原典講読『宗教と生活』 84(最終回)

 

(1) 原文「1028番」


 84 Dicitur a quibusdam quod qui contra unum praeceptum decalogi peccat etiam contra reliqua peccet, ita quod reus sit omnium qui est reus unius; sed quomodo hoc cum veritate cohaeret, dicetur. Qui transcendit unum praeceptum, confirmando apud se quod hoc non sit peccatum, et sic absque timore Dei id committit, is quia rejecit timorem Dei, nec timet transcendere praecepta reliqua, tametsi non actualiter illa transcendit.


Ut pro exemplo: qui fraudes et illicitas lucrationes, quae in se sunt furta, non pro peccatis reputat, is nec pro peccatis reputat adulterari cum uxore alterius, hominem odio habere usque ad necem, mentiri in illum, concupiscere domum ejus, et plura quae ejus sunt; negat enim quod aliquid sit peccatum, dum in uno praecepto rejicit e corde timorem Dei; inde in communione est cum illis qui reliqua praecepta similiter transcendunt: est sicut infernalis spiritus, qui in inferno furum est; is tametsi non est adulter, nec homicida, nec falsus testis, usque in communione est cum illis, et potest ab illis persuaderi ad credendum quod non mala sint, et quoque adduci ad faciendum illa; nam qui infernalis spiritus per transgressionem unius praecepti factus est, is amplius non credit peccatum esse facere aliquid contra Deum, nec facere aliquid contra proximum.


Contrarium fit illis qui abstinent a malo unius praecepti, et illud ut peccatum contra Deum fugiunt et dein aversantur; ii, quia timent Deum, in communionem veniunt cum angelis caeli, ac ducuntur a Domino ad abstinendum a malis reliquorum praeceptorum, et ad fugiendum illa, et tandem ad aversandum illa, ut peccata; et si forte peccaverint contra illa, usque paenitentiam agunt, et sic per gradus abducuntur ab illis.


 


 (2) 直訳


Dicitur a quibusdam quod qui contra unum praeceptum decalogi peccat etiam contra reliqua peccet, ita quod reus sit omnium qui est reus unius; ある者から言われる、十戒の一つの戒めに反して罪を犯す者は残りの戒めに対してもまた罪を犯す、そのように、すべてのものに罪がある、一つのものに罪がある者は。


sed quomodo hoc cum veritate cohaeret, dicetur. しかし、どのようにこのことが真理と密着しているか、言われる。


Qui transcendit unum praeceptum, confirmando apud se quod hoc non sit peccatum, et sic absque timore Dei id committit, is quia rejecit timorem Dei, nec timet transcendere praecepta reliqua, tametsi non actualiter illa transcendit. 一つの戒めを限度を越える者は、自分自身に確信して、このことは罪ではない、またこのように神への恐れなしにそれを犯す、彼は神への恐れを拒否する(除く)ので、残りの戒めを限度を越えることも恐れない、たとえそれらを実際に越えなくても。


Ut pro exemplo: 例えば、例として――


qui fraudes et illicitas lucrationes, quae in se sunt furta, non pro peccatis reputat, is nec pro peccatis reputat adulterari cum uxore alterius, hominem odio habere usque ad necem, mentiri in illum, concupiscere domum ejus, et plura quae ejus sunt; ごまかし、また許されないもうけを、それらは本質的に盗みである、罪として見なさない者は、彼は他の者の妻との姦淫も罪と見なさない、人間に憎しみを抱くこと、殺人にまでも、彼に()ること、彼の家を欲しがること、また彼のものである多くのものを。


negat enim quod aliquid sit peccatum, dum in uno praecepto rejicit e corde timorem Dei; というのは、何らかのものが罪であることを否定するから、一つの戒めの中で、心から神への恐れを拒否する(除く)時。


inde in communione est cum illis qui reliqua praecepta similiter transcendunt: ここから、彼らとの交際の中にいる、その者は残りの戒めを同様に限度を越える。


est sicut infernalis spiritus, qui in inferno furum est; 地獄の霊のようである、その者は泥棒の地獄にいる。


