(3) 訳文
255.これらに私は次のメモラビリアを付け加える。
ある者が、みことばの霊的な意味の中に入り、そしてその意味である本物の真理を歪曲しないように、主により見張り番が置かれ、それがみことばの中のケルビムによって意味され、それはここの四つの動物である。この見張り番が置かれたことが、私にこのように表象された――
[2] 袋のように見え、その中に多量の銀貨が蓄えられている大きな財布を見ることが与えられた。また開いていたので、だれもが、そこに蓄えられていた銀貨を取り出すこと、というよりは奪うことができるように思えた。しかし、その財布の近くに、見張り番の二人の天使が座っていた。蓄えられていた場所は、馬小屋の飼い葉桶のように見えた。最も近くの部屋に慎み深い娘たちが貞潔な妻とともに見られた。またその部屋の近くに二人の幼児が立っていて、彼らは「子どもらしくではなく、賢く遊ばなくてはならない」と言われた。その後、娼婦が、さらに、死んで横たわっている馬が見られた。
[3] それらを見て、私は、それらによって、みことばの文字どおりの意味が表象されることを教えられた、その意味の中に霊的な意味がある。
銀貨で満ちた大きなその財布は、豊富な真理の認識を意味した。銀貨で満ちた大きなその財布は、豊富な真理の認識を意味した。開かれていたこと、またそれでも天使により守られていたことは、だれでもここから真理の認識を取り出すことができることを、しかし、その中に〝真理〟そのものがあるがある霊的な意味が虚偽化されないように、警戒されていることを意味した。
その中に財布が横たわっていた馬小屋の飼い葉桶は、理解力のための霊的な滋養物を意味した。このことを飼い葉桶が意味するのは、さらにまた、飼い葉桶の中に幼児の主が横たわったが、ここから食べる馬が、みことばの理解力を意味するからである。
[4] 最も近い部屋の中に見られた慎み深い娘たちは、真理の情愛を、また貞潔な妻は善と真理の結合を意味した。幼児たちは,みことばの中の知恵の無垢を意味した。第三の天界からの天使たちがいた、そのすべての者は幼児のように見える。
死んだ馬とともに娼婦は、今日の多くの者による、みことばの虚偽化を意味した、その虚偽化によってすべての真理の理解力は滅んだのである。娼婦は虚偽化を、そして死んだ馬は真理の理解力が何もないことを意味した。
[5] 私は死後の多くの者と話すことを与えられた。その者らは自分が天界の中で星のように輝くと信じた。なぜなら、彼らが言ったように、彼らは聖なるものをみことばに抱き、それをしばしば通読し、ここから多くのものを集めて、それらによって自分たちの教義を確信し、またそのことのために世の中で学識ある者のように称賛され、そのことから彼らは自分たちがミカエルやラファエルになると信じたからである。
しかし、彼らの多くの者が、みことばを学んだ愛がどこからなのか調べられた。そして、ある者は、世の中で教会の高位聖職者のように尊重されるという自己愛からであったこと、また、ある者は、富みを得るための世俗愛からであったことが見つけられた。これらの者が、みことばから何を知っているか調べられた時、ここから本物の真理は何も知らないこと、しかし、単に虚偽化された真理と呼ばれるものを、それは本質的に虚偽であるようなものを知っていることがわかった、またこれは霊界の中で天使の鼻の前で悪臭を放つ。また彼らに、これが彼らにあったのは、自分自身と世が、すなわち、同じことであるが、主と天界でなく、彼らの愛が目的であったことが、その理由である、と言われた。また自分自身と世が目的であるとき、その時、みことばを読んでいる中で、心は本質的に自分自身と世にしがみついており、またここから常に自分のプロプリウムから考え、天界のものであるすべてのものに関して暗黒の中にある。その状態の中で、人間はプロプリウムの光(ルーメン)から遠ざけられることはできず、またこのように天界の光(ルークス)の中に上げられることも、それゆえ、主からの何らかの流入を天界を通して受けることもできない。
[6] さらにまた私はこれらの者が天界の中に入れられたのを見た、またそこに見つけられたとき、真理がなかった、衣服が脱がされ、恥ずかしい状態で見られた。真理を虚偽化した者は、悪臭を発したので、追放された、しかしそれでも、彼らのもとに高慢が、そして〔自分が功績に〕値するという信仰が残った。
真理を真理であるから知ろうとする情愛から、また自分の生活の役立ちだけでなく、隣人の生活の役立ちにも仕えるので、みことばを学んだ者には異なる。
私は、彼らが天界に、またこのようにそこに神的な真理がある光の中に上げられ、また同時に、天使の知恵の中に高められ、永遠のいのちである幸福の中に入れられるのを見た。