原典講読『最大の人とその対応』 145(訳文)

 

(3) 訳文


145 私のもとに地球からのたちがいた。彼らについてところに〔述べたが〕、彼らの顔は私たちの地球の人間の顔から異なっていた。特のまわりがていてまた〔動きが〕自由〔であった〕。私は彼らと、彼らの生きる習、彼らの間の交際の状態について話した。彼らは、自分たちの間では、特に、いろいろな顔つきによって、とりわけ、唇のまわりの変化によって話すこと、また顔の目のまわりのものによって情愛を表わし、このように自分たちの仲間が何を考え、何を欲しているか、ここから十分に把握することができる、と言った。このこともまた私に、私の唇の中への流入によって、その〔唇の〕まわりをいろいろに折りたたむことと曲げることで示すことを試みた。しかし、私の唇が幼年期からこのようなものを教えられてなかったので、私は変化取ることができなかった。しかしそれでも、私、何されたか、彼らの思考伝達によって把握することができた


 けれども、全般的によって表現できることが、私らかにすることができる。互いにわせたくの部分からなるひときの筋肉繊維が唇にありそれらがもしげられまたこのようにがって自由活動するならそこにくの変化すことができそのことは筋肉繊維抑制されているにはられていない


[2] そこのらのがこのようなものであったのは、偽うことすなわち、何かをえることと、〔それとは異なる〕またかをすことができないからであるというのは、仲間からでもしてさないような、というよりもむしろ、何しているかなおまたどんなものであるかそしてまた遂行したかちにこのような誠実さの自分たちのきているからというのは、良心内在する誠実さのにいる行為ここからるとすぐに内的なまたはアニムスの容貌して区別されることができるから


[3] らは、顔強制していないしかし、自由解放している、そしてらのもとでは、青春時代からうことすなわち、考、意志することでなくかを、行なうことを習慣によって獲得したとはなっていることをした。後者、狡猾さを主張するに比例してそれ自体変化させることにけて用意され、しかめられる。何かをくそうする人間、自分をしかめるが、誠実さのようなかがねつされて表現されるときそれは収縮からばされる


[4] 私が「新約聖書」のみことば中の主について読んでいたとき、主に対する反感を内部に、自分自身の中に抱き、そしてまたそれらをひっそりと伝達することを欲する霊たちが近づき、そしてまたあるキリスト教徒たちが近づくのが知覚された。他の地球からの者は、このような者がいたことに驚いた。しかし、彼らに、口では世でこのような者でなく、しかし、心でこのような者であったこと、またさらにまたその者はたとえこのようであっても主を語り、またその時、彼らの心にあるものは決して伝達しないで、敬虔な熱意を装ったものから、一般の人々をうめき声へ、また時々は涙へと駆り立てる者が存在する、と言うことが与えられた。彼らは、内的なものと外的なものの、すなわち、思考と話し方のこのような不一致が存在できることに唖然とした。彼らはこのような不一致についてまったく知らない、また自分たちには、心の情愛にしたがわないで何かを口で話し、また顔でそれを示すことが不可能であり、またもし異なるなら、こなごなに砕かれ、滅びる、と言った。

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