原典講読『最大の人とその対応』 23(訳文)

 

(3) 訳文


23 流入と対応について、獣霊魂場合と人間場合がている、すなわち、彼らのもとに霊界からの流入があり、またそれらによって自然界からの流れ込みが保たれ、生きている。しかし、働そのものはそれらの霊魂形、またここから身体形〕したがってなってそ自体このことはのようでありその地球のいろいろな対象同様段階同様方法流入するがやはりそれでもなおいろいろななってあるもののではしい、他のもののではしくないそのように霊的霊魂流入するときまったくなってれられまたここからそれらは人間霊魂れられるときとなって活動させられる


[2] というのはこれらはさらに段階またさらに完全状態にあり、上方このように天界またけることができるようなそれゆえ、主はそれらを自分自身接合また永遠のいのちをえることができるようなこのようなものであるからしかし、獣霊魂、下方このように特有なものだけしかめることができないようなまたこのようにただそれらに接合されそのためにまた身体とともにびるようなものである。目的、人間のいのちがどんなものかまたのいのちがどんなものか。人間霊的なまた天的目的つことまたそれらを見、認、信またそれらを鼓舞されることができるしかし、獣自然的なもの以外目的つことができないそのように人間、天界にあり、天界構成する目的役立ちの神的なスフェアのにいることができるけれども、獣目的役立ちのスフェアのにしかいることができない。目的愛以外のものではないなぜなら
、愛
されるものが目的としてたれるから


[3] 非常くの人間自分のいのちとのいのちの区別することをらないことはなるもののているからまたのもの、身体のもの、世のものだけに関心があり、それらを心に抱くからである。またこのような、獣のいのちにして自分自身もまたていると、自分自身死後それらのように消散させられると信じているなぜなら、何霊的なものと天的なものか、関心がないので、知りもしないからここから、私たちの時代の狂気は、自分たち自身を獣にたとえ、内なる相違を見ない。しかし、霊的なものと天的なものを信じる、すなわち、霊的な光が流入し、働くのを許す者は、彼はまったく反対のものを、例えば、どれだほど動物の獣にまさっているかを見る。


 しかし、動物の獣のいのちについては、主の神的な慈悲から、別にして扱われる。

コメントを残す