原典講読『啓示された黙示録』 教えの事柄 (10)(直訳と訳文)

(2) 直訳(2主キリストについて、[2])

[2] Quod non ut nudus Homo tantum pro nobis passus sit, sed talis Homo, cujus Humana natura cum Filio Dei tam arctam ineffabilem unionem et communionem habet, ut cum Eo una facta sit Persona: [2] 裸の(ありのままの)人間としてそれだけ私たちのために苦しんだのではないこと、しかしこのような人間〔として〕、その人間性の性質は神の子とともに、これほどに固い(密な)言語に絶する結合と共有(交際)を持っている、彼〔神の子〕とともに位格が一つとなっているような。

quod vere Filius Dei pro nobis passus sit, sed usque secundum proprietates Humanae naturae: 真に神の子は私たちのために苦しんだこと、しかしそれでも人間性の性質の特性にしたがって。

quod Filius Hominis, per quem intelligitur Christus quoad Humanam naturam, ad dextram Dei realiter exaltatus sit, cum Ille in Deum assumtus fuit, quod factum est, ut primum in utero matris a Spiritu Sancto conceptus est: 人の子は、それによって人間性の性質に関するキリストが意味される、神の右手に実際に上げられたこと、彼が神の中へ受け入れられた(取り上げられた)とき、起こったこと、聖霊により母の子宮(胎)の中にみごもるとすぐに。

quod Christus illam Majestatem ratione unionis personalis semper habuerit, sed quod in statu exinanitionis, non nisi quantum Ei visum fuit, exercuerit; キリストはその威厳を人格的な(位格的な)結合の割合で(=比例して)常に持ったこと、しかし、空(から)にした状態の中で、彼に見られたかぎりでないなら、なし遂げなかったこと。

at quod formam servi post resurrectionem plene et prorsus deposuerit, et Humanam naturam seu essentiam in plenariam usurpationem Divinae Majestatis collocaverit; しかし、復活の後、しもべの形をすっかり完全に捨てた、また人間性の性質または本質を、神的威厳の全面的な享受の中に置いたこと。

et quod hoc modo in gloriam ingressus sit; またこの方法で栄光の中に入ったこと。

verbo, Christus verus Deus et Homo in una indivisa Persona est et permanet in aeternum; 一言でいえば、キリストは分割されない一つ位格の中の真の神と人間である、また永遠にとどまる。

ac verus, omnipotens, ac aeternus Deus, etiam quoad Humanum ad dextram Dei praesens gubernat omnia in Caelis et in terris, et quoque implet omnia, nobiscum est, in nobis habitat et operatur: そして、真の、全能の、そして永遠の神〔である〕、さらにまた人間性に関して神の右手に現在して天界の中と地の中のすべてのものを治めている、そしてまた、すべてのものを満たす、私たちとともにいる、私たち中に住む、また働く。

quod non sit adorationis differentia, quia per naturam quae cernitur adoratur Divinitas quae non cernitur: 崇拝に相違はないこと、性質を通して、それは認められる、神性が崇拝されるからである、それは認められない。

quod Divina Essentia proprias suas excellentias Humanae naturae communicet et impertiat; 神的本質はその固有の卓越(したもの)を人間性の性質に伝達している、また与えていること。

et quod Divinas suas operationes per corpus sicut per Organum perficiat; またその神的働き(活動)を身体によって、道具によってのようになし遂げたこと。

quod sic omnis plenitudo Divinitatis in Christo habitet corporaliter, secundum Paulum. このように、すべての神性の充満がキリストの中に(身体の)形をとって住んでいること、パウロにしたがって。

 

(3) 訳文

 [2] ありのままの人間としてそれだけ私たちのために苦しんだのではなく、しかしこのような人間〔として〕、その人間の性質が、神の子とともに位格が一つとなっているような、これほどに固い言語に絶する結合と共有を持っている神の子とともに〔苦しんだ〕。真に「神の子」は私たちのためにしかしそれでも人間性の性質の特性にしたがって苦しんだ。人間の性質に関するキリストが意味される「人の子」は、神の右手に実際に上げられたことが、聖霊により母の胎の中にみごもるとすぐに、彼が神の中へ受け入れられた(取り上げられた)とき、起こった。キリストはその威厳を位格的な結合に比例して常に持った、しかし、彼に見られたかぎり、空(から)にした状態の中でないなら、そうではなかった。しかし、復活の後、しもべの形を、また人間の性質または本質をすっかり完全に捨てた、神的威厳の全面的な享受の中に置いた。またこのようにして栄光の中に入った。一言でいえば、キリストは分割されない一つ位格の中で真の神と人間であり、永遠にとどまる。そして、真の、全能の、そして永遠の神〔である〕、さらにまた人間性に関して神の右手に現在して天界の中と地上のすべてのものを治めている、そしてまた、すべてのものを満たし、私たちとともに存在し、私たち中に住み、働く。〔神とキリストへの〕崇拝に相違はない、認められる性質を通して、認められない神性が崇拝されるからである。神的本質はその特有の卓越したものを人間の性質に伝達し、与えている。またその神的な活動を、道具によるかのように身体によってなし遂げた。このように、パウロにしたがって、すべての神性が充満してキリストの中に(身体の)形をとって住んでいる。

 

◎ 14日~16日に旅行します。それで14日、15日の「原典講読」は休みます,再開するのは16日でしょう。

コメントを残す