原典講読も12年となった

◎「原典講読」について

 2008年5月14日に『信仰について』を開始した(ブログの開始は同年の2月から)。

 すなわち、私が60歳のときに始めた原典講読もここで丸12年経過した(当然72歳となっている)。

 途中、病気や旅行もあり、やや中断しながらも、ほぼ、毎日、アップロードしてきた。

 ここまできたら、一生続けるだろう。

 とすれば、「一生続けることができるものを持てた」ことに感謝するしかない(だらだらと続けるのもよいもんだ)。 

『霊界体験記』柳瀬芳意と私

 本講「霊界体験記」に関し、私見を述べておくのも、この際、何かの参考となるであろう。

 

スヴェーデンボリに関わる膨大な訳書を出版された柳瀬に(呼び捨ての言い方をするのは、故人であるし、ある意味、尊敬のしるしである)に私が初めて会ったのは年号も変わった平成元年(1989年)正月であった。

柳瀬(明治41年10月15日生まれ)はその時、80歳、私(昭和21年12月15日生まれ)は42歳、48歳年長である。それから翌年の5月まで同氏の翻訳書などの校正の手伝いをしながらご一緒いただけたことは私の幸せであった(5月で去ったのは、翻訳ではその莫大な量に驚嘆しながらも、同時に「日本新エルサレム教会」を牧会していた牧師柳瀬に幻滅したからであった。私は既成教会に通っていたことがあり、その牧師を見てきた、それからすれば、あまりにも手抜き、もっと言えば、信徒のことを思っていないからであった、悪口になってすまない、説教での「柳瀬節」には味があった)。

 

 彼は当時、『天界の秘義』を終え、その最後の頃『霊界日記』も終え、『黙示録講解』(この時私は校正の手伝いもした)に取り組んでいた(その後は『神学』に関する小編を終え、翻訳業を終え、その後、病床に伏した)。

 ここで『霊界日記』の翻訳ペースを確認してみた。

 第1巻(1~692)を昭和55年(1980年)4月20日に出版。柳瀬71歳。

 以下ほぼ8カ月に一巻のペースで第9巻(5660~6110)を昭和60年(1985年)2月20日に出版して完了。6年間の訳業の内、前の方では『天界の秘義』の最後とダブっている。

 

 私が取り組んだのが昨年9月末からであり、現在、翻訳中、「ちょうど40年前に柳瀬が取り組んでいたであろ箇所」を私が訳していることになる(柳瀬は訳了してからほど2カ月弱で出版している)。年齢も2年異なるだけである(私は73歳)。

 奇しくも、同じような年齢で同じようなことをやっている、でも「内容は大いに異なる」。柳瀬は英訳書『霊界日記』(これはラテン原典の初版を1843-47年にロンドンで出版したターフェルがそのように名づけた、これを英訳したものである、スヴェーデンボリは一度も『日記』とは呼んでいない)から訳した。

 私はラテン原典第二版(オドナー、1983年)から訳している、しかも、このようにネット上で『原典講読』として、直訳まで示している(ここに40年間の時の流れ・変化を感じる)。希望として私も5年間ぐらいで訳し終えたい。

 

 さてついでに『霊界体験記』について、わずかに感想を述べておこう。この書を内容があまりに異常なので「まったくの作り話・精神状態が異常な時に書かれた」とすることへの反論である。

 (1) 20年間にわたる膨大な記録である。〔これだけ持続することはできない〕

 (2) 日付入りの記事である。〔いちいち日付を入れるであろうか〕

 (3) 『索引』をつくっている。〔索引をつくるなどありえない、私にとってこれが最大の理由〕

 以上の三つからして、この「体験談」が「でっちあげ・精神錯乱者の作品」などととうてい思えない。

なお『索引』について、『体験記』が4巻であるところ『索引』は2巻もの大著となっている、すなわち、単なる項目名の羅列ではなく、内容の詳細な要約となっている。体験を振り返って要約してみることなど、精神が異常だったなら決してできない(皆さまおわかりかと思う、改めて述べてみた)。

川の流れに「上流・中流・下流」がある、その先は?

寄稿

川の流れに「上流・中流・下流」がある、その先は? 

