原典講読『啓示された黙示録』 第19章(各節の内容)の訳文

(3) 訳文

 1. 「この後、私は天の中に多くの群衆の声のようなものを、〔このように〕言っているのを聞いた。ハレルヤ」は、バビロンが遠ざけられたことのために、低い天界の天使たちによる、主への感謝の行為、告白、祝うことを意味する(803番)。「救いと栄光と誉れと力が、私たちの神、主に〔ある〕」は、今や、神的真理と神的善の受け入れがあるので、主の神的力から、今や、その方の救いがあることを意味する (804番)。

 2. 「その方のさばきは真実であり、正しいからである。地を自分の淫行で汚した大淫婦をさばいたからである」は、みことばの不潔な不純化によって主の教会を破壊したバビロンの汚れた宗教的信念が公正(義)から断罪されたからである、を意味する(805番)。「またその〔女の〕手からご自分のしもべたちの血を復讐した」は、主の礼拝する者の霊魂に加えられた危害や暴力のために、報いを意味する(806番)。

3. 「また、第二に(次に)、彼らは言った、ハレルヤ。また、その煙は永遠に上る」は、その汚れた宗教的信念が永遠に断罪されたこと楽しさ(うれしさ)からの感謝の行為と主へ祝うことを意味する(807番)。

 4. 「また、二十四人の長老と四つの動物は平伏し、王座の上に座っている神を、アーメン、ハレルヤと言って崇拝した」は、天地の神として、そして、全世界の審判者として、高い天界の天使たちによる主の崇拝を、また低い天界の天使たちによる感謝の行為、主の告白と祝うことの確証を意味する(808番)。

 5. 「また、王座から声が出て、言った。私たちの神を称賛せよ、その方のすべてのしもべたち、その方を恐れる者たち」は、主から天界の中への流入を、またこのように、信仰の真理の中にまた愛の善の中にいるすべての者が、主を天に界の唯一の神として礼俳しなければならないという天使たちの一致を意味する(809番)。「小さい者も大きい者も」は、小さい段階や大きい段階の中で、信仰の真理と愛の善から、主を礼拝する者を意味する(810番)。

 6. 「また、私は多くの群衆の声のようなものを、また多くの水の声のようなものを、また激しい雷鳴の声のようなものを、〔このように〕言っているのを聞いた。ハレルヤ、全能の神、主が支配するからである」は、今や、やって来ることになる教会の中で主おひとりが支配することの、最も低い天界の天使たちの、中間の天界の天使たちの、また最高の天界の天使たちの楽しさ(うれしさ)を意味する(811番)。

7. 「私たちは楽しみ、小躍りし、その方に栄光を与えよう、小羊の結婚〔の時〕がやって来るからである」は、霊魂と心の楽しさ(うれしさ)を、またここから主の栄光を、今から、教会とのその方の完全な結婚が生じることを意味する(812番)。「その方の妻が用意した」は、新しいエルサレムであるこの教会からの者になる彼らが、集められ、訓練され、教えられることを意味する(813番)。

 8. 「また彼女に、きれいな光り輝く亜麻布を着せられるのが許された」は、主からみことばによって、彼らが本物の純粋な真理の中で教えられることを意味する(814番)。「なぜなら、亜麻布は聖徒たちの公正(義)であるからである」は、みことばからの真理によって、主の教会からの者である彼らに生活の善があること意味する(815番)。

 9. 「また、彼は私に言った、書け、小羊の結婚式の晩餐に呼ばれた者は幸いだ」は、天界からのひとりの天使がヨハネに遣わされ、主の新しい教会について彼と、地上に知ることが与えられたこと、それを受け入れ、その教会の者である彼らに永遠のいのちがあることを話したことを意味する(816番)。「また、言った、これらは神の真実のことばである」は、これは主からものものであるので信じらるべきであることを意味する(817番)。

 10. 「また、私は彼を崇拝するためにその足の前に平伏した。また、彼は私に言った、見よ、〔し〕ないように、私はあなたの仲間のしもべ、イエスの証しを持っているあなたの兄弟である。神を崇拝せよ」は、天界の天使たちは崇拝され、加護を祈られてはならない、神性が彼らに何もないからである、しかし、主を礼拝する人間の仲間に、兄弟のように兄弟とならなければならない、またこのように主おひとりを彼らのとの交わりの中で崇拝しなければならないことを意味する(818番)。「なぜなら、イエスの証しは預言の霊であるからである」は、主が天地の神であることの認知を、また同時にその方の戒めにしたがった生活が、普遍的な意味で、みことばの、またここから教えのすべてのものであることを意味する(819番)。

