[2.] Quaesiverunt iterum, "Quia ille repraesentavit Dominum, et illa Ecclesiam, cur illa ad dextram ejus sedit?" [2] 再び質問した、「彼が主を表象したので(=なのに)、また彼女が教会を、なぜ、彼女は彼の右側に座ったのか?」
Respondit sapiens, "Quia duo sunt quae faciunt conjugium Domini et Ecclesiae, amor et sapientia, ac Dominus est Amor, et Ecclesia est Sapientia, et sapientia ad dextram amoris est, sapit enim homo ecclesiae sicut a se, et sicut sapit, recipit amorem a Domino; 賢明な者が答えた。「二つのものであるからである、それらは主と教会の結婚をつくる、愛と知恵、そして主は愛である、また教会は知恵である、また知恵は愛の右側にある、というのは、教会の人間は自分自身からのように賢明である、また賢明であるほど(~に応じて)、主からの愛を受け入れる。
dextra etiam significat potentiam, et potentia amori est per sapientiam: 右側は力(能力)もまた意味する、また愛の力は知恵からである。
sed ut dictum est, post nuptias mutatur repraesentatio, nam tunc maritus repraesentat sapientiam, et uxor sapientiae ejus amorem, verum hic amor non est amor prior, sed est amor secundarius, qui est a Domino uxori per sapientiam mariti; しかし、言われたように、結婚後、表象は変えられる、なぜなら、その時、夫は知恵を表象するから、また妻はその知恵の愛を、けれども、この愛は前の愛ではない、しかし、第二の愛である、それは主から夫の知恵を通して妻にある。
amor Domini, qui est amor prior, est amor sapiendi apud maritum; 主への愛は、それは前の愛である、夫のもとの賢明になる愛である。
quare post nuptias ambo simul, maritus et ejus uxor, repraesentant ecclesiam. それゆえ、結婚後、両方のものは、一緒に、夫とその妻は、教会を表象する。
[3.] Quaesiverunt denuo, "Cur non vos viri stetistis ad latus sponsi nunc mariti, sicut sex virgines steterunt ad latus sponsae nunc uxoris?" [3] 再び(もう一度)彼らは質問した、「なぜ、あなたがたは今や夫〔である〕花婿の脇に立たなかったのか、今や妻〔である〕花嫁の脇に六人の乙女(処女)が立ったように?」
Respondit sapiens, "Causa est, quia nos hodie numeramur inter virgines, ac numerus sex significat omnes et completum." 賢明な者が答えた、「理由がある、私たちは、今日、乙女(処女)の間に数えられているからである、そして数、六はすべてと完成されたもの(完備)を意味する」。
At dixerunt, "Quid hoc?" しかし、言った、「このことは何か?」
Respondit, "‘Virgines’ significant ecclesiam, et ecclesia est ex utroque sexu; 答えた、「『乙女』は教会を意味する、また教会は両方の性からである。
quare etiam nos quoad ecclesiam sumus virgines; それゆえ、私たちもまた教会に関して乙女(処女)である。
quod ita sit, constat ex his in Apocalypsi, そのようであることは「黙示録」の中のこれらから明らかである、
"Hi sunt, qui cum mulieribus non inquinati sunt, virgines enim sunt, et sequuntur Agnum quocunque vadit" (xiv. 4): 「これらの者は、その者は女に汚されていない、というのは乙女(処女☆)であるから、また、小羊に従う、行くどこへでも」(14:4)
☆ ここはギリシア原文で(欽定訳聖書などにも)「処女」と書いてあります。新改訳聖書のように(他の邦訳聖書もそうです)「童貞」と意訳してはなりません!
et quia "virgines" significant ecclesiam, ideo Dominus assimilavit illam また「乙女」は教会を意味するので、それゆえ、主は彼女をたとえた
"Decem virginibus invitatis ad nuptias" (Matth. [1]xxv. 1 seq.): 「結婚式へ招かれた☆十人の乙女」(マタイ25:1以降)――
☆ ギリシア原文は「招かれた」ではなく「花婿に会いに出た」です。
et quia per Israelem, Zionem et Hierosolymam, significatur ecclesia, ideo toties in Verbo dicitur "Virgo et filia Israelis, Zionis et Hierosolymae:" また、イスラエル、シオン、またエルサレムによって教会が意味されるので、それゆえ、これほど何度もみことばので「イスラエルの乙女と娘、シオンの、またエルサレムの」と言われている。
Dominus etiam describit conjugium suum cum Ecclesia his verbis apud Davidem, 主もまた教会とのご自分の結合を述べている(描いている)、「ダビデ」のもとのこれらのことばで、
"Regina ad dextram tuam in auro [2]optimo Ophiris, ….de implexis auri vestis ejus, in acupictis adducetur Regi, virgines post illam amicae ejus ….venient in palatium Regis"" (Psalm. xlv. 10-16 [B. A. 9-15]). 「女王はあなたの右に、オフィルの最良の金の中に……その衣に金の織り合わせから、刺繍された衣服の中に王に連れて来られる、彼女の後ろにその女友だちの乙女(処女)たち……王の宮殿の中にやって来る」(詩篇45:9-15)。
[4.] Postea dixerunt, "Numne conveniens est, ut aliquis sacerdos adsit et ministret in his?" [4] その後、彼らは言った、「適切ではないのか、だれか聖職者がいること、またこれらの中で仕える?」
Respondit sapiens, "Hoc in terris est conveniens, non autem in caelis, propter repraesentationem Ipsius Domini et Ecclesiae; 賢明な者が答えた、「このことは地の中で適切である、けれども天界の中で〔適切で〕ない、主ご自身と教会の表象のゆえに。
hoc in terris non sciunt; このことを地の中で知らない。
at usque apud nos administrat sacerdos desponsationes, et consensum audit, recipit, confirmat et consecrat: しかし、それでも私たちのもとで、聖職者が婚約式を執り行う、また同意(承諾)聞く、受け入れる、確立させる(確認する)、また神聖にする(聖化する)。
consensus est essentiale conjugii, et reliqua, quae sequuntur, sunt ejus formalia." 結婚の本質的なものは同意(承諾)である、また、残りの(他の)ものは、それらは続く、その形式的なものである」。
@1 xxv. pro “xxiv.” 注1 「xxiv.」の代わりにxxv.
