(1) 原文
(1) 原文
(2) 直訳
(vii.) Quod Dominus binas illas facultates apud hominem illibatas ac ut sanctas in omni Divinae suae Providentiae progressione custodiat.― (vii.) 主は二つのそれらの能力を人間のもとで損なわれず、そして聖なるものように、すべてのご自分の神的な摂理の進行の中で守られること―
Causae sunt, quod homini absque binis illis facultatibus non forent intellectus et voluntas, et sic ille non foret homo; 理由がある、人間にそれらの二つの能力なしに理解力と意志はなくなったであろうこと、またこうして彼は人間でなくなったであろう。
tum, quod homo absque binis illis facultatibus non potuisset conjungi Domino, et sic non reformari et regenerari; さらに、人間はそれら二つの能力なしに主と結合されることができないこと、また、こうして改心されることと再生されることができない。
ut et, quod homini absque binis illis facultatibus non foret immortalitas, et vita aeterna. そのようにまた、人間にそれらの二つの能力なしに不死性(不滅)でなく、また永遠のいのちがなくなったであろうこと。
Quod ita sit, ex cognitione quid libertas et rationalitas, (quae sunt binae illae facultates,) quae data est in praecedentibus, quidem videri potest: そのようであることは、自由と推理力は何か〔という〕思考から、(それらがそれらの二つの能力である)、それらは先立つ個所で与えられている、確かに見られることができる。
sed non clare, nisi illa ut conclusiones sistantur ad visum, quare illustranda sunt. しかし、はっきりとでない、もしそれらが結論として視覚に示されないなら、それゆえ、明らかにされなければならない。
[2.] Quod homini absque binis illis facultatibus non forent voluntas et intellectus, et sic ille non foret homo; [2.] 「人間にそれらの二つの能力なしに理解力と意志はなくなったであろうこと、またこうして彼は人間でなくなったであろう」
non enim aliunde est homini voluntas, quam quod possit libere velle sicut ex se; というのは、人間に意志は他の出所からではないからである、自分自身からのように自由に意志することはできること以外の。
ac libere velle sicut ex se, est ex facultate illi a Domino continue data, quae vocatur libertas: そして、自分自身からのように自由に意志することが、主から絶えず与えられているその能力からである、それは自由(性)と呼ばれる。
et non aliunde est homini intellectus, quam quod possit sicut ex se intelligere num rationis sit vel non; また人間に理解力は他の出所からではない、自分自身からのように理解することができること、理性のものであるかあるいは〔そうで〕ないか。
ac intelligere num rationis sit vel non, est ex altera facultate illi a Domino continue data, quae vocatur rationalitas. そして、理性のものであるかあるいは〔そうで〕ないか理解することは、主から絶えず与えられているそのもう一つの能力からである、それは推理力と呼ばれる。
Hae facultates se conjungunt apud hominem sicut voluntas et intellectus; これらの能力が人間のもとで(それ自体を)結合する、意志と理解力のように。
quod nempe quia homo potest velle, etiam possit intelligere; すなわち、人間は意志することができるので、理解することもまたできるのである。
nam velle non datur absque intelligere; なぜなら、意志することは理解することなしに存在しないから。
intelligere est ejus consors seu compar, sine qua non potest esse: 理解することは、彼の仲間または配偶者である、それを伴わないで存在することができない。
quare cum facultate quae vocatur libertas, datur facultas quae vocatur rationalitas: それゆえ、能力とともに、それは自由(性)と呼ばれる、能力が与えられている、それは推理力と呼ばれる。
etiam si aufers velle ab intelligere, nihil intelligis: さらにまたもしあなたが理解することから意志することを取り去る☆なら、あなたは何も理解しない。
