原典講読『真のキリスト教』661(直訳[13]) 

 [13.] Postquam haec tristia et atrocia mihi visa sunt, circumspexi, et vidi duos angelos non procul a me stantes et colloquentes; [13] これらのしいものと残虐なものがられた、私見回したまた二人天使、私からくない、立ってまた話して。
unus amictus erat toga lanea fulgente ex flammea purpura, et tunica ex splendente bysso sub illa; 一衣服(えるような)色からの輝く羊毛のトーガであった、またその下に下着(シャツ)はみごとな(目もくらむような)麻布から。

alter similibus ex coccino cum cidari, cui aliqui pyropi a dextro latere inserti erant. もう一人類似してかぶり(冠・ターバン)ともに緋色からの、それに右側からいつくかのルビーが、差し込まれていた。

Ad hos accessi, et ex pace salutavi; これらの者に私は近づいた、また平和からの挨拶をした。
et reverenter quaesivi, "Cur vos hic infra estis?" またうやうやしく質問した、「なぜ、あなたがあはここに下方にいるのか?」
Et respondebant, "Demisimus nos huc e caelo ex mandato Domini ad loquendum tecum de beata sorte illorum, qui volunt dominari ex amore usuum. また、彼らは答えた、私たちは主の命令から天界からここに降ろされた、彼らの祝福された運命についてあなたと(tecum)話すために、その者は役立ちへの愛から支配されることを欲する。
Nos sumus cultores Domini; 私たちは主の礼拝者たちである。
ego princeps societatis, alter summus sacerdos ibi." 〔私たちは〕私は社会の君主、もう一人はそこに聖職者である」。
Et dixit princeps quod esset servus suae societatis, quia inserviret illi faciendo usus; また君主は言った、自分の社会のしもべであること、役立ちを行なってそれに仕えているからである。
et alter dixit, quod esset minister ecclesiae ibi, quia inserviendo illis ministraret sancta ad usus animarum illorum; またもう一人は言った、そこに教会の仕える者(聖職者)であること、彼らの霊魂の役立ちのために聖なるものに彼らに仕えて仕える(執行する)からである。
et quod ambo in perpetuis gaudiis sint ex felicitate aeterna, quae a Domino in illis est; また両方の者は永遠の幸福からの絶え間のない楽しさのなかにいること、主からそれらの中にいるので。
et quod omnia in societate illa sint splendida et magnifica, splendida ex auro et lapidibus pretiosis, et magnifica ex palatiis et paradisis; またその社会の中のすべてのものはりっぱ(みごと)で、荘厳である、金と宝石からりっぱ(みごと)である、宮殿と庭園から荘厳である。
"causa est, quia amor noster dominandi non est ex amore sui, sed ex amore usuum, et quia amor usuum est a Domino, ideo omnes usus boni in caelis splendent et fulgent; 「理由がある、私たちの支配する愛は自己愛からではないからである、しかし、役立ちへの愛から、また役立ちへの愛は主からである、それゆえ、すべての善の役立ちは天界の中で光り、輝く。
et quia omnes in nostra societate in hoc amore sumus, ideo atmosphaera ibi apparet aurea, ex luce ibi quae trahit ex flammeo Solis, ac flammeo Solis correspondet isti amori." また、私たちの社会の中のすべての者はこの愛の中にいるので、それゆえ、そこの大気は金()に見える☆、そこに光は、それは太陽の炎から得る、そして太陽の炎はその愛に対応する。
雑談参照。
 ◎雑談:私はかつて山岳部の顧問でした、あるとき、北アルプス槍ヶ岳にのぼりました。途中で、なんらかのきっかけで「シャボン玉を吹く液」をもらいました。「じゃ、頂上についたらシャボン玉を飛ばしてみよう、気持ちいいだろう」と思った。
 着いて、飛ばしてみた、無風だったのでまっすぐ上へを大きな玉となって飛んでいった。すると、そのシャボン玉の色が「みごとな金色であった!」
 その後、ずっと後にハワイ・ダイヤモンドヘッドの山頂でもシャボン玉を(わざわざ日本で用意して、それというのも、この槍ヶ岳の経験があったから)飛ばした、ちょうど4年前のことである。
 残念ながら、シャボン玉は小さく、横に流れ、色も「虹色」であった。
 でも、虹色はハワイにふさわしい。その一年前に女房と娘がハワイに行った、そのとき、スコールがあるたび、虹がしょっちゅう見えたとのことである。それで、それを聞いた私に一句浮かんだ。
 「あこがれのハワイは虹の島だった」(「あこがれのハワイ航路」の歌を思い浮かべてもらえるとありがたい)。
 蛇足ながら、天界に一番近いとされる島がハワイである(別の言い方なら、この世の天界がハワイ)、なので、そこに「虹」が出現するのは「対応」からも当然かもしれない。

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