原典講読『啓示された黙示録』 655(訳文)

(3) 訳文

655.これらに私はこのメモラビリアを加える――

 

 私は、「黙示録」の中の「竜」によって意味される者と話した。また、彼らからのある者が言った、「私と来い、私は私たちの目と心の快感を示そう」。

 また、私を暗い森を通って、また丘の上へ導いた、そこからは竜の快いものを眺めることができる。

 また私は円形の形の中に直立している円形演技場を見た、円の周りの斜め上方へと造られた長椅子(ベンチ)とともに、それらの上に見物人が座っていた。

 最も下の長椅子(ベンチ)座っていた者は、私に遠方からサテュロス☆1とプリアーポス☆2たちのように見えた、ある者はおおいで陰部をおおって、またある者はそれなしに裸で。

 長椅子(ベンチ)の上に淫行する者と娼婦が(このような者〔であること〕が彼らの身振りから見られた)座った。

 またその時、竜は私に言った、「今から、あなたは私たちの遊び(気晴らし)を見るであろう」。

 また、私は丸い中庭の中に、あたかも引き入れられているかのような若い雌牛、雄羊、羊、子ヤギ、子羊を見た。またその後、それらは入れられ、門が開かれ、、あたかも若いライオン、ピューマ、ヒョウ、オオカミが突進し、狂乱とともに群れを襲い、そしてそれらを追い散らし、殺した。

 しかし、サテュロスはそのむごたらしい虐殺の後、殺害の場所の上に砂を撒いた。

 [2] その時、竜は私に言った、「これらが私たちの遊び(気晴らし)である、それは私たちの心(アニムス)を喜ばせる」。

 また私は答えた、「去れ、悪魔。いくらかの時間の後、あなたはこの円形演技場が火と硫黄の池に変えられるのを見る」。

 彼は笑い、去った。

 またその後、私は私と、なぜこのようことが主により許されているか考えた。また私は私の心の中に答えをもたらした、霊たちの世界の中にいるかぎり許されること、しかし、その世界の中の彼らの時を過ごした後、このような劇場の舞台は恐ろしい地獄のものに変えられる。

 [3] 見られたそれらすべてのものは、竜により幻想(想像力)によって引き起こされた――それゆえ、若い雌牛、雄羊、羊、子ヤギ、子羊ではなかった。しかし、憎しみを持った教会の本物の善と真理がそのようなものとして見られた。

 ライオン、ピューマ、ヒョウ、オオカミは、彼らのもとの欲望の外観であった。サテュロスとプリアーポスにそのように見られた者で、陰部のまわりのおおいがなかった者は、悪が神の前に見られないことを信じた〔者であった〕。またおおいがあった者は、見られても、信仰の中にいるかぎりは断罪されないと信じた者であった。

 淫行する者と娼婦は、みことばの真理を虚偽化する者であった、というのは、淫行は真理の虚偽化を意味するから。

 霊界の中で、すべてのものは、遠方から対応にしたがって見られる。それが形の中で見られるとき、自然的な対象に似たものの中の霊的なものの表象と呼ばれる。

 [4] その後、私は森から出て行く彼らを見た、竜をサテュロスとプリアーポスの真ん中に〔して〕、また淫行する者と娼婦であった兵士の従者と随行者は、彼らの後ろに。

 途中で群れが増やされた、またその時、私は、何が彼らの間で話されたか聞いた。

 彼らは、牧草地の中で子羊とともに羊を見た、これは、そこに仁愛が第一の(主要な)ものであるエルサレムの都からの一つの都のしるしであり、〔これが〕近くにある、と言った。

 また彼らは言った、「私たちはその都に行き、獲得し、住民を追い出し、彼らの財産を奪おう」。

 彼らは近づいた。しかし、その周りに城壁があった、また城壁の上に守護の天使たちが〔いた〕。

 またその時、言った、「私たちはそれを策略によって獲得しよう。私たちは、もぐもぐ言う熟練家を送ろう、その者は黒を白くし、また白を黒く、また事柄をそれぞれの対象に偽装することができる」。

 また、形而上学の技巧での熟練者が見つけ出され、その者は物事の観念を術語の観念の中に変え、そして物事そのものを定式文句(きまり文句)の下に隠し、またこのように翼の下のえじき(略奪品)とともにタカのように飛ぶことができた。

 彼は、町の住民にどのように宗教の仲間であったことを話すか教えられ、送られた。

彼は門へ近づいて、叩いた。それが開かれ、彼は、その都の最も賢明な者と話したい、と言った。

 そして、入った、また、ある者のところ案内された。またその時、彼に言った、「私の兄弟が都の外にいる、また、受け入れられるように求めている。あなたがたと私たちは宗教の中で仲間である。私たちは信仰と仁愛を宗教の二つの本質的なものとしている。単に区別がある、あなたがたは仁愛を第一の(主要な)ものであると呼び、また信仰をここからのもととしている、また私たちは信仰を第一の(主要な)ものであると呼び、また仁愛をここからのものとしている――もし、一方またはもう一方が第一の(主要な)ものと言われる〔にしても〕、両方を信じるとき、何が重要か?」。

 [5] 都の賢明な者が答えた、「私たちはこの事柄について自分たちだけで話さないで、判定者と審判者である多くの者の居合わせることの中で〔話そう〕、そうでなければ、決定が生じない」。

 またじきに呼び出され、その者に、竜の追随者は前のものと同様の言葉を話した。

 またその時、都の賢明な者は答えた、――「あなたは、同様であることを言った、仁愛が教会の第一(主要な)もの〔として〕あるいは信仰が取り上げられるにしても、一致があるかぎり、両方のものが教会を、またその宗教をつくること。それでもなお、前のものと後のものの間、原因と結果の間、主要なものと手段となるものの間、本質的なものと形式的なものの間のような相違がある。

