(3) 訳文
453 ここに私はこのメモラビリアを加える――
私は霊界の中で海岸を眺め、壮大な港を見た。
私は近づき、のぞきこんだ。見よ、そこに大きな船と小さな船、それらの中にすべての種類の商品、腰掛け梁の上に座っている少年と少女たちがいて望む者に配っていた。
また、彼らは言った、「私たちは私たちの美しい海ガメを見ることを期待している、それらがすぐに海から出てくる」。
すると見よ。私は小さな海ガメと大きな海ガメを、それらの甲羅とうろこの上に座っている幼児の海ガメを見た、それらは周囲の島々を眺めていた。
親のカメ(複数)は二つの頭を持っていた、一つ大きな頭はそれらの身体の甲羅に似た甲羅で取り巻かれ、ここから赤く輝いていた。またもう一つの小さな頭は、海ガメにあるようなものであり、それを身体の前の部分の中に引き戻し、そしてまた目立たないように大きな頭に差し込んだ。
しかし、私は目を、赤く輝く大きな頭に保った、また私は、これが人間のような顔を持っていること、また腰掛け梁の上の少年と少女たち話し、また彼らの手をなめているのを見た。またその時、少年と少女たちがそれらを触った、またそれらに食糧とぜいたくなもの、そしてまた貴重なものを与えた、例えば、衣服のための純粋な絹から作られたもの、板のためのシトロン材の木、飾るための紫の染料(紫色の布)、また「染料のための緋色」である。
[2] これらを見て、私はそれらが何を表象するか知ることを願った。私は霊界の中に見られるすべてのものは対応であり、また天界から降りてくる何らかの霊的なものを、それらは情愛とここから思考のものを表象することを知っていたからである。
またその時、天界から私に話され、また言った、「あなた自身は港が何を、なおまた船が何を、そのようにまたその上の少年と少女が何を表象するか知っている、しかし、あなたは何が海ガメか知らない」。
また彼らは言った、「海ガメはそこの聖職者からの、信仰を仁愛とその善の働きから完全に分離する者を表象する。明らかに何らかの結合がないことを自分自身に肯定し、しかし、信仰によって聖霊が父なる神の中に、子の功績のために、人間のもとに入り、そして彼の内的なものを、彼のプロプリウムの意志までも清め、その意志から長円形を平面のようにする。また聖霊の働きがその平面に近づくとき、その左の周囲の部分からそれをまったくそれを触れない、またこのように人間の生来の内的なまたは高い部分は、神のためのものであり、また外的なまたは低い部分は人間のためのものである、とする。またこのように神の前に、人間が行なうものは善も悪も何も見られない、とする。善は、これは功績を求めるものであるので、また悪は、これは悪であるので〔見られない〕。それで、もしそれらが神の前に見られるなら、人間は〔善悪の〕両側から滅びる――またそのようであるので、人間に、好むどんなものでも、世に対して自分自身を用心するかぎり、欲すること、考えること、話しまた行なうことが許される、としている」。
[3] 私は、さらにまた、神について遍在と全知でないこと考えることが許された、と主張したかどうか質問した。
天界から言われた、このこともまた彼らに許されたこと、信仰を得、またそれによって、一度、清められ、義とされた者のもとの神は、その者の思考や意志の何らかのものを見ない、またそれでも〔その者は〕自分の内的な胸、または心の高い領域の中に、または信仰の性質の中に保持し、それをその行動の中に受け、またその行動は時々、人間に知られないで繰り返されることができる。
「これらが、『小さな頭』が表象するものであり、平信徒と話す時、それを身体の前部の中に引っ込め、隠し、そしてまた大きな頭に差し込む。なぜなら、小さな頭から彼らと話さなず、しかし、前部が人間の顔を備えたように見える大きな頭から話すからである。また彼らと、愛、仁愛、善の働き、十戒の教え、悔い改めについて、みことばから話す、また彼らはそれらについて、ほとんどすべてのものを、それらが書かれているみことばから引き出す。しかし、その時、小さい頭を大きな頭の中に差し込み、そこから自分自身のもとで内的に、それらのすべてのものは神、天界、救いのために行なわれてはならない、しかし、単に公けと私的な善のために〔行なうものである〕と理解している。
けれども、彼らはみことばからそれらについて話すので、特に、福音、聖霊の働き、また救いについて、調子よくまた優雅に、それゆえ、聴衆に美しい人間のように、また地球の中の他の者よりも賢明な者に見える。それゆえ、あなたもまた、船の腰掛け梁の上に座っている少年と少女たちにより、彼らに豪華なものと高価なものが与えられたことを見た。
[4] それゆえ、あなたの見た海ガメとして表象される者たちはこれらの者である。
あなたの世界の中で(単にそのことによってでは)、自分自身をすべての者で最も賢明な者であることを信じ、そして他の者を嘲笑し、特に仲間を、その者と彼らのように賢明な者ではないと言って、その者を軽蔑して拒んでいることは、他の者からほとんど見分けられない。あるしるしを、自分自身に衣服の中につけ、そのしるしから自分自身を他の者から区別されるようにしている」。
[5] 〔天使は〕私に話して言った、「私はあなたに、その他の信仰の事柄について彼らが何を感じるか、言わない。例えば、(神の)選び、選択の自由、洗礼、聖餐についてのようなものであり、それらを〔彼らは〕公けにしない、しかし私たちは天界の中で知っている。
