スヴェーデンボリは1742年頃、一連の「心理学の論文Psychological Transactions」を書いています。心理学と言っても、当時は精神(心の働き)についての学問として形而上学的な側面を持っていました。霊魂に関する哲学と言い換えてもよいかもしれません。
さて、その一連の論文は次のものです。
No.1「霊魂それと霊魂と身体の間の調和」、No.2「霊魂の起源と繁殖」(霊魂が父親からのものであることなど論じています)、No.3「霊魂精気」、No.4「赤い血」(いわゆる血液であり、霊魂精気は他のものとともに血液の中に含まれているとしています)、No.5「活動」(運動繊維や筋肉、その霊魂との関係を論じています)、No.6「身体の感覚または感情」(内的なものや外的なものを含めた感覚器官についてなど)
そのNo.3「霊魂精気」について、ここでは各章の「見出し」だけ以下に紹介します。だいたいどんなことが書かれているかわかると思います。ひまがあったらこの『心理学論文集』をいつか翻訳してみたいです。スヴェーデンボリの神学著作が突然と現われたものでなく、事前のこうした霊魂のすみかとしての人体の研究の延長線上にある、とわかるからです。
第1章 霊魂精気は最も純粋な体液であり、それは身体の脳の髄質繊維それと神経繊維を流れる。
第2章 霊魂精気は皮質腺の中に抱かれ、準備され、またそこから繊維の中に流れ出る。
第3章 霊魂精気の性質は、それが流れる繊維の性質から知られるであろう、またその逆も。
第4章 霊魂精気は霊魂と身体の通路となるエキス(精)であり、したがって活動を伝達するための媒介となる物質である。
第5章 霊魂精気は霊魂のエキスと身体のエキスを共にする、すなわち、霊的であり、物質的である。
第6章 霊魂精気は純粋なもの、媒介物、すなわち白い血と同じものである(注)。
注:ここに著者自身による次の注が付けられています:「これは変更すべきである、精気は純粋な血とは区別されるから」
第7章 霊魂精気は皮質腺の中に抱かれ、準備されるので、その腺の中で霊的なものと物質的なものが流入によって一緒になる。
第8章 単純な皮質から発生する単純な繊維は、微小な腔に、すなわち、その腺の小室に注ぎ込む。その単純な皮質の中で抱かれ、生まれる最も純粋な物質(実体)は、すなわち、霊魂の物質(実体)である。また、管の髄質の他の部分を構成する最高に繊細な管は、純粋な性質のリンパ液または漿液を注ぐ。そこには純粋な小球と硫黄塩類の要素☆1がある。そしてこれら二つのもの☆2の結婚から霊魂精気が生まれる。
☆1 原文はsulphureo-saline elementsです。これが何か私には割りません。文脈からはリンパ液または漿液の成分です。
☆2 ここからではよくわかりませんが、本文中には「原繊維の運ぶ霊魂のエキスまたは霊魂の物質と管の運ぶ硫黄塩類の要素またはエーテルのような要素が小さな腔の中で結婚し…霊魂精気を生む」とあります。
第9章 皮質腺から、脳の髄質繊維と身体の神経線維を通って、血管の中へ、また血管または動脈から皮質腺の中に戻り、そしてまた繊維の中に戻る霊魂精気の継続する循環がある。
第10章 霊魂精気がなくては、霊魂は、単純な、媒介となる身体の有機的な形を決して組み立てることはできない。
第11章 霊魂精気がなくては、霊魂は、心臓それと動脈と静脈を、すなわち、赤い血を生み出すことができない、したがって最終的な有機的な形、身体を生み出すことができない。
第12章 霊魂精気がなくては、霊魂は、活動を決定できない、すなわち、どんなものでも身体による活動を行なうことができない。
第13章 霊魂精気がなくては、霊魂は、身体に起こることを感じることができない。
第14章 活動や感覚は、いや、想像力や思考もまた、身体の中の霊魂精気とその循環のようなものとなっている。
第15章 霊魂精気は霊的なものと身体的なものの両方に尽くす。
第16章 われわれの小宇宙の中に、それは霊魂精気の上にあるすべてのものである、内なる人間と呼ばれるものがある。また下にあるすべてのものは、外なる人間と呼ばれる。
第17章 ある個人の霊魂精気は他の者の霊魂精気とは絶対的に似ていない。人間社会の中の個々の主体〔すなわち人間です〕のすべても〔霊魂精気は〕異なり、同じ主体の中でも常に異なる☆。
☆ 最後の部分だけ、本文の内容をふまえて説明すれば、「同じ一人の人間でも、動物精気の循環する状態はあらゆる瞬間に変化している」ということです。それで感情の変化があり、病気になったり、ついには死んだりします。
(Alfred Acton訳、1984年スヴェーデンボリ科学協会発行Psychological Transactionsから)