem dicterio quodam afficiat: ita illico in consortiis noscuntur, num sint similes seu num concordent{2}, et probantur sic quoque. 1748, 27 Jan.

@1 forte deletum in ms.

@2 sic J.F.I. Tafel; ms. concordant

 

(2) 直訳

De Characteribus spirituum bonorum 善い霊たちの性質(性格)について

578.  Spiritus boni se distinguunt per plura, 善い霊たちは多くのものによって(自分自身を)区別している、

ut per calorem, dum ad me appulerunt, 例えば、熱によって、私に彼らが近づく(appello)時、

per lenitudinem actionis in me, 私の中への穏やかな行為によって、

tum per lenitatem eorum loquelae, なおまた、彼らの穏やかな話し方によって、

similiter per lenem fluiditatem dum in consortio plurium agunt, 同様に、穏やかな流動性(流暢さ)によって、多くの者との交わりの中で行動する時、

et{1} cumprimis, cum in consortio plurium agunt, quod id percipiatur manifeste, また、特に、多くの者との交わりの中で行動するとき、そのことがはっきりと知覚されること、

nempe quod plures sint, qui simul agunt, ita non prorsus ut unus, sicut angeli: すなわち、多くの者がいること、その者は一緒に行動する、そのようにまったく一つのように〔行動し〕ない、天使たちのように――

imprimis per id quod nihil mali de quopiam dicere velint, sicut unus, qui in societate cum iis loquebatur, cum malos spiritus vocaret nomine malo, 特に、そのことによって、悪い者はだれかについて何も言うことを欲しないこと、ある者のように、その者は社会の中で彼らと話す、悪い霊について悪い名前で呼ぶ、

quia impii, quod eum, qui ita dixit, seque ab iis distinxit, ex eorum choro abalienaverint, 不信心な者は~であるから、彼を、その者はそのように言った、そして自分自身を彼らから区別した、彼らの聖歌隊から追い出される、

dixerintque quod prius doctus sit, ne aliquem dicterio quodam afficiat: そして彼らは言った、以前に教えられたこと、ある者をある種の物笑いの種をひき起こさないように――

ita illico in consortiis noscuntur, num sint similes seu num concordent{2}, et probantur sic quoque. そのように直ちに交わりの中で知られる、似た者であるかどうか、すなわち、一致しているかどうか、また調べられる、このようにまた。

1748, 27 Jan. 1748年1月27日。

 

(3) 訳文

善い霊たちの性質について

 

578. 善い霊たちは多くのものによって区別される。例えば、私に彼らが近づく時の熱によって、私の中への穏やかな行為によって、なおまた、彼らの穏やかな話し方によって、同様に、多くの者との交わりの中で行動する時の穏やかな流暢さによって、また、特に、多くの者との交わりの中で行動するとき、そのことがはっきりと知覚されること、すなわち、多くの者がいてその者は一緒に行動することである、〔しかし〕、天使たちのようにそのようにまったく一つのようには行動しない――特に、悪い霊について悪い名前で呼んで社会の中で彼らと話すある者のように、悪い者はだれかについて何も言うことを欲しないことそのことによって〔知覚される〕。そのように言った、そして自分自身を彼らから区別した不信心な者は、彼らの聖歌隊から追い出されるからである。そして彼らは、以前、ある者をある種の物笑いの種にしないように教えられたこと言った―― そのように直ちに交わりの中で、似た者であるかどうか、すなわち、一致しているかどうか知られ、このようにまた調べられる。1748年1月27日。

『霊界体験記』柳瀬芳意と私

 本講「霊界体験記」に関し、私見を述べておくのも、この際、何かの参考となるであろう。

 

スヴェーデンボリに関わる膨大な訳書を出版された柳瀬に(呼び捨ての言い方をするのは、故人であるし、ある意味、尊敬のしるしである)に私が初めて会ったのは年号も変わった平成元年(1989年)正月であった。

柳瀬(明治41年10月15日生まれ)はその時、80歳、私(昭和21年12月15日生まれ)は42歳、48歳年長である。それから翌年の5月まで同氏の翻訳書などの校正の手伝いをしながらご一緒いただけたことは私の幸せであった(5月で去ったのは、翻訳ではその莫大な量に驚嘆しながらも、同時に「日本新エルサレム教会」を牧会していた牧師柳瀬に幻滅したからであった。私は既成教会に通っていたことがあり、その牧師を見てきた、それからすれば、あまりにも手抜き、もっと言えば、信徒のことを思っていないからであった、悪口になってすまない、説教での「柳瀬節」には味があった)。

 

