[4.] Post haec quaesivi, num omnes illi qui in concupiscentia sunt, etiam in ejus phantasia sint. [4] これらの後、私は質問した、すべての者は、その者は欲望の中にいる、さらにまた彼の幻想の中にいるのか。
Respondebant quod illi in phantasia suae concupiscentiae sint, qui interius in se cogitant, et nimium indulgent suae imaginationi, loquendo secum; 彼らは答えた、彼らは自分の欲望の幻想の中にいること、その者は内的に自分自身の中で考える、また度を越えた自分の想像の中にふける、自分自身に(と)話して☆。
☆「自分自身に(と)話して」とは何でしょうか? 自分の内心と語ること、自分自身に説き付けて、といったところでしょうか、ふつうは「ひとりごとを言って」と訳しておいてもよいでしょう。
"hi enim separant spiritum suum paene a nexu cum corpore, et ex visione inundant intellectum, et fatue oblectant se sicut ex possessione universali: ☆というのは、これらの者は自分の霊をほとんど身体との結びつきから分離するから、また幻から知性を水でおおう、また愚かにも、自分自身を楽しませる、全世界の所有からのように。
☆ ここに引用符「"」がありますが、不要のようです。なお、スヴェーデンボリの著作の初版には会話を意味する引用符は一切ありません(疑問符「?」もありません)、これは、後から編集者が(意を汲んで)付けたものです。編集者の解釈と異なれば、会話でなく、地の文とも見なせます。(なお、会話かどうかは、大文字から始めることで、気づくようになっています)
in hoc delirium immittitur homo post mortem, qui spiritum suum a corpore abstraxit, et non ex delicio delirii voluit recedere; この精神錯乱(狂気)の中に、人間は、死後、入れられる、その者は自分の霊を身体から引き離した、また精神錯乱(狂気)の楽しみから戻ることを欲しなかった。
cogitando aliquid ex religione de malis et falsis, et minime aliquid de effreno amore sui, quod sit destructivus amoris in Dominum, ac de effreno amore mundi, quod sit destructivus amoris erga proximum. 悪と虚偽について宗教から何らかのものを考えて、また抑制のない自己愛について何らかのものを最小に〔考えて〕、それは主への愛を破壊するものである、そして抑制のない世俗愛について、それは隣人に対する愛を破壊するものである。
[5.] Post haec supervenit binos angelos et quoque me desiderium videndi illos qui in concupiscentia visionaria seu phantasia possessionis omnium opum ex amore mundi sunt; [5] これらの後、二人の天使と私もまた彼ら見ようとする欲望(願い)が出てきた、その者は世俗愛からすべての富を所有する幻と幻想の中にいる。
et percepimus quod desiderium illud inspiraretur ob finem ut cognoscerentur. また私たちは知覚した、その欲望(願い)が知られる目的のために吹き込まれたこと。
Domicilia illorum erant sub terra pedum nostrorum, at supra infernum; 彼らの小屋(小さい家)は私たちの足の地の下にあった、しかし、地獄の上方に。
quare aspeximus nos mutuo, et diximus, "Eamus;" それゆえ、私たちは私たちを互いに見た、また言った、「私たちは行く(接続)」。
ac visa est apertura, et ibi scala; そして、開口部が見られた、またそこに階段が。
per hanc descendimus; これを通って、私たちは降った。
et dictum est quod adeundi sint ab oriente, ne intremus in nimbum phantasiae illorum, ac inumbremur quoad intellectum, et tunc simul quoad visum. また言われた、東から近づかなくてはならないこと、彼らの幻想のもやの中に入らないように、そして知性に関して暗くされない(おおわれない)ように、またその時、一緒に視覚に関して。
Et ecce visa est domus structa ex calamis, sic rimosa, stans in nimbo, qui sicut fumus continue effluxit per rimas trium parietum. また見よ、アシ(葦)から建てられた家が見られた、割れ目〔だられ〕のような、もやの中に立っている、それは煙のように絶えず流れ出る、三つの壁の割れ目を通って。
