ハワイに行きます。追加。

 

 その後に確認したら、新婦側は21名。そのうち3人は(関空からでなく)アメリカ本土からでした。それで総勢21名。
 今日
7日も晴れでよかった。ふと今日はどんな日だったけな、と思い、調べたら、去年、脳梗塞の病(記録によれば「脳そうこつ?」と書いている:去年98日のブログ参照)から退院した日であった。こうして、その一年後に(全快したかわからないが)、ハワイに行ける、ありがたい話である。一歩間違えれば、どんな地獄の生活をしていたかわからない。


 感謝やその他もろもろの思いとともに「いってまいります!」

ハワイでの結婚式は感動ものだった

 

 いろいろあったが、話題は結婚式に絞ろう。


 ここで結婚した三男Mは小学校6年生の時、妻とともにブリン・アシンに連れて行ったことがある。フィラデルフィア郊外のブリン・アシンはジェネラルチャーチの本拠地であり、そこには美しいcathedoralがある。その時は、その後、ニューヨークをめぐった。その時の原体験がその後、旅行社に就職すること結びついたようである。


 


さて、今回の結婚式場セント・アンドリュース大聖堂はブリン・アシンのcathedoralと似ている。子供の時に連れて行った大聖堂がここで(場所は違っても)結びついている、と感じた。


式は、参列者以外は歌手一人とパイプオルガン奏者一人(それとカメラマンなど)だけであった。その歌手(中年の小太りの婦人)歌が会堂の中に響き渡り、感動した。オアフ島でいちばん古く、現在使われている教会は、ホテル付属のチャペルなどと違って納得でき、大満足であった。手前味噌ながらこれまでで経験した一番よい結婚式であった。


 


式後の祝賀会はモアナ・サーフライダー・ホテルで。ここが新郎新婦の宿泊先、長男Hもここが新婚旅行の宿泊先であった。そこのレストランは「ビーチ・ハウス」といい、中庭を臨むヴェランダの一番良い席が会場となった(もちろん、息子が手配)。風格のあるホテルであり、最高に気持ちよかった。


ここで今まで封印していたカクテル「ブルーハワイ」を飲むことにした(なぜ、これまで封印していたかは話しがやや長く、またもつれるので省略)。給仕に注文したが言葉が通じなかった、別の言い方があるのだろうか? でもなんとか飲めた。


その後、新婦の父親と二人で場所を変えて(二次会として)飲んだ。息子たちは大学1年で知り合い、その後9年して(すなわち26歳と27)ここでゴールインした。私はチャランポランな人間であるが、息子はこの9年間、愛をつら抜き通した、これは親の欲目としても立派と思える、と話したら、父親は少し涙ぐんでいた。

 これまで単なる観光地としてなら、ハワイに行く気はなかった。でもこのような機会に来れた。

『レキシコン』5冊の注文

 

ここで林さんから『レキシコン』の注文が5冊あった、と聞いた。私にとっては驚くような大ニュースである(すぐさまスヴェーデンボリが出版した『天界の秘義』がしばらくの間4冊しか売れなかったことを想起する、それに比べれば大違い)


 


 『レキシコン』を作成し、出版した時、今後、10年で売れればよい(1年で3冊なら10)と思って、30冊刷った。これは出版物にはミスプリがつきものなので、初版は小部数にし、もし増し刷りの機会が与えられたなら、そのとき、修正すればよいと思ったからである。


 予想外に早くその機会が到来しそうである。なお、どなたが注文を出したのか、すなわち、スヴェーデンボリのラテン原典をこの『レキシコン』で読もうとされているのか気になる。というのはこのレキシコンはスヴェーデンボリのラテン原典を読むため以外におそらく使い物にならないだろうから。


料理でいえば、何かの食材(それも特殊な食材)を処理すらためだけの道具だから。


 


しかし、このブログ自体が「超おたく」の世界であるかもしれない、そして、その極めて狭い世界が普遍的な世界への突破口かもしれない(狭き門より入れ)。今日の原典講読にあるように「しみのようにしか見えない、それでも、そこには主へと導く全世界が広がっている」。

八丈島へ行きます。その間(11~13日)、このブログはお休み

 

長男Hが八丈高校へ転勤してから3年目(通常3年で満期、都内のどこかの学校に戻って来る)、ここで私たち一家(女房と娘)、また次男一家4人が呼ばれた(それと普段付き合いの深い女房の妹も付いてくる、三男夫婦は都合つかず)。なお、長男は単身赴任、それでも月に2回ほどは深川に帰っている。


