In omni Divino opere est primum, medium et ultimum, ac primum vadit per medium ad ultimum, et sic existit et subsistit; inde ultim est Basis. Tum, primum est in medio et per medium in ultimo; ita ultimum est Continens. Et quia ultimum est continens et basis, est etiam Firmamentum.(SS27)
全体を眺めましょう。
すべての神的なopusの中にprimusとmedius(medium)とultimusがあって、primusはmedisを通ってultimusにvadoしている。こうしてesistoとsubsistoする。それゆえultimusは「基礎」だ(すまん、またもミスった、ultimはultimum)。さらにprimusはmediumの中にあり、mediusを通してultimusの中にある。このようにultimusは「容器」だ。(なぜなら)ultimusは容器と基礎である、(それで)「支え」でもある。
このように動詞はest以外にvado、existo、subsistoだけであり、文の構造も簡単です。
単語を確認します。
名詞「opus」:行ない、働き、行為、業(わざ)。作品の意味もあります。このまま英語。音楽作品の番号はop.77「作品77」とします。複数形はopera、「オペラ」の語源。
形容詞「primus」:最初の、始めの。
★ラテン語の一大特徴(最大かもしれない)を述べます。「中性形の形容詞は抽象名詞」として使われることです。ここがまさにそれであり、中性(単数・主格)primumなので「始めのもの」です。
形容詞「medius」:中間の、真ん中の。直前の説明と同じく中性形で「中間のもの」。名詞「medium (中央)」が存在しますが、これは文脈から否定されます。「メディア」の語はここから派生。
形容詞「ultimus」:最も外部の、(順序や時間で)最後の、最も低い。この訳語として「究極の」が使われることがありますが、「極める」という意味が強いので、使わないほうがよいでしょう。英語ultimate。
動詞「subsisto」:残る、生存する、存続する。英語もsubsisto。
副詞「tum」:なおまた、そのうえ、さらに。
なお小辞「etiam」の説明を落としました(初出はNo.23)。意味は「なお、そのうえ」。付加して「~も」といった感じの言葉です。
では、きちっと訳してみましょう。
「すべての神的な働きの中には、最初のもの、中間のもの、最後のもの存在する。そして最初のものは中間のものを通して、最後のものへと進み、このように存在し、存続する。それゆえ最後のものは「土台」である。なおまた、最初のものは中間のものの中に、中間のものによって最後のものの中に存在する。このように最後のものは容器である。そして最後のものは容器と土台であるので、「支柱」でもある」
ここには一般論が述べてありますね。神のみことばの最終的な形が文字となった「みことば」です。それで「みことば」は、最初のもの(神のお声そのもの、あるいは天的な意味)と中間のもの(霊的な意味)の容器であり、土台であり、支柱です。
* * * * *
話はも少し具体的なほうがわかりやすいですね。それで宿題。「みことば」は「からだ」のようなものです。短いので関連聖句も宿題。
Sensus spiritualis et sunsus caelestis non sunt Verbum absque sensu naturali, qui est sense litterae, sunt enim sicut spiritus et vita absque corpore;(SS39)
Verba quae Ego loquor vobis, spiritus et vita sunt.(Joh. vi. 63)(ヨハネ福音書6:63)
カテゴリー: 原典を学ぶ(選集『神のみことば』)
原典を読もう(『神のみことば』) No.27
聖句から学びましょう。すぐわかりますね。
単語について
人称代名詞「ego」:私は。「エゴ」はこれが語源。
同じく人称代名詞「tu」:あなた。ここは複数・与格で「あなたがたに」。
名詞「spiritus」:霊。英語はspirit。
訳は「わたしがあなたがたに語ることばは、霊〔であり〕いのちです」(ヨハネ6:63)。
補足を二つ。この文は著作『聖書について』の39番に引用されているもので、『ウルガータ』とは異なります。手元の『Vulgata』は「・・・loutus sum・・・」となっています(「手元の」と言ったのは、ラテン語聖書『ウルガータ』は数種類存在するから)。
日本聖書刊行会の『新改訳聖書』は、一人称を神や主の場合「わたし」、その他を「私」と区別しています。私もそれにならいます。
これだけ見ると不思議なことばですね。この第6章は「わたしはいのちのパンです」を主題としています。そのことを説明したことばです。寄り道はしないで、先へ進みましょう。
Sensus spiritualis et sunsus caelestis non sunt Verbum absque sensu naturali, qui est sense litterae, sunt enim sicut spiritus et vita absque corpore;
この文でまだ知らない単語が何かありますか? absque以外「なしに」?