Intravimus, et visi sunt quinquaginta hic et quinquaginta ibi sedentes super scamnis, et aversi ab oriente et meridie prospiciebant ad occidentem et septentrionem; 私たちは入った、またここに五十〔人〕が見られた、またそこに五十〔人〕が長椅子(ベンチ)の上に座っている、また東と南から背いて、西と北へ向けて眺めた。
ante quemlibet erat mensa, et super mensa crumenae distentae, et circum crumenas copia nummorum aureorum. それぞれの者の前にテーブルがあった、またテーブルの上にふくらんだ財布、また財布のまわりに豊富な(おびただしい)金貨。
カテゴリー: 原典講読『真のキリスト教』第11章
原典講読『真のキリスト教』662(直訳[6]、[7])
[6.] Et quaerebamus, "Sunt illa opes omnium mundi?" [6] また、私たちは質問した、「これらは世のすべての者の富か?」
Dicebant, "Non omnium mundi, sed omnium regni." 言った、「世のすべての者の〔富〕ではない、しかし、王国の私たちの」。
Sonus loquelae illorum erat sibilaris, et ipsi apparebant facie rotunda, quae rutilabat sicut squama cochleae, ac pupilla oculi in plano viridi quasi fulgurabat, quod erat ex luce phantasiae. 彼らの話しの声はシューシューいうようであった、また自分自身に見られた丸い顔に、それはカタツムリの殻のように赤く輝いた、そして緑の表面〔地色〕の中で目のひとみはあたかもぴかっと輝くようであった、それは幻想の光からであった。
Stetimus in medio illorum, et diximus, "Creditis quod omnes opes regni possideatis." 私たちは彼らの真ん中に立った、また言った、「あなたがたは信じている、あなたがたが王国のすべての富を所有していること」。
Et responderunt, "Possidemus." また答えた、「私たちは所有している」。
Dein quaesivimus, "Quis vestrum?" その後、私たちは質問した、「あなたがたのだれが?」
Dicebant, "Quisque." 彼らは言った、「それぞれの者が」。
Et quaesivimus, "Quomodo quisque? estis multi." また私たちは質問した、「どのように、それぞれの者が? あなたがたは多くの者である」。
Dicebant, "Quisque ex nobis scit, quod omnia ejus mea sint; 彼らは言った、「私たちからのそれぞれの者が知っている、彼のすべてのものが私のものであること。
non licet alicui cogitare, minus dicere, Mea non sunt tua, sed licet cogitare et dicere, tua sunt mea." ある者に考えることが、まして、言うことが許されない、『私のものはあなたのものではない』、しかし、考えると言うことは許される、『あなたのものは私のものである」』☆。
☆ 「共有」は許されるが、「私有」は許されない、ということでしょう。
Nummi super mensis apparebant sicut ex auro puro, etiam coram nobis; テーブルの上の硬貨は純金からのように見えた、私たちの前にもまた。
sed cum immisimus lucem ab oriente, erant granula auri, quae per communem unitam phantasiam ita magnifecerunt: しかし、私たちが東からの光を引き入れたとき、金の粒であった、それは共有の同一の幻想によってそのように大きくなった。
dicebant quod oporteat quemcunque qui intrat, secum ferre aliquid auri, quod in frustula, et haec in granula secant, et per vim phantasiae unanimam in nummos grandioris formae amplificant. 彼らは言った、だれでも~ねばならないこと、その者は入る、何らかの金を自分自身にもたらすこと、それは小片に、またこれらを粒に切る(分ける)、また和合する(一つの心の)幻想の力によって大きな形の硬貨に大きくする。
[7.] Et tunc diximus, "Fuistisne nati homines rationis? [7] またその時、私たちは言った、「あなたがたは理性的な人間に生まれなかったか?
