原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (9)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、最初の部分まで)

Quoniam in Apocalypsi in Sensu ejus spirituali multum agitur de Reformatis, ideo etiam in ingressu ad Explicationes, aperienda sunt Doctrinalia illorum, et quidem in hoc ordine : ― 「黙示録」の中でその霊的な意味の中で改革派教会の者たちが多く扱われているので、それゆえ、さらにまた説明への入ること(入り口)の中で、彼らの教えの事柄が示されなければならない、そのうえこの順序で――

(1.) DE DEO, (2.) DE CHRISTO DOMINO, (3.) DE JUSTIFICATIONE PER FIDEM, ET DE BONIS OPERIBUS, (4.) DE LEGE ET EVANGELIO, (5.) DE PAENITENTIA ET CONFESSIONE, (6.) DE PECCATO ORIGINALI, (7.) DE BAPTISMO, (8.) DE SACRA CAENA, (9.) DE LIBERO ARBITRIO, et (10.) DE ECCLESIA. (1) 神について、(2) 主キリストについて、(3) 信仰による義認について、また善の働き(善業)について、(4) 律法と福音について、(5) 悔い改めと告白について、(6) 原罪について、(7) 洗礼について、(8) 聖餐について、(9) 選択の自由について、また(10) 教会について。


1. DE DEO.― 1 神について――

De Deo creditur secundum fidem symbolicam Athanasianam, quae, quia in cujusvis manu est, non hic assumitur: 神について〔彼らは〕アタナシウス信条の信仰にしたがって信じている、それは、それぞれの者の手の中にあるので、ここに持ち込まれない。

quod credatur in Deum Patrem ut Creatorem et Conservatorem, in Deum Filium ut Salvatorem et Redemptorem, et in Spiritum Sanctum ut Illustratorem et Sanctificatorem, etiam notum est. 父なる神が創造者と維持者として信じられていること、子なる神が救い主とあがない主として、また聖霊が照示者と聖別する者として、さらにまたよく知られている。

2. DE CHRISTO DOMINO.― 2 主キリストについて――

De Persona Christi non docetur similiter ab omnibus Reformatis. キリストの位格について同様に教えられていない、すべての改革派の者たちから。

A Lutheranis, ita: ルター派の者により、このように――

 

Quod Virgo Maria non verum Hominem duntaxat, sed et verum Dei Filium conceperit et genuerit, unde recte Mater Dei appellatur et revera est: 処女マリアは真の人間をだけでなく、しかしまた真の神の子を、みごもった(concipio)また産んだ(gigino)、ここから正しく神の母と呼ばれる、また真に(ほんとうに)〔そう〕である。

quod in Christo duae naturae sint, Divina et Humana, Divina ab aeterno, et Humana in tempore; キリストの中に二つの性質があること、神性と人間性、永遠からの神性、また時間の中の人間性。

quod duae illae naturae personaliter unitae sint, ita prorsus ut non sint duo Christi, unus Filius Dei, alter Filius Hominis, sed ut unus et idem sit Filius Dei et Filius Hominis; それら二つの性質は人物的に(位格的に)結合していること、そのように完全に、二つのキリストがいないように、一つは神の子、もう一つは人の子、しかし、一つと同じであるように、神の子と人の子が。

non quod duae illae naturae in unam substantiam commixtae sint, nec quod una in alteram mutata sit, sed quod utraque natura retineat suas proprietates essentiales, quae quales sunt, etiam describitur: それらの二つの性質が一つの混合物の実体の中にないこと、一つのものがもう一つの中に変えられてもいないこと、しかし、両方の性質がその本質的な特性を保有している(維持している)こと、それらがどんなものであるか、〔そのこと〕もまた述べられている。

quod unio illarum sit hypostatica, et quod haec sit summa communio, qualis est animae et corporis; それらの結合は位格のものである(=位格的結合である)こと、またこれは最高の共有(交際)であること、霊魂と身体のようなものである。

quod sic recte dicatur, quod in Christo Deus sit Homo et Homo Deus. このように正しく言われること、キリストの中で、神が人間であること、また人間が神。

