原典講読『啓示された黙示録』 第4章、個々の節の内容(訳文)

(3) 訳文

 1. 「私は王座の上に座っている方の右手の中に、内側にまた背に書かれた巻き物を見た」は、永遠からのご自分の神性そのものに関する主を、その方に全地と全能〔があり〕、またその方はみことばである主を意味する(256番)。「七つの封印で封じられた」は、それが天使と人間にまったく隠されている、を意味する(257番)。

 2. 「また、私は大きな声で宣告する力強い天使を見た」は、天使と人間のもとに深く流入している主からの神的真理を意味する(258番)。「巻き物を開け、その封印を解くことにふさわしい者はだれか」は、天界の中と地上のすべての者のいのちの状態を知り、また自分のもの〔状態〕にしたがって、それぞれの者を審判する力の中にだれがいるか、を意味する(259番)。

 3. 「また、天にも、地にも、地の下にも、だれもできなかった」は、高い天界の中で、また低い天界の中でだれもできないことを意味する(260番)。「巻き物を開けること」は、すべての者のいのちの状態を知ること、また自分のもの〔状態〕にしたがってそれぞれの者を審判すること意味する(261番)。「それを眺めることもない」は、少しもないを意味する(262番)。

 4. 「また、私は大いに泣いていた、巻き物を開け、それを眺めることに、だれもふさわしくないことが見つかったことを」は、もしだれかができないなら、すべての者が滅びることの心の悲しみを意味する(268番)。

 5. 「また、長老からのひとりが私に言った、泣かないように」は、慰めを意味する(264番)。「見よ、ユダの部族からの獅子が、ダビデの根が勝った」は、主を、また世にいたときプロプリウム(自己固有のもの)の力から、自分の人間性の中の神的善と神的真理によって地獄を征服し、すべてのものを秩序の中にしたことを意味する(265,  266番)。

「巻き物を開くこと、またその七つの封印を解くこと〔ができる〕」は、ここに前のようなものを意味する(267番)。

 6. 「また、私は見た、また、見よ、王座の真ん中の中に、また〔そこに〕四つの動物〔がいる〕、また長老の真ん中の中に」は、最内部から、またここから、天界、みことば、教会のすべてのものの中に、を意味する(268番)。

「ほふられたかのように立っている小羊」は、教会の中で神性として認められない人間性に関する主を意味する(269番)。「七つの角を持っている」は、その方の全能を意味する(270番)。「また七つの目を」は、その方の全知と神的知恵を意味する(271番)。「それは全地の中に遣わされた神の七つの霊である」は、それ〔その方の全知と神的知恵〕から全地球の中の神的真理が、そこに宗教があることを意味する(272番)。

 7. 「また〔小羊は〕王座の上に座っている方の右手から巻き物を受け取った」は、主はご自分の神的人間性に関してみことばであること、またこれはその方の中のご自分の神性からであること、それゆえ、ご自分の神的人間性から審判を行なうことを意味する(273番)。

 8. 「また巻き物を受け取ったとき」は、主が審判を行なうことを始めた時を、またそのことによって天界の中と地の上のすべての者を秩序の中にすることを意味する(274番)。「四つの動物と二十四の長老は小羊の前に、平伏した」は、卑下を、また高い天界からの主の崇拝を意味する(275番)。「それぞれの者が立琴を持って」は、霊的な真理からの主の神的人間性の告白を意味する(276番)。「また香がいっぱいはいった金の鉢を」は、霊的な善から主の神的人間性の告白を意味する(277番)。「それら〔香〕は聖徒の祈りである」は、霊的な善と真理から主を礼拝する者のもとの、仁愛に属すものである情愛からの信仰に属すものである思考を意味する。

 9. 「また、彼らは新しい歌を歌った」は、主を認めることと賛美すること、〔その方〕おひとりが審判者、あがない主と救い主、そのように天地の神であることを意味する(279番)。「言って、あなたは巻き物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい」は、ここに、前のようなものを意味する(280番)。「あなたはほふられ、またあなたの血の中で、私たちの神をあながったからである」は、地獄からの解放を、またその方との結合による救いを意味する(281番)。「すべての部族と言語、また民と国民から」は、主により、教会の中にまたは何らかの宗教の中にいて、教えに関して真理の中に、また生活に関して善の中にいる者が、あがなわれたことを意味する(282番)

 10. 「また、あなたは私たちを私たちの神に向けて王と祭司とされた」は、彼らは主から神的真理からの知恵の中に、また神的善からの愛の中にいることを意味する(283番)。「また私たちは地の上を治める」は、また〔彼らは〕その方の王国の中に、その方は彼らの中に、また彼らはその方の中にいる〔ことになる〕を意味する(284, 285番)。

 11. 「また、私は見た。また私は王座と動物と長老のまわりの多くの天使の声を聞いた」は、低い天界の天使からの告白と賛美することを意味する(286番)。

「またその数は数万の数万、また数千の数千であった」は、真理の中のまた善の中のすべての者を意味する(287番)☆。

 12. 「〔彼らは〕大きな声で言っている、「ほふられた小羊は力と富と知恵を誉れと栄光を受け取るにふさわしい」は、神性に関する主に全能、全知、神的善と神的真理があることの心からの告白を意味する(288番)。

「また祝福を」は、それらすべてのものはその方の中に、またその方から彼らの中に〔ある〕、を意味する(289番)。

 13. 「また、私は、天の中に、また地の中に、また地の下にある、また海の中にある、またそれらすべてのものの中にある、すべての造られたものが、言っているのを聞いた」は、最も低い天界の天使による主の告白と賛美することを意味する(290番)。「王座の上に座る方と小羊に、祝福と誉れと栄光と力が永遠に〔あるように〕」は、永遠からの主の中にまたここからその方の神的人間性の中に天界と教会のすべてのもの、神的善と神的真理、また神的力があること、またその方から彼らの中にあることを意味する(291番)。

 14. 「また、四つの動物は言った、アーメン」は、みことばからの神的確信を意味する(292番)。「また二十四の長老は平伏し、永遠に生きる方を崇拝した」は、主の前の卑下を、また卑下から天界の中のすべての者からのその方の崇拝を意味する、それ方からまたその方の中に永遠のいのちが〔ある〕 (293番)。

 

☆この節は原著に脱落しており、287番からここにつけ加えでいます。

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