 11. 「また、私は開かれた天を見た。見よ、白い馬を」は、主により啓示されたみことばの霊的な意味を、またそれによって明かされたみことばの内的な理解を意味する、それは主の来臨である(820番)。「その上に乗っている方は、「忠実で真実な方」と呼ばれ、公正(義)の中でさばき、戦う」は、神的善と神的真理そのものであるみことばに関する主を、その両方のものから審判を行なうことを意味する(821番)。

 12. 「また、その方の目は火の炎のよう〔であった〕」は、主の神的愛の神的知恵を意味する(822番)。「その方の頭の上に多くの王冠が〔あった〕」は、その方からのみことばの神的真理を意味する(823番)。「書かれた名前を持っており、その方でないなら、それをだれも知らない」は、霊的なまた天的な意味の中のみことががどんなものか、主とその方が啓示した者に以外に、だれも見ないことを意味する(824番)。

 13. 「また〔その方は〕血で染められた衣服を着ていて、その方の名前は「神のことば」と呼ばれる」は、最終的な意味の中の神的真理を、すなわち、暴力が加えられた文字の中のみことばを意味する(825番)。

 14. 「また、天の中の軍勢は、白い馬の上に〔乗って〕、白いまたきれいな亜麻布を着て、その方に従った」は、みことばの内的な理解力の中で主と結合している、またこのように純粋な本物の真理の中にいることになる新しいキリスト教の天界の中の天使たちを意味する(826番)。

 15. 「また、その方の口から鋭い剣が出ていた」は、主からここからの教えによる、虚偽の消散を意味する(827番)。「それによって諸国民を打つために。その方は鉄の杖で彼らを牧する」は、死んだ信仰の中にいるすべての者が、みことばの文字どおりの意味の真理によって、また正しい推論によって、納得させられることを意味する(828番)。「またその方は、全能の神の憤激と怒りのぶどう酒の酒ぶねを踏む」は、主おひとりが教会のすべての悪に、またみことばに、そのように、自分自身に加えられたすべての暴力に耐えたことを意味する(829番)。

 16. 「また、衣服の上に、ももの上に「王の王、主の主」と書かれた自分の名前を持っている」は、主がみことばの中で〔ご自分が〕どのようなものであるか、神的知恵の神的真理と神的愛の神的善であること、そのように全世界の神であることを教えていることを意味する(830番)。

 17. 「また、私は太陽の中に立っているひとりの天使を見た。また、大きな声で叫んで、天の真ん中に飛んでいるすべての鳥に言った、神の大きな晩餐にやって来い、集まれ」は、主が神的愛からまたここから神的熱意から、霊的な真理への情愛の中にいる、また天界について考えるすべての者を、新しい教会へ、またその方との結合へ、そのように永遠のいのちへ呼び出す、招集することを意味する(831番)。

 18. 「王の肉を、千人隊長の肉を、力ある者の肉を、馬とその上に座っている者の肉を、すべての自由人と奴隷の肉を、小さい者も大きい者も食べよ」は、主からの善を、みことばの真理とここからの教えによって、すべての意味、段階、種類の中で、自分のものとすることを意味する(832番)。

 19. 「また、私は獣と地の王たちとそれらの軍勢が集まっているのを、馬の上に座っている方とまたその方の軍勢と戦うのを見た」は、信仰のみを言明した内的に悪いすべての者が、指導者と彼らの隷属者とともに、主のみことばの中のその方の神的真理を攻撃すること、また主の新しい教会からの者になる彼らを悩ますことを意味する(833番)。

 20. 「また、獣は捕えられた、またそれとともに、その〔獣の〕前でしるしを行ない、それらで獣のしるし(記号)を受けた者を、またその像を崇拝した者を惑わしたにせ預言者が〔捕えられた〕」は、信仰のみを言明し、そして内的に悪い者であった者を、誤まった推論と証言によって、信仰のみが唯一の救いの手段であることを、他の者に、その信仰を受け入れるように向けて、またそれにしたがって生きるように向けて示した者、平信徒と大衆も、聖職者と学問ある者も、それらすべての者を意味する(834番)。「これらふたりは硫黄で燃える火の池の中に、生きながら入れられた」は、そのようであった彼らすべての者が、虚偽の悪と同時に悪の欲望がある地獄の中に投げ込まれたことを意味する(835番)。

 21. 「また、残りの者は、馬の上に座っている方の口から出ている剣で殺された」は、みことばの中の主の戒めを知っていた〔けれども〕それらにしたがって生きなかった、改革派教会の間のいろいろな異端からのすべての者が、みことばから審判されて、滅んだことを意味する(836番)。

「また、すべての鳥は彼らの肉を飽きるほど食べた」は、地獄の悪鬼たちが、彼らに固有のものである彼らの悪の欲望から、あたかも養われるかのようであることを意味する(837番)。

原典講読『啓示された黙示録』 803

EXPLICATIO.

