(3) 訳文
4. そのようであることを確信するために、この第1章の中に、みことばから、そこに「その日」、「その日に」、「またその時に」が言われている箇所だけを提示しよう。それらの中で「日」によって、また「時」によって、主の来臨が意味されている。
「イザヤ(書)」に、
「後の日に、エホバの〔家の〕山が山の頂きに堅く立つ」。「その日に、エホバおひとりが高められる」。「万軍のエホバの日がすべての称賛される者と高められた者の上にある」。「その日に、人間は自分の金と銀の偶像を投げ捨てる」(第2章2, 11, 12,20)。
「その日に、主エホビは装飾品を取り去る」(第3章18)。
「その日に、エホバの若枝は美観と栄光の中にある」(第4章2)。
「その日に、彼に対してうなる……そして地を調べる。見よ、それは、暗やみ、不安。また光は破滅の中で暗くなる」(第5章30)。
「その日になると、エホバはエジプトの川々の最果ての中のハエに口笛で合図する」。「その日に主は……川の通過の中で剃り落とす」。「その日に、生き生きとさせる」。「その日にすべての場所で……いばらとおどろになる」(第7章18,20, 21, 23)。
「天罰の日に、あなたがたは何をするのか?……その日が来る」「その日に……イスラエルはエホバに、イスラエルの聖なる者に、真理の中で支えられる」(第10章3, 20)。
「その日に、エッサイの根は、民の旗の中に立っている……国々は求める。また休息はその方の栄光となる」。「特に、その日に、主は……自分の民の残りの者を捜し求める」(第11章10, 11)。
「その日に、あなたは言う。私はあなたを賞賛する、エホバよ」。「その日に、あなたがたは言う。エホバはほめたたえられる、その方の名前を呼べ」(第12章1, 4)。
「エホバの日は近い、シャダイ(全能者)から荒廃がやって来る」。「見よ、残酷な、憤りの、激しい怒りの、怒りのエホバの日がやって来る」。「わたしは天を揺り動かす、地をその場所からゆすぶる、その方の怒りの激しい怒りの日に」。「その方の時は近い、やって来る。日は……延ばされない」(第13章6, 9, 13, 22)。
「その日に、ヤコブの栄光は衰える」。「その日に、人間は自分を造られた方を眺め、また目は……イスラエルの聖なる方へ」。「その日に避け所の都は……森の見捨てられた所になる」(第17章4, 7, 9)。
「その日に、エジプトの地の中にカナンの言語を話す五つの町がある」。「その日に、エジプトの真ん中にエホバの祭壇がある(またエジプト人はその日に主を知る)」。「その日にエジプトからアッシリヤへの街道がある、(またその日に)イスラエルは地の真ん中にある」(第19章18, 19, 21, 23, 24)。
「その日に、島の住民は言う……見よ……私たちの望み」(第20章6)。
「万軍の主エホビの、騒動、蹂躙、混乱の日」(第22章5, 12)。
「その日に、エホバは高い所(天)の軍隊と……地の王を罰する」。「多くの日々の後、罰せられる。その時、月は赤面し、太陽は恥じる」(第21章21, 22, 23)。
「その日に言う。見よ、ここに私たちの神、その者を私たちは、私たちを救い出すように待ち望んだ」(第25章9)。
「その日に、ユダの地でこの歌が歌われる。私たちに強い都がある」(第26章1)。
「その日にエホバは自分の剣で罰する」。
「その日に、純粋な(ブドウ酒の)ブドウ畑よ、答えよ」(第27章1, 2, 12, 13)。
「その日に、万軍のエホバは、装飾された王冠、かぶり物となる」(第28章5)。
「その日に、耳しいた者は「書物」のことばを聞く……盲目の者の目は暗やみから見る」(第29章18)。
「大いなる殺戮の日に、塔が倒れるとき、水の運河がある。また……月の光は太陽の光のように〔なる〕……その日に、エホバはご自分の民の傷を包帯される」(第30章25, 26)。
「その日に、男は自分の金と銀の偶像を投げ捨てる」(第31章 7)。
「エホバの復讐の日、その方の報いの年」(第34章8)。
「一つの日のうちに、二つがあなたにやって来る……子を失うやもめとなること」(第47章9)。
「わたしの民はわたしの名前を知る、またその日に……わたしが彼〔であることを知る〕、その者が語っている、わたしを見よ」(第52章6)。
「エホバは私に油を注がれた……エホバの楽しみの年を、神の復讐の日を宣言するために、すべての悲しむ者を慰めるために」(第61章1, 2)。
「わたしの心の中に復讐の日がある。わたしのあがないの年がやって来た」(第63章49)。
(4) 感想:この引用聖句の羅列、どうにかならないのでしょうか?
ここに「イザヤ書」だけでも、これでもかこれでもかと44あります。典型的、特徴的なところを何箇所か示して、後は「章・節」の数字だけで済ませられないものでしょうか。読者にとっても大変でしょう、読み飛ばすのではないでしょうか。(これが本書『主について』を手につける気にならなかった理由です)