原典を読もう(『神のみことば』) No.21

quia verba ex Dominus immediate proveniebant, ideo singula impleta sunt Divino, et in se continent sensum internum, qui talis est, ut angeli caeli percipiant illa in caelesti et spirituali sensu, cum homines in naturali; sic conjunxit Dominus caelum et mundum per Verbum.
 予習としては、やはり、接続詞に注意しながら、全体を眺めるようにします。
ことばは主から(verba ex Dominus)直接に(immediate)「?(何)した」ものなので(quia)、それゆえ(ideo)個々のものは(singula)神的なもので(Diviono)満ちている(impleta sunt)。その中には(in se)内なる意味を含む(continent seusum internum)、それはこのようなものである(qui talis est)〔talisはut以下だな〕、天界の天使たちが(angeli caeli)、それらを〔これは前のほうを見るとverbaをさしているな、ちょうどverbaは女性複数だし〕天的で、霊的な意味で(in caelisti et spirituali sensu)受け入れる(percipiant)、人間が自然的に、そのとき(cum homines in naturali)、のような(ut)。こうして(sic)主は結合される(conjunxit Dominus)〔おっと-xitとなっているから完了かな〕天界とこの世を、みことばによって(caelum et mundum per Verbum)。
 と、このように私は読んでいるので、このくらいに読めれば(内容が把握できれば)、その人の実力は私と同程度です。もう十分に力がついていると思います。どんどん原典を読み進めてください。
 さて、あとはprovenitbantの意味だけど、これは真ん中にveniがあるからpop(前に)+venio(来る)で、「出てくる」といったような意味だろう、文脈からもそんなとこだろう、と見て、辞書を引いて確認します。しかし、最初はverbaで最後はVerbumだな、どこが違うのかな?
 これで、予習は満点です。
 では、単語を確認しましょう。
 副詞「immediate」:直接に。英語ならimmediatelyと-lyがつくだけ。
 動詞「provenio」:出てくる、生ずる、導かれる。
 形容詞「singulus」:『羅和』にありません。それぞれ別々の。通常複数(singula)です。
 動詞「impleo」:満たす。成就する。
では、訳してみてください。
「ことばは主から直接に出てきたものなので、それゆえ、それぞれは神的なもので満ちており、内意を含む。それ〔内意〕は、人間が自然的な意味で受け入れるとき、天界の天使たちが天的で、霊的な意味で受け入れるようなものである。こうして、主は天界と世をみことばによって結合される」
 「~満ちており、・・・受け入れるような内意を含む。~」と続けて訳すのもよい。
 verbaはVerbumに比べて、より一般的な「ことば」としているようですね。そして、文脈からも、また先頭にあるquiaはそれ以前の文を受けていないことからも、このquiaはideoと関連させて考えたほうがよいようです。すなわち「quia~ideo・・・」の相関文と見なします。と、訳が変わります。
「神から出てきたことばは、それが神的なものに満ちているので・・・」となります。で、このほうがよりよい訳ですね。
 この内容を言いかえれば、「みことばには内意があって、その内意によって天界と世が、天使たちと人間が結びつく」ということですね。
 天界があって、この世があって、それぞれがばらばらに存在するのはおかしい。何か結びつけるものがなければ変だ、とだれしも思う。それが「みことば」であるとのこと。う~ん。そう言われてみると他に見当たりませんね。(他にも「啓示」はありますが、「みことば」ほど霊感に満ちたものはありませんね)
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 宿題(予習)。このような意味(talis sensus)とは内意です。内意を知って、みことばを読むとどうなるのでしょう? うれしくなることが述べてありますね。出典は同じく『天界と地獄』310。
si homo sciret quod talis sensus sit, et ex aliqua ejus scientia cogitaret cum legit Verbum, quod veniret in sapientiam interiorem, et plus adhuc conjungeretur caelo, quoniam per id in ideas similes angelicis intraret.(HH310)