 

(3) 訳文

 「黙示録」の中に、その霊的な意味で改革派教会の者が多く扱われているので、それゆえ、説明への入り口で、彼らの教えの事柄もまた示されなければならない、そのうえ、この順序で――

 (1) 神について、(2) 主キリストについて、(3) 信仰による義認について、また善の働き(善業)について、(4) 律法と福音について、(5) 悔い改めと告白について、(6) 原罪について、(7) 洗礼について、(8) 聖餐について、(9) 選択の自由について、また(10) 教会について。


 1 神について――

 神について〔彼らは〕アタナシウス信条の信仰にしたがって信じている、それは、それぞれの者の手にあるので、ここには持ち込まない。父なる神が創造者と維持者として、子なる神が救い主とあがない主として、聖霊が照示者と聖別者として信じられ、よく知られてもいる。

 

 2 主キリストについて――

 キリストの位格について、すべての改革派の者たちは同じように教えられていない。

 ルター派の者により、このように――

 

 処女マリアは真の人間だけでなく、しかしまた真の神の子をみごもり、産んだ、ここから正しく神の母と呼ばれ、実際にそうである。キリストの中に、神性と人間性の二つの性質がある、永遠からの神性と時間の中の人間性である。一つは神の子、もう一つは人の子であるそれら二つの性質は、神の子と人の子が一つと同じであるように、また二つのキリストがいないように、そのように完全に位格的に結合している。それらの二つの性質が一つの混合物の実体の中になく、一つのものがもう一つの中に変えられてもいないで、両方の性質がその本質的な特性を保有しており、それらがどんなものであるかもまた述べられている。それは位格的結合であり、これは霊魂と身体のような最高の共有である。このように、キリストの中で、神が人間であり、人間が神であることが正しく言われる。

原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (10)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[2])

[2] Quod non ut nudus Homo tantum pro nobis passus sit, sed talis Homo, cujus Humana natura cum Filio Dei tam arctam ineffabilem unionem et communionem habet, ut cum Eo una facta sit Persona: [2] 裸の(ありのままの)人間としてそれだけ私たちのために苦しんだのではないこと、しかしこのような人間〔として〕、その人間性の性質は神の子とともに、これほどに固い(密な)言語に絶する結合と共有(交際)を持っている、彼〔神の子〕とともに位格が一つとなっているような。

quod vere Filius Dei pro nobis passus sit, sed usque secundum proprietates Humanae naturae: 真に神の子は私たちのために苦しんだこと、しかしそれでも人間性の性質の特性にしたがって。

quod Filius Hominis, per quem intelligitur Christus quoad Humanam naturam, ad dextram Dei realiter exaltatus sit, cum Ille in Deum assumtus fuit, quod factum est, ut primum in utero matris a Spiritu Sancto conceptus est: 人の子は、それによって人間性の性質に関するキリストが意味される、神の右手に実際に上げられたこと、彼が神の中へ受け入れられた(取り上げられた)とき、起こったこと、聖霊により母の子宮(胎)の中にみごもるとすぐに。

quod Christus illam Majestatem ratione unionis personalis semper habuerit, sed quod in statu exinanitionis, non nisi quantum Ei visum fuit, exercuerit; キリストはその威厳を人格的な(位格的な)結合の割合で(=比例して)常に持ったこと、しかし、空(から)にした状態の中で、彼に見られたかぎりでないなら、なし遂げなかったこと。

at quod formam servi post resurrectionem plene et prorsus deposuerit, et Humanam naturam seu essentiam in plenariam usurpationem Divinae Majestatis collocaverit; しかし、復活の後、しもべの形をすっかり完全に捨てた、また人間性の性質または本質を、神的威厳の全面的な享受の中に置いたこと。

et quod hoc modo in gloriam ingressus sit; またこの方法で栄光の中に入ったこと。

verbo, Christus verus Deus et Homo in una indivisa Persona est et permanet in aeternum; 一言でいえば、キリストは分割されない一つ位格の中の真の神と人間である、また永遠にとどまる。

