(1) 原文
602. Ultimo memorandum est de insito, quod est ex influxu caeli apud hominem, de vita ejus post mortem. Fuerunt quidam ex simplici plebe, qui in bono fidei in mundo vixerunt: illi in statum similem, in quo fuerunt in mundo, redacti sunt; hoc fieri cum unoquovis potest cum Dominus concedit; et tunc ostensum est qualem ideam de statu hominis post mortem habuerunt. Dixerunt quod aliqui intelligentes in mundo interrogaverint illos quid cogitant de anima sua post vitam in mundo; dixerunt quod non sciant quid anima. Interrogaverunt porro quid credunt de statu suo post mortem; dixerunt quod credant se victuros spiritus. Tunc interrogaverunt qualem fidem habent de spiritu; dixerunt quod sit homo. Interrogabant unde hoc sciant; dicebant quod id sciant quia ita est. Intelligentes illi mirati sunt, quod talis fides esset simplicibus, et quod non sibi. Inde patuit, quod apud unumquemvis hominem, qui in conjunctione est cum caelo, sit insitum de vita sua post mortem. Hoc insitum non aliunde est quam ex influxu e caelo, hoc est, per caelum a Domino, mediis spiritibus, qui e mundo spirituum homini adjuncti sunt; et [memorandum est] quod sit illis, apud quos liberum cogitandi non exstinctum est per principia capta et variis confirmata de anima hominis, quam vel dicunt esse puram cogitationem, vel aliquod principium animatum, cujus sedem in corpore inquirunt; cum tamen anima non est nisi quam vita hominis, at spiritus est ipse homo, ac corpus terrestre quod circumfert in mundo est modo administrum, per quod spiritus, qui est ipse homo, convenienter agit in mundo naturali.
(2) 直訳
Ultimo memorandum est de insito, quod est ex influxu caeli apud hominem, de vita ejus post mortem. 最後に、生来のものについて話に出さなくてはならない、それは天界から人間のもとへの流入から存在する、死後の彼の生活(いのち)について。
Fuerunt quidam ex simplici plebe, qui in bono fidei in mundo vixerunt: 単純な庶民からのある者たちがいた、その者たちは世で信仰の善の中に生きた。
illi in statum similem, in quo fuerunt in mundo, redacti sunt; 彼らは似た状態の中に、その中に世でいた、(戻)された。
hoc fieri cum unoquovis potest cum Dominus concedit; このことはそれぞれの者に行なわれることができる、主が許すとき。
et tunc ostensum est qualem ideam de statu hominis post mortem habuerunt. そしてその時、人間の死後の状態についてどのような観念をもっていたか示された。
Dixerunt quod aliqui intelligentes in mundo interrogaverint illos quid cogitant de anima sua post vitam in mundo; (彼らは)言った、知的なある者が世で彼らに質問した、世での生活の後の自分の魂について何を考えているか。〔訳文では、この部分から直接話法で意訳します〕
dixerunt quod non sciant quid anima. (彼らは)言った、魂とは何か知らないこと。
Interrogaverunt porro quid credunt de statu suo post mortem; さらに(彼らは)質問した、死後の自分の状態について何を信じているか。
dixerunt quod credant se victuros spiritus. (彼らは)言った、霊〔として〕生きるだろうと信じていること。
Tunc interrogaverunt qualem fidem habent de spiritu; その時、(彼らは)質問した、霊についてどのような信念を持っているか。
dixerunt quod sit homo. (彼らは)言った、人間であること。
Interrogabant unde hoc sciant; (彼らは)質問した☆1、どこからこのことを知っているのか。
dicebant quod id sciant quia ita est. (彼らは)言った☆1、そのことを知っている☆2こと、そのようである☆2ので。
☆1 これまでは「完了形」で「質問した」「言った」のですが、ここは「未完了形」です。なぜこうなのか、わかりません。一連の質問と応答の「最後に」、との気持ちをこめたのでしょうか?