unde ista fatuitas visionaria vobis est?" どこから、その幻想の愚かさ(愚かな幻想)はあなたがたにある?」
Dixerunt, "Scimus quod vanitas imaginaria sit, sed quia jucundat interiora mentis nostrae, intramus huc, et deliciamur sicut ex possessione omnium; 彼らは言った、「私たちは知っている、想像の虚栄(空虚)であること、しかし、私たちの心の内的なものが喜ばせる(楽しませる)ので、私たちはここへ入る、また私たちは楽しむ、すべてのものの所有からのように。
at hic non moramur nisi per aliquot horas, quibus exactis egredimur, et toties mens sana nobis redit; しかし、ここに私たちはとどまらない、いくつかの時間の間でないなら、それらで終わって私たちは出て行く、またこれほど何度も健全な心が私たちに戻る。
sed usque oblectamentum visionarium nostrum alternis supervenit, ac facit ut per vices reintremus, et per vices egrediamur; しかしそれでも、私たちの幻想の楽しみがかわるがわる出てくる、そして行なう、時々、私たちは再び入る、また時々、私たちは出て行く。
sic alternis sapimus et insanimus. このように、かわるがわる私たちは賢明である、また狂う。
Scimus etiam quod dura sors maneat illos qui astu surripiunt aliis sua bona." さらにまた、私たちは知っている、きびしい(無情な)運命が彼らを待っていること、その者は狡猾さで他の者からその財産を盗む」。
Quaesivimus, "Quae sors?" 私たちは質問した、「何の(=どんな)運命が?」
Dicebant, "Absorbentur, ac nudi intruduntur in aliquem infernalem carcerem, ubi tenentur laborare pro veste et pro cibo, ac postea pro aliquibus obolis, quos colligunt, in quibus ponunt gaudium cordis sui; 彼らは言った、「私たちはのみ込まれる、そして裸で何らかの地獄の牢の中に導き入れられる、そこに労働することを強いられる、服装のためにまた食物のために、そしてその後、何らかの小さな貨幣(小銭)のために、それを集める、それらの中に自分の心の楽しさを置く。
sed si malum faciunt sodalibus, dabunt partem obolorum suorum in mulctam." しかし、仲間に悪を行なうなら、自分のもの(個人財産)の小さな貨幣(小銭)の一部を与える(未来)、罰金の中に(として)」。
原典講読『真のキリスト教』662(訳文)
(3) 訳文
662. 第二のメモラビリア――
ある時間の間隔の後、私はある木立の中に入り、そこを私は、世のものを所有する欲望とここからの幻想の中に〔いる〕者について熟考して歩いた。またその時、ある距離に私から、自分たちの間で会話している、また時々、私を眺めている二人の天使が見られた。それゆえ、私は近くに近づいた、また〔その天使たちは〕私に近づいて話しかけて、言った、「私たちの中で、私たちは、私たちが話していることをあなたが熟考していることを、すなわち、私たちが話していることをあなたが熟考していることを知覚した、それは相互の情愛の伝達からである」。
そこで私は、何を話しているか質問した。
彼らは言った、「幻想、欲望、知性について。また、今は、世のすべてのものの所有の幻想と想像から自分自身を喜ぶ者についてである」。
[2] またその時、私は、欲望、幻想、知性について、それらの三つのものについて自分の心を明らかにするように請い求めた。