説明

 

(1) 原文

803. [Vers. 1.] ” Post haec audivi tanquam vocem turbae{1} multae in Caelo, dicentis Alleluja,” significat gratiarum actionem, confessionem et celebrationem Domini ad Angelis inferiorum Caelorum propter remotionem Babyloniorum.-Per ” turbam multam in Caelo” significantur Angeli inferiorum Caelorum; per ” vocem ejus dicentis Alleluja” significatur gratiarum actio, confessio et celebratio Domini ab illis: per “Alleluja” in lingua Hebraea significatur Laudate Deum; sic fuit vox gratiarum actionis, confessionis et celebrationis Domini ex gaudio cordis, ut patet ex his:

 

“Benedic anima mea Jehovae, Alleluja” (Psalm. civ. 35);

“Benedictus Jehovah Deus Israelis ab aeterno in aeternum usque; et dicat omnis populus, Amen, Alleluja” (Psalm. cvi. 48);

“Benedicamus Jah ex nunc et in aeternum, Alleluja” (Psalm. cxv. 18);

“Omnis anima laudet Jah, Alleluja” (Psalm. cl. 6).

(Praeter alibi, ut Psalm. cv. 45; Psalm. cvi. 1; Psalm. cxi. 1; Psalm. cxii. 1: Psalm. cxiii. 1, 9: Psalm. cxvi. 19; Psalm. cxvii. 2; Psalm. cxxxv. 3; Psalm. cxlviii. 1, 14; Psalm. cxlix. 1, 9; Psalm. cl. 1.)

 

Quod sit propter rejectionem Babyloniorum, patet ex capite praecedente, in quo de Babyloniis actum, quare dicitur “Post haec;” et ex sequentibus (in vers. 2, 3), in hoc capite. Quod sint Angeli inferiorum Caelorum, qui per “turbam multam in Caelo” intelliguntur, constat ex versu 4, hujus capitis, ubi dicitur, quod “viginti quatuor Seniores et quatuor Animalia adoraverint Sedentem super Throno, dicentes Amen, Alleluja,” per quos intelliguntur Angeli superiorum Caelorum.

@1 turbae pro “tubae”

 

(2) 直訳

803. [Vers. 1.] ” Post haec audivi tanquam vocem turbae{1} multae in Caelo, dicentis Alleluja,” significat gratiarum actionem, confessionem et celebrationem Domini ad Angelis inferiorum Caelorum propter remotionem Babyloniorum.- 803(第1節) 「この後、私は天の中に多くの群衆の声のようなものを、〔このように〕言っているのを聞いた。ハレルヤ」は、低い天界の天使たちによる、主への感謝の行為、告白、また祝うことを意味する、バビロンの遠ざけること(除去)のために。

Per ” turbam multam in Caelo” significantur Angeli inferiorum Caelorum; 「天の中の多くの群衆」によって、低い天界の天使たちが意味される。

per ” vocem ejus dicentis Alleluja” significatur gratiarum actio, confessio et celebratio Domini ab illis: 「ハレルヤと言っているその声」によって、彼らによる、主への感謝の行為、告白、また祝うことを意味が意味される。

per “Alleluja” in lingua Hebraea significatur Laudate Deum; 「ハレルヤ」によって、ヘブル語の中で、神をほめたたえよが意味される。

☆ 正しくは「ヤ―」(すなわち、エホバ)をほめたたえよ(ハルルーヤー)、です

sic fuit vox gratiarum actionis, confessionis et celebrationis Domini ex gaudio cordis, ut patet ex his: このように、心の楽しさ(うれしさ)からの主への感謝の行為の、告白の、また祝うことの声であった、これらから明らかなように――

“Benedic anima mea Jehovae, Alleluja” (Psalm. civ. 35); 「私の魂よ、エホバを祝福せよ、ハレルヤ」(詩篇104:35)。

“Benedictus Jehovah Deus Israelis ab aeterno in aeternum usque; 「祝福されたイスラエルの神エホバ、永遠から永遠まで。

et dicat omnis populus, Amen, Alleluja” (Psalm. cvi. 48); また、すべての民は言う(未来)、アーメン、ハレルヤ」(詩篇106:48)。