☆2 「知っている」のはquod節中の(間接話法)なので接続法ですが、「である」のはquod節中であっても、すなわち通常接続法を使うところであっても、それが「真実」であるとの気持ちを表現するために「直説法」です。
Intelligentes illi mirati sunt, quod talis fides esset simplicibus, et quod non sibi. 知的な者たち、彼らは驚いた、このような信仰が単純な者たちにあったこと、そして自分たちにないこと。
Inde patuit, quod apud unumquemvis hominem, qui in conjunctione est cum caelo, sit insitum de vita sua post mortem. ここから明らかである、それぞれの人間のもとに、天界と結合している者たち、死後の自分の生活(いのち)について生来のものがあること。
Hoc insitum non aliunde est quam ex influxu e caelo, hoc est, per caelum a Domino, mediis spiritibus, qui e mundo spirituum homini adjuncti sunt; この生来のものは天界からの流入から以外の他の場所(別の源泉)ではない、すなわち、主により天界を通して、霊によって、その者たちは霊たちの世界から人間に接合している。
et [memorandum est] quod sit illis, apud quos liberum cogitandi non exstinctum est per principia capta et variis confirmata de anima hominis, quam vel dicunt esse puram cogitationem, vel aliquod principium animatum, cujus sedem in corpore inquirunt; そして(話しに出さなくてはならない)、彼らに〔生来のものが〕あること、考える自由を消滅されなかった者たちのもとに、人間の魂についてつくられた原理やいろいろな確信によって、それ〔魂〕はあるいは純粋な思考であると言われる、あるいは何らかの生気に満ちた原理、その座を身体の中に捜す。
cum tamen anima non est nisi quam vita hominis, at spiritus est ipse homo, ac corpus terrestre quod circumfert in mundo est modo administrum, per quod spiritus, qui est ipse homo, convenienter agit in mundo naturali. そのときそれでも魂は人間の生活(いのち)以外のものでなく、しかし、霊は人間そのものである、そして地に特有の身体は、それは世で持ってまわった、単なる補助(装備品)である、それによって霊は、それは人間そのものである、自然界で適当に行動する。
(3) 訳文
最後に、死後のいのちについて、天界から人間のもとへ流入から存在する生来のものについて述べておかなくてはならない。世で信仰の善の中に生きた庶民である単純な者たちがいた。彼らは世にいたときと似た状態にされた。このことは、主が許されるとき、だれもがされることである。そしてその時に、人間の死後の状態についてどのような観念をもっていたかが示された。
彼らは言った。自分たちは世で知的であった者らに、「世での生活の後の自分の魂についてどう考えているか」と質問された。「魂が何であるか、知らない」と答えた。さらに、「死後の自分の状態について何を信じているのか」と質問された。「霊として生きると信じている」と答えた。その時、「霊についてどのような信念を持っているか」と質問された。「人間である」と答えた。「どこからこのことを知っているのか」と質問された。「そうであるから、そうであると知っている」と答えた。知的であった者たちは、このような信仰が単純な者たちにあったこと、そして自分たちにないことに驚いた。
ここから、天界と結合しているそれぞれの人間が、死後の自分のいのちについて生来のものをもっていることが明らかである。
この生来のものは、天界からの流入から、すなわち、主により天界を通して、霊たちの世界から人間に接合している霊によるもの以外のものではない。そして、生来のものは、人間の魂についてつくられた原理やいろいろな確信によって考える自由を消滅されなかった者たちのもとにあることを述べておかなくてはならない。その原理や確信とは、魂とは純粋な思考である、あるいは何らかの生気に満ちた原理である、と言って、その座を身体の中に捜すことである。それでも、魂は人間のいのち以外のものではなく、霊は人間そのものであり、世で持ってまわった地的な身体は単なる装備品であって、人間そのものである霊はそれによって自然界に適して行動する。
(1) 原文
603. Haec quae in hoc opere de Caelo, Mundo Spirituum, et Inferno, dicta sunt, obscura erunt illis qui non in jucundo sciendi vera spiritualia sunt; sed clara illis qui in jucundo; maxime illis qui in affectione veri propter verum sunt; hoc est, qui amant verum quia est verum: quicquid enim amatur hoc intrat cum luce in mentis ideam, imprimis cum amatur verum; quia omne verum in luce est.