ac verus, omnipotens, ac aeternus Deus, etiam quoad Humanum ad dextram Dei praesens gubernat omnia in Caelis et in terris, et quoque implet omnia, nobiscum est, in nobis habitat et operatur: そして、真の、全能の、そして永遠の神〔である〕、さらにまた人間性に関して神の右手に現在して天界の中と地の中のすべてのものを治めている、そしてまた、すべてのものを満たす、私たちとともにいる、私たち中に住む、また働く。

quod non sit adorationis differentia, quia per naturam quae cernitur adoratur Divinitas quae non cernitur: 崇拝に相違はないこと、性質を通して、それは認められる、神性が崇拝されるからである、それは認められない。

quod Divina Essentia proprias suas excellentias Humanae naturae communicet et impertiat; 神的本質はその固有の卓越(したもの)を人間性の性質に伝達している、また与えていること。

et quod Divinas suas operationes per corpus sicut per Organum perficiat; またその神的働き(活動)を身体によって、道具によってのようになし遂げたこと。

quod sic omnis plenitudo Divinitatis in Christo habitet corporaliter, secundum Paulum. このように、すべての神性の充満がキリストの中に(身体の)形をとって住んでいること、パウロにしたがって。

 

(3) 訳文

 [2] ありのままの人間としてそれだけ私たちのために苦しんだのではなく、しかしこのような人間〔として〕、その人間の性質が、神の子とともに位格が一つとなっているような、これほどに固い言語に絶する結合と共有を持っている神の子とともに〔苦しんだ〕。真に「神の子」は私たちのためにしかしそれでも人間性の性質の特性にしたがって苦しんだ。人間の性質に関するキリストが意味される「人の子」は、神の右手に実際に上げられたことが、聖霊により母の胎の中にみごもるとすぐに、彼が神の中へ受け入れられた(取り上げられた)とき、起こった。キリストはその威厳を位格的な結合に比例して常に持った、しかし、彼に見られたかぎり、空(から)にした状態の中でないなら、そうではなかった。しかし、復活の後、しもべの形を、また人間の性質または本質をすっかり完全に捨てた、神的威厳の全面的な享受の中に置いた。またこのようにして栄光の中に入った。一言でいえば、キリストは分割されない一つ位格の中で真の神と人間であり、永遠にとどまる。そして、真の、全能の、そして永遠の神〔である〕、さらにまた人間性に関して神の右手に現在して天界の中と地上のすべてのものを治めている、そしてまた、すべてのものを満たし、私たちとともに存在し、私たち中に住み、働く。〔神とキリストへの〕崇拝に相違はない、認められる性質を通して、認められない神性が崇拝されるからである。神的本質はその特有の卓越したものを人間の性質に伝達し、与えている。またその神的な活動を、道具によるかのように身体によってなし遂げた。このように、パウロにしたがって、すべての神性が充満してキリストの中に(身体の)形をとって住んでいる。

 

◎ 14日~16日に旅行します。それで14日、15日の「原典講読」は休みます,再開するのは16日でしょう。

原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (11)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[3])

[3] Quod incarnatio facta sit, ut reconciliaret nobis Patrem, ac hostia fieret pro totius Mundi peccatis, tam originalibus quam actualibus; [3] 受肉は行なわれたこと、父に私たちを和解させるために、そして聖体となる〔ために〕全世界の罪の代わりに(のために)、実際の〔罪〕も原罪も。

quod incarnatus sit ex substantia Spiritus Sancti, sed quod Humana natura a Virgine Maria producta sit, quam ut Verbum assumpsit et Sibi univit: 聖霊の実体から受肉したこと、しかし人間性の性質は処女マリアから生み出されたこと、それをみことばとして帯びた(まとった)、また自分自身に結合した。

quod sanctificet credentes in Ipsum, misso in corda illorum Spiritu Sancto, qui regat, consoletur et vivificet illos, ac defendat contra diabolum et vim peccati. ご自分を信じる者を聖別すること、聖霊を彼らの心の中に送って、その者〔聖霊〕は支配する、彼らを慰める、また生かす、そして悪魔と罪の力に対して守る。