“Benedicamus Jah ex nunc et in aeternum, Alleluja” (Psalm. cxv. 18); 「私たちは今からまた永遠に、ヤーを祝福する( 未来)、ハレルヤ」(詩篇115:18)。

“Omnis anima laudet Jah, Alleluja” (Psalm. cl. 6). 「すべての息(魂)☆はヤ―をほめたたえる(未来)、ハレルヤ」(詩篇150:6☆)。

☆ 「詩篇」最後の言葉です。すなわち、最後の賛美として、ここは「息」とするのがよい(味わい深い)と思います。「創世記」2:7を参照してください。

(Praeter alibi, ut Psalm. cv. 45; Psalm. cvi. 1; Psalm. cxi. 1; Psalm. cxii. 1: Psalm. cxiii. 1, 9: Psalm. cxvi. 19; Psalm. cxvii. 2; Psalm. cxxxv. 3; Psalm. cxlviii. 1, 14; Psalm. cxlix. 1, 9; Psalm. cl. 1.) (ほかに他の箇所に、例えば、詩篇105:45、詩篇106:1、詩篇111:1、詩篇112:1、詩篇113:1, 9、詩篇116:19、詩篇117:2、詩篇135:3、詩篇148:1, 14、詩篇49:1, 9、詩篇150:1)。

Quod sit propter rejectionem Babyloniorum, patet ex capite praecedente, in quo de Babyloniis actum, quare dicitur “Post haec;” バビロンの遠ざけること(除去)のためにであることは、先行する章から明らかである、その中にバビロンについて扱われている、それゆえ、「この後」と言われている。

et ex sequentibus (in vers. 2, 3), in hoc capite. また、この章の中に、続くものから(2, 3節)。

Quod sint Angeli inferiorum Caelorum, qui per “turbam multam in Caelo” intelliguntur, constat ex versu 4, hujus capitis, ubi dicitur, quod “viginti quatuor Seniores et quatuor Animalia adoraverint Sedentem super Throno, dicentes Amen, Alleluja,” per quos intelliguntur Angeli superiorum Caelorum. 低い天界の天使たちであることは、その者は「天の中の多くの群衆」によって意味される、本章の第4節から明らかである、そこに言われている、「二十四人の長老と四つの動物は平伏し、王座の上に座っている方を、アーメン、ハレルヤと言って崇拝した」こと、それらによって、高い天界の天使たちが意味されること。

@1 turbae pro “tubae” 注1「tubae」の代わりに trubae

 

(3) 訳文

 803(第1節) 「この後、私は天の中に多くの群衆の声のようなものを、〔このように〕言っているのを聞いた。ハレルヤ」は、バビロンが遠ざけられたことのために、低い天界の天使たちによる、主への感謝の行為、告白、祝うことを意味する。

 「天の中の多くの群衆」によって、低い天界の天使たちが意味される。「ハレルヤと言っているその声」によって、彼らによる、主への感謝の行為、告白、また祝うことを意味が意味される。「ハレルヤ」によって、ヘブル語で、神をほめたたえよが意味される。このように、心の楽しさ(うれしさ)からの主への感謝の行為、告白、祝う声であった、これらから明らかなように――

 

 「私の魂よ、エホバを祝福せよ、ハレルヤ」(詩篇104:35)。

 「永遠から永遠まで祝福されたイスラエルの神エホバ。すべての民は言う、アーメン、ハレルヤ」(詩篇106:48)。

 「私たちは、今からまた永遠に、ヤーを祝福しよう、ハレルヤ」(詩篇115:18)。

 「すべての息ある者は、ヤ―をほめたたえよ。ハレルヤ」(詩篇150:6)。

 (ほかに他の箇所に、例えば、詩篇105:45、106:1、111:1、112:1、113:1, 9、116:19、117:2、135:3、148:1, 14、49:1, 9、150:1)。

 

 バビロンを遠ざけることのためにであることは、バビロンについて扱われている先行する章から明らかであり、それゆえ、「この後」と言われている。また、この章の中に、続くものから〔明らかである〕(2, 3節)。

「天の中の多くの群衆」によって意味される者が低い天界の天使たちであることは、本章の第4節から明らかであり、そこに、「二十四人の長老と四つの動物は平伏し、王座の上に座っている方を、アーメン、ハレルヤと言って崇拝した」ことが言われており、それらによって、高い天界の天使たちが意味される。

 

☆ ハレルヤ(ハルルーヤー)は「ヤ―(すなわち、エホバ)をほめたたえよ」を意味します。