けれども、世の中でそのようなものであるものは、死後、考えることと異なって話すことは許されないので、それゆえ、その時、自分の狂気から話すこと以外に異なって話すことができず、狂人のように見なされ、そして社会から追い出され、また最後に深淵の穴の中に降ろされる、また形体的(物質的)な霊になり、ミイラのように見られる。というのは、彼らの心の内的なもので「たこ」が引き起こされ、世の中でもまた垣を間に置くからである。
彼らからの地獄の社会は、マキアヴェリの追随者からの地獄の社会の境界にある、そして一方から他方の中へときどき入り、自分自身を仲間と呼ぶ。しかし、行為での信仰について何らかの宗教的なもの(信念)が彼らにあった、しかし、マキアヴェリの追随者のもとに何らかのものはなかった、という相違があるので去る。
[6] その後、私は、彼らが社会から追い出され、投げ込まれるために集められたのを見た。私は七つの帆とともに空中を飛ぶ船を、またその中に船長たちと船員たちを、紫色の衣服を着て、帽子の上にりっぱな月桂樹を装備して、叫んでいるのを見た、「見よ、私たちは天界の中にいる。私たちは紫の衣を着ており、すべての者よりも〔すぐれた〕月桂冠をかぶった教師である、私たちはヨーロッパの中のすべての聖職者からの賢明な者の長であるからである」。
私は、これは何か、と怪しんだ――また私に、幻想と呼ばれる、高慢の映像、そして想像上の思考であったことが言われ、それは前に海ガメとして見られ、また今や、社会から追い出された狂人として、そして一つに集められ、そして一つの場所の中に一緒に立っていた。
またその時、私は彼らと話すことを望んだ。私は、立っている場所に近づき、彼らに挨拶し、言った、「あなたがたは人間の内なるものをその外なるものから分離した者です、そして聖霊の活動を信仰の中に〔あるもの〕のように〔分離し〕、人間とともに一緒に働くことから、信仰の外に、またこのように神を人間から分離しました。
あなたがたは、聖職者からの他の多くの教師のように、このように仁愛とその働きそのものを信仰から遠ざけるだけでなく、しかし、信仰そのものもまた人間による神の前のその現われ関して〔遠ざけた〕のではありませんか?
しかし、それらの事柄について私が、理性から、あるいは聖書からあなたがたに話すことを、あなたがたが欲するかどうか質問します」。
彼らは、「最初に、理性から話すこと〔を欲する〕」と言った。
[7] また私は〔次のことを〕言って、話した、「どのように人間のもとの内なるものと外なるものは分離されることができますか?
だれが普通の知覚から、人間のすべての内的なものは外的なものの中に、またそれでもその最外部の中にその結果を引き起こし、またその働きを生み出すように進み、広がることを見ませんか、または見ることができませんか?
外なるもののために内なるものはあり、その外なるものの中で定まり、またその中で休み、このように存在しますが、それは柱がその柱礎(土台床)の上にあるのとほとんど異ならないのではありませんか?
あなたがたは、連続がなかったなら、またこのように結合が、最外部のものは分解されること、そして空中の泡のように消滅するにを見ることができます。
そのように、人間のもとの神の内的な活動は無数であること、それらについて人間は何も知らないことを、だれが否定することができるますか。またそれらを知ることを助けるものが何かありますか? 最外部のものを知るだけであり、それらの中に自分の思考と意志ともに、神とともに、同時に存在します。
[8] しかし、このことは例によって説明されます。人間は自分の話す活動の内的なものを知っていますか。例えば、どのように肺は空気を引き寄せ、またそれで小囊(のう)、気管支、葉(よう)を満たすのか。どのようにその空気を気管の中に送り出し、またそれらをそこの音の中に変えるのか。どのようにその音を声門の中で咽頭の働きで加減するのか、またどのように舌はその後、それを音節に区切るのか、また唇は話すようになるために(音の)区切りをそろえるのか〔です〕。
人間が話すことができるための最外部のためのものであるそれらすべての内的な活動について人間は何も知らないのではありませんか?
それら内なるものから、最外部のものとのその連続から、ある(一つの)ものを取り去るか、または分離してみなさい、人間は丸太よりもさらに話すことができますか?
[9] さらに例をあげましょう。
二つの手は人間の最外部のものです。
それから続く内的なものは、頭から首を通り、なおまた胸を、肩甲骨、腕また前腕を通っていませんか。無数の筋肉の構造物が、無数の組織集団の運動繊維、無数の神経と血管の束、そして多くの骨の関節がその靭帯や膜とともに存在しませんか。人間はそれらについて何らかのものを知っていますか? またそれでも彼の手はそれらのすべてのものから働きます。
左の手の手首の周りのそれらの内的なものが、それ自体を曲げ、入らない、と想像してみてください。前腕から切り離され、そして引き離された手は、何らかの生命のないもののように腐りませんか? それどころか、あなたが信じることを欲するなら、人間が首を折られるなら、その身体のようになります