原典を読もう(『神のみことば』) No.6

 今回学ぶ原典は『新しいエルサレムとその天界の教え』の274番からです。そこは第19章「教会」の『天界の秘義』からの引用のうち「古代教会について」の部分です。それでこの詳しい説明は『秘義』10355番にあります。(宿題の答え合わせは不要ですね)
 スヴェーデンボリの神学に親しんだ人なら、内容が想像ついたのではないでしょうか? すなわち「最古代教会」「(ノアの洪水後の)古代教会」「(イスラエル民族のもとの)ユダヤ教会」「(イエスからの)キリスト教会」です。なお、これに続くものが第5の教会「新教会」です。
Quod in Antiquissima Ecclesia fuerit revelatio immediata, in Antiqua Ecclesia per correspondentias, in Ecclesia Judaica viva voce, et in Ecclesia Christiana per Verbum.
 ここで動詞は一つしか使われていません。どれでしょうか? 文頭以外大文字から始まるはずがないから・・・と眺めていくと、fuerit しかありませんね(このような頭を使うことが重要です)。
 あとは名詞「revelatio」(啓示)、「correspondentia」(対応)、「vox」(声)、形容詞、前置詞(とquod)。
 「revelatio」について、-tio の形は女性名詞であり、-tion とすればそのまま英語。(英語使用者にとっては楽でしょうがないね、日本語の古文、現代文ほどの違いもありませんね)
 「correspondentia」は英語で correspondence これも似ている。-tia の形は女性名詞。抽象名詞であり、これと同類が「scientia」(英語の science、ただし意味は「知識」、scio「知る」を抽象名詞化して「知識」) 。
 この訳語は以前「相応」とされていたが「対応」がよい。ここではその議論は避ける。
 「vox」は「声、音、言葉」。voce では辞書に載っていない←この辺が初心者のつらいところ。
 朝日新聞の「天声人語」は「Vox populi, Vox dei(民の声は神の声)」から作られたという。
 さて形容詞「antiquus」。「アンティーク(骨董品、古美術品、年代物の家具や装飾品)」の語源。意味は「古代の」。この最上級 antiquissimus は「最古代の」。ecclesia (女性名詞) を修飾し、in がついているので女性・奪格 (-a) に変化している。
 「immediatus」は「直接の」。
 「Judaicus」は「ユダヤ(人)の」。
 「vivus」はいろいろな意味があるが、ここでは「生きている、生きた」といった意味。英語で「vivid」、これも(語源なので)似ている。ここの「viva voce」は奪格、意味は「生きた声で」。
 「Christianus」は「キリスト教(徒)の」。
 残るは動詞「fuerit」。「fu-」を見ても、それどころか「f」全体を見渡しても、この単語の訳語らしきものが見当たらず、首をかしげるばかり。ここがやはり初心者のつらいところ。
 一番有名な不規則動詞「sum」の「接続法の完了形」である。意味は「~あった」。
 それで、文法の勉強法としては、①品詞の種類、②その品詞のうち変化するものはどれか、③その変化の大体の形(名詞だったら -ae、-o、-isなどがつくな、動詞は3人称が -t で終わるな、それが受動態だと -turだな、など)を頭に入れて、③不規則動詞の大体を学んでおく、のがよいと思う。こうしておけば「辞書が引ける」から。そして、辞書を引いて、ともかく原著を読んでみるのが、無味乾燥と思える文法を長々やり、いやになって途中で投げ出してしまうのを避けるのに一番良いと思う。
 ともかく、「quod で始まる文は接続法」と思ってしまってよい。
 以上で単語とその意味を全部学びました(述べてないのは以前に学習済み)。
 では訳し、そして文全体の意味する内容を考察してください【宿題】。