前置詞「absque」(奪格支配)はよく使われます。意味は「~なしに」。
ちょっとだけ、意味が汲みづらいですが常識から判断すれば訳せますね。引っかかるとすれば、後半の文の「sunt etiam~」でしょう。ここはenimを文頭とするの避け(No.23で学習済みです)、動詞を最初にもってくる「倒置文」となっています。これで訳せるでしょう。
「霊的な意味と天的な意味は、文字の意味である自然的な意味なしに、みことばではない。なぜなら、身体のない霊といのちのようなものであるから」
霊やいのちは、身体をもたなかったら、「この世に」存在できませんね。神のみことばも、むきだしのままでは、この世に存在できません。文字という「衣服」をまとう必要があります。
人を見るとき、ともすれば外見である服装を見てしまいます。ほんとうは中身の人間を見なくてはいけません。それには、私たちも人を見る目を養わなければなりません。
すなわち、スヴェーデンボリの教えをある程度学ばなければ、見えるものも見えませんね。
* * * * *
最後に述べたようなことが、著作に書かれています。その部分を宿題とします。
Verbum in illo(=litterali) sensu est tanquam homo versitus, cui facies est nuda, et quoque manus sunt nudae. Omnia quae ad vitam hominis ita quae ad salutem ejus pertinent, sunt ibi nuda, reliqua autem vestita; et multis locis, ubi vestita sunt, transparent, sicut facies per tenue sericum.(SS55).〔真のキリスト教229とほぼ同じ〕
原典を読もう(『神のみことば』) No.28
Verbum in illo(=litterali) sensu est tanquam homo versitus, cui facies est nuda, et quoque manus sunt nudae. Omnia quae ad vitam hominis ita quae ad salutem ejus pertinent, sunt ibi nuda, reliqua autem vestita; et multis locis, ubi vestita sunt, transparent, sicut facies per tenue sericum.(SS55)
知らない単語が多くて、何となくむずかしい。
文字の意味でのみことば(Verbum in litterali sensu)が主題だな、versitusはわかないけど、その後に顔(facies)や裸(nudus)、手(manus)の語があるな。それから人間のいのち(hominis vita)とその救い(ejus salus)が出てきて、それがそこで(ibi)裸で、残りは vestitaだ。そこのvestitaが何とかだな。
最初はこれくらいしかわかりませんね。じゃ、単語を調べましょう。
副詞「tanquam」:あたかも~、いわば。
またもミスタイプ。versi-にそれらしい語はありません。これはvestitusの誤り。
名詞「vestis」:衣服。英語vestの語源。
名詞「facies」:顔。英語faceの語源。
形容詞「nudus」:裸の。英語nudeの語源。
副詞「quoque」:~もまた。et quoqueで「そしてまた」。
名詞「manus」:手。「manu-」が「手」を意味することから派生した語は、maneuver「操作方法(手法)」、manner「方法・手法」、manual「手引き」、manufacture「製造(手工業)」。
名詞「salus」:救い。この動詞salvoから英語のsalvation。
動詞「pertineo」:(adとともに)関係する。
形容詞「reliquus」:残りの、他の。
接続詞「autem」:しかし、けれども。この語は文節の2番目に置かれる。
さてvestita。私は最初、文脈からnuda(形容詞)に対応するので形容詞としてのvestitusを探しましたがありません。それで変だけれど名詞vestus(衣装、服装)かと思いました(「残りは衣装である」では文意が成り立ちませんね)。でもvestitusは男性名詞(第4変化)なのでvestitaとは変化しいとわかったので、「形容詞になりそうなものがないかな、動詞の分詞が考えられるな」と思い、「着る」と意味の動詞がないか周囲を探しました。
動詞「vestio」:着せる。ここにvestitumとあり、leliquaに対応してvestitaとなるんですね。
形容詞「multus」:多くの。
名詞「locus」:場所、位置。「loc-」は場所、local、location、locomotion。
動詞「transpareo」:輝き貫く。ここの意味は「~を通して見える、透かして見える」。
形容詞「tenuis」:薄い、細い。
名詞「sericum」:絹。
単語の勉強が長くなってしまった。訳は宿題とします。もう、(内容的にも)むずかしくはないでしょう。ヒントとしては顔や手のように(服を着ていないで)裸の部分もあり、それはどんなところか。また服を着ていても、透けて見えるところも多いんですよね。
みことばの全部が全部、アルカナとして隠されていたんでは、覆面を被った人物のようになってしまう。敬遠しちゃう。
* * * * *
宿題。あと2回で終えるのでやや違った内容としましょう。「対応」についてです。
Quoniam Verbum interius est spirituale et caeleste, ideo per meras correspondentias conscriputum est; et quod scriptum est per meras correspondentias, hoc in sensu ultimo scriptum est tali stilo, quali apud Prophetas et apud Evangelistas; qui tametsi apparet vulgaris, usque ille sapientiam Divinam et omnem angelicam in se recondit.(SS8)
