原典を読もう(『神のみことば』) No.5

 宿題(その1)はquale est の句で修飾された Verbum が主語なので次のようになります。
Verbum naturale, quale est in mundo in Christiano orbe,
「世の中に、キリスト教(世)界の中にあるような、自然的なみことばは・・・」
 続いて後半の勉強に入りましょう。
intus in se continet et Verbum spirituale, et Verbum coeleste,
 動詞「contineo」にはいくつか意味がありますが「含む」で大体間に合います。
 「spirituale は naturale と同じような形をしているな、すると辞書形は spiritualis かな」と見当をつけたあなたは素質があります。そのとおり辞書にそうあります。この形容詞の意味は「霊的な」。
 「coeleste も同じ感じがするから、coelestis だろう」と思ったあなたはすばらしい。そのとおり。意味は「天的な」。両方とも contineo の目的語になるので「対格」に変化しています。
 「intus」は副詞(不変化)で「内部に」の意味。
 「in se」は「それ自体(自身)の中に」の意味。
 これで単語の意味は全部わかりました、訳せるでしょうか?
 ここで問題となるのが「et」。et をそのまま「~と」と訳すと、文意がつながりません。
 そこで、予習課題、宿題(その2)として「(レキシコンで) etを引いてみよ」としました。「レキシコン」のすばらしいところはその用例がすべて原典からとられているところです。なお、レキシコンでは用例の訳文をできるだけ直訳(語順までなるべく一致させる)としましたので、例文とその訳を見比べれば、そこで使われている単語の意味がわかるようになっています。
 簡単な課題でしたね「・・・も・・・も」とすればよいのです。では全文を訳してみてください。
Verbum naturale, quale est in mundo in Christiano orbe, intus in se continet et Verbum spirituale, et Verbum coeleste,
「(前半部分は上記)それ自体の(中の)内部に、霊的なみことばと、天的なみことば(と)を含む」
 内容上は「~も~も」ですが、上記のように訳すと「と」でも大丈夫でした。
 では、ここから何を想起するでしょうか? ここが本来の学びです。
 私はスヴェーデンボリの著作から、深く隠されていた霊的な意味を知ることができた。それで、この世では知ることもできない「天的な意味」も内在すると思える。そして、このことにより、自然的なみことばである「聖書」を、主に出会うため、人生の道しるべとして尊重する。
 なお、文字どおりの意味だけから判断して、「聖書」は記述内容が矛盾している、幼稚だ、などと捨て去ってしまうことないための絶好な「説教」があります。よろしかったらお読みください。
 リンク先の「ジェネラルチャーチ東京グループ」の「説教アーカイブ」の中のグラデッシュ師の説教「みことばの霊的な意味を知ることはなぜ重要なのか」です(最近訳しました)。
 では【宿題】です。何遍も読み、何が書かれているか考えてみてください(訳す必要はありません)。
 出典はDe Nova Hierosolyma et ejus Doctrina Coelesi(新しいエルサレムとその天界の教え)247番。
Quod in Antiquissima Ecclesia fuerit revelatio immediata, in Antiqua Ecclesia per correspondentias, in Ecclesia Judaica viva voce, et in Ecclesia Christiana per Verbum(HD247).
 すぐに気づくのは四つの Ecclesia「教会」が出てくること、そしてそれぞれに「revelatio immediata」、「correspodentias」、「viva voce」、「Verbum」が付随していること。これで大体内容が見当つきますね。
  (ヒントのつもりが、これで宿題をこなしたことになっちゃいました)