@2 optimo pro “opimo:”-vide Ap. Exp., n. 863b; tum Ind. Bible., s. v. Aurum. 注2 「opimo(豊富な、ぜいたくな)」の代わりにoptimo――『黙示録講解』863bを見よ。なおまた『聖書の索引』Aurumの語を参照☆。
☆s.v.とはsub verbo。直訳は「~の語の下に」。『聖書の索引』は(おそらく個人用に)スヴェーデンボリが作成しました。〔個人的感想:これが日本で翻訳出版されることはおそらくないでしょう、あまりにも研究家向けのものであり、また訳するなら、ほかのものがあるからです〕
(3) 訳文
748. その後、案内者の天使は招待されている者と、自分の十人の仲間について話した、命令から彼らを導き入れたこと、また彼らに君主の宮殿の荘厳なものを示し、そこに驚くべきもの、また彼らとともに食卓でごちそうを食べたこと、その後、「私たちの知恵のある者と」話したこと〔である〕。そして、「彼らにもまたあなたがたと何らかの会話をともにすることを許すように」求めた。
また近づき、談話した。
また結婚式の男たちからのある賢明な者が言った、「あなたがたが見たそれらが何を意味するか、あなたがたは理解しているのか?」
彼らは、わずかなもの〔である〕ことを言った。またその時、彼に、今や夫である花婿が、なぜ、そのような衣装であったか質問した。
答えた、今や夫である花婿が主を表象すること、そして、今や妻である花嫁が教会を表象すること、天界の中の結婚式は教会との主の結婚を表象するからである。「ここから、彼の頭の上にかぶり物(頭飾り)があり、彼は外衣、下着(シャツ)、アロンのようなエポデを着ていた。また、今や妻である花嫁の頭の上に、冠があり、彼女は女王のようにマントを着ていた。しかし、明日に衣装は異なっている、この表象は今日だけ続くからである」。
[2] 再び質問した、「彼が主を、また彼女が教会を表象したのに、なぜ、彼女は彼の右側に座ったのか?」
賢明な者が答えた。「主と教会の結婚をつくる二つのもの、愛と知恵であるからである、そして主は愛であり、また教会は知恵であり、また知恵は愛の右側にある、というのは、教会の人間は自分自身からのように賢明であり、また賢明であるほど、主からの愛を受け入れる。右側は力もまた意味し、愛の力は知恵からである。しかし、言われたように、結婚後、表象は変えられる、なぜなら、その時、夫は知恵を、また妻はその知恵の愛を表象するから、けれども、この愛は前の愛ではない、しかし、第二の愛である、それは主から夫の知恵を通して妻にある。前の愛である主への愛は、夫のもとの賢明になる愛である。それゆえ、結婚後、両方のものは、一緒に、夫とその妻は教会を表象する。
[3] 再び彼らは質問した、「なぜ、あなたがたは今や夫〔である〕花婿の脇に、今や妻〔である〕花嫁の脇に六人の乙女(処女)が立ったように、立たなかったのか?」
賢明な者が答えた、「理由がある、私たちは、今日、乙女(処女)の間に数えられている、そして数、六はすべてと完成されたもの(完備)を意味するからである」。
しかし、言った、「このことは何か?」
答えた、「『乙女』は教会を意味し、教会は両性からである。それゆえ、私たちもまた教会に関して処女である。そのようであることは「黙示録」の中のこれらから明らかである、
「これらの者は、女に汚されていない、というのは処女☆1であるから、また、行くどこへでも小羊に従う」(14:4)
また「乙女」は教会を意味するので、それゆえ、主は彼女を「結婚式へ招かれた☆2十人の乙女」にたとえられた(マタイ25:1以降)――また、イスラエル、シオン、またエルサレムによって教会が意味されるので、それゆえ、これほど何度もみことばので「イスラエル、シオン、エルサレムの乙女と娘」と言われている。
主もまた教会とのご自分の結合を、「ダビデ」のもとのこれらのことばで述べている(描いている)、
「女王は、オフィルの最良の金であなたの右に……その衣に金の織り合わせから、刺繍された衣服で王のもとに、彼女の後ろにその女友だちの乙女(処女)たちが連れて来られ……王の宮殿にやって来る」(詩篇45:9-15)。
[4] その後、彼らは言った、「だれか聖職者がいて、これらの中で仕えるのが適切ではないのか?」
賢明な者が答えた、「このことは地上で適切である、けれども天界では主ご自身と教会が表象されるので〔適切では〕ない。このことを地上では知らない。しかしそれでも、私たちのもとで、聖職者が婚約式を執り行い、同意を聞き、受け入れ、確認し、神聖にする――結婚の本質的なものは同意であり、続く残りのものは、その形式的なものである」。
☆1 ここはギリシア原文で(欽定訳聖書などにも)「処女」と書いてあり、「童貞」などと意訳してはなりません!
☆2 ギリシア原文は「招かれた」ではなく「花婿に会いに出た」です。