なぜ、ラテン語を学ぶのか

前に記された鈴木さんの「ラテン語の勉強歴」という記事に触発され、私もそのことについてちょっと書きたいと思いました。
私のラテン語学習はきわめてゆっくりとした速度で、学習を始めた時期は25年以上も前で、かなり昔なのですが、実際にはあまり進歩していません。進歩の度合いは別として、動機づけははっきりとしています。それは、スヴェーデンボリの著作を原書で読みたいというきわめて単純な発想だからです。
その動機を後押しくれたのは、塚本虎二という方の『聖書知識』という個人雑誌からの一文です。そのタイトルは「愛人をもて」という、若年者にとっては刺激的なものでした。しかし、それは啓蒙的で、きわめて真摯な内容でした。
以下、その文からの引用です。「愛人といっても別に心配の要らない愛人である。…私の意味は、君が聖書中の人物でも或はその他の偉人豪傑でも、或は哲学者でも詩人でも、音楽家でも科学者でもよいから、兎に角全生涯自分の師として友人として愛し交り得る人物を選んで、畢生の道楽としてそれを研究し給へといふのである。誰でも構はないが、しかし世界第一流の人物で、一生涯研究し尽くせぬ人でなければならぬ」
「翻訳が出来たならばまづその人に関する権威者の著作を熟読し、それから暫時研究の手を広げてゆくこと。もし哲学者、思想家、詩人であるならば、その著書を読破し、殆んど暗記する位に何度も繰返すこと。初めは翻訳でも構はないが、後は勿論原文で読むこと。…それでは大変だ、などと弱いことを言ふべからず。大変だから面白いのである。生涯の研究題目であって、今から少なくとも三四十年も続けるのであるから、極めて大規模でなければならぬ」
「それから下らない交際費などを節約して、参考書その他研究資料を集めること。出来れば月給の十分の一とボーナス位は奮発してくれ給へ。犠牲が大きすぎると言ふかも知れないが、それでプラトンやダンテを愛人に持つことができれば安いものである」(原文の旧漢字は多少改めました)
引用がかなり長くなりましたが、この文に触発されて、自分の一生の研究テーマであるスヴェーデンボリの著作を原文で読むためにラテン語を学び始めました。
最初は、和訳で読み、今は原書と英語でもスヴェーデンボリの著作を読んでいます。その存在はあまりにも大きすぎて、おそらく、一生かかっても読みつくせないし、十分に読んだとはいえないことでしょう。
そのために犠牲にしたものも多くありますが、生涯を終えるときには、それで幸せだったと自分も周囲の人にも思ってもらえる生き方ができればと願っています。

『遅読の讃』

前記の「遅読」で思い出すのは、関口存男先生の『遅読の讃』という一文です。このことばは50年以上前にすでに使われているのです。
「辞典と首っ引きでポツポツ読む外国語には、その遅々たるところに普通人の気のつかない値打ちがあります。それは“考える”暇が生ずるということです。…“人間”というやつは、とかく、考えないように考えないように出来ている。スラスラ読める母国語ばかり読んでいると、うっかりすると上わすべりした、ツルツルした、平坦な人間になってしまうおそれが充分にあります。
 この平坦なツルツルした意識にブレイキをかけて、否でも応でも一個所を凝と眺めて考えさせるという効果、―外国語をやる主な目的は此処にあるのではないでしょうか?」
1956年の記事で、私が読んだのはそれからずっと後のことです。とても、面白い文なので、全部読んでいただきたいと思いますが、まだ著作権が残っているので、部分的な引用にとどめておきます(『関口存男の生涯と業績』S42, 三修社・残念ながら入手困難!)。
関口存男という方は、語学の天才と呼ばれ、私の世代で、少し熱心にドイツ語を学んだことのある人なら知らない人はいないほどの凄い先生です。法政大学や慶応大学でドイツ語を教える前には、アテネ・フランセというフランス語の学校でラテン語を教えていたという履歴もあります。授業はフランス語で行なわれたそうです。終生、一度もドイツに行く機会はありませんでしたが、NHKラジオのドイツ語講座を受講したことのある人の話では、そのドイツ語はゲストのドイツ人とも遜色がないほど流暢で、驚いたということでした。
英語圏の斉藤秀三郎とならび称され、ドイツ語の関口存男と言われています。
若い頃、ドイツ語をいっしょに勉強していた私よりのかなり年長のある神学生に私が、「ほんの少しのドイツ語を理解するのに、何時間もかかってしまう」と私がぼやいたとき、「短い文章を何時間も考えられるなんて、君はすごい」と褒められたことがあります。
彼の発言は皮肉ではなく、やはり「遅読」の勧めだったように思います。

大きな赤い竜

あおい出版サイトで連載している『スヴェーデンボリ叙事詩』の第33章「大きな赤い竜」を掲載しました。
http://www.aoi-press.com/index.html
今回は、高い心霊能力の持ち主として世間の注目を集めたスヴェーデンボリがさまざまな評価や攻撃・批判をあびた時代の著作や出来事について書かれています。
ドイツの哲学者カントがスヴェーデンボリによせた関心についてもここではふれられています。この頃に出版された『神の愛と知恵』はカントが持ち出した論点に対する答えが記されているとこの伝記筆者は述べています。
『スヴェーデンボリ叙事詩』は数々のスヴェーデンボリに関する伝記の中でも最も詳細で、興味深い記事が満載されています。神学著作はちょっと読む気がしないという方も、ぜひこの伝記をとおしてスヴェーデンボリの人物像とその宗教思想にふれてみてください。