原典を読もう(『神のみことば』) No.7

 【宿題】の答え合わせ
Quod in Antiquissima Ecclesia fuerit revelatio immediata, in Antiqua Ecclesia per correspondentias, in Ecclesia Judaica viva voce, et in Ecclesia Christiana per Verbum.
「最古代教会には直接の(啓示が)、古代教会には対応によって(啓示が)、ユダヤ教会には生きた声で(啓示が)、キリスト教会にはみことばによって啓示があった(こと)」
 みなさん、このような答えでしたよね。ここからいろいろ学びましょう。
 まずは①形が変わっても、啓示があたえつづけられたこと、②そのときの教会の特質に応じて啓示の性質が異なること、③現在も続くキリスト教会では「みことばを通して(per のもう一つの意味)」刑事が与えられること、がわかります。
 そして、ここからは新教会の教えになりますが、現在はここに述べられた四つの教会に続く、再臨の主による「第五の教会」の時代に入っています。マタイ福音書第24章に預言された「人の子」は「天の雲に乗ってきます」(同章第30節)。新教会の教義に深入りしませんが、ここの雲の霊的な意味は「スヴェーデンボリの神学著作」です。すなわち、「みことばの霊的な意味を明らかにすること」が「新しい時代の啓示」なのです。再臨といえば、「イエスが肉体をとられて再びこの世に現われること」と思っている人には驚きの宣言であり、受け容れがたいかもしれません。
 啓示の形は時代とともに変わってきています。そして、スヴェーデンボリがこの世に生きながら霊界に入り、死後の世界の実相を明らかにし、みことばに深く隠されていた霊的な意味を主から教えられたこと、これらのことは新たな「奇跡」だと思います。(奇跡を見せられても、信じない人は信じませんが)あとは理性を用いて、ご自分で判断してください。「今は信仰の秘義に知的に入ることが許されている(quod nunc liceat intelectualiter intrare in arcana fidei)」(真のキリスト教508:3)のですから。
     * * * * *
 では【宿題】。出典は『天界の秘義(Arcana Caelestia)』10355:6番から。よく読んで、どのような内容か考えてみてください。 後半の sed 以下に apud illos qui が二度出てきます。「~の者のもとに」の意味であり、二種類の人間に対する revelatio を比べています。
quod hodie detur revelatio solum per Verbum, sed genuina revelatio apud illos qui in amore veri sunt propter verum, et non apud illos qui in amore veri sunt propter honores et lucra ut fines;(AC10355:6)