 八丈島は飛べば羽田から50分とのこと。でも、近いようであっても、あまり訪問した人は少ないようである、何よりも航空運賃が高い。かつては観光地であっても、同じ金額と時間なら他に行ってしまう。
 それでも私にとっては行ってみたいところであった。教員になるかならない頃
(すごい複雑であり、言うのは簡単ではない)、最初に高校教員としてお呼びがかかったのが八丈高校であった、今を去る40年以上も前の話し。そこの教員となれなかったが(これが正しいが、それが複雑)、縁を感じている。


ここで、自分の息子が行った(因縁でしょう)。私はここで65歳となったが行っておくべきでしょう「鳥も通わぬ八丈島へ」。


InfinitusとInfinitumの違い

 

 現在『神の摂理』を見直し、この出版に向けて取り組んでいます。これは『神の愛と知恵』(3月に出版)の次に取り組んでいたのですが、途中で『叙事詩』が入って中断していました。その『叙事詩』ここで出版となったので、その見直しを再開しました。


 その第3章「無限と永遠」を主題とするところで、私なりに大発見をしました。


原典講読『神の摂理』55番の直訳で次のことを書きました:


Infinitum
ac Aeternum in se est ipsum Divinum seu Dominus in Se;
 本質的に無限(であるもの☆)そして永遠(であるもの☆)は、神性そのもの、すなわち、ご自分の中の主である。


これまで「もの」としてきていますが、大文字で表わされていることもあって「者」の訳も十分可能です。すなわち「無限である者」、「無限者」、また「永遠である者」、「永遠者」です。


 


同じく56番の直訳部分のコメントでは:


直前の55番の直訳部分で、「無限である者」、「無限者」、また「永遠である者」、「永遠者」の訳が可能、と述べましたが、それどころでなく、「そう訳すべき」でした。これまでの訳を「訂正します」(こうしたことは、やっているうちにわかることでもあります)。


 なぜかといえば、ここには小文字infinitum ac aeternumと大文字Infinitus ac Aeternusが同時に述べてあります。そして、これは「意識的に使い分けている」と気づいたからです。そしてこれは編集者がそうしているのではなく、初版でも、すなわち、スヴェーデンボリがそうしています。


 それでinfinitum ac aeternumを「無限と永遠」と訳し、Infinitus ac Aeternusを「無限なる者」そして「永遠なる者」と訳すことにします。これはもちろん神の代名詞です。同じくPrimumも「最初なる者」とすべきです。このことは私にとって、うすうす気づいていたけれども、明確となった新しい発見であって、こうしたことが学ぶことの楽しみ(gaudium)です。


 


 これが2010914日と15日でした(23か月前)。まだ気づいていませんでした。


 それが「InfinitusInfinitumの違い」です。見直すことによってこのことに気づきました。おおげさながら、このことは日本のスヴェーデンボリ神学著作の翻訳上の大発見かと思います(柳瀬訳は英訳なので気づきようがありません、長島訳はいい加減にしています、これまでの私もいい加減でした)


 『真のキリスト教』の原文なども調べてみて、この二語は厳密に使い分けてある、すなわち、きちっと区別して訳すべきである、と気づいたのです。たった一文字ですが違いが、その違いがおわかりでしょうか? 今度の『神の摂理』には次の注釈を付けることにしました(本文46番の文中に★印をつけて)


 


(★)四六 「無限なもの」と「無限なる者」の原語での違いについて


 この二語が原語ではどのように異なっているのか興味を持たれる方もいるかもしれません。


 「無限なもの」がInfinitumで「無限なる者」がInfinitusです。違いは最後の一文字msだけです。


もとは「限定されない、無限の」を意味する形容詞infinitusです。文法の話となりますが男性形(主格)infinitus、中性形(主格)infinitum、そしてこれを実詞(名詞)と見なし、また語頭を大文字としています。


このような場合、原則的に男性は「人」すなわち、その属性(ここでは無限性)をもつ者を意味します。それで「無限なる者」となります。また中性の場合、抽象名詞または「物」を意味します、それで「無限なもの」となります。(ついでに女性の場合は抽象名詞です。すなわち、「美しい」を例とすれば、男性なら「美しい人」、女性なら「美」、中性なら「美しいもの」です)


 (なお、原文で語頭を大文字としないinfinitumは、無限なもの、として「 」を付けないで区別して訳してあります)