原典を読もう(『神のみことば』) No.22

si homo sciret quod talis sensus sit, et ex aliqua ejus scientia cogitaret cum legit Verbum, quod veniret in sapientiam interiorem, et plus adhuc conjungeretur caelo, quoniam per id in ideas similes angelicis intraret.
 概略を把握することから始めます。
 もし(si)人間が(homo)知るなら(sciret)〔時制は何かな?〕、〔その内容が「quod以下(こうした意味が存在すること)」であり〕そして(et)その知識の何らかのものから(ex aliqua ejus scientia)、考える(cogitaet)、〔するとまだこの個所は「si」に含まれるのかな?〕、みことばを読むとき(cum legit Verbum),〔次の「quod以下(内的な知恵に入ること)」はどこと結びつくのかな?〕、そして〔plusって何だったけ?〕さらに(adhuc)天界と結びつけられる(conjungeretur caelo)、であるので(quoniam)、それによって(per id)〔それ、そのことって何かな?〕、天使と同様の考えに入る(in ideas similes angelicis intraret)。
 さあて、「si」はどこまでかな? よくわかんないな。これくらいでO.K.
 では単語の意味を確定することから。文法事項も。
 動詞「scio」の変化形sciretは「直説法(siに続くのでそのはずがない)現在」と思ってしまいそうですが、これは第四変化動詞です(それで直・現・単数・三人称ならscit)。これは「接続法・未完了」でした。
 名詞「scientia」:No.4を見てください。
 動詞「lego」:No.10を見てください。
 動詞「venio」:やって来る、到着する。ここは抽象的な意味なので「(特別な段階に)進む」「(ある状態に)達する」ですね。
 名詞「sapientia」:知恵。著作「De Divino Amore et de Divina Sapientia」は『神の愛と知恵』。
 形容詞「interior」:internus(内なる、内部の)の比較級。私は「内側の、内的な」の訳語で区別している。なお、最上級はintimus(最内部の)である。
 副詞「plus」:より多く。
 接続詞「quoniam」:~であるから、~ので。
 名詞「idea」:考え、観念。英語も同じidea(アイディア)。
 形容詞「similis」:同様の、似た。英語はsimilar。
 動詞「into」:入る。英語のイントロは前奏、序奏。
 訳せば――
「もし人間がこのような意味〔内意〕があることを知り、その何らかの知識から、みことばを読むとき、内的な知恵に進み、さらに多く天界と結合すること。このことによって天使たちと同じ考えに入るのであるから」(文全体が未完了形なのは、このことを天使が「言った」からです)
 「・・・みことばを読むとき、このことによって・・・入るので、内的な知恵に進み・・・」と最後の文章を前にもってくるほうが読みよいと思うかもしれないが、すると「このこと」の内容が「読むこと」になってしまう。文脈から、また文の構成(idはquodをさすことが多い)からも「このこと」は「quod veniret以下caeloまで」と(私は)思うからである。
 単にみことばを読むだけでもよいのですが(天使たちを通して天界と結びつくので)、内意があることを知って読むと、さらに結びつきが強まるのですね。
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 宿題(予習)。内意で扱われていることは? 人間の再生は、主の栄化と関係するの?
in sensu interno agitur quidem de Domino,…,sed usque in sensu repraesentativo etiam agitur de regenenatione hominis; est enim regeneratio hominis imago glorificationis Domini,(AC3296:2)

原典を読もう(『神のみことば』) No.23

in sensu interno agitur quidem de Domino,…,sed usque in sensu repraesentativo etiam agitur de regenenatione hominis; est enim regeneratio hominis imago glorificationis Domini,(AC3296:2)
 最初に概略を捕えるようにします。
 内意では(in sensu interno)、主について(de Domino)、〔quidemって何だっけ〕〔…は途中省略、中略の記号〕、扱っている(agitur)、しかしそれでも(sed usque)、表象的な意味では(in repraesentatio sensu)、人間の再生についても扱っている(eniam agitur de regeneratione〔あっ、ミスプリだ〕hominis)。
なぜなら(enim)、人間の再生は(hminis regeneratio)、主の栄化(glorificationis Domini)の映像である(est…imago)から。
 これで、ほぼ問題なくわかっちゃいましたね。簡単でしたか? では単語の確認。
 動詞「ago」:多義語。自動詞としてdeを伴って「扱う、論ずる、述べる」の意味。
 小辞「quidem」:確かに、なるほど~だが。
 副詞「usque」:それでもなお、やはり。
 形容詞「repraesentativus」:表象の、象徴する。
 名詞「regeneratio」:再生(原意は再生産、生殖)。英語もregeneration。
 接続詞「enim」:なぜなら。この語は文中二番目に置かれることが多い。それでここでもestと位置が入れ替わっている。
 名詞「imago」:像、映像。心象、典型といった意味もある。英語ではimage。
 名詞「glorificatio」:神的なものとする過程、栄化。英語でglorification。
 では訳してください。
「確かに内意では主について扱われている・・・しかしそれでも、表象的な意味では人間の再生もまた扱われている。なぜなら、主の栄化は人間の再生の映像であるから」(天界の秘義3296:2)
 みことばの内意はもっぱら主について述べています。それで「みことば」なのです。それでも、主について述べながらも、神の似姿、神の映像として造られた人間(創世記1:26)についても、象徴的に語っています。特に、人間の再生についてです。
 ここからは、極端ではありますが、「聖書は人間の再生物語である」とも言えるでしょう。
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 宿題(予習)。やはり内意が扱っていることについてです。やさしくて、短いので大意だけでなく、訳してみてください。しかし、うまく文章にするのは意外と手こずるかもしれません。
in sensu interno sunt illa quae sunt vitae post mortem et quae aeterna, at in sensu litterae illa quae sunt vitae in mundo et quae temporatia;(AC1854:1)