原典を読もう(『神のみことば』) No.8

 【宿題】ちょっとだけ長い文でしたね。「知らない単語がいっぱいあるからやめた」と放り出さずに、何とならないかとしがみつくのも何かの勉強になります。何も知らないところにポンと投げ出されても、何か手がかりとなるものはないかと探すうちに、いわゆる「勘」が養われます。
 私のヘブル語学習がそうでした。動詞も名詞も区別がつかず、どこからどう手をつけたらよいかわからない文章でしたが、文全体の意味は聖書の文句だったのでわかっていました。でも目の前にはへんてこな文字が並んでいるだけでした。これじゃあ暗号、未読文字の解読だな、といった気がしました。「膠着語」といって、ひとつの単語の「前・後」にくっつく前置詞や人称代名詞があります(分かち書きがされていない)。「前」もですよ! そのまま辞書を引いても出てきっこありません。ひとつにくっついた文字の羅列から前後の文字を引き剥がさなくては、辞書すら引くことができません。突然、密林に迷い込んだ気がしました。手探りで、道を求めてさ迷ったことも今では楽しい思い出です。しかも、どんな言語でもやっているうちに何とかなるもんだ、という変な自信もつきました。
 このようについ前置き(雑談)が長くなるのが私の授業の特徴でした(というよりも教員時代の最後のほうは雑談を楽しみました)。閑話休題、文の区切りはコンマや接続詞が有力な手がかりとなります。
 まずは接続詞「sed(しかし)」で切れますね。そこまでの文で、主語が「revelatio」動詞が「detur」とわかれば、予習としてはまあまあ。「sed」以後は長くなりますが、どこが頭でどこがしっぽか? やはり「revelatio」が主語らしい、そして動詞の「sunt」が二つあるな、とわかればこれで予習は上出来、終了です。
 長くなりそうなので短い前半だけにしましょう。
 副詞「hodie」:日にちの今日(きょう)の意味もありますが、ほとんどの場合、現在の時を意味する今日(こんにち)。
 動詞「do」:detur をひいても出てこない「-tur」は動詞の受動態の形だからと「de-」全部をみてもそれらしい動詞が見つからない。不規則動詞とまでは言いきれない、こうした単語が初心者泣かせなんですよね。仕方なしに項目「D」を全部あたる。確かに能率悪い。でも、しぶとく、ねばり強く、何度かこんなことをしたほうが効率よく勉強するよりもよいのかもしれない。意味はいろいろあってここでは「与える」。
 副詞「solum」:ただ、だけ。(英語の solo はこの語と関連あり)
 これで「hodei ~ Verbum」が訳せます。訳してみてください。
 「今日、啓示はただみことばによってだけ与えられる」ですね。
     * * * * *
 この言葉をすこし味わってみましょう。前回(No.7)と関連します。
 「啓示」とは何でしょう。宗教は「啓示」を特徴とします。アメリカに行ったことのない人がアメリカをどう考えたらよいでしょうか。自分が知らないから、そんな国ないだろう、とは思いませんね。自分がアメリカに行くか、それができなければ、行って、見てきた人の話を聞くしかありません。
 ここでアメリカを「霊界」に置き換えてください。霊界を見てきた人がスヴェーデンボリです。あとはその人を信用するかどうかです。
 自分の頭で考えてどうなるものでもないもの、これは「啓示」によるしかありません。昔の預言者たちは啓示された。スヴェーデンボリは霊界を啓示された。そのことを信じるのが宗教です。
 スヴェーデンボリ自身は、なぜ啓示を受けたのか。ここの文からは、彼自身が心を尽くして聖書を読んだことがその基盤となっているのがわかります。
 では、だれでも、聖書(みことば)を読めば、何らかの啓示を受けるのか? となると、それに答えたものが後半部分になります。ほんとうの啓示(genuina revelatio)はどういった人に与えられるか?
     * * * * *
 では、後半 sed 以下の文を【宿題】として予習してください。ヒントとしては名詞に限れば「愛(amor)」「真理(verum)」「名誉(honor)」「利得(lucrum)」「目的(finis)」といった言葉ですね。