☆ 動詞aufero「取り去る」は、不規則動詞feroと同じ変化をし、それで直接法現在2人称単数がaufersです。でもこうしたことは初学者だとなかなか気づくのがむずかしいものです。
[3.] et quantum vis, tantum potes intelligere, modo adsint vel simul aperiantur adminicula, quae vocantur cognitiones, nam hae sunt sicut instrumentalia operanti. [3.] またどれだけあなたが欲する(意志する☆1)か〔によって〕、それだけあなたは理解することができる、補助が現存するかまたは同時に現われるかぎり、それらは知識☆2と呼ばれる、なぜなら、それらは働く者☆3の道具(手段)のようである。
☆1 これも不規則動詞voloの直接法現在2人称単数であってvisです。possumももちろん不規則。
☆2 cognitioは後述。
☆3 operansはoperorの分詞、ここでは「働く者」を意味します。
Dicitur quantum vis, potes intelligere, hoc est, quantum amas intelligere, nam voluntas et amor unum agunt. どれだけあなたが欲する(意志する)か〔によって〕、それだけあなたは理解することができる、すなわち、どれだけあなたが理解することを愛するか、と言われる、なぜなら、意志と愛は一つとして働くから。
Hoc quidem apparet sicut paradoxon; このことは確かに背理☆のように見える。
☆ paradoxonはスヴェーデンボリがその本来の意味「逆説」を勘違いして(?)用いている言葉です。
sed ita apparet illis, qui non amant intelligere, et inde non volunt: しかし、そのように彼らに見える、理解することを愛さない者、またここから欲しない。
et qui non volunt, dicunt se non posse. また欲しない者は、自分自身に〔理解〕できないと言う。
Quinam autem non possunt, et quinam aegre possunt, dicetur in sequente articulo. けれども、だれができないか、まただれがほとんどできないか、続く節(章)の中で言われる。
[4.] Absque confirmatione patet, quod nisi homini foret voluntas ex facultate quae vocatur libertas, ac intellectus ex facultate quae vocatur rationalitas, ille non foret homo. [4.] 確証(証拠)なしに明らかである、もし人間に(それは)自由(性)と呼ばれる能力から意志がなかったなら、そして(それは)推理力と呼ばれる能力から理解力が〔なかったら〕、彼は人間でなくなってであろう。
Bestiis non illae facultates sunt. 獣にそれらの能力はない。
Apparet sicut quod bestiae etiam possint velle, et quod possint intelligere, sed non possunt. 獣もまた意志することができること、また理解することができること、ように見える、しかし、できない。
Est affectio naturalis, quae in se est cupido, cum ejus compare scientia, quae unice ducit et fert illas ad faciendum quod faciunt. 自然的な情愛がある、それらは本質的に(それ自体で)欲望である、その配偶者、知識☆とともに、それらはもっぱらそれらを導き、もたらす、行なうことを行なおうとすることへ。
☆ cognitioとscientiaはともに「知識」と訳せますが、cognosco「知る、認める」に由来するcognitioは知識からの「認識」の意味合いが強く、scio「知る」に由来するscientia(単に)「知ったこと」の意味合いが強いと私は思っています。あえて違いを言えば、「内面的に知る」と「外面的に知る」ですが、文脈でいろいろな意味がありますので、最終的には文脈での意味が優先されます。
Civile et morale est quidem in illarum scientia, sed non sunt supra illam, quia illis non est spirituale, quod dat percipere morale, et inde analytice cogitare illud. 市民的なものや道徳的なものが確かにそれら〔獣〕の知識の中にある、しかし、それらの上にない、それ〔獣〕に霊的なものがないので、それは道徳的なものを知覚することを与える、またこから分析的にそれを考えることを。
Doceri quidem possunt aliquid facere, sed hoc solum est naturale, quod se addit scientiae et simul affectioni illarum, ac reproducitur vel per visum vel per auditum, sed nusquam fit cogitationis, et minus rationis apud illas. 確かに、何かを行なうことが〔でき〕、教えられることができる、しかし、このことは自然的なものである、それはそれ自体に加える、知識と同時にそれらの情愛で、そしてあるいは視覚によってあるいは聴覚によって再現される、しかし、決して思考のものにならない、またましてそれらのもとに理性のものに。
