原典講読『真のキリスト教』745(直訳[2]~[5]と訳文)

[2.] (2.) Praeterea unoquovis mane e domibus circum fora audiuntur suavissimi cantus virginum et puellarum, ex quibus tota urbs personat; [2] (2) さらに、それぞれの朝、広場のまわりの家から、処女と少女の最も心地よい(甘い)歌が聞こえる、それらから都全体が響き渡る(満ちる)
est una affectio amoris spiritualis, quae quovis mane cantatur, hoc est, per modificationes vocis canorae seu modulationes sonatur, et affectio illa in cantu percipitur sicut ipsa foret; 一つの霊的な愛の情愛がある、それがそれぞれの朝、歌われる、すなわち、歌の声の変更(加減)によって、または調子(変化)、響かれる、(鳴らされる)、また歌の中のその情愛が〔情愛〕それ自体のように知覚される、〔その情愛が〕あった。
influit in audientium animas, et excitat illas ad correspondentiam; 聞いている者の心の中に流入する、またそれをかきたてる(刺激する)対応(物)へ
talis est cantus caelestis. このようなものが天界の歌うことである。
Dicunt cantrices, quod sonus cantus illarum se sicut inspiret et animet ex interiori, et jucunde exaltet, secundum receptionem ab audientibus. 女性歌手たちが言う、彼女たちの歌の音が内的なものからそれ自体のように吹き込む、また生命を与える、また快活に(愉快に)高まる、聞く者による受け入れにしたがって。
Hoc finito, clauduntur fenestrae domuum fori, et simul domuum platearum, et quoque januae, et tunc silet tota urbs, nec ullibi auditur clamor, nec apparent vagabundi; これで終わって、広場の家の窓が閉ざされる、また一緒に街路の家〔の窓〕、そしてまた門(扉)、またその時、都全体が黙る、どこにも叫び(大声)が聞かれない、歩きまわる者も見られない。
omnes tunc accincti obeunt munia suorum officiorum. その時、すべての者が、用意して(熱中して)取りかかっている、自分の職務の役目を。
[3.] (3.) At tempore meridiei aperiuntur januae, et post meridiem etiam alicubi fenestrae, et spectantur ludi puerorum et puellarum in plateis, moderantibus illos alumnis et magistris illorum, sedentibus in porticibus domuum. [3] (3) しかし、正午の時、門(扉)が開かれる、また正午の後、どこかで窓もまた、少年と少女の遊びが眺められる、広場の中の、彼らを抑制して(=見守って)、彼らの保母と教師が、家のアーケード(回廊)の中に座って〔いる〕。
[4.] (4.) Ad latera urbis in ejus extremis, sunt varii ludi puerorum et adolescentum: [4] (4) 都の脇に、その最外部の中に、少年と若者のいろいろな遊びがある。
sunt ludi cursorii, sunt ludi cum pilis; 競走の遊び(かけっこ)がある、ボールとともに遊びがある。
sunt ludi cum pilaminibus repercussis, rachets vocatis; 〔ラケット用〕ボールを打ち返す遊びがある、ラケットと呼ばれる☆。
このラケットは遊び用具ではありません、遊びの名前です。スヴェーデンボリ当時に「ラケット遊び」という言い方があったのでしょう。英語のracketに由来する新しい言葉でしょうか?
sunt certamina palaestrica inter pueros, quis impigrior et quis pigrior loquendo, agendo et percipiendo; 少年たちの間に舞台でのコンテストがある、だれが活発で、だれが鈍重か、話し、行動し、また感じることで。
et pro impigrioribus aliqua folia laurus in praemium; また活発〔であったこと〕のために何らかの月桂樹の葉(月桂冠)が賞の中に。
praeter plura alia, quae sunt excitatoria habilitatum in pueris latentium. さらに多くの他のもの、それらは少年の中に隠れている潜在能力(可能性)刺激するものである。
[5.] (5.) Insuper extra urbem sunt spectacula comoedorum super theatris, repraesentantium varias vitae moralis honestates et virtutes, inter quos etiam sunt histriones propter relationes." [5] (5) なおまた、都の外に舞台(劇場)の上の喜劇の演劇がある、いろいろな道徳的な生活を表象する〔演劇〕、名誉や美徳を、それらの間にもまた関係のために俳優がいる。
Et quaesivit unus ex decem, "Quid propter relationes?" また十人からのある者が質問した、「関係のためにとは何か?」
Et responderunt, "Non potest aliqua virtus cum ejus honestis et decoris sisti ad vivum, nisi per relativa ab illorum maximis ad minima; また答えた、「何らかの美徳(美点)は、その名誉と美しさとともに生き生きと示されることができない、関係によってでないなら、それらの最大のものから最小のものへ。
histriones repraesentant minima illorum usque dum fiunt nulla; 俳優はそれらの最小のものを何もなくなるまでも表象する。
sed lege sancitum est, ne aliquid oppositi, quod vocatur inhonestum et indecorum, nisi figurate et sicut e longinquo exhibeant: しかし、法則(法律)で規定である、何らかの反対のものがないように、それは恥ずべきもの(不名誉なもの)と醜いもの(粗野なもの・不適当なもの)と呼ばれる、偽装して、また遠くからかのように(=婉曲に)示さないなら。
quod ita sancitum sit, est causa, quia non aliquod honestum et bonum alicujus virtutis per successivas progressiones transit ad inhonestum et malum, sed ad minima ejus usque dum perit, et cum perit inchoat oppositum; そのような規定があること、理由である、ある者の美徳(美点)の何らかの尊敬すべきもの(名誉なもの)善行が連続的な進行を通して恥ずべきもの(不名誉なもの)と悪行に移らないからである、しかしその最小のものへ、滅びる(失われる)までも、また滅びる(失われる)時、反対のものが始まる。
quare caelum, ubi omnia honesta et bona sunt, nihil commune habet cum inferno, ubi omnia inhonesta et mala sunt." それゆえ、天界は、そこにすべてのものは尊敬すべきもの(名誉なもの)善行である、地獄と共通するものを何も持たない、そこにすべてのものは恥ずべきもの(不名誉なもの)と悪行である」。
 
