(3) 訳文
316 「またオリーブ油とぶどう酒をあなたがたは害わないように」は、みことばの中の内部に隠れている善と真理の聖なるものが、傷つけられ、冒涜されないように、主により配慮されることを意味する――
「オリーブ油」によって愛の善が、また「ぶどう酒」によってその善からの真理が意味される。そのように「オリーブ油」によって聖なる善が、また「ぶどう酒」によって聖なる真理が意味される。害され、冒涜されないように、主により配慮されることが、「害わないように」によって意味されるのは、「四つの動物の真ん中から」、そのように主から聞かれたからである(314番)。主から言われたこともまたその方により配慮された。配慮されたことは、前に見られる(314, 255番)。
「オリーブ油」が愛の善を意味することは、後で見られる(778, 779番)。けれども、「ぶどう酒」がその善からの真理を意味することは、続く箇所から明らかである――
「すべての渇いてる者は水へ来い、また銀がない者は来い、買えまた食べよ、銀なしにぶどう酒と乳を買え」(イザヤ55:1)。
「その日に生じる、山々は新しいブドウ酒を滴らせ、丘々は乳が流れる」(ヨエル3:18、アモス9:13, 14)。
「カルメルから楽しさが取り去られ、ぶどう畑の中で歌われない、ぶどう酒は酒ぶねの中で踏まれない、わたしは叫びをやめさせる」(イザヤ16:10、エレミヤ48:32, 33)。
「カルメル」によって霊的な教会が意味される、そこにブドウ畑があったからである。
[2] 「嘆き叫べ、ぶどう酒を飲んでいるすべての者よ。新しいぶどう酒のために、それはあなたがたの口から切り離され、ぶどう栽培人は嘆き悲しむ」(ヨエル1:5, 10, 11)、(ほとんど同様のものが、ホセア9:2, 3、ゼパニヤ1:13、哀歌2:11, 12、ミカ6:15、アモス5:11、イザヤ24:6, 7, 9, 11)。
「〔その方は〕ぶどう酒の中でご自分の衣服を、またぶどうの血の中でご自分をおおいを洗う。ぶどう酒から目で赤い」(創世記49:11, 12)。
これらは主について〔である〕。そして「ぶどう酒」は神的真理を意味する。
ここから、主により制定された「聖餐」が、その中でパンが神的善に関する主を、またぶどう酒が神的真理に関する主を、またパンを受け取る者のもとで主からの聖なる善を、ぶどう酒を受け取る者のもとで真理を意味する。それゆえ、言われた、
「わたしはあなたがたに与える、それを、その時、このぶどうから造られたものから私の父の王国の中で日まで、今から飲むことはない、わたしは(新しいもの)をあなたがたと飲む」(マタイ26:29、ルカ22:18)。
「パンとぶどう酒」がそれらの意味したので、それゆえ、さらにまた、アブラムに会うために出て来ているメルキゼテクは「パンとぶどう酒を持ち出した。このいと高き神の祭司は、アブラムを祝福した」(創世記14:18, 19)。
[3] いけにえの中の穀物のささげ物(ミンハー)と注ぎのささげ物は同様のものを意味した(それらについて、出エジプト記29:40、レビ記23:12, 13, 18, 19、民数記15:2-15、28:6, 7, 18終わりまで、29:1-7以降)。
穀物のささげ物は小麦と同様のものであり、ここからパンの代わりであった、注ぎのささげ物はぶどう酒からであったからであった。
これらから、主のこれらのことばによって何が意味されるか明らかにすることができる、
「新しいぶどう酒を古い皮袋に送ってはならない、しかし、新しいぶどう酒を新しい皮袋の中に送れ、両方のものが存在を保たれる」(マタイ9:17、ルカ5:37)。
「新しいぶどう酒」は新約聖書の、そのように新しい教会の神的真理である、また「古いぶどう酒」は旧い契約の、そのように旧い教会の神的真理である。
