約一年前の三月末をもって定年退職をしたので、ひまはある。金さえ都合つけば、いつでも旅行できる。とりあえず、これまで働いた自分への褒美として女房とともに中国に行った(7月上旬)。旅行先は西安と北京。いろいろな宿望はあったが、(1)兵馬俑を見て、(2)万里の長城を自分の足で踏みしめたかった。歴史的古都西安(昔の長安)ではきれいな城壁にのぼり、シルクロードの出発点に立ち、これが当時の西の都ローマにつながっているとの感慨にふけった(すべての道はローマへ続く)。
北京の天安門広場に立ち、「中華人民共和国万歳(歳の字は異なる)」「世界人民大団結万歳」の文字を見て感動し、涙した。果たしてこのような文字を掲げる国がこれまであっただろうかと(なお、文字数が9であることに着目。中国では数「九」が尊ばれる。理由は一桁では最大の数であること。それと私は3×3が9だからと思う)。いろいろあるがここでは割愛(そのうち語ります)。
となると、次はシルクロードのもう一端ローマに行きたくなる。今は年金生活者なので貧乏である(退職金は老後(今もそうだが)の蓄えとしてとっておかなくてはならない)。旅行代金が底値となる12月上旬に女房をイタリアへ連れて行った(中国旅行では、その後ずっと、「なんで中国なの? 手近なところでごまかされた。もっと良い所に連れて行ってほしかった」と言われ続けた。口封じのためにも、すぐさまヨーロッパ旅行を予約しなければならなかった)。
イタリア旅行では(1)ゴンドラに乗ること、(2)「真実の口」に手を入れて、手が抜けるか確かめてみるのが宿願だった(もちろんその他もあります)。
前置きが長すぎた。これからが本論「ラテン語が役立ったこと」
ヴェネツィア(やはり美しい水上の都)での「サン・マルコ寺院」。エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺体を盗み出し、それを納めたビサンチン様式の残る、壮麗な寺院。あまりの美しさにびっくり。なお遺体は盗品追及の目を逃れるため豚肉に隠して運んだ。豚肉は忌み嫌われたからである。さて、寺院内はいたるところ(聖句など)ラテン語で溢れている。しかし、満足に読めない。これまで懸命に勉強してきたのに、このざま、がっかりだ。内陣も見終わり、そろそろ出ようかなと思っていた。内陣の中心には鉄格子で囲まれたりっぱな石棺(と後でわかった)があった。祭壇の一種かなと思って何気なくそこに刻まれた文字を見てびっくりした。「聖マルコの遺体」と書いてあった(もちろんラテン語)。「そうか、ここに納まっているのか!」と改めて礼拝した(遺体などの礼拝は新教会では禁じているが、よろしいんじゃないでしょうか)。寺院には案内文など掲示されていない。ラテン語が読めなかったら、見逃すところだった。他はろくに読めなかったのに、これだけは読めたのだった! その後、サン・マルコ広場にある鐘楼に登り、スヴェーデンボリも訪れたこの美しいヴェネツィアの町を眺め回した。
カテゴリー: 雑木林(雑感)
イタリア旅行(ミラノ編・誤訳について)
スヴェーデンボリは若い頃、イタリアを旅している(サイト:「あおい出版」の『スヴェーデンボリ叙事詩』第18章参照)。これもイタリア行きの理由の一つだった。著作以外に私たちがスヴェーデンボリとの接点を持とうとすればストックホルムやロンドンに行くことだろう。どちらもいずれ訪れてみたい。イタリア旅行中、「これをスヴェーデンボリも見たんだな」と思いながら、眺めると、単なる観光とは一味違う。
