原典講読『みことばとその内意』 54(白い馬1)(訳文)

 

(3) 訳文


54. ヨハネの「黙示録」に、みことばが内意に関してこのように述べられている、


 


 私は開かれた天を見た、見よ、「白い馬」、またその上に乗っている者は忠実と真実呼ばれ、義の中でさばき、戦われる。その方の目は火の炎、またその方の頭の上に多くの王冠。書かれた名前を持っており、それはその方以外だれも知らなかった。また血に染まった衣を着ており、その方の名前は「神のみことば」と呼ばれた。また天の軍勢が、白い馬に乗って、白い清潔な亜麻布を着て、その方に従った…。


また衣の上にもご自分のももの上にも、「王の王、主の主」と書かれた名前を持っている、19:11-14, 16


 


これらの個々のものが何を含むか、内意からでないなら、だれも知ることができない。それぞれのものに、すなわち、「開かれた天」、「白い馬」、「それに乗っているは忠実と真実、また義の中でさばき、戦う」、「その方の目は火の炎〔である〕」こと、「頭の上に多くの王冠〔があった〕」こと、「名前を持ち、それはその方でないならだれも知らないかった」こと、「地に染まった衣を着て〔いた〕」こと、「天の軍勢が、白い馬に乗って、その方にしたがった」こと、「彼らは白い清潔な亜麻布を着て〔いた〕」こと、また「衣の上とももの上に書かれた名前を持っていた」ことに、何らかの表象と表意があることが明らかである。みことばであること、また主がみことばであることが、明らかなことばで言われている、なぜなら、「その方の名前は“神のみことば”と呼ばれる」、その後、「衣の上とその方のももの上に“王の王、主の主”書かれた名前を持っている」と言われているから。


[2] 個々のことばの解釈から、ここに内意に関するみことばが述べられていることが明らかである。「天が開かれていた」ことは、天界の中以外に、また天界が開かれている者、すなわち、その者は愛の中またここから主への信仰の中にいる者、彼ら以外に、みことばの内意が見られないことを表象し、意味する。「白い馬」は、みことばの内的なものに関してその理解力を表象し、意味する。白い馬がそのことであることは、続くものから明らかである。「その上に乗る者」は、みことばであり、また主はその方のみことばであることが明らかである。「その者は忠実〔であり〕また義からさばく」は、善から、そして「真理と義から戦う」は、真理から呼ばれる。なぜなら、主ご自身は義であられるから。「その方の目は火の炎」は、その方の神的な愛の神的な善からの神的な真理を意味する。「その方の頭の上に多くの王冠」は、信仰のすべてのものを意味する。「その方でないならだれも知らない書かれた名前をもっている」は、内意の中のみことばがどんなものであるか、その方とその方が啓示した者以外に、だれも見ないことを意味する。「血に染まった衣を着て」は、文字の中のみことばを意味する。「天の軍勢は、白い馬の上のその方にしたがった」は、内なるものに関してみことばの理解力の中にいる者を意味する。「白い清潔な亜麻布を着ている者」は、同じ者を、愛の中に、またここから信仰の中にいる者を意味する。「衣の上に、ももの上に書かれた名前」は、真理と善を意味する。


 これらから、またそこに先行するまた続くそれらから、最後の時のころ、みことばの内意が開かれることが明らかである。しかし、その時、何が起こるか、さらにまたそこに述べられる、17-21節。


 


補足:『白い馬』1番は、ここを書き改めたものです。同じものもありますが、変えた部分もあります。じっくり比較すれば、おもしろい発見があるかもしれません。「後から書いた『白い馬』のほうがよいものとなっている」とは一概に言えません。


コメントを残す