すなわち「最下流」

 鈴木泰之

(1)四大区分が多い

 三大区分がある「上・中・下」「上等・中等・下等」、また「序・破・急」表題のように「上流・中流・下流」など。しかし四区分のほうがさらに一般的であろう、「春夏秋冬」の四季、「東西南北」の四方位、「起承転結」、和音は四声一組だとまとまりがよい、すなわち、ソプラノ・アルト・テノール・バスなど。

 人生も三区分よりも四区分で捕えたほうがよい、そしてその一期間がおよそ二十年であろう(もちろん多少の幅がある)、すなわち、幼少期や青年期を経て成人となる20歳まで、壮年前期といえる40歳まで、壮年後期であり、多くの場合「定年」また「還暦」である60歳まで、そして、老後の20年間、80歳まで。これ以降は付録(おまけ)と思えばよい。 

「時の経過」を意識すれば、人生の各時期は「春・夏・秋・冬」に例えられる。ここで人生の「勢い」と「量」を意識してみる、すると「川の流れ」に思い当たる。

 

(2)川の流れは上流・中流・下流、その先は?

始めはちょろちょろと水量はほんのわずか、斜面を降るので、流れは早い、上流では落差もあって滝となることも多いある(地形によって中流でも)。ほどなく水量は増え川幅も増す、勢いもある、これが中流であり、魚も釣れる。下流となると、流れは緩やか、川幅は(支流などを加えて)大きく広がる。やがて海で終わる。ここには「人生」を暗示するものがある。

 普通この三区分であるが、私はやはり四区分がよいと思う、すると、どのように四区分とするのか? それが「最下流」。私は息子の住む江東区深川に行くことがある、そのとき水天宮駅を出て隅田川大橋から「隅田川」を眺める(スカイツリーもよく見える)、川面を水上バスが行く、少し下れば東京湾、ここは「最下流」であろう。一見、流れていないようだが、よく見れば浮遊物などから流れているとわかる、しかも、満潮時には「逆流」もする。穏やか眺めであっても、水面下では莫大な量の水が流れている。

私は73歳、川で言えば「最下流」(暮らし向きも年金だけの収入なので、これに近づいている?)。その最下流も前半を終え、後半に入っている。

 

(3)「最下流」で(暮らし向きだけでなく)何を言いたいのか

外観的には「動きが止まっているように見える」かもしれない、しかし「水面下で大量な水が流れている」ように、心の中で「豊かな水」が流れている、すなわち、いろいろと「味わうべきもの」が去来している。老年期を迎えた諸氏なら同感ではなかろうか。

また、このように万事が急ぐことなくゆったりとしている。目前のことなら翻訳のペースが遅くなっている(しかし、じっくり取り組むようにもなっている)、これは『結婚愛』の出版が遅れたいいわけでもある。

 

(4)私の寿命は84歳か?(ずっと以前からこう思っている) 

 最下流ともなると終わり(海)を意識する。すなわち、あと何年に生きるのか。これについてずっと前から「計算済み」である。人によって異なるとは思うが、たいていの男は「7年」が一区切りである。すなわち、7年ごとに人生の節目を迎える、7歳(七五三の最後)、14歳、21歳(この年で大学終了の人も多い)、28歳(結婚する人もいる)、35歳、42歳(厄年)……63歳(スヴェーデンボリ出版)など。そして7×12=84。

 一週間は7日であり、聖なる数である、また12は(3×4)の「完全な数」であり、一年は12カ月である。なので84に、私はある意味で「完結」を感じ、また、スヴェーデンボリは84歳で亡くなっている。それで、84まで生きたい、それまでに二つほど出版できれば、と願っている(一つは「霊界体験記」)。

 

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 これはスヴェーデンボリ出版読者の会(SPSC)の「SPSC会報18号」へ寄稿です(来る4月上旬発行)。会員の方にお先に読んでいただくことになります。同号ではスヴェーデンボリ出版10周年や『結婚愛』(教えの部部)などが記事となります(会報は基本的に出版に合わせて発行します)。私はこの会の役員(事務局員)です。

 会員となっていただければありがたいです。

「なぜ山に登るのか?」――「そこに山があるから」

古来有名な、この禅問答のような、この答えの意味が、今日、私なりにわかった。なので、雑談好きな私は、ここで書いておきたくなった。このきっかけについては述べないでおく。「なぜ~なのか」、「そこに~があるから」と同じだと思ったからである。

 これまで私は、「いちいちそんなことに説明して答えていられない、そこに山があるからだ(としておく)」と、半分、否定的な答えをしたのだと思っていた。しかし今日、積極的な答えに思い至った。

すなわち、そこに「登りたい」山があった、この「登りたい」を省略して答えたのであろう、というものである(続けて、ではなぜ、登りたいと思ったのか、などとなるといつまでも続きそうでうるさい、なた千差万別の答えになるでろう、なので、これで終止形とした)。

 しかし、この問答は広く応用できそうである。例えば「なぜ主を愛するのか」――「そこに主がいるから」、こうなると実感のこもった「意味深い」ものとなる。