(3) 訳文
261 霊的な意味で氾濫または洪水が何であるか、経験から知ることが与えられた。氾濫は二様であり、一つは欲望のもの、またもう一つは虚偽のものである。欲望のものは、意志の部分のものであり、脳の右の部分のものである、しかし、虚偽のものは、理解力の部分のものであり、その中に脳の左の部分がある。
善の中に生きた人間が自分のプロプリウムの中に、そのように自分自身のいのちのスフェアの中に戻される時、いわば氾濫が見られる。その氾濫の中にいる時、憤慨し、怒り、考えは落ち着かず、激しく欲する。脳の左の部分が氾濫し、そこに虚偽があるときと、悪がある右の部分が氾濫しているときとは異なっている。
けれども、人間が主から再生を通して受けた、いのちのスフェアの中に保たれる時、まったくこのような氾濫の外に、いわば晴天と日照の中に、また喜ばしさと幸福の中に、そのように憤慨、怒り、落ち着きのなさ、欲望や同様のものから遠く離れている。後者は霊たちの朝または春であり、前者は彼らの夕または秋である。
私が氾濫の外に、またこの状態に長い間いたこと、また私が見たとき他の霊たちがその中にいたことを知覚することが私に与えられた。けれども、その後、自分自身が浸され、またその時、私は氾濫と類似のものを認めた。試練の中にいる者はこのようなものの中にいる。
ここからもまた私は、みことばの中の洪水が何を意味するか、すなわち、主の天的な教会の者であった最古代人の最後の子孫は、悪と虚偽によって完全に水でおおわれ、このように滅んだことを教えられた。
〔次回で『最大の人とその対応』は終了です〕