同様のものがガリラヤのカナでの結婚式の中の主☆のこれらのことばによって意味される、――
「すべての人間は最初によいぶどう酒を、また十分に持った時、価値のないものを出す。あなたは、よいぶどう酒をこれまで保持した」(ヨハネ2:1-10)。
[4] さらにまた同様のものが、盗賊により傷つけられた者について主のたとえの中の「ぶどう酒」によって意味される、サマリヤ人が「オリーブ油とぶどう酒をその傷の中に注いだ」ことである(ルカ10:33, 34)。なぜなら、「盗賊により傷つけられた者」によって、ユダヤ人により悪と虚偽によって霊的に傷つけられた者が意味され、その者にサマリヤ人は、できるだけ、癒やして、助けを与えたからである。
「新しいぶどう酒」と「ぶどう酒」によって、聖なる真理が、さらにまたみことばの中の他の箇所で意味されている(例えば、イザヤ1:21, 22、15:6、36:17、ホセア7:4, 5, 14、14:6-8、アモス2:8、ゼカリヤ9:15, 17、詩篇104:145, 15)。
ここから、みことばの中の「ぶどう畑」によって主からの真理の中にある教会が意味される。
[5] 「ぶどう酒」が聖なる真理を意味することは、その正反対の意味からもまた明らかにすることができる、その中で真理の虚偽化と冒涜を意味する。例えばこれらの箇所の中に――
「淫行、ぶどう酒と新しいぶどう酒が、心を占める。彼らの真理はやみ、淫行するに淫行した」(ホセア4:11, 17, 18)。
「淫行」は、同様にここに「ぶどう酒と新しいぶどう酒」は、真理の虚偽化を意味する。
「エホバの手の中に、ぶどう酒を混ぜた、混ぜたもので満たした杯があり、注いだ。地の不信心なすべての者は、そのかすを吸った、飲んだ」(詩篇75:8)。
「バビロンは全地を酔わせるエホバの手の中の金の杯。そのぶどう酒から国民は飲んだ、それゆえ、狂った」(エレミヤ51:7)。
「バビロンは倒れた、自分の淫行の怒りのぶどう酒からすべての国民に飲ませたからである。もしだれかが獣を崇拝するなら、神の怒りの杯の中の混ぜ物なしの〔ブドウ酒が〕混ぜられた神の怒りのぶどう酒から飲む」(黙示録14:8-10)。
「バビロンは自分の淫行のぶどう酒から、すべての国民に飲ませた」(黙示録18:3)。
「大バビロンは神の前に覚えられた、彼に神の怒りの荒れ狂うぶどう酒の杯を与えるために」(黙示録16:19)。
「彼の淫行のぶどう酒から地の住民は酔った」(黙示録17:1, 2)。
[6] バビロンの王ベルシャツァル、高官と妻、そのめかけが一緒に、エルサレムの神殿の器から飲んだぶどう酒によって、「金、銀、青銅、鉄、木と石の神を崇拝した」(ダニエル5:2-7)。〔このことによって〕冒涜されたみことばの聖なる真理と教会以外の他のものも意味されない。それゆえ、その時、壁の中に書かれ、その夜、王は殺された(25, 30節)。
「ぶどう酒」によって真理の虚偽化が意味される(さらにまたイザヤ5:11, 12, 21, 22、28:1, 3, 7、29:9、56:11, 12、エレミヤ13:12, 13、23:9, 10)。
同様のものが偶像に〔ささげ物として〕注いだ「注ぎのささげ物」によって意味される(イザヤ65:11、57:6、エレミヤ7:18、44:17-19、エゼキエル20:28、申命記31:38)。
「ぶどう酒」が聖なる真理を意味することは、また正反対の意味の中で真理の冒涜を、対応からである。というのは、すべてのものを霊的に知覚する天使は、みことばの中の真理が人間により読まれるとき、〔他の〕何らかのものを理解しないから。このような対応が、人間の自然的な思考と天使の霊的な思考の間にある。ここから、聖餐が天界への導入を行なう(224番終わり)。
☆ 聖書原文では「主」では「宴会の世話役」です。