Aliqua de hac re videantur supra (n. 74). これらの事柄について何らかのものが上に見られる(74番)。
[5.] Quod homo absque binis illis facultatibus non potuisset conjungi Domino, et sic non reformari et regenerari, ostensum est supra. [5.] 「人間はそれら二つの能力なしに主と結合されることができないこと、また、こうして改心されることと再生されることができない」は上に示されている。
Nam Dominus in binis illis facultatibus residet apud homines tam malos quam bonos, et per illas Se conjungit unicuivis homini. なぜなら、主は人間のもとにそれらの二つの能力の中に住まわれる、善い者と同様に悪い者、またそれらによってご自分を人間のそれぞれの者に結合されるから。
Inde est, quod tam malus quam bonus possit intelligere, et inde illi in potentia est voluntas boni ac intellectus veri, quod non actu sint, est ex abusu illarum facultatum. ここからである、善い者と同様に悪い者は理解することができること、またここから彼らは善の能力そして真理の理解力の潜在能力(可能性)の中にいる、実際に存在しないのは、それらの能力の濫用(誤用)からであること。
Quod Dominus in illis facultatibus apud unumquemvis hominem resideat, est ex influxu voluntatis Domini, quod velit recipi ab homine, et mansionem apud illum habere, ac dare ei felicia vitae aeternae; 主が人間のそれぞれの者のもとにそれらの二つの能力の中に住まわれることは、主の意志の流入からである、それを人間により受け入れられることを望まれる、また彼のもとに住まいを持つこと、そして永遠のいのちの幸福を与えられることを〔望まれる〕。
haec voluntatis Domini sunt, quia Divini Amoris Ipsius sunt. これが主の意志のものである、主の神的な愛そのもののものであるので。
Haec Domini voluntas est, quae facit ut appareat in homine sicut ejus quod cogitat, loquitur, vult et facit. これが主の意志である、それは人間の中に見えるようにする、自分のものであるように、考え、話し、欲し、行なうことが。
[6.] Quod influxus voluntatis Domini id operetur, multis confirmari potest ex mundo spirituali. [6.] 主の意志の流入がそのことを生み出している(働かせている)ことは、多く(大いに)霊界から確証されている。
Quandoque enim Dominus implet angelum suo Divino, ita ut angelus non sciat aliter quam quod sit Dominus. というのは時々、主は天使をご自分の神性で満たされるから、天使が〔自分が〕主であること以外に異なって知らないようにそのように。
Ita impleti sunt angeli visi Abrahamo, Hagari, Guideoni, qui inde se vocaverunt Jehovam, de quibus in Verbo. そのように天使たちは満たされた、アブラハムの視覚に、ハガイ、ギデオンに、彼らはここから自分自身をエホバと呼んだ、それらのことについて聖書の中に。
Ita quoque potest unus spiritus impleri ab altero, usque ut non sciat quam quod alter sit: そのようにまたある霊は他の〔霊〕により満たされることができる、他のものである以外に知らないようにまで。
hoc saepius mihi visum est. このことがしばしば私に見られている。
Notum etiam est in caelo, quod Dominus operetur omnia per velle, et quod fiat quod vult. 天界の中でもまたよく知られている、主が意志することによってすべてのものを生み出されている(働かせている)、また欲するものを生じさせていること。
Ex his patet, quod binae illae facultates sint, per quas Dominus Se conjungit homini, et per quas facit ut homo reciproce conjungatur. これらから明らかである、それらの二つの能力があること、それらによって主はご自分を人間に結合すること、またそれらによって人間が相互に結合されるようにする。