is tametsi non est adulter, nec homicida, nec falsus testis, usque in communione est cum illis, et potest ab illis persuaderi ad credendum quod non mala sint, et quoque adduci ad faciendum illa; 彼はたとえ姦淫者ではなくても、殺人者でもない、偽りの証人でもない、それでも、彼らとの交際の中にいる、また彼らから信じるように説得されることができる、悪でないこと、そしてまたそれらを行なうように勧誘されること。


nam qui infernalis spiritus per transgressionem unius praecepti factus est, is amplius non credit peccatum esse facere aliquid contra Deum, nec facere aliquid contra proximum. なぜなら、一つの戒めの違反によって地獄の霊になった者は、彼はもはや信じないから、神に反して何らかのことを行なうこと、隣人に反して何らかのことを行なうことも、罪であることを。


Contrarium fit illis qui abstinent a malo unius praecepti, et illud ut peccatum contra Deum fugiunt et dein aversantur; 反対のことが彼らに生ずる、一つの戒めの悪をやめる(慎む)者、またそれを神に反する罪として避け、またその後、退ける。


ii, quia timent Deum, in communionem veniunt cum angelis caeli, ac ducuntur a Domino ad abstinendum a malis reliquorum praeceptorum, et ad fugiendum illa, et tandem ad aversandum illa, ut peccata; 彼らは、神を恐れるので、天界の天使たちとの交(の中)にやって来る、そして、主により導かれる、残りの戒めの悪をやめるように、またそれらを避けるように、またついにはそれらを退けるように、罪として。


et si forte peccaverint contra illa, usque paenitentiam agunt, et sic per gradus abducuntur ab illis. また、もし、はからずも(偶然に)☆それらに反して罪を犯したなら、それでも、悔い改めを行なう、またこのように徐々にそれらから導き出される。


このforteはここでは過去に言及しています。


 


(3) 訳文(『黙示録講解』1028)


 ある者により、十戒の一つの戒めに反して罪を犯す者は残りの戒めに対してもまた罪を犯す、そのように、一つのものに罪がある者は、すべてのものにも罪がある、と言われている。しかし、このことがどのように真理と密接に結びついているか、述べよう。


 一つの戒めを、このことは罪ではないと自分自身に確信して、踏み越え、またこのように神への恐れなしにそれを犯す者は、神への恐れを捨てるので、残りの戒めを、たとえそれらを実際に越えなくても、踏み越えることを恐れない。


 例えば(例として)――ごまかしや許されないもうけを、それらは本質的に盗みであるが、罪として見なさない者は、他の者の妻との姦淫も、殺人にまでも人間に憎しみを抱くこと、彼を偽ること、彼の家を、また彼のものである多くのものを欲しがることを罪と見なさない。というのは、一つの戒めの中で神への恐れを心から捨てる時、何らかのものが罪であることを否定するから。ここから、残りの戒めを同様に踏み越える者との交際の中にいる。泥棒の地獄にいる(地獄の)霊のようである。彼はたとえ姦淫者ではなく、殺人者でもなく、偽りの証人でなくて、それでも、彼らとの交際の中にいる、また彼らから悪でないこと信じるように説得され、そしてまたそれらを行なうように勧誘される(ことができる)。なぜなら、一つの戒めの違反によって地獄の霊になった者は、もはや、神に反して何らかのことを行なうこと、隣人に反して何らかのことを行なうことも、罪である、と信じないから。


 一つの戒めの悪をやめ、またそれを神に反する罪として避け、またその後、退ける者に反対のことが生ずる。彼らは、神を恐れるので、天界の天使たちとの交際の中にやって来る、そして、主により、罪として残りの戒めの悪をやめるよう、またそれらを避けるよう、またついにはそれらを退けるようにと導かれる。また、はからずもそれらに反して罪を犯したなら、それでも、悔い改めを行ない、またこのように徐々にそれらから導き出される。


 


* * * * *


 


 以上で『宗教と生活』は終わりです。ここで同じ『黙示録講解』の中に、この後に出てくる「悪から救われるための祈り」を紹介しておきます。この祈りはスヴェーデンボリ独自の非常に素晴らしいものです。新教会の礼拝でも使われます。