原典を読もう(『神のみことば』) No.9

 【宿題】後半は次の文でした。
sed genuina revelatio apud illos qui in amore veri sunt propter verum, et non apud illos qui in amore veri sunt propter honores et lucra ut fines;
 「真理」を「愛」する者と「名誉」や「利得」を「目的」とする者が対比されているな、と気づけばそれで予習はO.K.
 ではまだ学んでいない単語
 形容詞「genuinus」:本物の、正しい。英語 genuine の語源。revelatio が女性名詞(-tio の形は女性)なのでgenuina は女性・主格。
 前置詞「apud」:対格支配、~に、~のもとに、~の場合、といった意味。
 指示詞「illi」:それ、あれ。illos は複数・対格。
 関係代名詞「qui」。ここでは「illi (それ)」とは「qui 以下である」と説明に用いている。そこで「apud illos qui ~」で「~の者のもとに」という意味になる。
 名詞「verum」:真理。なぜ、この名詞を取り上げたか。veri はその属格であり、「属格」について話題としたいから。よろしかったら、このサイトにあるドール著『スヴェーデンボリのラテン語』第2章を見てください。そこの「属格の一般的用法」の部分。「目的格属格」の例として amor veri が取り上げられている(ここでは in があるので amore と属格なっています)。属格だからといって「真理の愛」では、なんのことかよくわからない。「真理への愛」であり、内容的には真理が愛の目的であって「真理を愛する」ことを意味する。in amore veri で「真理への愛の中に」。
 前置詞「propter」:対格支配、~のために、~のゆえに。
 「ut」:いろいろな意味を持つ、副詞であり、接続詞でもある。ここでは「として」であろう。
 では、訳せますね。訳してみてください。(この文の後半部分は滑らかな日本語にするのに苦労します)
「しかし、本物の啓示は、真理ゆえに、真理への愛の中にいる者に〔与えられ〕、目的として名誉や利得ゆえに、真理への愛の中にいる者に〔与えられ〕ない」(これは私流の直訳です)
 このように訳した人はいるでしょうか? ちょっと日本語ではありませんよね。でも原文に忠実に訳すとこんな風になってしまいます。(最初の 動詞「detur」(が省略されているとみて)これを補って訳した)
 意を汲んで、「真理への中にいる者に」を「真理を愛する者に」とすれば、滑らかな日本語でしょう。
 では全文を通して、意訳して、もう一度訳してみてください。
quod hodie detur revelatio solum per Verbum, sed genuina revelatio apud illos qui in amore veri sunt propter verum, et non apud illos qui in amore veri sunt propter honores et lucra ut fines;(AC10355:6)
「今日では、啓示はみことばを通してのみ〔与えられるが〕、しかしほんとうの啓示は、真理を真理ゆえに愛する者に与えられ、名誉や利得を目的として、〔それゆえ〕真理を愛する者には与えられない」(秘義10355:6)
 訳としてはこんなところでしょうね。ここの教えは私にとって痛切である。
 私は何のために真理を愛するのか? このままでは私にほんとうの啓示はいつまでも与えられないだろう。名誉心が消えないからだ。も少し述べよう。今、「レキシコン」の翻訳をしている。需要などほとんど見込めない。時間ばかりかかり、一銭にもならないことに懸命だ。だから貧乏街道一直線(昔から、「辞書作り」した人はたいてい貧乏、私もその仲間入り?)。
 それで、「利得」は目的にしていない。それでも「すごいね」「よくやったね」と誉められたい。「ここまで、こんな仕事をするのか」と認められたい。誉められて気を悪くする人はいない。前にも述べたが私は「その道の権威」になりたい。でも、この名誉欲が今やっていることの「原動力」でもある。純粋でありたいが、常に「欲」がついてくる。これが人間なんですね。
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 では宿題。ヒントを語っておきます。死んだ文字でも読むとき生かされます。何にしたがって(secundum)生かされるのでしょうか?
quod Verbum Domini sit littera mortua, sed quod in legente vivificetur a Domino secundum cujusvis facultatem; et quod vivum fiat secundum ejus charitatis vitam et innocentiae statum,(AC1776)