また談話を始めて、それぞれの者が出生から内的に欲望の中に、しかし、教育から外的に知性の中にいること、まただれも知性の中に、まして内的に知恵の中に、そのように霊に関して、主からでないならないことを言った。「というのは、すべての者は欲望から悪に保たれ、そして主への見ることにしたがって知性の中に、また同時に、その方との結合に保たれるからである。それなしに人間は欲望以外でしかない。しかしそれでも、この者は外的なものの中で、または身体に関して教育からの知性の中にいる。というのは、人間は名誉と富を、すなわち、卓越と富裕をほしがるから。またこれら二つのものは、道徳的にまた霊的に、そのように知性的にまた賢明に見られないなら獲得されない。そして、そのように見られることを幼児期から学ぶ。その理由で、人間の間にまたは集団の中にやって来るとすぐに、自分の霊をひっくり返し、そしてそれを欲望から遠ざけ、また幼児期から教わった礼儀作法や似つかわしいことから、また身体の記憶の中に保持した〔ものから〕、話し、行動する。
また、狂気の欲望から何らかのものが、その中に彼の霊がいる、流れ出ないようにそれを最大に用心する。
[3] ここから、内部で主から導かれていないすべての人間は、偽る者、追従者、偽善者であり、このように人間に見られているが、それでも人間ではない。それらの者について、彼の殻(外皮)または身体は賢い、そして彼の仁(種)または霊は狂っていると言われることができる。なおまた、彼の外なるものは人間性、そして内なるものは野獣性である。このような者は後頭部で上方を、また前頭部(額)で下方を眺める。そのように重苦しさにとりつかれているかのような顔つきとともに、地へ向けて下方へ頭をたれて歩く。彼らは、身体を去り、霊となる時、またその時、解放され、自分の狂気の欲望を行なう。なぜなら、自己愛の中にいる者は、全世界の上に支配することを、それどころか、彼のその境界を、支配の拡大へ向けて広げることを望み、決して終わりを見ないからである。
世への愛(世俗愛)の中にいる者は、そのすべてのものを所有することを望み、そして、もし、ある者の宝庫に、ある者のもとにたくわえられて隠されているなら、苦しみ、ねたむ。それゆえ、このような者が単なる欲望のものとなり、またこのように人間とならないことがないように、彼らに霊界の中で、名声のまたこのように名誉と利益の奪われることの恐れから、そのようにまた法律とその罰の恐れから考えることが与えられ、そしてまた心を、何らかの関心(熱中・研究・学問)または働きへ振り向けることが与えられ、それによって外なるものの中に、またこのように知性の状態の中に、どれほど内的に正気を失い、狂っている〔にしても〕保たれる。
[4] これらの後、私は、欲望の中にいるすべての者は、さらにまた自分の幻想の中にいるのか質問した。
彼らは、自分たちは自分の欲望の幻想の中にいること、自分自身と話して☆、内的に自分自身の中で考え、また度を越えた自分の想像の中にふける、と答えた。というのは、これらの者は自分の霊をほとんど身体との結びつきから分離し、幻から知性を水でおおい、また愚かにも、自分自身を、全世界を所有するかのように楽しませるから。この精神錯乱の中に、自分の霊を身体から引き離し、また精神錯乱の楽しみから戻ることを欲しなかった人間は、死後、入れられる。〔その者は〕悪と虚偽について宗教から何らかのものを考えて〔ても〕、主への愛を破壊するものである抑制のない自己愛については、そして隣人に対する愛を破壊するものである抑制のない世俗愛についてはその何らかのものを最小に〔考える〕。
[5] これらの後、二人の天使と私もまた、世俗愛からすべての富を所有する幻と幻想の中にいる者を見ようとする欲望(願い)が起こった。また私たちはその欲望(願い)が知られる目的のために吹き込まれたことを知覚した。
彼らの小屋は私たちの足の地の下に、しかし、地獄の上方にあった。それゆえ、私たちは互いに見て、言った、「私たちは行こう」。そして、開口部が、またそこに階段が見られた。これを通って、私たちは降った。また、彼らの幻想のもやの中に入らないように、そして知性に関して、またその時、一緒に視覚に関して暗くされないように、東から近づかなくてはならないことを言われた。
また見よ、アシ(葦)から建てられた、割れ目〔だらけ〕の、もやの中に立っているような家が見られた、そのもやは、三つの壁の割れ目を通って煙のように絶えず流れ出ている。
私たちは入った、またここに五十〔人〕が、またそこに、東と南から背いて西と北へ向けて眺めて長椅子(ベンチ)の上に座っている五十〔人〕が、見られた。それぞれの者の前にテーブルがあり、またテーブルの上にふくらんだ財布、また財布のまわりにおびただしい金貨があった。
[6] また、私たちは、「これらは世のすべての者の富か?」と質問した。
「世のすべての者の〔富〕ではない、しかし、王国の私たちの〔富である〕」と言った。