 この後、この講座の訳文を見直し、出版する予定ですが、そこにもこの祈りを付録として含めようと思っています。


 


悪から救われるための祈り(黙示録講解1148より)


「原文」


 “Ut Dominus sit apud illos jugiter, ac levet et vertat facies ad illos, doceat, illustret et ducat illos, quoniam ex se nihil boni facere possunt, et det illis ut vivant; ne diabolus seducat illos, ac cordibus illorum indat mala, scientes quod dum non ducuntur a Domino, ille ducat, ac inspiret mala ominis generis, ut odia, vindictas, astus, dolos, sicut serpens inspirat venena; adest enim, excitat, et jugiter accusat, et ubi offendit cor aversum a Deo, intrat, ibi habitat, et animam ad infernum trahit: libera nos Domine.


 


「対訳」


Ut Dominus sit apud illos jugiter, ac levet et vertat facies ad illos, doceat, illustret et ducat illos, 


主が絶えず彼らのもとにいますように。そして彼らに向けて御顔を上げ、教え、照らし、導かれます(ように)


quoniam ex se nihil boni facere possunt, 


自分自身からでは決して善を行なうことはできないからです。


et det illis ut vivant; 


彼らにいのちを授けてください。(直訳:彼らに生きることを与える)


ne diabolus seducat illos, ac cordibus illorum indat mala, 


悪魔が彼らを誘惑し、そして彼らの心に悪を生じさせないように


scientes quod dum non ducuntur a Domino, ille ducat, ac inspiret mala ominis generis, ut odia, vindictas, astus, dolos, sicut serpens inspirat venena; 


主が導かれない時、ヘビが毒を吹き込むように,彼(悪魔)が導いて、憎しみ、復讐、狡猾、陰謀のような、すべての種類の悪を吹き込むことを知って(いるようにしてください)


adest enim, excitat, et jugiter accusat, 


というのは、(悪魔は)近くにいて、刺激し、絶えず責め(非難し)


et ubi offendit cor aversum a Deo, intrat, ibi habitat, et animam ad infernum trahit:


神から背を向けた心に出会う場所に、侵入し、そこに住み、霊魂を地獄に引き入れる(からです)


libera nos Domine. 


主よ、私たちを救ってください。


 


訳文は考えてみてください、この祈りは「彼ら」となっています、でも最後は「私たちを」です。


参考までに、「私のため」として、私なりの祈りを作ってみました。


 


   悪から救われるための祈り


 


主がいつも私のそばにおられ、御顔を私に向け、教え、照し、私を導いてくださいますように。


 私は自分自身からでは決して善を行なうができないからです。


私にいのちを授けてください。


悪魔に誘惑されて,私が悪い心を起こすことのないようにしてください。


 主に導びかれないなら、悪魔に導びかれ、ヘビに毒を吹き込まれるように、憎しみ、復讐、狡猾、陰謀といった、あらゆる種類の悪を吹き込まれてしまうことを、私にわきまえさせてください。


 なぜなら、悪魔はそばにいて、常にあおり、とがめたて、神にそっぽを向けた心に出会うと、その心に侵入して住みつき、そのたましいを地獄に引きずり込むからです。


主よ、私を救ってください。

原典講読『最大の人とその対応』 諸論

 

 今日から『天界の秘義』の「付録」の部分を学び始めます。付録というと雑誌などの「おまけ」のような気がしますが「主要なものに添えられたもの、本文を補足する目的などで添えられたもの」という意味です。そして、スヴェーデンボリは本論である「創世記」「出エジプト記」の内意の講解である、その各章の前後に「付録」を述べています。そして、その記事を、その後、『宇宙間の諸地球』『新しいエルサレムとその天界の教え』などのように、単独の本としたものがあります。


 そうした記事の一つが「最大の人とその対応」です。これは単独の本としてまとめられていません(英訳書はドール博士『the Universal Human and Soul-Body Interaciton』(1984)があります、これは本講座よりもっと広い範囲の創世記第23章の部分から述べています。ただ私はその本を持っていません)。