(3) 訳文
745. 彼らが戻ったとき、そのように行なわれた。都から呼ばれた者たちがやって来た、その者が社会のいろいろな楽しさについての話しで彼らを喜ばせた。これらの者は、挨拶の後、歩きながら、彼らと優雅なことを話した。
 しかし、彼らの案内役の天使は言った、これらの十人の男たちはこの天界の中に、その楽しさを見る、またここから永遠の幸福について新しい観念を得るために 招かれている。「それゆえ、あなたがたの感覚に働きかけるその楽しさについて何らかのものを話せ。その後、〝賢明な者“がやって来て、その者は何らかのものを話しに出す、それら〔の話し〕はそれら〔感覚からの楽しさ〕を至福や幸福にする」。
 これらを聞いて、都から呼ばれた者たちはこれらを話した――
[(1)] 心を疲労から回復させるために、ここに君主により命じられた祭日がある、競争(張り合うこと)欲望はそれ〔疲労〕をある者にひき起こす。
 これらの日に広場の中で音楽と歌の音楽会、また都の外で遊びと演劇がある。その時、広場の中で、ブドウのつるから編み合わせた格子をめぐらせた(天井)さじきが設けられるそれらからブドウの房が垂れ下がっている、それらの内に三つの持ち上げられた部分の中に弦楽器とともに、また高い音また低い音の、そして輝かしい音色また柔らかい音色の音の楽器とともに、楽士が座る、また脇に(男性)歌手と女性歌手がいる、また最も愛らしい歓呼と歌とともに、混声(合唱)またソロ(単独)で、時々、変化の種類に関して、市民を喜ばせる。これらはそこに、それらの祭りの日々に、朝から正午まで、またこの後、夕まで、続く。
 [2] (2) さらに、毎朝、広場のまわりの家から、処女と少女の極めて甘美な歌が聞こえ、そこから都全体に響き渡る。一つの霊的な愛の情愛があり、それが毎朝、歌われる、すなわち、歌声の加減、または調子(の変化)によって、響き、また歌の中のその情愛が〔情愛〕それ自体のように知覚される。聞いている者の心の中に流入し、それ〔心〕を対応するものへとかきたてる。このようなものが天界の歌うことである。
 女性歌手たちが言う、自分たちの歌の音が内的なものからそれ自体のように吹き込む、また生命を与える、また、聞く者による受け入れにしたがって快活高まる。
 これが終わって、広場の家の窓が、また一緒に街路の家〔の窓〕、そしてまたが閉ざされ、またその時、都全体が黙る、どこにも叫び(大声)が聞かれない、歩きまわる者も見られない。その時、すべての者が、自分の職務の役目に熱中して取りかかっている。
 [3] (3) しかし、正午の時、扉が、また午後、どこかで窓もまた開かれる、広場の中の少年と少女の遊びが眺められ、彼らを見守って、彼らの保母と教師が、家のアーケード(回廊)の中に座って〔いる〕。
 [4] (4) 都の脇に、その最外部の中に、少年と若者のいろいろな遊びがある。競走の遊び(かけっこ)があり、ボールとともに遊びがある。ラケットと呼ばれる☆〔ラケット用〕ボールを打ち返す遊びがある。話し、行動し、また感じることで、だれが活発で、だれが鈍重か、少年たちの間に舞台でのコンテストがある。また活発〔であったこと〕のために賞として何らかの月桂樹の葉(月桂冠)がある。さらに多くの他のものがあり、それらは少年の中に隠れている可能性を刺激するものである。
 [5] (5) なおまた、都の外に舞台の上に、喜劇の、いろいろな名誉や美徳の道徳的な生活を表象する演劇があり、それらの間にもまた、関係のための俳優がいる。
 十人からのある者が質問した、「関係のためにとは何か?」
 答えた、「何らかの美徳は、その名誉と美しさとともに、それらの最大のものから最小のものへ関係によってでないなら、生き生きと示されることができない。俳優はそれらの最小のものを何もなくなるまでも表象する。しかし、法律で、何らかの反対のものがないように規定されている、それは不名誉なものと醜いものと呼ばれ、偽装して、また遠くからかのように(=婉曲に)示されなければならない。そのような規定がある理由は、ある者の美徳の何らかの名誉なものと善行が連続的な進行を通して不名誉なものと悪行に移らないからである、しかしその最小のものへ、失われるまでも〔移り〕、また失われる時、反対のものが始まる。それゆえ、天界は、そこにすべてのものは名誉なものと善行であり、地獄と共通するものを何も持たない、そこ〔地獄〕のすべてのものは不名誉なものと悪行である」。
 
このラケットは遊び用具ではありません、遊びの名前です。スヴェーデンボリ当時に「ラケット遊び」という言い方があったのでしょう。英語のracketに由来する新しい言葉でしょうか?

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