Quod Christus ad inferos descenderit, et infernum pro omnibus credentibus destruxerit; キリストは低い領域(下界)へ降った、また地獄をすべての信じる者のために破壊した。

quo autem modo haec fuerunt effecta, non curiose vult ut scrutentur, sed hujus rei cognitio alteri saeculo reservetur, quando non modo hoc mysterium, sed etiam alia multa revelabuntur. けれども、どの方法でこれらが結果となったか、好奇心で調べられるように〔キリストは〕欲しない、しかし、この事柄の知識は他の時代に保持される(保存される)、その時、この神秘(奥義)だけでなく、他の多くのものもまた示される(啓示される)(未来)。

Haec sunt ex Luthero, Augustana Confessione, et Concilio Nicaeno, Articulis Smalcaldicis; これらはルター、アウクスブルク信条告白、またニカイア公会議、シュマルカルデン条項からである。

videatur Formula Concordiae. 「一致信条」が見られる(とよい)(=参照)。

 

(3) 訳文

 [3] 受肉は、父に私たちを和解させるために、そして全世界の実際の罪も原罪も聖体となるために行なわれた。聖霊の実体から受肉した、しかし人間性の性質は処女マリアから生み出され、それをみことばとしてまとい、自分自身に結合した。ご自分を信じる者を、聖霊を彼らの心の中に送って聖別し、その聖霊は彼らを支配し、慰め、生かし、そして悪魔と罪の力に対して守る。

 キリストは下界へ降り、すべての信じる者のために地獄を破壊した。けれども、どようにしてこれらが結果となったか、〔キリストは〕好奇心で調べられるようことは欲しない、しかし、この事柄の知識は他の時代に保存され、その時、この神秘(奥義)だけでなく、他の多くのものもまた啓示される。

 

 これらはルター、アウクスブルク信条告白、またニカイア公会議、シュマルカルデン条項からである。「一致信条」参照。

原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (12)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[4]と[5])

[4] Ab aliqua parte ex Reformatis, de quibus etiam in Formula Concordiae, creditur, [4] 改革派の者からのある部分により、それらについてもまた「一致信条」中に〔あるが〕、信じられている、

Quod Christus secundum Humanam naturam per exaltationem tantum creata dona et finitam potentiam acceperit, ita quod sit Homo sicut alius, retinens proprietates carnis; キリストは人間性の性質にしたがって高められることによってそれほどの創造された贈り物と有限な力を受けたこと、そのように(しがたって)、他の者のような人間であること、肉の特性(属性)を保有して。

quod ideo quoad Humanam naturam non sit Omnipraesens et Omnisciens; それゆえ、人間性の性質に関して遍在しない、また全知〔でない〕こと。

quod tamen absens regat tanquam Rex dissita a Se; それでも、不在〔である〕、あたかも王のように支配していること、ご自分から遠く離れたものを。

quod ut Deus ab aeterno sit apud Patrem, ac ut Homo natus in tempore sit apud Angelos in Caelo; 永遠からの神として父のもとにいること、そして時間の中で生まれた人間として天界の中の天使のもとにいる。

quodque in Christo Deus sit Homo et Homo Deus, sit locutio figurata; そしてキリストの中で神は人間である、また人間は神〔である〕こと〔は〕、外観の話し方である。

praeter similia alia. ほかに同様の他のもの。

 

[5] At dissensionem hanc dirimit Symbolum Athanasii, quod ab omnibus in Christiano Orbe receptum est, ubi haec sunt: [5] しかし、この意見の相違(衝突)は「アタナシウス信条」で解決される、それはキリスト教界の中のすべての者により受け入れられている、そこにこれらがある――