 このようなことを私が言うのは、私は気づいたからである、あなたは形而上学の知識に熟練した〔者〕であること、その知識を私たちはもぐもぐ言うこと、、またある者は呪文を唱えることと呼んでいる。

 しかし、私たちはそれらの術語を放棄する。

上にあるものと下にあるものの間のような相違がある。それどころか、もしあなたが信じることを欲するなら、「天界と地獄の間の相違である」。なぜなら、第一の(主要な)ものであるものは、頭と胸をつくる、またここからのものは、足とこれらの足の裏をつくるからである。

 しかし、私たちは最初に何が仁愛かまた何が信仰か一致させよう。仁愛は、神、救い、また永遠のいのちのために隣人に善を行なう愛の情愛であること。また信仰は、神、救いまた永遠のいのちについての信頼からの思考であること。

[6] しかし、送り出された者は言った、「私は、これが信仰であることを認める、そしてまた私は、仁愛が神のためのその情愛であることを認める、なぜなら、その方が命じたためである、けれども、救いと永遠のいのちのためではない。

「また、都の賢明な者が言った、「神のためにであるかぎりこのことがある」。

 この一致の後、都の賢明な者は言った、「情愛は第一のもの、また思考はここからではないのか?」

 しかし、竜から送られた者は言った、「これを私は否定する」。

 しかし、答えがもたらされた、「あなたはそれを否定することができない。人間は情愛から考えないか? 情愛を取り去れ、何かを考えることができるのか? まったく、あなたは話すことから音を取り除くようである。もし、あなたが音を取り除くなら、あなたは何かを話すことができるのか? さらにまた、音は情愛のものである、また話すことは思考のものである、なぜなら、愛は音をたて、思考が話すからである。

 そしてまた、炎と光のようである――もし、あなたが炎を取り除くなら、光は消えないか? 仁愛も同様である、これは情愛のものであるから、また信仰に同様である、これは思考のものであるからである。

あなたはこのように、まったく話すことの中の音声のように、第一の(主要な)ものは第二の(従属的な)ものの中のすべてのものであることを、把握することができないか? 

 またそれらから、もし、あなたが第一のものを第一のものとしないなら、あなたは他のものの中にいないことを見ることができる。それゆえ、もし、第二の場所にある信仰を、第一〔の場所〕に置くなら、あなたは天界の中で、逆になった人間のようにしか見られない、その足は上方に、そして頭を下方に〔して〕立つ、または身体を逆さにして手の掌の上に歩く道化師のようである。

 その時、あなたがたは天界の中でこのような者に見える、その時、あなたがたの善の働きは、それは仁愛であるが、道化師が手でできないので自分の足で行なうようなものものではないのか?

 ここから、あなたがたの仁愛は、あなたがたもまた見たように、逆であるので自然的であり、霊的ではない」。

 [7] 送られた者はこのことを理解した、なぜなら、すべての悪魔は真理を聞くときそれを理解することができるから。しかし、保持することができない、悪の情愛が戻るとき、真理の思考を退けるからである。

 またその後、都の賢明な者が、信仰がどのようなものであるか、第一のものとして受け入れられる時、単なる自然的なものであること、また何らかの霊的ないのちのない信念であること、したがって、信仰ではないことを大いに示した――「というのは、あなたがたの仁愛は、自然的な情愛以外でないなら、ないからである、また自然的な情愛から自然的なもの以外の他の思考は発出しない、それがあなたがたの信仰である――そして、私はほとんど言うことができる、単なる自然的な信仰の中に、ムガル人の王国(モンゴル)について、そこにダイヤモンドの鉱山について、そしてまたその皇帝の宝物または金についての知識考以上に霊的なものがないことである」。

 これらを聞いて、竜の追随者は怒って去り、都の外の自分たち〔のもと〕に報告した。

 また、仁愛は、神、救いまた永遠のいのちのために隣人に善を行なう愛の情愛であると言われたことを聞いたとき、すべてのものは叫んだ、「これはうそである」――また竜自身は、「ああ! 犯罪だ。救いのための、仁愛のものであるすべての働きは、功績を求めるものではないのか?」

 [8] その時、彼らは互いに言った、「私たちは、私たちの者からさらに多くの者を呼び集め、この都を包囲し、それらの仁愛を〔体現している者〕を追い出そう。私たちははしご(階段)をつくり、城壁を昇り、そして私たちは夜に突進し、それらの仁愛を追い出そう。

 しかし、このことを奮闘しているとき、見よ、天界から火のように現われ、それは彼らを焼き尽くした。

 しかし、天界からの火は、信仰を最初のものから代わりに第二のものに退けた、それどころか、仁愛の下に最低のものの中にし、信仰ではないことを言って、追い払った、都の中にいた者に対する怒りと憎しみの外観であった。火で焼き尽くされるように見られたことは、彼らの足の下にのみ込まれる地獄が開かれたことであった。

 これらと同様のことが最後の審判の日に多くの場所で起こった。このことが「黙示録」の中のこのことによって意味される――

 

竜は「四方の地の中に〔いる〕国民を惑わすために出て行った、彼らを戦いの中に集めるために。また地の平地に上った、また聖徒たちの陣営を、喜びの都を取り囲んだ。しかし、神からの火が天界から降り、彼らを焼く尽くした」(20:8, 9)。

 

☆1 サテュロスは酒神バッコスに従う半人半獣の怪物で、酒と女が大好きな山の精。

☆2 プリアーポスはローマの豊饒の神、好色な男の霊の呼称として用いられる。

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