Quomodo autem homo per illas facultates reciproce conjungitur, consequenter quomodo per illas reformatur et regeneratur, supra dictum est, et de eo infra plura dicentur. けれども、どのように人間がそれらの能力によって相互に結合されるか、したがって、どのようにそれらによって改心され、また再生されるか、上に言われている、またそれについて下に多くのことが言われる。
[7.] Quod homini absque binis illis facultatibus non foret immortalitas et vita aeterna, sequitur ex nunc dictis, quod per illas sit conjunctio cum Domino, tum reformatio et regeneration; [7.] 人間にそれらの二つの能力なしに不死性(不滅)と永遠のいのちがなくなったであろうこと、そこで言われたことから、~ことになる、それらによって主との結合があること、さらに改心と再生。
per conjunctionem est homini immortalitas, ac per reformationem et regenerationem est vita aeterna: 結合によって人間に不死性(不滅)がある、そして改心と再生によって永遠のいのちがある。
et quia per illas facultates est conjunctio Domini cum omni homine, tam malo quam bono, ut dictum est, ideo omni homini immortalitas est; またそれらの能力によってすべての人間との主の結合があるので、善い者と同様に悪い者に、言われているように、それゆえ、すべての人間に不死性(不滅)がある。
sed illi homini vita aeterna, hoc est, vita caeli, apud quem est conjunctio reciproca ab intimis ad ultima. しかし、その人間に永遠のいのち、すなわち、天界のいのちが〔ある〕、その者のもとに相互の結合がある、最内部から最外部まで。
Ex his videri possunt causae, cur Dominus binas illas facultates apud hominem illibatas ac ut sanctas in omni Divinae suae Providentiae progressione custodiat. これらから理由が見られることができる、なぜ主がそれらの能力を人間のもとに損なわれず、また聖なるもののようにすべてのご自分の神的な摂理の進行の中に守られるか。
(3) 訳文
96. (vii.) 主は二つのそれらの能力を人間のもとで損なわれず、そして聖なるものように、すべてのご自分の神的な摂理の進行の中で守られること。
人間にそれらの二つの能力なしに理解力と意志はなく、またこうして彼は人間でなくなったであろうこと、さらに、人間はそれら二つの能力なしに主と結合されることができず、また、こうして改心し、再生することができず、そのようにまた、人間にそれらの二つの能力なしに不死性はなく、また永遠のいのちがなくなったであろうことには理由がある。
自由と推理力は何かという思考から、(それらがそれらの二つの能力である)、そのようであることは、前の個所で与えられており、確かに見られることができる。しかし、もしそれらが結論として視覚に示されないならはっきりとではない、それゆえ、明らかにするべきである。
[2.] 「人間にそれらの二つの能力なしに理解力と意志はなくなったであろう、またこうして彼は人間でなくなったであろうこと」、というのは、人間に意志は、自分自身からのように自由に意志することができること以外の他の出所からではないからである。そして、自分自身からのように自由に意志することは、主から絶えず与えられている自由と呼ばれる能力からである。また人間に、理性のものであるかどうかと自分自身からのように理解することができる理解力は他の出所からではない。そして、理性のものであるどうかと理解することは、主から絶えず与えられている推理力と呼ばれるそのもう一つの能力からである。これらの能力が人間のもとで意志と理解力のように結合される。すなわち、人間は意志することができるので、理解することもまたできるのである。なぜなら、意志することは理解することなしに存在しないから。理解することは、彼の仲間または配偶者であり、それを伴わないで存在することができない。それゆえ、自由と呼ばれる能力とともに、推理力と呼ばれる能力が与えられている。さらにまた、もしあなたが理解することから意志することを取り去るなら、あなたは何も理解しない。
[3.] またどれだけあなたが意志するかによって、知識と呼ばれる補助が現存するかまたは同時に現われるかぎり、それだけあなたは理解することができる、なぜなら、それらは働く者の道具のようであるから。どれだけあなたが意志するかによって、それだけあなたは理解することができる、すなわち、どれだけあなたが理解することを愛するか、と言われる、なぜなら、意志と愛は一つとして働くから。
このことは確かに背理のように見える。しかし、理解することを愛さず、またここから欲しない者には、そのように見える。また欲しない者は、自分自身にできないと言う。けれども、だれができないか、まただれがほとんどできないか、続く節の中で言われる。