“Vera fides est, ut credamus et confiteamur, quod noster Dominus Jesus Christus Filius Dei sit Deus et Homo, Deus ex substantia Patris natus ante mundum, et Homo ex substantia matris natus in mundo; 「真の信仰である、私たちは信じる、また告白すること、私たちの主イエス・キリスト、神の子は、神と人間であること、世の前に生まれた、父の性質の実体から神、また世の中で生まれた、母の実体から人間〔である〕。

perfectus Deus et perfectus Homo; 完全な神〔である〕また完全な人間〔である〕。

Qui tametsi est Deus et Homo, non tamen sunt duo, sed unus Christus; その者はたとえ神と人間であっても、それでも二つではない、しかし、一つのキリストである。

unus non per conversionem Essentiae Divinae in corpus, sed per assumptionem Humani Sui in Deum; 身体の中へ神的な本質の変化によってでなく一つ、しかし、神の中へご自分の人間性のまとうことによって。

unus prorsus, non per confusionem substantiae sed per Unitatem Personae; 完全に一つ〔である〕、実体の混ぜること(混交)によってでなく、しかし、位格の同一性によって。

quoniam sicut rationalis anima et corpus est unus homo, ita Deus et Homo est unus Christus.” 理性的な霊魂と身体が一人の人間であるように〔そのようである〕ので、そのように(しがたって)、神と人間は一つのキリストである」。

 

(3) 訳文

 [4] 改革派のある一部の者により信じられている、それらについてもまた「一致信条」中に〔あるが〕、

 

 キリストは人間性の性質にしたがって高められることによって、それほどの創造された賜物と有限な力を受け、しがたって、肉の属性を保有して他の者のような人間である。それゆえ、人間性の性質に関して遍在しない、全知でない。不在であっても、それでも、ご自分から遠く離れたものをあたかも王のように支配している。永遠からの神として父のもとにいる、そして時間の中で生まれた人間として天界の中の天使のもとにいる。そしてキリストの中で神は人間であり、人間は神であることは、外観での話し方である。ほかにも同様な他のもの。

 

[5] しかし、この意見の相違は「アタナシウス信条」で解決され、それはキリスト教界の中のすべての者により受け入れられていて、そこにこれらがある――

 

「私たちが信じ、告白する真の信仰〔は次のもの〕である。子である私たちの主イエス・キリストは、父の性質の実体から世の前に生まれた神であり、また世の中で母の実体から生まれた人間である、神と人間である。完全な神であり、完全な人間である。その方はたとえ神と人間であっても、それでも二つではなく、一つのキリストである。神的な本質の変化によってでなく、神の中へご自分の人間性をまとうことによって、身体の中へと一つである。実体の混交によってではなく、位格の同一性によって、完全に一つである。理性的な霊魂と身体が一人の人間であるように、そのように神と人間は一つのキリストである」。

原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (13)(直訳と訳文)

(2) 直訳(3義認と善い働き[2]まで)

3{1}. DE JUSTIFICATIONE PER FIDEM, ET DE BONIS OPERIBUS.― 3 信仰による義認について、また善の働き(善業)について――

Fides Clericorum justificans et salvans haec est: 聖職者の義とするまた救う信仰はこれである――

Quod Deus Pater averterit Se a Genere humano propter iniquitates ejus, et sic ex justitia damnaverit illud morti aeternae; 父なる神は人類からご自分を背かせた、彼の☆不法(複数)のために、またこうして公正からそれら☆を永遠の死に(地獄へと)断罪したこと。

☆ ここは「彼ら」とするのがよいでしょう。

et quod ideo miserit Filium in mundum, Qui expiaret et redimeret, ac satisfaceret et reconciliaret; またそれゆえ☆、子を世の中に送ったこと、その方は償う(罪滅ぼしをする)、またあがなう、そして贖罪する(満足させる)また和解させる。