原典を読もう(『神のみことば』) No.10

 【宿題】とは、何度か読み直し、どんなことが書かれているか、大体の内容を推測すること。
 さて文は次のものでした。
quod Verbum Domini sit littera mortua, sed quod in legente vivificetur a Domino secundum cujusvis facultatem; et quod vivum fiat secundum ejus charitatis vitam et innocentiae statum,
 まずは頭としっぽを見つけるようにします。mortua までで一区切りだな。sed 以下の文は当然ながらセミコロン(;)で切れ、その動詞は -tur とあるからこれだな。最後の文の動詞は fiat しかないな。
 と、このように眺めることができたなら、予習はO.K.
 まずは最初の文「quod Verbum Domini sit littera mortua」
 最初の quod は「~こと」とすればよいのですが、これらは天使が述べた内容です。すなわちこの文の前には Ab angelis dictum, がついていて、その後に上記の文章 quod ~と続きます。天使たちにより「~ということ」が言われた、のです。それで、このようなとき quod をいちいち訳出しないでO.K.です(といより、そのほうが読みやすい)。
 sit は(すぐ覚えます)、sum の「接続法」・能動・現在・単数・三人称 (この文法用語は既知とします)であり、意味は「~である」。なぜ接続法かは、天使たちの語った内容(従属節、quod-節)だから。それで 後の vivificetur も fiat も接続法。
 名詞「littera または litera」は「文字」、英語の letter ですね。
 形容詞「mortuus」は「死んだ、死んでいる」、英語なら mortal。このように英語との関連を調べておくのは、「記憶」の助け、また身近なものと感じられると思うから。
 これで訳せます。「主のみことばは死んだ文字である(こと)」。ここでは「こと」を省きましょう。
 続いて次の文「sed quod in legente vivificetur a Domino secundum cujusvis facultatem」
 legente:このままじゃ辞書に載っていません。これで立ち往生してしまうことを避けるために、文法を最初から全部きちんとわかろうとしないで、「ざっとみておく」という勉強が必要となります。そのうえでこの語をみれば「-en- とか -an- とかあるんで(ここは声を出して読んでください)現在分詞かな」と推測が働くようになります。それで辞書で leg- の形の動詞を探してみます。即「lego (読む)」が見つかります。in があるんで legens がおそらく奪格に変化したな、と思いながら、「文法書」でそのことを確認します。こうして、原文を読みながら、文法も勉強していきます。
 脱線します。私が「分詞」という言葉に出会ったのは高校1年の時だったろうか(もちろん現在分詞、過去分詞という言葉は中学時代で聞いて、理解している)。「分詞構文」という言葉として聞いた。何のことか全然わからなかった。当時、英語は嫌いじゃないが、不得意科目だった(部活動の「水泳」に集中していて、家に帰ってする勉強はわずかに数学だけだった。それで高校時代は劣等生)。
 「分詞」という字面からでは何も浮かんでこない。そのまま20年経過(これでよく大学には入れたね)。スヴェーデンボリの著作を読むために英文法を再度勉強した(同時に、ヘブル語やギリシア語も学び始めた。そしてヘブル語の学習がきっかけとなって分詞がどんなものかわかった)。
 分詞という訳語がいけない。分詞を英語で participle という、これは participate「共にする、あずかる、共に分かつ」からできた言葉だ。それで「分」詞としたようだ。しかし、私自身は「分詞」がわかったとき、動詞であるが形容詞の働きも「分担」している「分」詞だと理解した。
 分詞は動詞と形容詞の働きをあわせ持つ。「読む」が現在分詞で、たとえば「人」と結びつくなら「呼んでいる人」と、このように「人」を形容する働きをする。ここでは「in」と結びついている。「in」は「~の中へ、~の中に」であるが、何の「中」なのかといえば、いろいろあるがたいていは「場所や時間」。
奪格なので「読んでいるという時間の中で」、すなわち「in legente」は「読んでいるときに」。
 vivifico:「生命を与える、生かす」英語で vivify。
 前置詞「secundum」:対格支配「~にしたがって」。
 cujusvis:このままじゃ辞書に見つからない。cu- の近所を探したって全然だめ。こういったものが初心者泣かせ。ちょっと文法を勉強すると、qui が cujus や cui に、quisqui が cujusque や cuique 変化することを知る。それで qui- を探すと quivis が見つかる。ここでは「それぞれ、各~」。
 facultas:ここでは「能力」ですね、「性質」の訳も考えられます。-tas は抽象概念を表わす女性名詞の語尾形。facilitas、falsitas、fatuitas、faustitas、felicitas、ferocitas などなど。
 これでこの文が訳せます。長くなったので宿題とします。
 もうひとつ、最後の文「et quod ~」も宿題とします。文の構造は簡単であり、単語がわかれば訳せます。その単語は形容詞「vivus」(生きている)、動詞「fio」(多義語、「~なる」がよいでしょう)、名詞「charitas」(仁愛)、名詞「vita」(いのち、生活)、名詞「innocentia」(無垢、無罪)、名詞「status」(状態)。
 これらの単語をならべてみれば、自然と文意が浮かび上がってきますね。