原典を読もう(『神のみことば』) No.24

in sensu interno sunt illa quae sunt vitae post mortem et quae aeterna, at in sensu litterae illa quae sunt vitae in mundo et quae temporatia;(AC1854:1)
 この文章のまだ習っていない(意味を確認していない)単語はなんでしょうか? 探すのがむずかしいくらい、易しく、既知の言葉ばかりです。それでも――
 前置詞「post」:~後ろに、以後に。日本語でも「ポスト福田」などという言い方をしますね。
 名詞「mors」:死。「post mortem」で「死後」。
 接続詞「at」:しかし。
 形容詞「temporarius」:特定の時期の、一時の。またもミスタイプしました。英語で(temporalまたは)temporary。
 どれも、辞書を引かなくてもいろいろな知識から見当のつく単語ですね。
 ではすぐ訳せるか? どうでしたか? いやな問題がありますね。illa quae illa quae quae 代名詞・関係代名詞がずらずらとこれだけ並んでいるので、それらが何をさすのか確認しなければなりません。そして、翻訳では「それ、あれ」などいっぱい出てくるんでは、なんだかぼやけてしまうので、適当にそれがさす名詞に置き換えて訳すようしになければなりません。
 ここで少しばかり雑談。本来の日本語には(人称)代名詞などほとんどなくて、彼だの彼女だのは、明示翻訳期の造語である。「かれ」は昔からあったが「あの人」の意味で、三人称ではなかった。heだのsheだのIやyouといった「人称」をはっきりさせないのが日本語だった。文脈から「だれか」わかるようになっていた。ものを指し示すとき代名詞を使わないほうが多い。
 逆に、名詞の重複を避けて代名詞が発達しているのが西洋語全般。そして指し示す対象がはっきりしているので、代名詞を多用しても、文意をよく汲み取れた。
 それで、西洋の文をそのまま直訳したら、代名詞だらけでよくわからない文(翻訳調そのもの)になるので、代名詞の「代」を適当に取り外して、「名詞」を混ぜるようにして、日本語らしい文にする。
 なんとなくわかるけど、正確に意味を汲みづらいのが、このような文ですね。やってみます。
内意には(in sensu interno)それらがある(sunt illa)〔illaの中身は、出題者はこれ以前の文を示していないから、後ろに出てくるのかな?〕、それらは(quae)死後のいのちとそれらは永遠(vitae post mortem quae aeterna)である(sunt)。〔しかし、これでは意味が通じない、先を読んでみよう〕しかし文字の意味の中には(at in sensu litterae)それらは(quae)世の中のいのちとそれらは一時のもの(viae in mundo et temporaria)である(sunt)〔やはり変だ〕。
 ここでもうひとつ、読解する上で決定的なのがvitaの格です。vitaeは属格です。ここをはっきり捉えないと、上記のように何かが変、となります。
 ここで問題を出します(良問だと思う)。スヴェーデンボリの標語とも言える「新しいエルサレムの教え」の『生活について』の冒頭の次の言葉をどう訳しますか?
 「Quod omnis religio sit vitae, et quod vita ejus sit facere bonum.」
 鈴木大拙訳「宗教はすべて人生と交渉す、而して宗教の生涯は善をなすにあり」
 長島達也訳「宗教はすべて〈いのち〉にかかわっている。そして宗教の〈いのち〉は善をなすことである」
 一部を直訳すれば「宗教は生活「の」もの」となります。属格は「帰属・属性」を表わします。それで、宗教は「生活に属するもの」です。
 さらに脱線しよう、「人民の、人民による、人民のための政治(国)」という標語がある。それぞれof the people、by the people、for the peopleであろう。このofが英語で所有格、ラテン語で属格と思うとわかりやすい。人民「の」政治、とは何であろうか? 人民に帰属する・人民のものである政治である。
 私が訳すなら「すべての宗教は生活に属する。その生活は善をなすことである」
 (補足すれば、訳語「人生・いのち」はここではあたらない。「生活」がよいと思う。宗教は実生活と離れた存在ではなく、生活に帰属するもの、生活の一部分であるわけです)
 話をもどして、「内意の中にあるものは、死後の生活に属するもの」だったんですね。または表現を「内意の中には、死後の生活に属するものがある」と変えてよいでしょう。
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 長くなったので、「きちっとした訳」を「宿題」としましょう。これ以降の文には「sunt」が省略されていると見なします。
 これだけでは少ないのでもう一つ。出典は『聖書について(De Scriptura Sacra)』の第三章見出し。こんどはミスタイプなしにします。
Quod Sensus Litterae Verbi sit Basis, Continens et Firmamentum Sensus Spiritualis et Caelestis ejus.(SSⅢ)