彼らの話しの声はシューシューいうようであった、また自分自身には丸い顔に見られ、それはカタツムリの殻のように赤く輝き、そして緑の表面〔地色〕の中で目のひとみはあたかもぴかっと輝くようであった、それは幻想の光からであった。
私たちは彼らの真ん中に立ち、「あなたがたは、自分たちは王国のすべての富を所有している、と信じている」と言った。
また答えた、「私たちは所有している」。
その後、私たちは質問した、「あなたがたのだれが?」
彼らは言った、「それぞれの者が」。
また私たちは質問した、「それぞれの者が、どのように? あなたがたは多くの者である」。
彼らは、「私たちからのそれぞれの者が、彼のすべてのものが私のものであることを知っている。ある者に、『私のものはあなたのものではない』と考えること、まして、言うことが許されない、しかし、『あなたのものは私のものである』と考え、言うことは許される」と言った。
テーブルの上の硬貨は、私たちの前にもまた純金からのように見えた。しかし、私たちが東からの光を引き入れたとき、それは共有の同一の幻想によってそのように大きくなった金の粒であった。彼らは、入る者はだれでも、何らかの金を持参しなければならないこと、それを小片に、粒に切り分け、また和合する幻想の力によって大きな形の硬貨に大きくする、と言った。
[7] またその時、私たちは、「あなたがたは理性的な人間に生まれなかったか? あなたがたの愚かな幻想)はどこからか?」と言った。
彼らは、「私たちは、空虚な想像であることを知っている、しかし、私たちの心の内的なものが喜ばせるので、私たちはここへ入り、また、すべてのものを所有するかように楽しむ。しかし、ここに私たちは、いくらかの時間の間しかとどまらない、それらを終えて私たちは出て行き、またこれほど何度も健全な心が私たちに戻る。しかしそれでも、私たちの幻想の楽しみが、かわるがわる出てくる、そして行なう、時々、私たちは再び入る、また時々、出て行く。このように、私たちはかわるがわる賢明であり、また狂う。
さらにまた、私たちは、狡猾さで他の者からその財産を盗む者にはきびしい(無情な)運命が待っていることを知っている」と言った。
私たちは質問した、「どんな運命が?」
彼らは、「その者はのみ込まれ、そして裸で何らかの地獄の牢の中に導き入れられ、そこで衣服のためにまた食物のために、そしてその後、何らかの小銭のために労働することを強いられ、その小銭を集め、それらの中に自分の心の楽しさを置く。しかし、仲間に悪を行なうなら、自分のもの(個人財産)である小銭の一部を罰金として与えなければならない」と言った。
☆「自分自身に(と)話して」とは何でしょうか? 自分の内心と語ること、自分自身に説き付けて、といったところでしょうか、「ひとりごとを言って」と訳してもよいでしょう。
原典講読『真のキリスト教』663(原文と直訳)
(1) 原文
663. Tertium Memorabile:―
Quondam fui in medio angelorum, et audivi sermonem illorum. Sermo illorum erat de intelligentia et sapientia; quod homo non sentiat et percipiat aliter, quam quod utraque sit in se, et sic quod quicquid vult et cogitat, sit ex se; cum tamen ne hilum illarum ex homine est, praeterquam facultas recipiendi illas. Inter plura, quae loquebantur, erat etiam hoc, quod arbor scientiae boni et mali in horto Edenis significaverit fidem quod intelligentia et sapientia essent ab homine, et quod arbor vitae significaverit quod intelligentia et sapientia essent a Deo; et quia Adamus ex suasu serpentis comedit ex priore arbore, sic credens quod esset aut fieret sicut Deus, ideo expulsus est ex horto et damnatus.