 類書がないので、「最大の人」について学ぶには創世記第27章から第43章までを飛び飛びに読まなければなりません。一つにまとめてあれば読みやすいでしょう、また『天界の秘義』は大作すぎるので、敬遠してしまいます、また途中で中断してしまう人も多いでしょう。それで、ひとまとめする価値があると思いました。


スヴェーデンボリの著述にならって通し番号を振ってみました。1262でした。『宇宙間の諸地球』が178なのでそれよりも長く『新しいエルサレムとその天界の教え』1325にせまるぐらい分量の本になりそうです。


 


使用した定本は第三版で、現行のものです(EDITIO TERTIA Londinii 1949~1973)。第一巻が1949年第八巻が1973年と出版に20年以上かかっていますので、当然途中で編集者も代わっています。私がお会いしたことのあるエリック・サンドストローム師(バス主教の義父)は全巻に関わっています。


 正誤表(引用番号などの間違い、スペルミスなど)も付いていますが、ここでは省略します。ただし、脚注は全部掲載しました。わずわらしくてもいろいろなことがわかると思うからです。


 脚注で「初版」はスヴェーデンボリ自身によるもの(1749~1756)、たまに言及されますが第二版はターフェルによるものです(1833~1842)、また写真版の「自筆原稿」もあり、これはしばしば言及されます。


 


(1) 最初の標題(見出し)と脚注


{1}De Correspondentia omnium Organorum et Membrorum tam interiorum quam exteriorum hominis, cum Maximo Homine, qui est Caelum


@1 Three earlier titles are deleted: (1)De Maximo Homine, et ejus correspondentia; (2)De Maximo Homine, et correspondentia omnium Partium corporis humani tam interiorum quam exteriorum cum illo; (3)De Correspondentia omnium Partium hominis cum Maximo Homine, qui est Caelum.


 


(2) 直訳


{1}De Correspondentia omnium Organorum et Membrorum tam interiorum quam exteriorum hominis, cum Maximo Homine, qui est Caelum すべての器官と四肢の対応について、人間の内的なものの外的なものも、最大の人と、それは天界である


@1 Three earlier titles are deleted: 注1 三つの初期の題名が消されている――☆


脚注のやり方です。本文中に{1}の記号で脚注があることを示します、そして@1でその内容を述べます。イタリック体は英語です。また略号も 英語です。


(1)De Maximo Homine, et ejus correspondentia; (1) 最大の人について、またその対応☆


これを本講座の題名として用います。


(2)De Maximo Homine, et correspondentia omnium Partium corporis humani tam interiorum quam exteriorum cum illo; (2) 最大の人について、また人間の身体のすべての部分との対応、内なるものも外なるものも、それと。


(3)De Correspondentia omnium Partium hominis cum Maximo Homine, qui est Caelum. (3) 人間☆のすべての部分との対応について、最大の人☆と、それは天界である。


私がhomoを人間と人と使い分けて訳していることについて(4)で述べます。


 


(3) 訳文 各自で考えてみてください。


 「本の題名」としては一番あっさりとしている(1)がよいと思います、「見出し」としては内容的にスヴェーデンボリが最終的に決めたものがぴったりします。


 


(4) 訳語としての「人間」と「人」


 最初は私も「最大の人間」としました。普通に訳せばこうなります。実際に『天界と地獄』ではそう訳しました(の改訂版では「最大の人」に変えます)


 理由は「内なる人」「外なる人」と同じです。「内なる人間」ではどうもピンときません。それで、一般的な人間(無色の人間)を「人間」と訳し、何らかの属性をもった人間(色のついた人間)を「~の人」と区別することにしました。その境界線がはっきりしないこともありますが、だいたい、私なりの区別はできそうです。「宗教的な人間」と言えば、人間に比重を置いて、その人が(たまたま)教的であることもある場合を含めます。「宗教的な人」は、ある人に宗教が属性としてしっかり結びついている、その人のことです。「悪い人間」と「悪い人」も同じです。この場合、「い」をとればもっとはっきりします、すなわち「悪人」です。でも、ある人をどちらとするかは主観が入ることになり、境界線がはっきりしなくなることもあります。この基準から「最大の人」という言い方がよい、となります。「い」を取るとちょっと変なので(すなわち「最大人」)やめました。

原典講読『最大の人とその対応』 1,2,3

 

(1) 原文「3624番」


Mirabilia nunc referre et describere licet, quae, quantum scio, nondum alicui nota sunt et ne quidem in alicujus mentem venerunt, quod nempe universum caelum ita formatum sit ut correspondeat Domino, Ipsius Divino Humano; et quod homo ita formatus sit ut quoad omnia et singula apud eum, correspondeat caelo, et per caelum Domino; hoc est mysterium magnum quod nunc revelandum, de quo hic et ad finem capitum sequentium.