原典を読もう(『神のみことば』) No.25

in sensu interno sunt illa quae sunt vitae post mortem et quae aeterna, at in sensu litterae illa quae sunt vitae in mundo et quae temporaria;(AC1854:1)
 これは次のようなものになりましたか? illaやquaeのさすもの、どこにsuntを補って訳したか確認してください。もちろん、別訳(表現の違い)は可能です。
内意には死後の生活に属するものがあり、それらは永遠のものである。しかし文字の意味の中には世の中の生活に属するものがあり、それらは一時のものである。
 (数回読み直してみてください) われながら、すっきりした訳かと思う。
 ついでに「vitaの訳語」についてやや述べよう。英語でlifeであり、いろいろな意味がある。死後の「生命」や死後の「いのち」とすると、「死」という語とややぞぐわない。死とはいのち・生命をなくすことだから。そして、死後にもその「いのち」が継続して働く場がある。すわなち、継続するのは「生活」である。それでvitaの第一番目の意味として「生活」がよいと思う。文脈でこの訳語がうまくあてはまらないとき、他の訳語として「いのち」などを考慮すればよい。
 著作『Doctirna Vitae』についても「生命」(柳瀬訳・長島訳)では生物学の本のような気がしてしまう。その書の中で「主から新しいいのちをいただく」こともやや述べられているが、大部分は「悪を避け、善を行なえ」と勧めている。すなわち、そのように「生きろ・生活しろ」ということである。それで題名は「生活の教え」、「生活について」、「生活」がよい。
 ともかくまとめましょう、「内意には永遠のものである死後の生活に関することが述べられている」のですね。表面上ではこの世のことしか述べてないように見えても。と、いうことですね。
 では次の宿題に移ります。
Quod Sensus Litterae Verbi sit Basis, Continens et Firmamentum Sensus Spiritualis et Caelestis ejus.
 原著に「第三章」の言葉はありません。編集上の区切りです。「見出し」なので全部大文字となっています。初版の形は次のようです。
Quod sensus literae Verbi sit Basis, Continens et Firmamentum sensus Spiritualis et caelestis ejus.
 動詞はsit(~である)だけ。basis、continens、firmanentumの意味を確認すればO.K.ですね。
 名詞「basis」:土台、基礎、基盤。英語のbase。
 形容詞「continens」:容器として役立つ、容器の。この動詞contineo →英語contain →container(コンテナ)。
 名詞「firmamentum」:基礎、支え、支柱。英語firmと関連する。
 簡単ですね。「みことばの文字(通り)の意味は、霊的で天的な意味の土台、容器、支柱である」。
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 これだけだと見出しなのでよくわかりませんね。それでこのことを説明した続きの文を宿題にします。
In omni Divino opere est primum, medium et ultimum, ac primum vadit per medium ad ultimum, et sic existit et subsistit; inde ultim est Basis. Tum, primum est in medio et per medium in ultimo; ita ultimum est Continens. Et quia ultimum est continens et basis, est etiam Firmamentum.(SS27)