原典を読もう(『神のみことば』) No.29
まずは宿題の訳――
「その(文字どおりの)意味でのみことばは、いわば衣服を着た人間である。そのとき顔は裸、そしてまた手も裸である。人間のいのち(生活)と、したがってその救いに関係するすべてのものは、そこでは裸である、しかし残りは衣服を着ている。そして衣服を着ている多くのところで〔純粋な真理の教えが〕、顔が薄い絹を通して〔透けて見える〕かのように、透けて見える」(聖書について55)
何が透けて見えるのか、ここからでははっきりしませんが、この文段の冒頭に「Doctrina genuini veri ex sensu literali Verbi」とあるので「純粋な真理の教え」としました。
ではもうひとつの宿題
Quoniam Verbum interius est spirituale et caeleste, ideo per meras correspondentias conscriputum est; et quod scriptum est per meras correspondentias, hoc in sensu ultimo scriptum est tali stilo, quali apud Prophetas et apud Evangelistas; qui tametsi apparet vulgaris, usque ille sapientiam Divinam et omnem angelicam in se recondit.
スヴェーデンボリの教えに親しんでいる人なら、内容がだいたい想像つきますね。わからない単語がっても、すぐに引くのでなくて「だいたいこんな意味かな」と予想してから引くようにします。こうして実力がつきます(多義語なら、適切な訳語をすぐ見つけられる)。
「quoniam~idoo・・・」はNo,21で学んだ相関文「quia~ideo・・・」と同類ですね。でもここでの訳はこのまま頭から訳します。
名詞「interius」:内部。チャドウィックの辞書には中性名詞として多くの用例が取り上げられている。田中の『羅和』ではadj.(形容詞) comp. n.とあるのみ。『羅和』では著作原典を読めないことがよくわかる。
形容詞「merus」:混ざりもののない、純粋な、~だけの、~そのもの。英語mere。
名詞「correspondentia」:対応。従来「相応」の訳語が使われているが、この語は「身分相応の~」というように「ふさわしい、ついあっている」のような意味であり、不適切であろう。
動詞「conscribo」:作文する、書く。con+scriboでconは「まったく」を意味します。強調と思ってもよいでしょう。それで「書き上げる」、「書き終える」とったニュアンスがあります。こうした合成語についてもどこかで学んでおいてください。スヴェーデンボリは意識的に合成語を使ったようですから(ドール著『スヴェーデンボリのラテン語』第4章参照)。
代名詞・形容詞「hic」:これ、この
形容詞「talis」:このような(性質の)。(これまでとりあげなかったのでここで)
名詞「stylus」:尖筆、鉄筆、英語もstylus。表現法、文体、英語はstyle。
形容詞「qualis」:どのような。ここでは「関係詞」~のような。「qulis~talis・・・」で相関文、「・・・のような、そのような~」。
名詞「propheta」:預言者。でもここでは大文字なので「預言書」ですね。
名詞「evangelista」:福音書記者。やはりここも「福音書」ですね。
接続詞「tametsi」:それでも。
動詞「appareo」:(~のように)見える、~であるように思われる。
形容詞「vulgaris」:普通の、平凡な。
動詞「recondo」:たくわえる、しまいこむ、隠す。
いっきに訳しましょう――
「みことばの内部には霊的なものと天的なものが存在するので、それゆえ対応そのものによって書かれている。そして対応そのものによって書かれたものは、これは最も外部の(別訳:最も低い)意味では、預言書や福音書にあるような、そのような文体で書かれている。それは普通に見えるけれども、それでもその中に神的な知恵と天使たちのすべての知恵が隠れている」(『聖書について』8)
「みことばが対応によって書かれている」ことはスヴェーデンボリ神学の一大特徴です。この世(自然界)の自然的なものは、(霊界の)霊的なものと「対応」しています。
「馬」は「理解力」に対応している、と言われても、このことを初めて聞かされたら、キツネにつままれたようですね。著作『白い馬について』は、このことを丁寧に説明しています。「あおい出版」のサイトに対訳が途中まで載せてありますから、よかったらお読みください。対応について、ここでは割愛します。
* * * * *
次回が最終回、宿題もこれが最後。まとめは『真のキリスト教』6番からです。
Coram omni illo, qui statum mentis suae formavit a Deo, est Scriptura Sacra sicut speculum, in quo videt Deum, sed quisque suo modo. Veritates, quas ex Verbo discit, et per vitam secundum illas imbuit, illud speculum componunt.(TCR6:2)
原典を読もう(『神のみことば』) No.30(最終回)
しばらく文を眺めて、単語を調べましょう。キーとなる単語は何ですか? speculumですね。2度出てくるし。
Coram omni illo, qui statum mentis suae formavit a Deo, est Scriptura Sacra sicut speculum, in quo videt Deum, sed quisque suo modo. Veritates, quas ex Verbo discit, et per vitam secundum illas imbuit, illud speculum componunt.