[2.] Angeli dum in hoc sermone erant, venerunt duo sacerdotes, una cum viro qui in mundo fuerat legatus regni, et illis retuli quae ab angelis audiveram de intelligentia et sapientia, quibus auditis coeperunt tres illi disceptare de utraque illa, et quoque de prudentia, num sint a Deo, vel num ab homine: ardens erat disceptatio; tres illi crediderunt similiter, quod sint ab homine, quia ipsa sensatio et inde perceptio id confirmant: sed sacerdotes, qui tunc erant in zelo theologico, instabant, quod nihil intelligentiae et sapientiae, et sic nihil prudentiae sint ab homine, et hoc confirmabant ex his in Verbo,
"Non potest homo sumere quicquam, nisi sit datum illi e caelo" (Joh. iii. 27);
et ex his,
Jesus dixit ad discipulos, "sine Me non potestis facere quicquam" (Joh. xv. 5):
[3.] sed tunc quia perceptum erat ex angelis, quod utcunque sacerdotes ita loquebantur, usque corde crederent simile quod legatus regni, quare angeli dicebant ad illos, "Exuite vestes vestras, ac induite vestes ministrorum politicorum, et credite quod illi sitis;" ac fecerunt ita, et tunc cogitaverunt ex interiori se, ac locuti ex argumentis quae intus foverunt, quae erant, quod omnis intelligentia et sapientia habitent in homine, et quod sint ejus; dicentes, "Quis adhuc sensit quod illae influxerint a Deo?" ac inspectabant se mutuo, et se confirmabant.
Peculiare est in mundo spirituali, quod spiritus cogitet se talem esse, qualis super illum est vestis; causa est, quia intellectus vestit unumquemvis ibi.
[4.] Eo momento apparuit arbor juxta illos, et dicebatur illis, "Est arbor scientiae boni et mali; cavete vobis ne edatis ab illa;" at usque illi infatuati propria intelligentia arserunt cupiditate edendi ex illa, et dicebant inter se, "Cur non? Estne bonus fructus?" Et accesserunt et comederunt.
Cum legatus regni hoc animadvertit, coiverunt, et amici cordis facti sunt, et viam propriae intelligentiae, quae in infernum tetendit, tenentes se manibus, simul iverunt; sed usque illos vidi reduces inde, quia nondum erant praeparati.
(2) 直訳
663. Tertium Memorabile:― 第三のメモラビリア――
Quondam fui in medio angelorum, et audivi sermonem illorum. かつて私は天使たちの真ん中にいた、また私は彼らの談話を聞いた。
Sermo illorum erat de intelligentia et sapientia; 彼らの談話は知性と知恵についてであった。
quod homo non sentiat et percipiat aliter, quam quod utraque sit in se, et sic quod quicquid vult et cogitat, sit ex se; 人間は異なって感じない、また知覚しないこと、両方とも自分自身の中にあること以外に、また、このように何でも欲するまた考えるものが、自分自身からであること。
cum tamen ne hilum illarum ex homine est, praeterquam facultas recipiendi illas. そのときそれでも、それらの最小のものも人間からでないない、それらを受け入れる能力のほかに(別として)。
Inter plura, quae loquebantur, erat etiam hoc, quod arbor scientiae boni et mali in horto Edenis significaverit fidem quod intelligentia et sapientia essent ab homine, et quod arbor vitae significaverit quod intelligentia et sapientia essent a Deo; 多くのものの間に、それらを彼らが話した、このこともまたあった、エデンの園の中の善と悪の知識の木は信仰を意味したこと、知性と知恵は人間からであったこと、またいのちの木は知性と知恵は神からであったことを意味したこと。