 彼は当時、『天界の秘義』を終え、その最後の頃『霊界日記』も終え、『黙示録講解』(この時私は校正の手伝いもした)に取り組んでいた(その後は『神学』に関する小編を終え、翻訳業を終え、その後、病床に伏した)。

 ここで『霊界日記』の翻訳ペースを確認してみた。

 第1巻(1~692)を昭和55年(1980年)4月20日に出版。柳瀬71歳。

 以下ほぼ8カ月に一巻のペースで第9巻(5660~6110)を昭和60年(1985年)2月20日に出版して完了。6年間の訳業の内、前の方では『天界の秘義』の最後とダブっている。

 

 私が取り組んだのが昨年9月末からであり、現在、翻訳中、「ちょうど40年前に柳瀬が取り組んでいたであろ箇所」を私が訳していることになる(柳瀬は訳了してからほど2カ月弱で出版している)。年齢も2年異なるだけである(私は73歳)。

 奇しくも、同じような年齢で同じようなことをやっている、でも「内容は大いに異なる」。柳瀬は英訳書『霊界日記』(これはラテン原典の初版を1843-47年にロンドンで出版したターフェルがそのように名づけた、これを英訳したものである、スヴェーデンボリは一度も『日記』とは呼んでいない)から訳した。

 私はラテン原典第二版(オドナー、1983年)から訳している、しかも、このようにネット上で『原典講読』として、直訳まで示している(ここに40年間の時の流れ・変化を感じる)。希望として私も5年間ぐらいで訳し終えたい。

 

 さてついでに『霊界体験記』について、わずかに感想を述べておこう。この書を内容があまりに異常なので「まったくの作り話・精神状態が異常な時に書かれた」とすることへの反論である。

 (1) 20年間にわたる膨大な記録である。〔これだけ持続することはできない〕

 (2) 日付入りの記事である。〔いちいち日付を入れるであろうか〕

 (3) 『索引』をつくっている。〔索引をつくるなどありえない、私にとってこれが最大の理由〕

 以上の三つからして、この「体験談」が「でっちあげ・精神錯乱者の作品」などととうてい思えない。

なお『索引』について、『体験記』が4巻であるところ『索引』は2巻もの大著となっている、すなわち、単なる項目名の羅列ではなく、内容の詳細な要約となっている。体験を振り返って要約してみることなど、精神が異常だったなら決してできない(皆さまおわかりかと思う、改めて述べてみた)。

原典講読『霊界体験記』 579

(1) 原文

De choris angelicis

 

579.  Plures chori angelici, per aliquot dies, circum me auditi sunt, quos non satis distinguere possum, praeter Mahumedanos [cf. 3040], nam gyrationes eorum variant, quos{1} potui observare, sunt qui continuant gyrum absque interpunctionis cujusdam{2} nota, sunt qui continuant et terminant in duo, sic ut circumgyrationis quasi interpunctiones{3} auditae sint triplex, quadruplicata, quintuplicata{4}, sunt qui sex quasi sensibiles efficiunt quavis gyratione{5}, quae tam festina est, ut una circumgyratio ne vix unum minutum secundum efficiat. 1748, die 27 Jan.

@1 J F.l. Tafel: “nisi legeris quas

@2 imperfectum in ms.

@3 imperfectum in ms.

@4 sic J.F.I. Tafel; ms. quadruplicatus, quintuplicatus

@5 J.F.I. Tafel circumgyratione

 

(2) 直訳

De choris angelicis 天使の聖歌隊について

579.  Plures chori angelici, per aliquot dies, circum me auditi sunt, 天使たちの多くの聖歌隊が、数日の間、私の周囲に聞かれた、

quos non satis distinguere possum, praeter Mahumedanos [cf. 3040], それらを私は十分に区別することができないイスラム教徒のものを除いて〔3040参照☆〕

☆ 3040番の本文はその時に訳します、その表題は「天使たちの形について(De formis angelicis)」となっています、ここでは『索引』の「Chorus」から以下に紹介します――

 Chori spirituum et angelorum ex frequentia mihi familiares facti, Mahumedani prae caeteris cognoscuntur; primum discunt fluere in choros ut initientur. Chori tales qui initiati, sunt in maximo homine, at caeteri, qui non possunt esse, sunt extra hominem maximum, n. 3040.〔霊と天使たちの聖歌隊が…親しいものとなった、イスラム教徒のものは他のものよりも知られる。最初に流れることを学ぶ….このように手ほどきされた者は「最大の人」の中にいる、そうでない者は外にいる〕

 なお『索引』ではこの579番は、Terminationes chororum variae, n. 579〔聖歌隊のいろいろな終止〕となっています。

nam gyrationes eorum variant, quos{1} potui observare, なぜなら、彼らの旋回(運動)は変化するからである、それら☆を私は観察することができた、