さて、最初はミラノ。スフォルツェスコ城もすばらしかったが、なんといっても「ドゥオモ(大聖堂)」。人によっては眺めるうち身震いがするという。私も圧倒された。中に入ってもステンドグラスが壮麗極まりない。堂内を歩いていくうちに(人だかりがしている)「聖バルトロメオの像」の前に来た。殉教の際に生きたまま皮を剥がされ、その剥いだ皮膚を肩越しに、身に巻きつけている像である。これを見て自分の「誤訳」に気づいた。98年の5月ごろ、『叙事詩』の該当部分を訳していた。そこには「the statue of St. Bartholomew carrying his skin over his arm」とあった。因幡の白兎じゃあるまいし、まさか、自分の皮膚を担いでいるとは想像だにできなかったので「腕の皮膚がめくり上げられた聖バルトロマイの像」と訳してしまった。実物を知っていればなんでもないことであるが、自分の知らないことを翻訳する時にはえてして起こりうることである。日本に帰ってきて、すでにネット上に掲載されていた『叙事詩』第18章を、他にもわかったこと(ローマのある教会について誤解していた、後述)も含め、誤訳個所をすぐさま修正した。やはり「何事も、実際に見て、知っていることは大きい」。
これだと、あまりにもまじめな旅行に思えてしまう。結構私は俗人である。ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のガッレリア(名前が長すぎる、ディズニーランドのワールドバザールの本家本元と思ってください)の中心部の交差点に「マクドナルド」がある。真向かいは「プラダ本店」である。マクドナルドの店舗のうちでは最高級の立地条件ではなかろうか。ガッレリアの各店は黒の色調(上品でした)で統一されている。それでマクドナルドも「赤と黄」でなく「黒」である。黒くてシックなマクドナルド店など想像できますか? トイレを借りるつもりで入ったが、うまそうなのでアイスクリーム風のケーキとコーヒー(エスプレッソ)を注文した。窓越しに見える「プラダ本店」を眺めながら、(マクドナルドのうちでは)おそらく世界一の味を楽しんだ。貧乏旅行なので、プラダには入いらずじまい。
イタリア旅行(フィレンツェ・アッシジ編)
花の都:フィレンツェ
まず対岸のアルノ川の中腹ミケランジェロ広場からフィレンツェ市街を一望する。続いて「ウフィツィ美術館」、有名な「ヴィーナスの誕生」など名画の宝庫! 同美術館の「ウルビーノのヴィーナス」が今、東京にきていて、高田馬場駅にはその巨大な宣伝絵が掲げられている。
その後、すぐに行ったのは「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(これは訳して「花の聖母寺」)。巨大なクーポラ(円蓋)をもつイタリアを代表する美しい建物であり、旅行のパンフレットなどによく使われる。約20分かけ、迷路のような狭い石段を一汗かいてそのクーポラを登る(足場を使わないで建築したという)。眼下には美しい町並み。
それから、散歩しながら川を渡りピッティ宮そばのリストランテ(食堂)を探すが見つからず、時間を食ってしまい、スヴェーデンボリも訪れたピッティ宮はその外側を見るだけで入らず、目の前のバールに入った。貧乏旅行にはバール(BAR)がよいところだろう。それでもやはり本場のピザはうまい。
ポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)を渡って「フェラガモ本店」へ。しかし、貧乏旅行じゃ入れませんね。隣の「フェラガモ博物館」へ入った。へップバーンやディートリッヒの木製の足型、また直筆の注文書などが展示してあり、興味深い。もちろん靴も展示してあり、さすがに美しい。超一級の感がした。日本の靴製作の歴史は100年ぐらいでしょ。片やローマ時代からサンダルを履いていて、2000年を越える歴史がある。日本の着物に伝統があるように、靴は(イタリアファッションに)まだまだかなわないな、と思った。「フェラガモの靴は履いたらやめられない」という(履いたことはないけれどもっともの気がしてきた)。
街もきれいで、ぶらぶら歩きが楽しかった。
翌日は聖地:アッシジ