[4.]もし人間に自由と呼ばれる能力から意志がなかったなら、そして推理力と呼ばれる能力から理解力がなかったら、彼は人間でなくなってであろうことは、確証なしに明らかである。獣にそれらの能力はない。獣もまた意志することができ、また理解することができるように見えるが、しかし、できない。自然的な情愛があるが、それらは本質的に欲望であり、その配偶者である知識とともに、それらはもっぱら、行ないを行なおうとすることへそれらを導き、そのことをもたらす。市民的なものや道徳的なものが確かにそれら獣の知識の中にある、しかし、それらの上にはない、その獣に、道徳的なものを知覚することを、またこから分析的にそれを考えることを与える霊的なものがないからである。確かに、何かを行なうことが、教えられることができる、しかし、このことは自然的なものであり、それは知識と同時にそれらの情愛でそれ自体に加えられたものであり、そしてあるいは視覚によってあるいは聴覚によって再現される、しかし、決して思考のものに、ましてそれらのもとに理性のものにならない。
これらの事柄について、何らかのものが前に見られる(74番)。
[5.] 「人間はそれら二つの能力なしに主と結合されるができず、また、こうして改心し、再生することができないこと」は前に示されている。
なぜなら、主は人間のもとにそれらの二つの能力の中に、善い者と同様に悪い者に住まわれ、またそれらによってご自分をそれぞれの人間に結合されるから。ここから、善い者と同様に悪い者は理解することができ、またここから彼らは善の能力そして真理の理解力の潜在能力の中にいて、実際に存在しないのは、それらの能力の濫用からである。主がそれぞれの人間のもとにそれらの二つの能力の中に住まわれることは、主の意志の流入からであり、それが人間により受け入れられること、またご自分のもとに住まいを持つこと、そして永遠のいのちの幸福が与えられることを望まれている。主の神的な愛そのもののものであるので、これが主の意志のもの(みこころ)である。人間の中に、自分のものであるように、考え、話し、欲し、行なうことが見えるようにすること、これが主の意志(みこころ)である。
[6.] 主の意志(みこころ)の流入がそのことを生み出していることは、霊界から大いに確証されている。時々、主は天使を、天使が〔自分が〕主であるとしか知らないようにまでも、ご自分の神性で満たされるからである。そのように天使たちは、アブラハム、ハガイ、ギデオンの視覚に満たされ、彼らはここから自分自身をエホバと呼んだが、それらのことについては聖書の中にある。そのようにまた、ある霊は他の霊により満たされることができる、他の霊であるとしか知らないようにまでも。このことはしばしば私に見られている。
天界の中でもまた、主が意志することによってすべてのものを生み出し、また欲するものを生じさせていることはよく知られている。これらから、それらの二つの能力があること、それらによって主はご自分を人間に結合すること、またそれらによって人間が相互に結合されるようにすることが明らかである。けれども、どのように人間がそれらの能力によって相互に結合されるか、したがって、どのようにそれらによって改心され、また再生されるか、前に言われている、またそれについて次に多くのことが言われる。
(1) 原文
97. (viii.) Quod ideo Divinae Providentiae sit, ut homo ex libero secundum rationem agat.― Ex libero secundum rationem agere, et ex libertate ac rationalitate agere, est idem, tum etiam ex voluntate ac intellectu; at aliud est ex libero secundum rationem, seu ex libertate et rationalitate agere, et aliud est ex ipso libero secundum ipsam rationem, seu ex ipsa libertate et ex ipsa rationalitate, agere; quoniam homo qui malum facit ex amore mali, et id apud se confirmat, ille quidem ex libero secundum rationem agit, sed usque liberum ejus non in se est liberum seu ipsum liberum, verum est liberum infernale, quod in se est servum, et ratio ejus non in se est ratio, sed est vel ratio spuria, vel falsa, vel apparens per confirmationes. At usque utrumque est Divinae Providentiae: nam si liberum volendi malum, et id sicut rationis facere per confirmationes, homini naturali tolleretur, periret libertas et rationalitas, et simul voluntas ac intellectus, et non potuisset abduci a malis, ac reformari, ita non conjungi Domino, et vivere in aeternum; quare Dominus liberum apud hominem ita custodit, sicut homo pupillam oculi sui. Sed usque Dominus per liberum continue abducit hominem a malis, et quantum per liberum abducere potest, tantum per liberum implantat bona; ita successive loco liberi infernalis indit liberum caeleste.