前置詞「coram」:~の面前で、~の目の前に。
名詞「status」:(No.10ででてきたが学んでいないので) 状態。英語state。
名詞「mens」:心、精神。一般的な心の意味もあるが「知的な心」をさすことが多い。
動詞「formo」:形作る、形成する。名詞formaは英語formの語源。formal、formationなど。
名詞「scriputura」:書くこと、書かれたもの。
形容詞「sacer」:聖なる、神聖な。Sacra Cenaは聖餐、Scriptura Sacraは聖書、聖なる書物。
名詞「speclum」:鏡。英語spectacle(光景)やspectator(目撃者)と関連がある。
動詞「video」:見る。ビデオはこれが語源。英語のつづりもこのまんま。
代名詞「quisque」:それぞれ、めいめい。
名詞「modus」:方法、仕方、手段。英語mode(様式、流儀、モード)の語源。フランス語では女性名詞なら「流行」の意味だが、男性名詞なら「方法」など。ついでながら、ラテン語を語源とする語はフランス語のほうが英語よりもはるかに多い!(というよりもラテン語の方言がフランス語に見えてくる。フランス語にとってラテン語は親戚のおじさんだね)
名詞「veritas」:真理。真理のうちでも特に主と結びつく真理。ほんものの真理(真理にほんものも偽ものもありませんが、こんなニュアンス)。
動詞「disco」:学ぶ。deciple(弟子)の語源。
動詞「imbuo」:(精神的に)吸収する、身につける、しみ込ませる。
動詞「compono」:作り上げる。英語ならcompose。
文の構造は――illoを説明しているのが「qui・・・a Deo」。次estが文頭にあって、「あれ、主語があったっけ」とまごつきますね。ありません。ここは倒置文。鏡の中にdeusを見ますが自分のmodoで。みことばから教わる真理とそれにしたがった生活で、鏡を作り上げる。複雑ではありませんでした。
では訳してください。最後の課業です。
「自分の心の状態を神により形作ったすべての者の前に、聖書は鏡のようであり、その中に神を見る、しかしそれぞれが自分なりに〔見る〕。みことばを通して学んだ真理とそれにしたがった生活によってその鏡を作り上げる」(『真のキリスト教』6:2)
* * * * *
自分のまわりの世界は、自分の心を映し出す鏡です。外の世界と内なる心の世界はつながっています。ユングの心理学のようですね。自分の心が楽しければ、身の回りに楽しいことが起こる。
聖書(みことば)もそうなんですね。そして、その中に自分の心の中にある神を見るんですね。どのような神が映し出されか、その鏡は各自が作り上げるんですね。曇っていたら何も見えない。
雑念かもしれない、神社の御神体として鏡が鎮座していることを想起する。
* * * * *
以上で思いつきのようにして始めた「原典を学ぼう」を終わります。決して体系的ではなく、語り口に違和感を持つ人には読みづらかったかな、と危惧します。
「ともかく、原典にかじりついてみる。かじって、何か味わえたら味わってみる」。私自身がこの気持ちで話しを進めてきました。原典がすこしでも身近なもの感じられたなら、幸いです。
読者の方々、今後も学び続けてください。この「学びの機会」を与えられたことに、私も感謝しています(このことについては別に述べる)。ちょっと休憩して、「原典講読」を連載する予定です。