ペルージャ(サッカーの中田を思い出すね)を通過して行くのだが、このあたりの田舎の景色が抜群!左右になだらかな起伏の丘陵にオリーブの樹の植えられた中をどこまでも行く。アッシジ見物の後は、丘陵はすこし緩やかとなり、こんどは羊の放牧の平原を行く。目の前に「オリーブ」「羊」となると対応の知識から第三の天界が思い起こされる。
訪れたのは聖フランチェスコを讃えて建てられた「サン・フランチェスコ大聖堂」(本人はそんなもの造らないよう、そんな金があるんなら、貧しい者に施すよう、遺言を残したらしい、がずっと後になって、崇拝者たちが建ててしまったとのこと)。白亜の美しい外観、内部もすばらしく、地下の聖フランテスコの墓所の前ではわき目も振らずに祈る人たちが多い、単なる観光地ではなく、聖地であった。
上手広場(前庭)は広い芝生、そこによく剪定された潅木が植えられており、その三文字が「P」「A」「X」。(すぐさま「パークス・ロマーナ」の言葉が浮かぶ)。この言葉でアッシジの印象が深いものとなった。ついでながらこのサイトの「著作からのことば」にもPAXがでてくる。次のもの――「平和には、この中に、主がすべてを治められ、すべてを備えられ、そして善い終わりへと導かれるという、その方への信頼がある」(『天界の秘義』8455番、ラテン原文については、何回かホームページ(表紙のページの意味)を見ているうちにでてくるでしょう)。
その後は、中世の雰囲気を保った(観光のためでしょう、日本で言えば景観は全然違うが「妻籠・馬篭」てなところでしょうか)町並みをぶらついた。
ツアー・バスに乗り込み、ローマへ向かう。
権威について(出版社と辞書)
私には若いころから野心があった、今もある。「何かの権威になりたい」というものである。振りかざすような「権力」ではなく、「あの人の言うことを聞きたい」「あの人のそう言うなら、なにかわけがあるにちがいない」といふうに、その人に耳を傾けたくなるような権威である。
その「何か」が何であるかはわからなかった。20歳の頃、「60歳ぐらいになったら、何らかの分野でひとかどの人物になっていたい」と思った。
30代後半で、スヴェーデンボリに出会った。その思想を「むずかしくて、よくわからない」という人もいるが、私には砂地に水が吸い込まれるようによくわかった。毎日読み続け、『天界の秘義』を読み出してからはヘブル語の知識も必要だとわかり、すぐさまその勉強も始めた。
全日制高校で教えていたが、勉強時間がほしくて40歳で定時制に移った。これとともに「サラリーマンで(教員もその一類)昇進・出世を望まない者はいない」と言われるが、「いずれ校長になるだろう」との望みは捨てた(自分のやりたいようにやらしてもらえる点で、いつもながら女房には感謝している)。この世の栄達よりも、ほんとうのことを知るほうがはるかに重要とずっと思っていたからである。
ヘブル語に遅れてギリシア語も学んだ。遠回りのようだが、聖書に原語ではどうか書かれているのか、知っておくことは「内意を探る」ために必要不可欠と思った。そして、学んでおいてよかった。
以来20年余りが経過した。ずっといろいろやってきた、語り出せばきりがない。私は「権威者」となれただろうか? まだまだと思う。脱線すれば、少しは権威者らしく見えるかなと思い「ひげ」を伸ばしたが、じじくさいだけで、評価されなかった。ここで剃った(また冬場に伸ばします)。
本論へ移ろう。私の「権威」はさておき、出版社の権威はどこから生じるだろうか。良質な図書を発行し続けることなどが上げられるだろう。しかし、私にとっては「その出版社が辞書を出しているかどうか」である(株式会社で言えば、辞書を出すことが、一部上場のようなものだろうか)。
発行部数の多寡は問題とならない、テレビ番組で言えば、視聴率の高い番組が内容の良さを物語っていないのと同じ(関心を持つ人間の多さの指標にはなる)。
ちょっとやそっとの労力や採算を考えていたら出せないのが辞書。それだけに、辞書を出している出版社は尊敬する。