(2) 直訳
(viii.) Quod ideo Divinae Providentiae sit, ut homo ex libero secundum rationem agat.― (viii.) それゆえ、神的な摂理があること、人間が自由から理性にしたがって行動するように―
Ex libero secundum rationem agere, et ex libertate ac rationalitate agere, est idem, tum etiam ex voluntate ac intellectu; 自由から理性にしたがって行動すること、また自由(性)そして推理力から行動することは同じである、さらにまた意志と理解力から〔行動することは同じである〕。
at aliud est ex libero secundum rationem, seu ex libertate et rationalitate agere, et aliud est ex ipso libero secundum ipsam rationem, seu ex ipsa libertate et ex ipsa rationalitate, agere; しかし、自由から理性にしたがうのはあるものである、すなわち、自由(性)と推理力から行動すること、また自由そのものから理性そのものにしたがうのはあるものである、すなわち、自由(性)そのものからまた推理力そのものから行動すること。
quoniam homo qui malum facit ex amore mali, et id apud se confirmat, ille quidem ex libero secundum rationem agit, sed usque liberum ejus non in se est liberum seu ipsum liberum, verum est liberum infernale, quod in se est servum, et ratio ejus non in se est ratio, sed est vel ratio spuria, vel falsa, vel apparens per confirmationes. 人間は、悪の愛から悪を行なう者、またそれを自分自身のもとで確信するので、彼は確かに自由から理性にしたがって行動する、しかし、それでも彼の自由は本質的に自由ではない、または自由そのもの、けれども、地獄の自由である、それは本質的に奴隷(隷属)である、またその理性は本質的に理性ではない、しかし、あるいはにせの理性、あるいは虚偽、あるいは確信によっての外観(見せかけ)である。
At usque utrumque est Divinae Providentiae: しかし、それでも二つとも神的な摂理のものである。
nam si liberum volendi malum, et id sicut rationis facere per confirmationes, homini naturali tolleretur, periret libertas et rationalitas, et simul voluntas ac intellectus, et non potuisset abduci a malis, ac reformari, ita non conjungi Domino, et vivere in aeternum; なぜなら、もし悪を欲する自由が、またそれを確信によって理性の〔自由〕ように行なうことが、自然的な人間に取り去られるなら、自由(性)と推理力は滅びる、また同時に(一緒に)意志と理解力は、また悪から連れ去られること、そして改心されることができないから、そのように(したがって)主と結合されること、また永遠に生きること〔ができない〕。
quare Dominus liberum apud hominem ita custodit, sicut homo pupillam oculi sui. それゆえ、主は人間のもとの自由をそのように守られる、人間が自分の目のひとみ☆を〔守る〕ように。
☆ 「申命記」32:10に「ご自分のひとみのように守られた」とあり、「大切なもの」の意味として、一般に使われることがあります。
Sed usque Dominus per liberum continue abducit hominem a malis, et quantum per liberum abducere potest, tantum per liberum implantat bona; しかし、それでも主は自由によって絶えず人間を悪から連れ去る、またどれだけ自由によって連れされることができるか〔によって〕、それだけ自由によって善を植え付ける。
ita successive loco liberi infernalis indit liberum caeleste. そのように継続的に地獄の自由に代わって天界の自由を持ち込む(与える)。
(3) 訳文
97. (viii.) それゆえ、人間が自由から理性にしたがって行動するように、神的な摂理があること―
自由から理性にしたがって行動することと自由と推理力から、さらにまた意志と理解力から行動することは同じである。しかし、自由から理性にしたがうこと、すなわち、自由と推理力から行動することと自由そのものから理性そのものにしたがうこと、すなわち、自由そのものからまた推理力そのものから行動することは別ものである。悪の愛から悪を行なう者は、またそれを自分自身のもとで確信するので行なう者は確かに自由から理性にしたがって行動する、しかし、それでも彼の自由は本質的に自由、または自由そのものではなく、地獄の自由であり、それは本質的に隷属であり、またその理性は本質的に理性ではなく、あるいはにせの理性、あるいは虚偽、あるいは確信による外観である。しかし、それでも二つとも神的な摂理のものである。なぜなら、もし悪を欲する自由が、またそれを確信によって理性からのように行なうことが、自然的な人間に取り去られるなら、自由と推理力はまた同時に意志と理解力は滅び、また悪から連れ去られ、改心すること、したがって主と結合されること、また永遠に生きることができないから。それゆえ、主は人間のもとの自由を、人間が自分の目のひとみを守るように守られる。しかし、それでも主は自由によって絶えず人間を悪から連れ去り、またどれだけ自由によって連れされることができるかによって、それだけ自由によって善を植え付けられる。そのように継続的に地獄の自由に代わって天界の自由を与えられる。