原典を読もう(『神のみことば』) No.6

 今回学ぶ原典は『新しいエルサレムとその天界の教え』の274番からです。そこは第19章「教会」の『天界の秘義』からの引用のうち「古代教会について」の部分です。それでこの詳しい説明は『秘義』10355番にあります。(宿題の答え合わせは不要ですね)
 スヴェーデンボリの神学に親しんだ人なら、内容が想像ついたのではないでしょうか? すなわち「最古代教会」「(ノアの洪水後の)古代教会」「(イスラエル民族のもとの)ユダヤ教会」「(イエスからの)キリスト教会」です。なお、これに続くものが第5の教会「新教会」です。
Quod in Antiquissima Ecclesia fuerit revelatio immediata, in Antiqua Ecclesia per correspondentias, in Ecclesia Judaica viva voce, et in Ecclesia Christiana per Verbum.
 ここで動詞は一つしか使われていません。どれでしょうか? 文頭以外大文字から始まるはずがないから・・・と眺めていくと、fuerit しかありませんね(このような頭を使うことが重要です)。
 あとは名詞「revelatio」(啓示)、「correspondentia」(対応)、「vox」(声)、形容詞、前置詞(とquod)。
 「revelatio」について、-tio の形は女性名詞であり、-tion とすればそのまま英語。(英語使用者にとっては楽でしょうがないね、日本語の古文、現代文ほどの違いもありませんね)
 「correspondentia」は英語で correspondence これも似ている。-tia の形は女性名詞。抽象名詞であり、これと同類が「scientia」(英語の science、ただし意味は「知識」、scio「知る」を抽象名詞化して「知識」) 。
 この訳語は以前「相応」とされていたが「対応」がよい。ここではその議論は避ける。
 「vox」は「声、音、言葉」。voce では辞書に載っていない←この辺が初心者のつらいところ。
 朝日新聞の「天声人語」は「Vox populi, Vox dei(民の声は神の声)」から作られたという。
 さて形容詞「antiquus」。「アンティーク(骨董品、古美術品、年代物の家具や装飾品)」の語源。意味は「古代の」。この最上級 antiquissimus は「最古代の」。ecclesia (女性名詞) を修飾し、in がついているので女性・奪格 (-a) に変化している。
 「immediatus」は「直接の」。
 「Judaicus」は「ユダヤ(人)の」。
 「vivus」はいろいろな意味があるが、ここでは「生きている、生きた」といった意味。英語で「vivid」、これも(語源なので)似ている。ここの「viva voce」は奪格、意味は「生きた声で」。
 「Christianus」は「キリスト教(徒)の」。
 残るは動詞「fuerit」。「fu-」を見ても、それどころか「f」全体を見渡しても、この単語の訳語らしきものが見当たらず、首をかしげるばかり。ここがやはり初心者のつらいところ。
 一番有名な不規則動詞「sum」の「接続法の完了形」である。意味は「~あった」。
 それで、文法の勉強法としては、①品詞の種類、②その品詞のうち変化するものはどれか、③その変化の大体の形(名詞だったら -ae、-o、-isなどがつくな、動詞は3人称が -t で終わるな、それが受動態だと -turだな、など)を頭に入れて、③不規則動詞の大体を学んでおく、のがよいと思う。こうしておけば「辞書が引ける」から。そして、辞書を引いて、ともかく原著を読んでみるのが、無味乾燥と思える文法を長々やり、いやになって途中で投げ出してしまうのを避けるのに一番良いと思う。
 ともかく、「quod で始まる文は接続法」と思ってしまってよい。
 以上で単語とその意味を全部学びました(述べてないのは以前に学習済み)。
 では訳し、そして文全体の意味する内容を考察してください【宿題】。

宿題について(雑感その1)