et quia Adamus ex suasu serpentis comedit ex priore arbore, sic credens quod esset aut fieret sicut Deus, ideo expulsus est ex horto et damnatus. またアダムがヘビの説得から前の木から食べた、このように信じたので、神のようになった、または、なること、それゆえ、庭園から追い払われた(expello)、また断罪された〔ことを意味した〕。
[2.] Angeli dum in hoc sermone erant, venerunt duo sacerdotes, una cum viro qui in mundo fuerat legatus regni, et illis retuli quae ab angelis audiveram de intelligentia et sapientia, quibus auditis coeperunt tres illi disceptare de utraque illa, et quoque de prudentia, num sint a Deo, vel num ab homine: [2] 天使たちが、この談話の中にいた時、二人の聖職者がやって来た、男と一緒に、その者は世の中で王国の大使であった、また彼らに私は語った(refero)、天使から知性と知恵について私が聞いた者を、それらで聞いて、彼ら三人はそれら両方のものについて論争し始めた、そしてまた思慮分別について、神からであるか、あるいは人間からか。
ardens erat disceptatio; 論争は激しかった(熱烈であった)。
tres illi crediderunt similiter, quod sint ab homine, quia ipsa sensatio et inde perceptio id confirmant: 彼ら三人は、同様に信じた、人間からであること、感覚とここからの知覚そのものがそのことを確信させたからである。
sed sacerdotes, qui tunc erant in zelo theologico, instabant, quod nihil intelligentiae et sapientiae, et sic nihil prudentiae sint ab homine, et hoc confirmabant ex his in Verbo, しかし、聖職者は、その者はその時、神学の熱意の中にいた、主張した(言い張った)、知性と知恵のものは何もないこと、またこのように人間から思慮分別は何もない、またこのことはみことばのこれらから確認(証明)された、
"Non potest homo sumere quicquam, nisi sit datum illi e caelo" (Joh. iii. 27); 「人間はどんなものでも取ることができない、彼に天から与えられないなら」(ヨハネ3:27)。
et ex his, またこれらから、
Jesus dixit ad discipulos, "sine Me non potestis facere quicquam" (Joh. xv. 5): イエスは弟子たちに言った、「わたしなしに、あなたがたはどんなものも行なうことができない」(ヨハネ15:5)。
[3.] sed tunc quia perceptum erat ex angelis, quod utcunque sacerdotes ita loquebantur, usque corde crederent simile quod legatus regni, quare angeli dicebant ad illos, "Exuite vestes vestras, ac induite vestes ministrorum politicorum, et credite quod illi sitis;" [3] しかし、その時、天使から知覚があったので、どれほど聖職者がそのように話しても、それでも、心で同様に信じていること、それは王国の大使が〔信じる〕もの、それゆえ、天使たちは彼らに言った、「あなたがたの服を脱げ、そして政治に仕える者の服を着よ、また信じよ、あなたがたが彼らであること」。
ac fecerunt ita, et tunc cogitaverunt ex interiori se, ac locuti ex argumentis quae intus foverunt, quae erant, quod omnis intelligentia et sapientia habitent in homine, et quod sint ejus; そしてそのように行なった、またその時、自分自身の内的なものから考えた、そして論拠(論証)から話すこと、それらは内的に抱いている、それらであった、すべての知性と知恵は人間の中に住んでいること、また彼のものであること。
dicentes, "Quis adhuc sensit quod illae influxerint a Deo?" 言って、「だれがこれからは感じるのか、それらが神から流入すること?」
ac inspectabant se mutuo, et se confirmabant. そして自分たち自身を互いに調べた、また(自分自身を)確信した。
Peculiare est in mundo spirituali, quod spiritus cogitet se talem esse, qualis super illum est vestis; 霊界の中で独特(特別)である、霊は自分自身をこのようなものであることを考えること、彼の上の衣服がどんなものであるか〔によって〕。
causa est, quia intellectus vestit unumquemvis ibi. 理由がある、理解力がそこにそれぞれの者に着せるからである。
[4.] Eo momento apparuit arbor juxta illos, et dicebatur illis, "Est arbor scientiae boni et mali; [4] その瞬間、彼らの近くに木が現われた、また彼らに言われた、「善と悪の知識の木である。
cavete vobis ne edatis ab illa;" あなたがたに用心せよ、あなたがたがそれらから食べないように」。
at usque illi infatuati propria intelligentia arserunt cupiditate edendi ex illa, et dicebant inter se, "Cur non? しかし、それでも、彼らはプロプリウムの知性を(で)愚鈍にさせられ(思慮を失わされ)、それらから食べる欲望に燃えた(ardeo)、また互いに(自分たちの間で)言った、「なぜ、〔食べ〕ないのか?
