みなさんは、「老」というものについてどのように感じておられるのか? 老人呼ばわり、老人あつかいされて気分を悪くする人がいる。
私はずっと若い時分から「老」に悪いイメージは少しも持っていなかった。そして、日本古来にも「老」を尊ぶ風潮があった。若者は未熟とされた。わざと老け込むこともしていた。頭をそって髷を結った(月代)。これなどは老人になると頭が薄くなったり、はげたりすることの先取りであろう。老人志向である。
老成、そして家老や老中といった役職名、はたまた老酒(らおちゅう)、これらの言葉には「老」のよさが認められる。私自身「おじいちゃん」と呼ばれることはうれしいかぎりである(まだみなさん、そのように呼んでくれない。頭は白くなってきたが、まだまだ私に貫禄がないから)。
おじいちゃんの中に人間の完成品がある、とずっと思ってきた。
ここで自然界の中に、その例証に気づいた。今を盛りの桜の花、美しい。私の机の前の窓からも咲いている桜が見下ろせる。住んでいるマンションの8階から、ほんの少し離れたところに「東大和南公園」がある。そこの公園に桜があり、特に二本の大木はみごとである。
大木とは老木である。「桜は老木に限る」
なぜかといえば、幹などぼろぼろではあっても、枝が太くてゴツゴツしており、その曲がり方が独特の味わいを見せる。若木もなるほど花を咲かせる。しかし、長い風雪を耐えて、毎年花を咲かせる老木の味わいはない。どこの桜であっても鑑賞に堪えるのは老木である。ここに老成というものの典型を見出した。
できれば、私も桜の老木のような風格を持ちたい。