 ここで「原典を読もう」を掲載し始めた。(1)原典を読みながら、(2)ラテン語のあらましを知ってもらおう、(3)さらにスヴェーデンボリの神学思想についても考えてもらおう、と思った。
(1)原典については、「直截明快に書かれているな、原典って意外とわかりやすいな」と感じてもらえればよい。口で言うより、それを実感してもらいたい。
(2)ラテン語については、初心者でもついてこれるように述べているつもりである。しかし、英文法などの初歩的な知識は仮定している。ある程度のラテン語の知識を持っている人でも、基本事項の復習のようなつもりになってもらえればよい。
(3)神学思想については、いっしょに学んでいきたい。ここで述べていることは「私の把握したもの・感想など」であり、新教会の本流となる教義からずれるかもしれない(すなわち、私の言うことが「規範」ではありません。各自、学んでください)。いっしょに学ぶとは、いっしょに「考えること」である。
 さて、「宿題を出す先生は嫌われる」。なぜか、生徒は基本的に「考えたくない」からである。
 数学の授業でいろいろ説明する。すると、そこそこ聞いている。 (理解したかどうか)「では、問題をやってみましょう」となると、ぼけっと「息抜き」。ここからが本番であり、ほんとうに力がつくときなのに、勝手に休憩時間と決め込み、解いてみようとしないで、正解が出てくるまで待っている。
 (同じことを、「原典を読もう」の読者はしていませんか?)
 「宿題」は聞きっぱなしでは、忘れてしまうだろうから、家でもう一度「考えてもらいたい」から出す。考えるのが嫌な生徒はやってこないで「忘れました」となる。忘れたのは宿題ではなく、教わったことの中身。
 ここのブログで私が「宿題を出す(前代未聞?)」のは、少しでも「考える」きっかけとなれば、の老婆心から。(つづいて「雑感その2」では「ネットサーフィン」の危険性を語ろう)

原典を読もう(『神のみことば』) No.7

 【宿題】の答え合わせ
Quod in Antiquissima Ecclesia fuerit revelatio immediata, in Antiqua Ecclesia per correspondentias, in Ecclesia Judaica viva voce, et in Ecclesia Christiana per Verbum.
「最古代教会には直接の(啓示が)、古代教会には対応によって(啓示が)、ユダヤ教会には生きた声で(啓示が)、キリスト教会にはみことばによって啓示があった(こと)」
 みなさん、このような答えでしたよね。ここからいろいろ学びましょう。
 まずは①形が変わっても、啓示があたえつづけられたこと、②そのときの教会の特質に応じて啓示の性質が異なること、③現在も続くキリスト教会では「みことばを通して(per のもう一つの意味)」刑事が与えられること、がわかります。
 そして、ここからは新教会の教えになりますが、現在はここに述べられた四つの教会に続く、再臨の主による「第五の教会」の時代に入っています。マタイ福音書第24章に預言された「人の子」は「天の雲に乗ってきます」(同章第30節)。新教会の教義に深入りしませんが、ここの雲の霊的な意味は「スヴェーデンボリの神学著作」です。すなわち、「みことばの霊的な意味を明らかにすること」が「新しい時代の啓示」なのです。再臨といえば、「イエスが肉体をとられて再びこの世に現われること」と思っている人には驚きの宣言であり、受け容れがたいかもしれません。
 啓示の形は時代とともに変わってきています。そして、スヴェーデンボリがこの世に生きながら霊界に入り、死後の世界の実相を明らかにし、みことばに深く隠されていた霊的な意味を主から教えられたこと、これらのことは新たな「奇跡」だと思います。(奇跡を見せられても、信じない人は信じませんが)あとは理性を用いて、ご自分で判断してください。「今は信仰の秘義に知的に入ることが許されている(quod nunc liceat intelectualiter intrare in arcana fidei)」(真のキリスト教508:3)のですから。
     * * * * *
 では【宿題】。出典は『天界の秘義(Arcana Caelestia)』10355:6番から。よく読んで、どのような内容か考えてみてください。 後半の sed 以下に apud illos qui が二度出てきます。「~の者のもとに」の意味であり、二種類の人間に対する revelatio を比べています。
quod hodie detur revelatio solum per Verbum, sed genuina revelatio apud illos qui in amore veri sunt propter verum, et non apud illos qui in amore veri sunt propter honores et lucra ut fines;(AC10355:6)

