「生活について」の2番は全面的にみことば(聖書)からの引用である。こうした個所は『主について』が多く、その4番はこれでもかとばかりに引用が続く(6番もやや長い)。
スヴェーデンボリがどうしてこのような書き方をするのかやや疑問である。さすがに読者は飽きるのではないだろうか(すなわち適当に読み飛ばす)。
代表的な例を三つ四つほど取り上げ、後は書名と章・節をいくつか補充すればそれで用が足りると思うが、読者の方々はどのように思われるのか?
翻訳するとなると、「読み飛ばす」わけにはいかない。これでもかと続く引用にもおとなしく従わなければならない。
さて、今回、分量が多かったせいもあって、朝までかかってしまった。聖書からの引用なので、意味はよくわかっている。それで、もっと容易に訳せるだろう、と思っていたが違った。
お気づきと思うがスヴェーデンボリの引用するみことばは現行和訳聖書と異なることがよくある。これは翻訳者による翻訳の違いではなく、原文が違っているからである。すなわち、スヴェーデンボリの使用していたラテン語訳の聖書が(実際にはヘブル語とラテン語の対訳もの)今の聖書と相当異なるからである。そしてスヴェーデンボリの使用したもののほうが原典に近い。
それで、翻訳上、引用個所は全部現行聖書の訳文を流用してしまえば、翻訳としてはすぐできるが、「直訳」でなくなってしまう。
こだわりを身上(信条)とする私の場合、原典まで調べることがよくある。自分ための勉強だから当然といえば当然。しかし、このようにじっくりやっていると、時間がかかってしまう。
しかし、どっちみち一銭にもならない趣味の世界に遊んでいるんだから、時間がかかるなんて二の次、三の次。でも、待っている読者がいる。それでFestina lente! まさに金言。