 


(2) 直訳


Mirabilia nunc referre et describere licet, quae, quantum scio, nondum alicui nota sunt et ne quidem in alicujus mentem venerunt, quod nempe universum caelum ita formatum sit ut correspondeat Domino, Ipsius Divino Humano; 今くべきことを物語ることと述べることが許されている、それらは、私が知るかぎり、まだある者によく知られていない、また決してある者の心の中にやって来ない、すなわち、全天界はこのように形作られていること、主と対応するように、その方の神的人間性に。


et quod homo ita formatus sit ut quoad omnia et singula apud eum, correspondeat caelo, et per caelum Domino; また人間はこのように形作られていること、彼のもとのすべてと個々ものに関して、天界と対応する、また天界を通して主と。


hoc est mysterium magnum quod nunc revelandum, de quo hic et ad finem capitum sequentium. このことはいなる神秘(秘密)であるそれは啓示されるべき、そのことについてここと続く章の終りに〔述べよう〕。


 


(3) 訳文


 今くべきことを語り、述べることが許されている。それらは、私が知るかぎり、ある者にまだよく知られておらず、また決してある者の心にやって来ていないものである。すなわち、全天界が主と対応するように、その方の神的人間性に形作られていること、また人間のもとのすべてと個々ものに関して、天界と、また天界を通して主と対応するように形作られていることである。このことは啓示されるべき大いなる神秘でありのことについて、ここにまた続く章の終りに述べよう。


 


(1) 原文「3625番」


Inde est quod aliquoties in praecedentibus dictum, ubi de caelo et societatibus angelicis, quod pertinerent ad aliquam provinciam corporis, ut ad capitis, vel pectoris, vel abdominis, vel inibi alicujus membri aut organi; et hoc ex causa dictae correspondentiae.


 


(2) 直訳


Inde est quod aliquoties in praecedentibus dictum, ubi de caelo et societatibus angelicis, quod pertinerent ad aliquam provinciam corporis, ut ad capitis, vel pectoris, vel abdominis, vel inibi alicujus membri aut organi; ここからである、数回(ときどき)先立つ個所で言われたこと、天界と天使たちの社会についての場所で、身体のある領域に関係がある(属する)こと、例えば、頭に、あるいは胸に、あるいは腹に、あるいは四肢や器官のあるものの内部に。


et hoc ex causa dictae correspondentiae. またこのことは、〔すでに〕言われた対応の理由から。


 


(3) 訳文


 ここから、ときどき先立つ個所で、天界と天使たちの社会についての場所で言われたことであるが、それらが身体のある領域に、例えば、頭、または胸、腹、ある四肢や器官の内部に属することである。またこのことは、〔すでに〕言われたが、対応がその理由である。


 


(1) 原文「3626番」


Quod talis correspondentia sit, notissimum est in altera vita, non solum angelis sed etiam spiritibus, et quoque malis; angeli sciunt inde arcanissima quae in homine, et arcanissima quae in mundo et in universa ejus natura; quod saepius mihi constare potuit, etiam ex eo quod cum locutus de aliqua parte hominis, non solum scirent omnem ejus partis structuram, agendi modum et usum, sed et innumerabilia plura quam usquam homo capax sit explorandi, immo intelligendi, et quidem in suo ordine et in sua serie; et hoc ex intuitione in ordinem caelestem quem sequebantur, cui partis illius ordo correspondebat: ita, quia in principiis sunt, ea quae ex illis, inde sciunt.