原典を読もう(『神のみことば』) No.8

 【宿題】ちょっとだけ長い文でしたね。「知らない単語がいっぱいあるからやめた」と放り出さずに、何とならないかとしがみつくのも何かの勉強になります。何も知らないところにポンと投げ出されても、何か手がかりとなるものはないかと探すうちに、いわゆる「勘」が養われます。
 私のヘブル語学習がそうでした。動詞も名詞も区別がつかず、どこからどう手をつけたらよいかわからない文章でしたが、文全体の意味は聖書の文句だったのでわかっていました。でも目の前にはへんてこな文字が並んでいるだけでした。これじゃあ暗号、未読文字の解読だな、といった気がしました。「膠着語」といって、ひとつの単語の「前・後」にくっつく前置詞や人称代名詞があります(分かち書きがされていない)。「前」もですよ! そのまま辞書を引いても出てきっこありません。ひとつにくっついた文字の羅列から前後の文字を引き剥がさなくては、辞書すら引くことができません。突然、密林に迷い込んだ気がしました。手探りで、道を求めてさ迷ったことも今では楽しい思い出です。しかも、どんな言語でもやっているうちに何とかなるもんだ、という変な自信もつきました。
 このようについ前置き(雑談)が長くなるのが私の授業の特徴でした(というよりも教員時代の最後のほうは雑談を楽しみました)。閑話休題、文の区切りはコンマや接続詞が有力な手がかりとなります。
 まずは接続詞「sed(しかし)」で切れますね。そこまでの文で、主語が「revelatio」動詞が「detur」とわかれば、予習としてはまあまあ。「sed」以後は長くなりますが、どこが頭でどこがしっぽか? やはり「revelatio」が主語らしい、そして動詞の「sunt」が二つあるな、とわかればこれで予習は上出来、終了です。
 長くなりそうなので短い前半だけにしましょう。
 副詞「hodie」:日にちの今日(きょう)の意味もありますが、ほとんどの場合、現在の時を意味する今日(こんにち)。
 動詞「do」:detur をひいても出てこない「-tur」は動詞の受動態の形だからと「de-」全部をみてもそれらしい動詞が見つからない。不規則動詞とまでは言いきれない、こうした単語が初心者泣かせなんですよね。仕方なしに項目「D」を全部あたる。確かに能率悪い。でも、しぶとく、ねばり強く、何度かこんなことをしたほうが効率よく勉強するよりもよいのかもしれない。意味はいろいろあってここでは「与える」。
 副詞「solum」:ただ、だけ。(英語の solo はこの語と関連あり)
 これで「hodei ~ Verbum」が訳せます。訳してみてください。
 「今日、啓示はただみことばによってだけ与えられる」ですね。
     * * * * *
 この言葉をすこし味わってみましょう。前回(No.7)と関連します。
 「啓示」とは何でしょう。宗教は「啓示」を特徴とします。アメリカに行ったことのない人がアメリカをどう考えたらよいでしょうか。自分が知らないから、そんな国ないだろう、とは思いませんね。自分がアメリカに行くか、それができなければ、行って、見てきた人の話を聞くしかありません。
 ここでアメリカを「霊界」に置き換えてください。霊界を見てきた人がスヴェーデンボリです。あとはその人を信用するかどうかです。
 自分の頭で考えてどうなるものでもないもの、これは「啓示」によるしかありません。昔の預言者たちは啓示された。スヴェーデンボリは霊界を啓示された。そのことを信じるのが宗教です。
 スヴェーデンボリ自身は、なぜ啓示を受けたのか。ここの文からは、彼自身が心を尽くして聖書を読んだことがその基盤となっているのがわかります。
 では、だれでも、聖書(みことば)を読めば、何らかの啓示を受けるのか? となると、それに答えたものが後半部分になります。ほんとうの啓示(genuina revelatio)はどういった人に与えられるか?
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 では、後半 sed 以下の文を【宿題】として予習してください。ヒントとしては名詞に限れば「愛(amor)」「真理(verum)」「名誉(honor)」「利得(lucrum)」「目的(finis)」といった言葉ですね。