Estne bonus fructus?" 善い実ではないのか?」
Et accesserunt et comederunt. また、近づいた、また食べた。
Cum legatus regni hoc animadvertit, coiverunt, et amici cordis facti sunt, et viam propriae intelligentiae, quae in infernum tetendit, tenentes se manibus, simul iverunt; 王国の大使はこのことを気づいた、またいっしょになった(coeo)、また心で友人になった、またプロプリウムの知性の道を、それは地獄の中へ伸びていた、自分たちで(互いに)手で握って、一緒に行った。
sed usque illos vidi reduces inde, quia nondum erant praeparati. しかし、私はそこから戻る彼らを見た、まだ準備されていなかったからである。
原典講読『真のキリスト教』663(訳文)
(3) 訳文
663. 第三のメモラビリア――
かつて私は天使たちの真ん中にいて、彼らの談話を聞いた。
彼らの談話は知性と知恵についてであった。人間は、また知覚しないこと、両方とも自分自身の中にあるこ、また、このように何でも欲するまた考えるものが、自分自身からであることと以外に異なって感じないこと〔であった〕。そのときそれでも、それらを受け入れる能力を別としてそれらの最小のものも人間からでないない。
彼らが話した多くのものの間に、このこともまたあった、エデンの園の中の善と悪の知識の木は信仰を意味したこと、知性と知恵は人間からであったこと、またいのちの木は知性と知恵は神からであったことを意味したこと。またアダムがヘビの説得から、神のようになると信じて前者の木から食べたので、それゆえ、庭園から追い払われ、断罪された〔ことを意味した〕。
[2] 天使たちが、この談話の中にいた時、二人の聖職者が、世の中で王国の大使であった男と一緒にやって来た、また彼らに私は、天使から知性と知恵について私が聞いたものを語った、それらを聞いて、彼ら三人はそれら両方のものについて、そしてまた思慮分別について、神からであるか、あるいは人間からか論争し始めた。論争は激しかった。彼ら三人は、同様に、人間からであることを信じた、感覚とここからの知覚そのものがそのことを確信させたからである。しかし、その時、神学の熱意の中にいた聖職者は、、知性と知恵のものは何もない、またこのように人間から思慮分別は何もないことを主張し、このことはみことばのこれらから確認(証明)された、
「人間はどんなものでも、彼に天から与えられないなら取ることができない」(ヨハネ3:27)。
またこれらから、
イエスは弟子たちに言われた、「わたしなしに、あなたがたはどんなものも行なうことができない」(ヨハネ15:5)。
[3] しかし、その時、天使から、どれほど聖職者がそのように話しても、それでも、王国の大使が〔信じる〕ものを心で同様に信じている、という知覚があったので、それゆえ、天使たちは彼らに言った、「あなたがたの服を脱げ、そして政治に仕える者の服を着よ、また、あなたがたが彼らであること信じよ」。そしてそのように行なった、またその時、自分自身の内的なものから考え、そして内的に抱いている論拠から話した、それらは、すべての知性と知恵は人間の中に住んでいること、また彼のものであることであった。言って、「だれがまだ、それらが神から流入することを感じるのか?」 そして自分たちを互いに調べ、また確信した。
霊界の中で独特なものであるが、霊は、自分の衣服がどんなものであるか〔によって〕、自分自身がこのようなものである、と考える。その理由は、そこのそれぞれの者に理解力が着せるからである。
[4] その瞬間、彼らの近くに木が現われ、また彼らに言われた、「善と悪の知識の木である。それらから食べないように、あなたがたは用心せよ」。しかし、それでも、彼らはプロプリウムの知性で愚鈍にさせられ、それらから食べる欲望に燃え、また互いに言った、「なぜ、〔食べ〕ないのか? 善い実ではないのか?」
また、近づき、食べた。
王国の大使はこのことに気づいた、またいっしょになり、心で友人になった、また地獄の中へ伸びていたプロプリウムの知性の道を、互いに手を握って、一緒に行った。しかし、私はそこから戻る彼らを見た、まだ準備されていなかったからである。