☆ 「それら」が何を指すか、注があります。quos なら男性でありここでは「聖歌隊」です、quas なら女性なので「旋回(運動)」です、聖歌隊としていますが、訳文としては「それら」でよいでしょう。

sunt qui continuant gyrum absque interpunctionis cujusdam{2} nota, 旋回を句読法(=区切り)のある種のしるしなしに続ける者がいる、

sunt qui continuant et terminant in duo, 続け、また二つ〔の部分〕の中で終わる☆者がいる、

☆ いわゆる「二部構成」ということでしょう。

sic ut circumgyrationis quasi interpunctiones{3} auditae sint triplex, quadruplicata, quintuplicata{4}, そのように円軌道の運動(旋回)のものは、いわば句読法(=区切り)は三重のものが聞かれた、四重のリズムのもの、五重のものが☆、

☆ 「区切りが三重(三倍)のリズム」の意味がよくわかりません、「三拍子」ということでよいかと思います。

sunt qui sex quasi sensibiles efficiunt quavis gyratione{5}, quae tam festina est, ut una circumgyratio ne vix unum minutum secundum efficiat. 六〔の部分で終わる〕者がいる、いわばそれぞれの旋回(運動)が感覚で捕えられるものを引き起こす、それらはこれほどに速い(もの)である、一つの円軌道の運動(旋回)がほとんど一秒間(unum minutum secundum)でひき起こす。

1748, die 27 Jan. 1748年1月27日に。

 

(3) 訳文

天使の聖歌隊について

 

579. 天使たちの多くの聖歌隊が、数日の間、私の周囲で聞かれた、それらを私はイスラム教徒のものを除いて☆1十分に区別することができない。なぜなら、彼らの旋回は変化するからである、それらを私は観察することができた。旋回を区切りのある種のしるしなしに続ける者がいる。続けて、二つ〔の形〕で終わる者がいる。そのように旋回の区切りは、いわば三重のリズム、四重のリズム、五重のリズムものが聞かれた☆2。六〔の形で終わる〕者がいる、いわばそれぞれの旋回が感覚で捕えられるものを引き起こす、それらは、一つの旋回がほとんど一秒間でひき起こされるほどに速いものである。1748年1月27日。

 

☆1  3040番参照。

☆2 「区切りが三重(三倍)のリズム」の意味がよくわかりません、「三拍子」でよいかと思います。

原典講読『霊界体験記』 580

(1) 原文

De Jovis incolis

 

580.  Audivi ab eorum bonis spiritibus, de eorum morte, qui in tellure ista vivunt, quod nempe in sua juventute moriantur, ex causis de quibus prius [546], nempe, ne nimium augeatur numerus hominum, sed raro moriuntur per morbos, ut in hac tellure, nisi ii qui malam et externam vitam egerunt, sed moriuntur tranquille, et sicut in somno, sic ut per somnum eant in alteram vitam.

☆この段落は交差線で抹消されています。

 

(2) 直訳

De Jovis incolis 木星の住民について

580.  Audivi ab eorum bonis spiritibus, de eorum morte, qui in tellure ista vivunt, 私は彼らの善い霊たちから聞いた、彼らの死について、その者はその地球の中で生きる、

quod nempe in sua juventute moriantur, ex causis de quibus prius [546], すなわち、自分の壮年期の中で死ぬこと、理由から、それらについて以前に〔述べた、546〕、

nempe, ne nimium augeatur numerus hominum, すなわち、人間の数があまりに増やされないように、

sed raro moriuntur per morbos, ut in hac tellure, nisi ii qui malam et externam vitam egerunt, しかし、まれに病気によって死ぬ(=ほとんど死なない)、この地球の中のように、彼らでないなら、その者は悪と外なる生活を送った、

sed moriuntur tranquille, et sicut in somno, しかし、静かに(穏やかに)死ぬ、また眠りの中へのように、

sic ut per somnum eant in alteram vitam. そのように、眠りによって来世(他の生活)の中へ行く。

 

(3) 訳文

木星の住民について

 

580. 私は彼らの善い霊たちからその地球の中で生きる者の死について聞いた。すなわち、自分の壮年期の中で死ぬことである、その理由については以前に述べた〔546番〕、すなわち、人間の数があまりに増やされないようにである、しかし、悪いまた外なる生活を送った者でないなら、この地球上のように病気によって死ぬ者はほとんどいない。しかし、静かに、また眠りの中へ〔入るか〕のように死ぬ、そのように、眠りによって来世へ行く。