☆ このideoが「原文」としたものではideaとなっていました、訂正します(スキャナーミスです)。

et quod Filius hoc fecerit per quod in Se susceperit damnationem legis, et passus Se crucifigi, et quod sic et per obedientiam impleverit omnem justitiam Dei, usque ut Ipse factus sit Justitia; また子はこのこと(中性)を行なった、自分自身に律法の断罪(有罪)を受け入れる(引き受ける)ことによって、また自分自身にはりつけにされることを受けて(被って)、またこのようにまた服従によって神のすべての義(公正)を満たしたこと、その方が義(公正)となるようにまでも。

et quod Deus Pater hanc ut Ipsius meritum credentibus imputet et applicet, et ad illos mittat Spiritum Sanctum, qui operatur charitatem, bona opera, paenitentiam, ut bona arbor bonos fructus, ac justificet, renovet, regeneret et sanctificet; また父なる神はこのこと(女性)をその方の功績として信じる者たちに転嫁する、また適用する、また彼らに聖霊を送る、その者は仁愛、善の働き、悔い改めを生み出す(つくる)、善い木が善い実を〔生み出す〕ように、そして義とする、更新する(新しくする)、再生させる、また聖別する。

et quod haec fides sit unicum medium salutis, et quod per illam solam remittantur homini peccata. またこの信仰が唯一の救いの手段であること、またそれだけによって人間の罪が赦されること。

[2] Distinguunt inter Justificationis actum et statum; [2] 彼らは義認の活動と状態を分離している(区別している)。

per Justificationis actum intelligunt initium justificationis, quod fit momento cum homo per solam illam fidem cum fiducia apprehendit meritum Christi; 義認の活動によって義認の始まりを理解している、それは人間がその信仰のみによって信頼とともにキリストの功績をつかむ(感じる)とき瞬間に生じる。

per Justificationis statum intelligunt progressum illius fidei, qui fit per Operationem Spiritus Sancti interiorem, quae se non manifestat nisi per quaedam signa, de quibus varia docent; 義認の状態によってその信仰の前進を理解している、それは聖霊の内的な働きによって生じる、それはある種のしるしによってでないならそれ自体を明らかにしない(示さない)、それらについていろいろなものを教えている。

tradunt etiam bona opera manifesta, quae fiunt ab homine et ejus voluntate, et sequuntur illam fidem; 明瞭な善の働きにもまた伝える(述べている)、それは人間とその意志から行なわれる、またその信仰から続く。

sed illa excludunt a justificatione, quia proprium et sic meritum hominis est in illis. しかし、それらを義認から締め出している、人間のプロプリウム(固有のもの)とこのように(したがって)功績がその中にあるからである。

 

(3) 訳文

3 信仰による義認について、また善の働きについて――

 聖職者の義とするまた救う信仰はこれである――

 

 父なる神は、人類の不法のために彼らから向きを変え、こうして義(公正)から彼らを永遠の死へと断罪した。それゆえ、子を世の中に送った、その方は償い、あがない、そして満足させ、和解させる。また子はこのことを、自分自身に律法の断罪を受け入れ、はりつけにされることを自分自身に被って、このようにまた服従によってその方が義(公正)となるようにまでも神のすべての義(公正)を満たしたことによって行なった。また父なる神はこのことをその方の功績として信じる者たちに転嫁し、適用し、彼らに聖霊を送る、その聖霊は、善い木が善い実を〔生み出す〕ように、仁愛、善の働き、悔い改めを生み出す、そして義とし、新しくし、再生させ、聖別する。またこの信仰が唯一の救いの手段であり、それだけによって人間の罪が赦される。

 [2] 彼らは義認の活動と状態を区別している。義認の活動によって義認の始まりを理解している、それは人間がその信仰のみによって信頼とともにキリストの功績を感じる瞬間に生じる。義認の状態によってその信仰の前進を理解している、それは聖霊の内的な働きによって生じ、それはある種のしるしによってでないなら明らかにならない、それらについていろいろなものを教えている。人間とその意志から行なわれ、その信仰から続く明瞭な善の働きにもまた述べている。しかし、それらを義認から締め出している、人間のプロプリウム(固有のもの)とこのように功績がその中にあるからである。