(2) 直訳
Haec quae in hoc opere de Caelo, Mundo Spirituum, et Inferno, dicta sunt, obscura erunt illis qui non in jucundo sciendi vera spiritualia sunt; これらのことは、それらはこの著作の中の、天界、霊たちの世界、地獄について、言われたこと、彼らに暗い(不明瞭な)ものであろう(に違いない)☆、霊的な真理を知ることの楽しみの中にいない者ら。
☆ 未来時制なので仮に「~だろう」としましたが、スヴェーデンボリの場合、未来の意味はなく、「現在(または未来の)必要・義務・命令」「当然の推量」を表わし、ここでは「当然の推量」である「~に違いないが」正しい訳となります。すなわち、柳瀬訳「~であろう」や長島訳「~でしょう」は、スヴェーデンボリの著作に限って、厳密には(すなわち、著者の意図を汲んでいるか、まで考慮して)誤訳となります。
sed clara illis qui in jucundo; しかし、明るい(明確な)もの〔に違いない〕、楽しさの中に〔いる〕者。
maxime illis qui in affectione veri propter verum sunt; 彼らに最大に〔明るい〕、真理のために真理の情愛の中にいる者。
hoc est, qui amant verum quia est verum: すなわち、真理であるので真理を愛する者。
quicquid enim amatur hoc intrat cum luce in mentis ideam, imprimis cum amatur verum; なぜなら、何でも愛されるものは、これは光とともに心の観念の中に入るから、特に、真理が愛されるとき。
quia omne verum in luce est. すべての真理は光の中にあるので。
(3) 訳文
この著作の中で、天界、霊たちの世界、地獄について言われたことは、霊的な真理を知る楽しみにいない者らにとって不明瞭であり、しかし、その楽しさにいる者にとって明確であるに違いない。真理のための真理の情愛の中にいる者、すなわち、真理であるゆえに真理を愛する者にとって、最も明らかであろう。なぜなら、何であれ愛されるものは、光とともに心の観念の中に入ってくるからである。特に、真理が愛されるとき、そうである。すべての真理は光の中にあるからである。
(4) 最終個所603番に思う 知ること(真理)は力である
スヴェーデンボリの著作を「むずかしくて、なかなか読めない」という人がよくいる。その人たちはむずかしいので、たいてい、読み続けることなく、いずれ去ってしまう。
このことについて考えてみる。死後の世界を信じないか、まったく関心のない人に本書『天界と地獄』はどのように受け止められるのか? 「暗黒の書」であろう。「読め」と言われたら、苦痛そのものかも知れない。
興味のない話を長々と聞かされるとき苦痛を感じる。そして、その話を「よくわからない」、「むずかしい(理解できない)」と言い出し、最後は席をけって立ち去るかもしれない。
しかし、人間とはこの世だけの存在であろうか? 死んだら、それで終わりなのか? 肉体の中に宿る「自分」とは何なのか? それは霊的存在ではなかろうか? このような疑問、すなわち、霊的な真理に関する疑問に真剣に答えを見出そうとする人(霊的な人であろう)にとって、本書はその解答を与えている。
すなわち、それまで暗闇の中に置かれていた自分の心に「光が差してくる」思いがするのではなかろうか。心が晴れるだけではない、その真理を生かすとき、それは生きる力となる。
たとえば「タバコはからだに悪い」という真理を知る。知ったままでは何ら健康とはならない、そこでタバコをやめれば(知ったことを生かすなら)、確実に健康になる。
霊的な真理も同じであろう、そして、実生活の中で生かして霊的に成長するか、生かさないは、本人次第。
霊的成長の具体的実践手段は? と質問する人がいるかもしれない。いくらでも答えはあるが、自分で答えを見つけるのがいちばんよい。それでも、このあと始める原典講読:『生活について』にその一つの解答がある、と言っておこう。