 


(2) 直訳


Quod talis correspondentia sit, notissimum est in altera vita, non solum angelis sed etiam spiritibus, et quoque malis; このような対応があることはあの(来世)もよくられている、天使たちだけでなく、霊たちにもそしてまた、悪い者にも。


altera vitaの直訳は「もう一つの生活」、すなわち、この世の生活以外の、あの世での生活です。また、死後、その生活に入って来るので「来世」でもあります。


angeli sciunt inde arcanissima quae in homine, et arcanissima quae in mundo et in universa ejus natura; 天使たちは、ここから最高の秘密(最も隠されたこと)を知る、それは人間の中の、また最高の秘密(最も隠されたこと)をそれは世の中の、またその普遍的な性質の中の。


quod saepius mihi constare potuit, etiam ex eo quod cum locutus de aliqua parte hominis, non solum scirent omnem ejus partis structuram, agendi modum et usum, sed et innumerabilia plura quam usquam homo capax sit explorandi, immo intelligendi, et quidem in suo ordine et in sua serie; そのことはしばしば(比較級)に明らかにすることができた、さらにまたそのことから、人間のある部分について〔私が〕話したとき、〔彼らは〕その部分のすべての構造、働き方と役立ちを知っているだけでなく、しかしまた、常に人間が見つけ出すことが、それどころか理解できる以上の多くの無数のことを〔知っている〕、また確かにその秩序の中に、またその連続の中に。


et hoc ex intuitione in ordinem caelestem quem sequebantur, cui partis illius ordo correspondebat: またこのことを天界秩序への熟視(熟考)から〔知〕、それらをわかる()、それにその〔身体の〕部分に秩序は対応する。


ita, quia in principiis sunt, ea quae ex illis, inde sciunt. このように〔彼らは〕原理(基礎概念)にいるのでそれらのことをそれらは、それらから☆、ここから


それら、それら、それら、で何のことかわかりますか? 論理を尽くしているのでしょうが、私は(代名詞を使うことのあまりない)日本人にとっては、ややくどい言い方に思えます。


 


(3) 訳文


3 このような対応があることは来世、天使だけでなく、霊にもそしてまた、悪にももよくられている。天使は、ここから、人間の中の最も隠されたことを、また世の中の、その普遍的な性質の中の最も隠されたことを知る。そのことはしばしばに明らかされ、さらにまたそのことから、人間のある部分について〔私が〕話したとき、〔彼らは〕その部分のすべての構造、働き方と役立ちを知っているだけでなく、しかしまた、常に人間が見つけ出すこと、それどころか理解できることよりも多くの無数のことを、その秩序の中で、またその連続の中で確かに知っている。またこのことを天界秩序を熟視することからそれらが身体の部分に秩序に対応することがわかるこのように〔彼らは基礎概念にいるのでそれらのことを、その基礎概念から知っている。

原典講読『最大の人とその対応』 4

 

(1) 原文「3627番」


Regula communis est quod nihil existere et subsistere possit ex se sed ex alio, hoc est, per aliud, et quod nihil contineri in forma queat nisi ex alio, hoc est, per aliud, sicut constat ex omnibus et singulis in natura: quod corpus humanum extrinsecus contineatur in forma ab atmosphaeris, notum est, nisi intrinsecus etiam contineretur ab aliqua vi agente seu viva, momento collaberetur: omne inconnexum a priore se, et per priora a Primo, in instanti perit: quod Maximus Homo, seu influxus inde, sit illud prius, per quod connectitur homo quoad omnia et singula ejus cum Primo, hoc est, cum Domino, ex sequentibus {1}patebit.


@1 constabit


 


(2) 直訳


Regula communis est quod nihil existere et subsistere possit ex se sed ex alio, hoc est, per aliud, et quod nihil contineri in forma queat nisi ex alio, hoc est, per aliud, sicut constat ex omnibus et singulis in natura: 一般的規則である、何存在するようになることまた存続することができないことそれ自体からしかしのものから、すなわち、何らかのものによって、また何も形の中に保たれることができないこと、他のものからでないなら、すなわち、何らかのものによって、自然の中のすべてと個々のものから明らかなように。