さて、ネット上に立ち上げただけで何も出していない「あおい出版」。私なりにこの出版社に「権威」を持たせたいと願った。(売れることなど考えず)良質な図書を出そう、そして何よりもその象徴たる「辞書」を必ず出そうと思った。
需要を思えば、「レキシコン」など次のまた次に出すものだろう、しかし、私にとっては出版社の権威に関わる重大問題。そして、この「レキシコン」、いつかは、だれかが、出版すべきものと思う。
ローマの休日:12月8日 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会
前日7日にローマに着いた。宿はテルミニ駅近く。8日は一日中フリー(自由見物)の日である。
昔から12月8日には因縁のようなものを感じていた。イタリア旅行の予約では、第一希望の日が希望多数でうまっていて、第二希望のこの日程となった。結果的に「大正解」だった。
12月8日といえば、日本では真珠湾攻撃による「太平洋戦争の始まった日」。イタリアは休日である。マリアの「受胎告知日」であり(こうしたことは現地に入るまで知らなかった!)、それで休日、さすがカトリックの国であった。
朝の天気はあいにくの小雨(そのうち止んだ)。傘をさし、てくてく歩き始める。ローマはいたるところに見所があり、それらがちょうどうまい距離にあり(10分ほど歩けば次の観光スポット)、歩くのに絶好、歩いていて全然飽きないし、一番よくわかるのが歩いてみること。
まずは(最初だけ方向に迷ったが)近くのサンタ・マリア・マジョーレ教会。壮大。(当然ながら)礼拝していた。この礼拝にぶつかったのが最大の収穫。他の日程では不可能、建物を見るだけになってしまう。途中から加わり、聖体をいただく。
次が本日のメイン「サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会」。ジョヴァンニとはヨハネのこと(洗礼者ヨハネと、弟子のヨハネを祭っている)。カトリックの大本山サンピエトロ大聖堂(前日訪れた)ができる前まではずっとここが大本山の由緒ある教会。サンタ・マリア・・・とともにローマ四大聖堂の一つ。
礼拝の終わりごろ中に入ったので加わらず、壮麗な建物内を眺めているうち(観光客も少なく、日本人は皆無だった。そのことがうれしい、自分たちのことは棚に上げて)、次の礼拝の準備が始まった。絶好の機会、すぐさま参列した(そのときの式文は今もある)。式はもちろんイタリア語だが式文があるので聖書のどの個所を朗読しているのかなど、よくわかった(式そのものも大体見当がついていた)。
そのうち聖歌隊の合唱が始まった。高校1年の時、音楽の時間に、近代音楽の始まる以前の音楽としてグレゴリオ聖歌を習い、歌った。「キリエゾン・・・」というものである(その他数曲、レコードも聴かされた)。よく覚えている。以来40数年たって、なんと本場で、大聖堂の中で響き渡るこの曲を聴くこととなった! この日のために習ったのか! 遠い昔に習っていなかったなら、単なる聖歌でしかない。人生の奥深さを感じる。そのうち男声テノールの独唱が始まった。なんと甘美な声なのか! 感涙。これまでのどんな音楽会よりも感激した(しかも無料である)。
ここでもやはり聖体をいただいた。式そのものでは参列者同士が握手したりした。カトリックの礼拝を最初から最後まで初めて経験した、それも本場の由緒ある教会で。これで私も立派なカトリック信者なのか?
たまたま偶然にこの休日にローマを訪れることになった。出発前は教会の建物を見るだけしか思っていなかった。現地についてから、教会に着いてから、礼拝に参加することになった。
スヴェーデンボリの著書に「偶然はない」という。こうしたことは私にとって必然だったのか?
満たされた気持ちで教会の前の広場に出たら、入るときは気がつかなかった次の目的地「コロッセオ」がまっすぐな通り(名前はサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ通り)の先に見えた。