quod corpus humanum extrinsecus contineatur in forma ab atmosphaeris, notum est, nisi intrinsecus etiam contineretur ab aliqua vi agente seu viva, momento collaberetur: 人間身体大気により外側たれることはよくられているさらにまた内部くまたは生きている何らかの力により保たれないなら、たちまち崩壊する。


omne inconnexum a priore se, et per priora a Primo, in instanti perit: それ自体のものから分離したすべてのものは、また前のものを通して「最初のもの()」から、たちまち滅びる。


quod Maximus Homo, seu influxus inde, sit illud prius, per quod connectitur homo quoad omnia et singula ejus cum Primo, hoc est, cum Domino, ex sequentibus {1}patebit. 最大またはそこからの流入そののものであるそれによって人間はそのすべてと個々のものにしてばれること、「最初のもの()と、すなわち、主と、続くものから明らかである(未来)


@1 constabit 注1 constabitpatebit に換えた☆


constopateoはそれぞれいろいろな意味がありますが(非人称として)「明らかである」といういみです。同じ意味なのに編集者はなぜ換えたのでしょうか? ニュアンスが異なるからでしょう。


私見ではconstoは「事実として確定している」→「明らかである」に対してpateoは「開かれている」→「はっきりと見える」→「明らかである」です。


すると、ここでは、まだ真実かどうかわからない(それでconstoはふさわしくない)、それでこれから「開いて見せることで」明らかにする(pateo)というつもりでしょう。


もちろん、スヴェーデンボリにとっては(事実として)「明らか」なので、ついconstoと著述したのでしょう。こんなことが脚注からわかります。


 


(3) 訳文


4 それ自体からは何存在するようになり、存続することができないことしかしのものから、すなわち、何らかのものによって〔そうなり〕、また他のものからでないなら何も形の中に保たれることができないこと、すなわち、何らかのものによって〔そうなることは〕、自然の中のすべてと個々のものから明らかなように、一般的規則である。人間身体大気により外側たれるさらにまた内部くまたは生きている何らかの力により保たれないなら、たちまち崩壊することはよくられているそれ自体のものから、また前のものを通
して「最初のもの
()」から分離したすべてのものは、たちまち滅びる。最大またはそこからの流入そののものでありそれによって人間はそのすべてと個々のものにして、「最初のもの()と、すなわち、主とばれることは、続くものから明らかにとなるであろう。

エリック・サンドストローム師の思い出

 

エリック・サンドストローム師にお会いした、と述べた(スウェーデン人なのでエーリクが正しいかもしれない)。その思い出である。


19916月、44歳の時、ジェネラルチャーチの大会「ジェネラルアセンブリー」に参加した。場所はミシガン湖西岸ケノーシャ(といってもわからないであろう、ミルウォーキーとシカゴのちょうと中間)。会場は大学、英語のいろいろな講演など聞いてもわからないから、大学のプールで泳いだりしていた(ここで気づいたこともあるが、それでは話しが前に進まない)


昼食時、テラスで食事を取ろうとしていた。すると、品格のよい初老の男性が「席が空いているかな」と同席してきた。私が感ぐるに7歳下の女房はそこそこ美人かもしれない、それで、めずらしい東洋人の婦人目当てで近づいてきたのかな、と思った(思いがやや下劣)


「どこから?」「日本から」など会話しているうち、私たちの同行のK氏が「ミスター・スズキはへブル語を学んでいるよ」とサンドストローム師に話しかけた。「よろしい、私がテストしよう、これはどういう意味かな」と言いだした、ちょっとヤバいかなと思ったが、直ぐに唱え始めた言葉は「ベレーシート・バーラー・エロヒーム・・・」であった。「Oh Genesis 1, just beginning the Bible…」で、テストは合格、聖書の冒頭の文句であり、へブル語を学ぶ人だったら、知らないはずはない、そして、この言葉でなく他に(へブル語を知っているかどうか)試すような言葉もないであろう。


その後、会話の中で、バス主教が選ばれ(この大会で次期ジェネラルチャーチのトップ指導者が決定された)ことを、そしてその義父であることを知った。それで「Congratulation!」。


ミシガン湖を臨む、初夏の思い出深いひとときであった。


 その後、バス主教夫妻は何度か来日された。